3話 彼の本音
* 1 *
眠たい。
大きく口を開けて欠伸をしそうになった瞬間、多恵子お姉様にわき腹を肘で強めに小突かれた。お姉様の目は「はしたないですよ」と威圧している。私はこみ上げてくる欠伸をなんとか押しとどめて、眠気を振り払うように背筋を正した。森の中はまだ靄が広がっていて、朝日は先ほどようやっと昇り始めたばかり。
私がどうしてこんなに朝早くから森の中にいるかと言うと……毎度のことながら、お兄様の暴挙によるものである。
「キジ狩りに? わ、私がですか!?」
「あぁ、多恵子も誘ったんだ。ついでにお前も呼ぼうと思って。百合子も来るだろ? いや、お前は来るべきだ。絶対に来い、明日の朝迎えに行く」
昨日、お兄様が久しぶりに珊瑚樹宮邸にお見えになったと思ったら、挨拶をする間もなく元気いっぱいに「明日、キジ狩りに行くぞ」と口を開いたのだ。そんな急な話、無茶な事ばかりを言うお兄様に慣れた私でも驚きを隠せない。
「私は猟銃を扱った事ないから、そんな事できませんよ!」
「分かってるよ、そんなことは。お前に期待はしていない。ただのピクニックだと思って来たらいい。多恵子も来るんだし、暇にはならないだろう」
「ピクニックって言われても……どうして私がそんなところに」
「ギルバート殿も誘ったら来ると言っていたからだ。お前、最近彼に会ってないだろう?」
その名を聞くと、びくりと肩が震える。兄は私のわずかな変化に気づかなかったようで、話を続ける。
「数日前に会って明日のキジ狩りに誘ったんだ。そうしたら、進駐軍の仕事が忙しくてお前に会う機会がなかなかなかったと話していてな。百合子も誘ったらどうだろうと言っていたのもギルバート殿だ。なんだか、最後に会ったときに変な話をしてしまってちょっと気まずいとも言っていたな。……お前ら、何の話をしたんだ?」
「そ、それは……」
兄に話すのも憚られる。私は視線を外して話を逸らそうとしていると、お兄様はにやりと笑った。
「あれか? 結婚したら何人子どもが欲しいとか、そういう話でもしたのか? 気が早いな、俺たちだってそんな話はまだ……」
「ち、違います!!」
「なんだ、違うのか」
お兄様は分かりやすく肩を落とした。私が中尉殿に関して色んなことで悩んでいるのに、能天気なその姿はいっそ羨ましさすらある。
「まあいい、百合子もどうせ暇だろ? 休日にすることなんてどうせないんだろうし」
断ろうとするよりも先に、お茶を持ってきたトクが「ぜひお願いします」と頭を下げていた。
「トク! 私の代わりに返事しないでよ!」
「いいじゃありませんか、ここのところはずっと部屋にこもってばかりでしたから。たまには外の空気を浴びてきたらいかがですか?」
「よし! 明日の朝迎えに来るからな。ちゃんと起きるんだぞ。あと、なるべく動きやすい格好で来ること!」
「うふふ。私はお弁当の支度でもしておきますね。武仁様のお好きな物、たくさん入れて」
「お! トクのつくる握り飯好きなんだ。頼むよ」
「はい、かしこまりました」
そうやって、私の事をそっちのけで話が進んでしまい……今に至る。
お兄様と中尉殿は、到着して早々猟銃を持ってキジ狩りに行ってしまった。そんなもんだから、なかなか中尉殿とお話をする機会に恵まれない。今度はあくびじゃなくて、私はため息をつく。
「百合子様、お茶でも淹れてお二人が帰ってくるのを待っていましょう。今、富永様が火を起こしてくださるみたい」
「富永殿が? 一緒にいかなかったんですか?」
「皇太子殿下が、私たちの元に残る様に言ってくれたみたいです」
富永殿は、兄に付いている少尉殿だ。いつも仏頂面で、不機嫌な人で私は少し苦手だったけれど……今日は特に機嫌が悪い様子だ。きっとお兄様に置いて行かれたことが不服なのだろう。私は富永殿には近づかないように、多恵子お姉様の傍についた。富永殿が起こした火でお湯を沸かし、兄たちの帰りを待つ。
「百合子様、この前ギルバート様とドライブデートをなさったと聞きましたよ」
「ち、違います! ただ、彼が学校まで迎えに来てくれただけで……」
「あら、そうなの? てっきり先越されたのかと思いました」
多恵子お姉様はにんまりと笑う。そして、私の耳元でこう囁いた。
「今度、皇太子殿下とお忍びでデートする予定なの」
「え?!」
驚きのあまり大きな声が出てしまう。多恵子お姉様は人差し指を唇に当てて、ちらりと富永殿を見た。富永殿はこちらの会話には全く興味のない様子で、兄たちが向かっていた先を、まるで心配そうに見つめている。幸いなことに、この会話は聞かれていない様子だ。
「お忍びって……バレたらどうするんですか? 富永殿だけじゃなくてみんな、すごく怒りますよ!」
「でも、殿下は大丈夫だっておっしゃっていたし。私もちょっと憧れていたんです」
「デートを? 多恵子お姉様がですか?」
「ええ! だってみんなしているし、それに楽しそうじゃありません? 百合子様も、ギルバート様と一緒になさったらいかがですか? お忍びデート」
私と彼が二人で歩いている場面を想像すると、私の顔がほんのり熱くなる。赤くなってしまったのが多恵子お姉様にも見られてしまったみたいで、お姉様は私を見てにっこりとほほ笑んでいた。
「あ、戻ってきたみたいですわ。早かったわね」
遠くから話し声と足音が聞こえてくる。二人は行きと同じく、猟銃だけを持っていた。
「いや、だめだった。今日は調子が悪い」
兄は落胆しながら猟銃を下ろした。中尉殿はそれを受け取り、丁重に箱の中に仕舞っていく。その横顔は、いつもと変わらない様子だった。
「殿下は急ぎすぎなんですよ。もう少し、キジが警戒を解くまでじっくり待たないと逃げられますよ」
「仕方ないだろう? こういうのはギルバート殿と違って慣れていないんだ、少し休んで、次はもっとうまくやるさ」
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