4話 お忍びデート

* 1 *

「リリィ、私とデートでもしませんか?」


 中尉殿がそんな事を言い出したのは、ある休日の昼下がりだった。


 いつも通りやって来て、少しだけ家庭教師として私に語学を教えて、その後はほとんど雑談の時間。私たちは最近、こんな風に過ごすようになっていた。

 

「な、何ですか? 藪から棒に変な事を言い出して」


 何だか嫌な予感がする。


 私は素知らぬ顔で、彼が持ってきた茶葉で淹れた紅茶を一口飲む。柔らかな花のような香りが鼻のあたりに広がって、とても美味しい。それを堪能していると、彼はニコニコと笑いながら口を開く。


「皇太子殿下が多恵子さんと、今度お忍びでデートする話を聞きまして」


 やっぱり、その話を聞いたのか。心臓がドキリと跳ね上がる。私の嫌な予感はいつだって良く当たる。


「あぁ、あれですか。私も多恵子お姉様から聞きましたけど。それのどこに、私と中尉殿が関係あるのですか?」


 私は動揺を彼に悟られないように、慎重にティーカップを置いて口を開いた。


「デート、したくないですか? リリィは」


 彼は首を傾げて私の顔を覗き込んでくるので、私はとっさに顔を反らす。それでもほんのりと頬が赤くなってしまうので、彼には私が照れていることはお見通しだった。中尉殿の指先が、私の頬に触れる。ハッと彼を見ると、いつも通りの優しい笑顔を浮かべていた。口を開こうとしたとき、ドアがノックされる音が部屋に響いた。中尉殿は立ち上がり、ドアを開ける。香ばしい匂いと共に、トクがやってきた。


「お二人とも、お茶菓子でもいかがですか? カーター殿が下さった料理の本を見て、お菓子とジャムを作ってみましたよ」

「わぁ、スコーンとジャムだ! 私の好物です、嬉しいなぁ。……ん? でも、あれは全てハノーヴ語で書かれていたはずじゃ……」

「私のために、百合子様が翻訳してくださったんです。ね、百合子様」

「別に、勉強がてらやっただけです。私には簡単すぎましたね」


 二人が話している方向と反対側に顔をプイッと背けると、トクが「あらあら」と声をあげた。


「今日は何の話で拗ねていらっしゃるんですか? 百合子様は」

「拗ねてないです!」

「美味しいスコーンでも食べて、機嫌を直してくださいな。中尉殿に何を言われたか知りませんけれど……」


 トクが目の前に置くスコーンは、確かに美味しそうだった。私は一口大にちぎって、濃い紫色をしたジャムを塗る。そのまま口に放り込むと、ジャムの甘酸っぱさとスコーンの香ばしさが口の中に広がっていく。


「デートしませんかと誘ったのですが、恥ずかしいみたいで断られてしまいました」

「んっ!?」


 思わぬ中尉殿の言葉に、思わずむせてしまった。トクがそっと水を差しだしてくれるので、それを一気飲みする。


「あら、突然デートだなんて。お二人はいつの間にそこまで親密になられてのですか?」

「ち、ちが……っ!」

「皇太子殿下と多恵子さんがお忍びでデートをすると聞いて、羨ましくなったので誘ったんです。断られてしまいましたが」

「あらあら、百合子様の意地っ張りが出てしまいましたか」


 私はスコーンを飲み込んでから、トクに向かって言い返す。


「意地なんて張ってないですから! 危ないじゃないですか、外を出歩くなんて」

「大丈夫、私は一応軍人ですから。リリィに近づく不届き者は全員蹴散らしてごらんに入れましょう」


 中尉殿は自慢げに胸を張る。


「ほら、こう言ってくださってますし、中尉殿がご一緒でしたら私も安心です。行ってきたらいいじゃないですか、デート。二人が親密になれるとてもいい機会だと」

「で、でも……一応、彼は私の家庭教師ですよ! 授業以外で会うのは、適切ではないと言っているんです!」

「ならば【授業】であればいいんですね」


 顔をあげると、中尉殿がニヤリと口角をあげていた。


「それならば、明日……課外授業という事で一緒に外出しましょうか」

「明日は学校です!」

「放課後、お迎えに上がりますよ。そのまま行きましょう」

「そのままって……服だって、制服のままですよ!」

「とても可愛らしくてお似合いですよ、あの制服。それに、ちょうどリリィに見てもらいたい催し物があるんです。お願いですから、一緒に行ってくれませんかね?」


 ずいっと身を乗り出してくる中尉殿の目は、キラキラと輝いている。もしこれで私が断ったりでもしたら、きっと――いや絶対に落ちこんでそのキラキラが無くなってしまう。それがなんだかもったいなくて、気づいたら、私は渋々頷いていた。


「良かったぁ」


 私の返事を聞いて、中尉殿はにっこりとほほ笑んだ。私も、彼の目の輝きが失われなくて良かった……ほっと胸を撫でおろしながら、私はもう一口スコーンを食べた。

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