* 3 *

「フフ、大変よォ。私の授業について行く以上にネ」


 こんな風に生徒を脅してくる姿を見ていると、ミス・スペンサーには教員という立場は向いていないような気がしてくる。京子さんはこっそりと「お父様に、学校に苦情いれるようお願いしないと」と呟いていた。


 窓の向こうを見ると、校門の前に一台の車が停まる。それは私の迎えではなく、京子さんを迎えに来た車だった。


「それじゃ、京子さん、また明日」

「えぇ! でも百合子さん、具合が悪いなら無理なさらないでくださいね」


 荷物をまとめた京子さんは、軽く手を振って教室を後にする。私は一人取り残された……と思ったけれど、なぜかミス・スペンサーが私の隣の席に座った。


「……何か、私にご用ですか?」


 恐る恐る尋ねても、彼女からは返事がない。私は深くため息をつき、私たちの【共通の話題】を持ち出すことにした。


「最近、ギルが忙しいみたいなんです。ミス・スペンサーは何かご存知でしょうか?」

「私が知る訳ないじゃなイ」

「ご自慢のお父様には?」

「お父様はそれどころじゃないノ! はあ、あんたにも関係のある事だから教えてあげるワ。よく聞きなさイ」


 そもそも、ミス・スペンサーのお父様がこの国に来たのも、国交正常化に向けた協議のためらしい。


「でもネ、世論の大半はもちろん大反対。だって当たり前じゃなイ? あの戦争で、どれだけ痛い目にあったカ……。国交正常化の目玉として皇女とギルの結婚話で盛り上げたいみたいだけド、まだそこまで至っていないという感じね」


 ミス・スペンサーは小さく息を漏らす。


「これだト、お父様の仕事は終わりそうにないワ。この結婚話だって、本国で知っている人はごくわずカ」


 ……どうしてだろう、彼女の声が、どこか離れたところから聞こえてくるみたいに遠ざかっていく。ミス・スペンサーの姿も、ぐにゃりと曲がり始めた。


「もしこれが国に知れたらどんな騒ぎになるかしラ? もしかしたら、あなた達結婚を大反対されるかモ……って、ちょっと大丈夫?」

「……へ?」

「顔真っ赤じゃなイ! なに、熱でもあるわケ?」


 そう言われると、何だか顔が熱くなっている気がする。けれど、体中にはぞわぞわとした寒気が駆け抜けていく。ミス・スペンサーに言い負かされないようにちゃんと背筋を伸ばしていたいのに、どんどん力が抜けて行ってしまう。


「ま、待ってなさイ、今、人を呼んでくるかラ!」


 いつになく焦った声音のミス・スペンサーの声が、最後に聞こえたものだった。


***


「ねえ、トク」

「なんでしょう、百合子様」


 布団に入ったままの私は、天井を見つめながら傍にいるトクに声をかけた。


「私はいつまでこうしてお布団の中にいなければいけないの?」

「まだ熱が出ているではありませんか」

「もうほとんど下がったわ」

「ダメです! 何かあったら大ごとですので、完璧に熱が下がりきるまでじっとしていてください。お医者様からも安静にするようにと言われたでしょう?」


 学校で倒れてしまった私は、それから数日間高熱にうなされる羽目になった。私が風邪をひいたという知らせはあっという間に駆け抜けていき、床に伏せっている間に多くの見舞いの品が届けられていた。特に蘭子お姉様は自分が風邪をうつしてしまったせいだと言って、私の好きな食べ物をたくさん届けてくれたらしい。桜子お姉様は風邪に効くというお茶を、お兄様と多恵子お姉様はお花をそれぞれ手配してくれて、私の部屋はそんなお見舞いで溢れかえっている。


 一番助かったのは、京子さんからのお手紙だった。私の代わりに授業の板書をノートに取っていてくれて、学校を休んでいる間毎日それを送ってくれていた。私はすぐにでも返事を書きたいのだけど、トクがそれを許してはくれなかった。


「もう大丈夫だって言っているじゃない」

「いいえ、無理をしてはなりません」

「少しくらい平気よ。京子さんにお手紙を書くだけ、ね?」

「いいえ! 百合子様のお母様、藤子様もそうおっしゃって無理ばかりした末、あんなことに……」


 トクがそう言って目に涙を貯めるので、私はそれ以上歯向かうこともできず、またじっと布団の中で横になるしかなかった。トクは私の監視がてら、「百合子様がお体を冷やさないように」と靴下をせっせと編んでいる。トクの目を盗んで逃げだすことも出来ない。


「ねえ、トク」


 ここ数日、ずっと気がかりになっていたことがある。


「何ですか? 百合子様」

「……中尉殿から、何か連絡はありました?」


 トクはそっと首を横に振る。私は小さくため息をついた。


「きっと忙しいのでしょう。後で武仁様に何かご存知じゃないか聞いてみますね」

「……ありがとう、よろしく」

「そろそろお昼の時間ですね。お粥の用意をしてきますね」

「えー? またお粥なの? さすがに飽きたわ」


 具合が悪かった時はちょうど良かったけれど、元気が余っている今、お粥だけでは物足りない。私がそう文句を言っても、トクに私のワガママは通用しない。


「今日は梅干しをつけてましょうかね。それなら少し気分も変わるでしょうし」

「ほんの少しだけね」

「リンゴも切って差し上げますから。それを食べて薬を飲んで、そしてぐっすり眠れば、明日にはきっと熱には下がってますよ」

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