* 3 *


 私が言いよどむと、彼はじっと私が話し出すのを待ってくれる。


「中尉殿の格好と、つり合いが取れないですし」

「なんだ、そんな事でしたか。気にしない、気にしない」

「私からすれば、とても重要なことなんです! あぁ~もう! 大体、何なんですかその恰好は、いつもと全く違うじゃないですか」

「そんなに怒らないでください。みんな見てますよ」


 振り返ると、玄関をハラハラと心配そうに覗き見るたくさんの生徒がいた。その中には京子さんの姿もある。でも、他の生徒とは違って、京子さんは私を見ながらまるで面白がるようにニヤニヤと笑っていた。そんな風に笑うなら、もう語学教えない! と念を送りながらじろりと睨むと、彼女は首をすくめた。


「今日はもともと休みだったんですよ。休みなのに軍服を着ているのは変でしょう?」

「そうですけど……」

「それとも、リリィはあの軍服がお好みでしたか?」


 にやりと口角をあげる彼の胸のあたりをぽかりと叩く。中尉殿は大げさにのけぞってみせた。


「ほら、靴を履き替えてください。早く行きましょう」

「……はぁい」


 こんな返事をしているところを多恵子お姉様やトクに見られたら、きっとすごく怒られる。けれど、今はなんだか気が抜けてきて、ちゃんとした返事をする気にもなれなかった。


***

 

 中尉殿が乗ってきた車は、先輩から借用してきたものだと少し恥ずかしそうに話していた。進駐軍の車と比べると、車内はとても狭い。運転席に座る彼との距離も、必然的に近くなってしまう。


「女性と出かけるのに、お前は自分の車も持っていないのかと怒られてしまいましたよ」


 彼は笑いながらそう話すけれど、私は彼とのあまりの近さに緊張してしまい、それに集中することはできなかった。


 こんなに近いのは、あの洞穴で抱きしめられた時以来。どうしても、あの出来事を思い出してしまう。


その車に乗りたどり着いた場所は、国立美術館だった。私も幾度か、公務や学校の課外学習で来ている場所だ。


「中尉殿が見せたいものがあるとおっしゃっていたのは、ここの事なんですか?」

「えぇ。来週から、ハノーブ国の美術展をやるんです。ちょうどすべての展示品を並び終えたと話を聞いたので、今日は特別に開けてもらいました」

「いいのですか? まだ始まっていないのに入っても」


 入り口に貼ってあるポスターには、来週から美術展が始まると書いてあった。けれど、彼は当たり前のように美術館に入っていく。


「もちろん。始まってしまったら、二人でゆっくり見ることはできないでしょう? ほら、行きましょうか」


 振り返った中尉殿が手を差し伸べた。私はその手にそっと指先を乗せて、彼の後に続いた。


「美術展をやるなんて知りませんでした。これも、国交正常化に向けた取り組みの一環ですか?」

「はい。陽本国の方にも、ハノーヴのいい面を知っていただくために開催にこぎつけたと聞いております。ただ、展示物はあまり多くないんです。遠すぎてあまり品数を持ってくることが出来なくて。小さめな展示室なのにスカスカでみっともないのですが……」


 彼はそこで言葉を区切る。


「いつか、リリィも我が国に来るでしょう。その前に少しでもいいところを知っていて欲しかったんです」


 中尉殿が照れたように笑う。私はその言葉に頷いて、その展示会の会場に入っていった。


 彼は【あまり展示物は多くない】と話していたけれど、私から見たら十分なほどだった。彼の国の宗教をモチーフとした、たくさんの天使に囲まれて赤ん坊を抱いた女性が微笑んでいる姿を描いた絵画。数代前の国王が実際に使用していた王冠。鮮やかな絵が描かれた食器類。


そしてその中で最も私の目を惹いたのは、美しい宝飾品の数々だった。そればかり覗き込んでいる私に、中尉殿は何も言わずにそっと寄り添ってくれる。


 他国から嫁いできた貴族の女性のために、ハノーヴ王朝が職人に作らせたというティアラ。今までに見たことがないくらい美しくて、うっとりとため息が漏れてしまう。たくさんの花弁で出来たバラと、美しく巻かれた茨のツタ。本来なら刺々しくて触れることのできない茨なのに、それすら高貴な印象を私に持たせる。宝石の類はあまりついておらず、質素な作りだけれど、これを作った職人の技術が素晴らしかった。


「それを作った職人は、代々ハノーヴ王朝のアクセサリーを作っている家系なんですよ。女王陛下が身に着けている、ティアラをはじめとする宝飾品も、その全てが同じ職人が作っています」

「そうなんですね。いつか女王陛下のアクセサリーも見てみたいです」

「あなたがそう言ってくれて良かった。女王陛下も、リリィに興味がおありのようですから」

「へ?」


 思わず変な声が出てしまった。そう簡単に信じることができず、私は「冗談はやめてください」と唇を尖らせて言い返す。


「冗談なんかではありませんよ。この展示会に出展する作品のほとんどを、女王陛下がお選びになりました。遠い異国の、まだ見ぬ若き皇女殿下に気に入っていただけるように、可愛らしいものを中心に」

「ほ、本当ですか? 女王陛下が私のために?」


 その言葉はいささか信じられなかったけれど、彼の微笑みがそれが真実であると教えてくれる。


「えぇ。貴女がじっくりと見ていたティアラは女王陛下のおばあさまの物なんです。きっとリリィも気に入ると思ってお貸しくださいました。陛下の予想は正しかったみたいです。女王陛下は、リリィに会うのが楽しみなのだと聞いております」

「……女王様は、この国の事を恨んではいないのですか?」


 私がそうポツリと呟くと、中尉殿は口を真一文字に結んだ。

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