5話 皇女様の決意
* 1 *
「ゆ~り~こさん♪ 昨日はいかがでしたか? 楽しかったですか?」
次の日、登校してきた京子さんはとてもウキウキした様子で私の顔を覗き込んだ。そして、顔を青くしてのけぞりながら「うげっ」と下品な悲鳴をあげる。
「どうしたんですか? 顔なんて土気色ですし、隈もひどいですよ! お風邪でも召されました?」
「いいえ、私はとても元気よ。とっても」
私の声はとても低い。京子さんはそんな私の様子を見て、首を横に振った。
「全くそんな風には全く見えませんよ。……さては、将校さまと何かあったんですね」
「まさか? 何もなかったわよ。まさか帰り際に彼の【元婚約者】と名乗る女性になんて、そんなの、会ってないですし」
「……全部言っちゃってるじゃないですか」
京子さんは「やれやれ」と言いながら前の席に座った。私は胸に溜まったモヤモヤを吐き出したかったのか、昨日の出来事を包み隠さず彼女に打ち明け始めていた。
***
「リリィ?」
「……」
「あの、リリィ、返事をしてください」
「……」
「もしかして怒ってますか?」
「いいえ、全く」
「……怒っているじゃないですか」
彼が【モニカ】と呼ぶ女性がした私への宣戦布告の後、彼女はまるで勝ち誇ったかのような自信たっぷりな顔で、近くに停まっていた車に乗り込みさっさと走り去っていった。私はどこか慌てている様子の彼を見上げ、こう言い放つ。
「……いい加減、帰りたいのですが」
想像していた以上に冷たい声音になってしまった。ギルはびくりと体を震わせ、慌ててポケットから車の鍵を出して助手席のドアを開けた。私が車に乗り込むと、彼は大急ぎでその隣の運転席に座り、車を発進させる。
「誤解ですからね、モニカが私の事を【元婚約者】だの呼んでいるのは。あれは、アイツが勝手にそう言っているだけであって、そんな事はないですからね。全くの事実無根です。私とアイツは、本当に赤の他人であって……」
窓の向こうを見ながらうんともすんとも言わない私の機嫌を取るのをあきらめたのか、彼はまっすぐ前を見て、運転しながらそんな話を始めた。
「彼女の父親は外務省の高官で、戦争が終わって本国に帰還した時にお会いする機会があったんです。その時、彼の娘であるモニカも一緒にいて、それで彼女に興味を持たれたみたいで……」
「ふーん、そうですか。でも、私には関係のない事ではありませんか?」
「だって、リリィはさっきから怒ってるじゃないですか! だからきちんと説明をしようと思って……!」
ハンドルを軽く叩き、彼自身苛立っているのを隠そうとはしなかった。私も意固地になってしまって、ぷいっと顔を反らしてしまう。
「とにかく、彼女が言っているような関係は一切ありません。信じてくださいよ、リリィも。……あと、皇太子殿下にも話したりはしないでくださいね。もし話がこじれて伝わって、貴女との婚約話もなくなったら……」
彼の言葉は尻すぼみになっていって、そこで途切れた。
もし、婚約話がなくなったら。彼はどう思うのだろう、せっかく自身の理想とする世界に近づくチャンスを失ったと後悔する?
結局のところ、私は政治の道具にすぎないのだろうか。彼にとって、利用できる切り札の一つが私なのだろうか。
そんな考えが頭を駆け巡り、その夜、ちゃんと眠ることができなかった。そのおかげで目の下にはくっきりとした隈が出来上がったわけだ。
「将校さまがそうおっしゃっているなら、大丈夫なんじゃないですか? そんなに不安にならなくても」
「でも、何だかモヤモヤしてしまって……いつも以上に彼には辛くあたってしまいました」
私がため息を吐くと、京子さんは前のめりになった。
「百合子さん、それってもしかしてヤキモチでは?」
「ヤキモチ?」
「えぇ! きっとそうですわ! 将校さまとその女性のただならぬ関係に、百合子さんは嫉妬しているんですよ。ねぇ、その女性はどのような方なんですか? 教えてください!」
「えー。どうしてそんな事を聞きたがるんですか?」
「まずは敵の事を良く知らないと、私からは何も助言ができませんわ! 私、百合子さんと将校さまの力になりたいのです!」
そんな事を言っているけれど、京子さんの目は爛々と輝いている。他人事だと思って楽しんじゃって、と私はため息をつくけれど、こんな風に親身になってくれる京子さんがいてくれることが少し嬉しかった。私が例の女性の事を思い出そうとしたとき、教室に同級生が駆け込んできた。
「みんな聞いてー! 新しい語学の先生が来たんですって!」
その一言に、教室中がざわめく。語学が苦手な京子さんは「厳しい先生だったらどうしよう」と不安げにうつむいている。
「えー? こんな時期に? 随分中途半端じゃない?」
「どんな先生なの? 見た?」
「直接見た訳じゃないんだけど……聞いたところによると、異国の方なんですって!」
「い、異国の!?」
先ほどとは違う種類のざわめきが教室に広がる。まだ異国に対する恐怖心を抱いている生徒も多い。ギルが学校に来たときも、怯えていた生徒がいたくらいだったから。
「あれ? うちのクラス、一時間目語学ですよね」
「大変! 新しい先生がいらっしゃるのかしら」
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