* 3 *

「ええ。中尉殿と、ちゃんと話をしてきますわ。彼女の事について」


***


 迎えに来た運転手は、進駐軍の本部に行くことをとても渋った。


「無理ですよ、百合子様。トクさんに叱られてしまいます」

「この私が命じているのよ。私より、トクの言う事を優先するっていうの?」

「いや、しかし……よりによって進駐軍本部に行くなんて。それに、お帰りが遅くなってしまいますよ」

「黙っていれば誰にもバレないわ。いざとなったら、京子さんに語学を教えていたらつい夢中になって遅くなったって嘘つけばいいのだから」


 ちなみに、この嘘は京子さん発案の物である。いつでも口裏を合わせてくれると約束してくれた。運転手は私の頑なな態度についに折れ、車を進駐軍本部に向かわせる。進駐軍は女学校を挟んで、私が暮らす皇居とは正反対の方向にある。大きな建物と異国の軍人が見えてきたとき、運転手は大きくため息をついて車を停めた。


「……ここ進駐軍の本部なのね」

「百合子様、やはり危のうございます。中尉殿に話があるならば、いつも通り来てもらえばよろしいじゃないですか」

「それじゃ遅いの! 私は今すぐ彼と話をしたいの。あなたはここで待っていて、くれぐれも告げ口しに行かないでね。そんな事をしたら、クビなんだから!」


 車を降りると、運転手の止める声が聞こえた。私はそれを無視して、まっすぐ進駐軍本部の玄関に向かう。軍服をきっちりと来た軍人二人がじっと私を見下ろした。


『おや。こんにちは、お嬢さん。ここに何かご用かな?』

『おい、やめてやれよ。こんな小さな子どもに、俺たちの言葉が分かるわけないだろう?』


 良かった、彼らが話しているのはハノーヴ語だ。それなら、私の得意分野だ。私は背筋を伸ばし、彼らに向かってにっこりとほほ笑んだ。


『ごきげんよう。ギルバート・カーター中尉にお会いしたいのだけど、そこを通してくださるかしら?』


 彼らはまず、私がハノーヴ語を駆使したことに驚く。そしてギルを呼ぼうとしたことへの驚きは、少しだけ遅れてやってきたみたいだ。怪訝そうに私の事を見つめ、追い払おうとする。


『どうして彼を? 君と何の関係が?』

『早く家に帰らないと、君のママが心配するだろ? ほら、行った行った』


 私は頬膨らませて憤慨する。仕方ない事だけど、私が何者であるのか……異国から来た彼らはきっと知らないのだろう。門番と向かい合いながらどうしようかと考えていると、ドアがゆっくりと開いた。現れたのは、壮年の男性だった。肩についている星の数、胸を飾る勲章、そして門番となっている彼らが慌てて敬礼をする様子から見ると、とても位の高い人物であるという事が分かる。私の背筋も自然と伸びていく。


『……おや? 貴女はもしかして』


 そう言って、彼は恭しく頭を下げた。門番二人はとても驚いたようで、小さく叫び声をあげる。


『これはこれは、皇女殿下ではありませんか。このような場所に何かご用でしょうか?』

『中尉のギルバート・カーターに話があります。取り次いでくださいませんか?』

『承知しました。……お前たち、この方に失礼なことはしていないだろうな』


 二人とも、わずかに尻込みする。私はその様子を見てクスリと笑った。


『大丈夫ですわ。お二人とも、私が何者か分からなかっただけみたいですから』

『大変失礼いたしました。きちんと教育しておきます故、どうかお許しください。さ、どうぞこちらへ。案内致します』


 彼に案内された先は、最も上等な客間だった。壮年の彼は『すぐにアイツを呼んでまいります』と恭しく言って、扉をしめた。その直後、慌てたような彼の声が聞こえていた。


『おい、ギルはどこ行った!』

『今外出しておりますが、何かありましたか?』

『早く連れ戻せ! 皇女が来てるんだよ!』


 大きな声と騒々しい足音が遠ざかっていく。


(本当に【ギル】って呼ばれてるんだ……)


 外出しているという事は、帰ってくるまで時間がかかるかもしれない。私は客間のソファに腰掛けて、万が一とても遅くなった場合のトクへの言い訳を考えようとしていた。その時、控えめなノックが聞こえてきた。


「どうぞ」


 とっさのことで、思わず母国語が出てしまう。しかし、扉の向こうにいる人は言葉が通じたようで、ゆっくりとドアノブが回った。


「……あ」

「まさかとは思ったけれド、みんなが慌てていたかラ……本当にあなたがいるなんてネ」


 姿を現したのは、ミス・スペンサーだった。


「あなたこそ、どうしてここに?」


 そう尋ねると、ミス・スペンサーはまた鼻で笑ってから口を開いた。


「ココで勤務しているお父様に呼ばれたノ。女学校への初出勤はどうだったかって……生意気皇女のせいで最悪だったとは言わなかったから、安心しテ」

「……それはようございました。もしそんな事をおっしゃっていたなら、私も教育長に報告いたしましたわ。新しい語学の教員が無礼極まりなかった、と」

「フンッ! 口の減らない娘ネ」


 ミス・スペンサーはふんぞり返りながら、私の目の前のソファに座った。とても偉そうなその態度に、私もいら立ちを覚えてしまう。


「中尉殿からは、貴女のお父上は外務省にお勤めと伺いました」

「そう。お父様がこのヘンピな島国勤務になったから、私もついてきたのヨ。ギルが私の事を捨ててまで行きたがった国がどんなものかと見て見たくなっテ。でも、大したことないわネ。教育水準も文化も、私の国の足元には及ばないワ」


 そう話す彼女の顔はとても自慢げだ。

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