* 4 *
「そうでしょうか?」
母国をけなされて、私はムッとなり言い返してしまう。
「それは、あなたがこの国に滞在してまだ日が浅いからそう感じるのでは? 長く暮らすようになれば、この国の良い一面がもっと見えてくると思いますが」
「そんなに長くいないわヨ。すぐにでもギルを連れ戻して本国に戻るつもりだかラ」
ミス・スペンサーが彼の名を出した時、その表情はほんのわずかに緩んだ気がした。私がじっと彼女の事を見つめていると、それに気づいたミス・スペンサーはわずかに胸を張った。
「皇女だかなんだか知らないけれど、私、あなたに負ける気がしないワ。ちんちくりんなあなたより、私の方が大人で、それに魅力的だシ? それに、お父様だって応援してくださるって、私たちの仲を」
そう言って、長い脚を組む。きっと多恵子お姉様が見たら「はしたない!」なんて言って怒るかもしれないけれど、その姿は似合っていて、何だか優雅に見えてしまった。……足が短いどころか、もともと身長の低い私と違って、きっと彼の横に立っても釣り合いが取れるに違いない。そんな事を考えて、私は勝手に落ち込み始めていた。幸いなことにミス・スペンサーはまだそのことに気づかなくて、一人で話し続ける。
「私ネ、ずっと彼に興味があったノ。あの戦争で多くの戦果を挙げた、我が国の英雄。私だけじゃなくテ、周りの女の子たちはみんなあわよくばお近づきになりたイって思っていたはずだワ。だから、お父様に頼んで誰よりも先に紹介してもらったのヨ」
彼女はうっとりとしたため息をつく。
「本物の彼は本当にスマートで素敵デ……新聞で見ていた姿とは全く違ったワ。英雄と言われても気取ることなく、控えめで、そんな男性がいるなんて私知らなくテ。だから、お父様に頼んだのヨ。彼と結婚したいからなんとかしてっテ。お父様は私の事を心配して中々彼にその話をしてくれなかったかラ、私から彼に直接お願いしたこともあったけれド……ギルってば、自ら志願して進駐軍としてこんな所に来るなんテ……それに!」
ミス・スペンサーはまっすぐ私を指さした。
「気づけば、こんなちんちくりんな娘と婚約するなんテ噂が流れてるシ! 慌てて連れ戻しにだってくるわヨ。……でも、ギルにとって悪い話じゃないわよネ、あんたとの結婚。どうせ、あなたはギルの出世の材料にされるだけでしょウ? たとえ小国、以前は敵国だったとしてモ、本物のプリンセスだもノ。悪い話じゃないワ……貴族の出でもない彼がこれから先、本国で上に登っていくにはね」
彼女はまたフンッと鼻を鳴らして笑う。
「どうせ、あなたも飽きたら捨てられるんじゃなイ? その時が楽しみだワ」
「……それでも、私は別に構いません」
私の口から飛び出してきた声は、自分でもぞっとするくらい冷たかった。目の前にいるミス・スペンサーも、先ほどまでの自信たっぷりな姿から、少し怯えるような視線を私に向ける。
「カーター中尉は……彼は、もう戦争の起きない世界を作りたいのだと、私に話してくれました。私は彼の野望のためなら、私自身の地位も何もかも、どう利用していただいても構いません」
たとえ、彼に捨てられるような結果になっても。そう続けると、ミス・スペンサーは少し前のめりになって言い返す。
「バカじゃないノ!? 愛のない結婚だって分かってても、それを受け入れるっていうつもリ!」
「……元々、私が【愛のある結婚】なんて、できるとは思っていませんでしたから。この身分を理解した時から、結婚というものは政治的に利用されるものだと分かっていましたし」
自分でこんなことを言っている内に、胸の中に寂しさや悲しさが募り始める。鼻の奥がツンと痛くなって、目の奥から何かがにじみ出るのを感じていた。私はそれらが彼女に伝わらないように、少しだけ顔を伏せる。
「彼が自身の信念を貫くために私の事を使うのであれば、喜んで受け入れましょう。我が国とハノーヴ国、その二つをつなげるという役目、あなたに果たせますか? ミス・スペンサー」
彼女の顔がカッと赤くなっていった。
「これは、私にしかできないことです。もう二度と、口出ししないでいただけますか?」
ミス・スペンサーは立ち上がり、足音を踏み鳴らして出て行った。きっとこれが彼女の返事だろう。私は一人で立ち向かえたことに安堵し、長くため息をつく。……まだ胸が痛い。でも、私は彼女が言っていたことがもし本当のことになっても、それを受け入れるに違いない。
――ねえ、百合子。
耳の奥で、懐かしい声が聞こえた。目を閉じると、瞼の裏にゆっくりと、お母様の姿が浮かんでくる。亡くなる少し前、二人きりで過ごした数少ない思い出。まるで時間が巻き戻ったかのように、私はその時の事をありありと思い出していた。
「なあに、お母様?」
お母様は、傍にいた私の小さかった手を握る。
「この国は、これからどうなるかわかりません。戦況がこれから良くなるとは思えない……あなたが大人になったとき、もしかしたら、これ以上生きづらい暮らしになるかもしれません」
ずっと寝たきりで、とても弱っていたはずなのに、お母様の手は力強かった。
「百合子が望む相手と結婚できないかもしれません。でも、これだけは覚えておいて――」
その言葉は、幼かった私にはまだわからなかった。でも、少しだけ大人になった今ならわかる気がする。
「……リリィ」
「ギル?」
顔をあげると、ドアのあたりにギルが立っているのが目に入った。
「……いつからそこにいらっしゃったんですか?」
「あなたが、モニカと言い争いをしていたときからです。何だか入りづらくて、それで……」
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