* 3 *


「み、宮様はまだいらっしゃいますか?!」


 教室に、とても慌てた様子の教師が駆け込んでくる。


「はい、ここに」


 私が小さく手をあげると、教師は慌てながら口を開いた。


「し、進駐軍の方が、宮様の御迎えに……」

「……え?」


 私が大急ぎで窓に近寄ると、なにやら黄色い声をあげていた同級生たちはシンと静まり返ってサッと窓から離れていく。

 

「カーター殿!? どうして!?」


 私が窓を開けて外を見ると……【彼】も私の事に気づいたらしく、顔をあげてにっこりと笑い、軽く手を振っている。その姿を見た周りの同級生が、何だか熱っぽいため息をつくのが分かった。


「……百合子様、進駐軍の将校様と親しいのかしら?」


 誰かがそう小さく呟くのを聞いて、私は恥ずかしくなる気持ちを抑えることはできなかった。



***



「学校にまで来るなんて……何を考えていらっしゃるのかしら!」

「そう怒らないで、リリィ。可愛い顔が台無しですよ」

「なっ……そんな浮ついたことを言うのはやめてください!」


 中尉殿は楽しそうに笑っている。私は熱くなった顔を冷ますために、車の窓を小さく開けた。冷たい風が吹き込んできて気持ちがいい。先ほどから緊張して、体中から変な汗が流れていたから余計に。


「仕事が早く終わったんです。だから、リリィのご機嫌うかがいに行こうかと思ったら、これから迎えにいくところだと聞きまして。それなら私が行きますと、代わってもらったんですよ」

「別に、代わらなくたって……」

「一度、リリィの通っている女学校というものも見てみたかったし。それ、制服ですよね? とてもお似合いですよ」


 彼は女性をいとも簡単に褒める。慣れていない私はすぐに顔が熱くなってしまうけれど、彼は涼しい顔で、車の運転をしている。中尉殿は後ろの座席ではなく、助手席に私を座らせた。狭い車の中、中尉殿が近くて、自然と意識してしまう。私はそっぽを向きながら「上手なんですね」と呟いた。


「ん? 何ですか?」

「だから、運転が。……うちの運転手より、上手だと思ったので」


 まだ舗装されていない道も多く、いつもなら砂利道に入るたびに車はガタガタと大きく揺れて、お尻が痛くなってしまっていた。でも、中尉殿の運転はとても穏やかで、不快に思うこともない。

 単純に、車の性能の違いかもしれないけれど。


「光栄です、そんな風に褒められるなんて。でも、とても簡単ですよ。戦闘機の操縦に比べると」

「戦闘機?」

「あれ? 知りませんでした? ……私は戦時中、空軍のパイロットだったんですよ」

「空軍に所属していたことは聞いてましたけど」


 私はそれ以上深く話を聞くことはできなかった。いつも穏やかな彼の瞳に、うすぐらい影が立ち込めるのを見てしまったから。車の中は静まり返り、私はしばらく窓の向こう側を見つめていた。進駐軍の車が走っているのを、まだ怯えるような目で見つめてくる人もいる。それは学校の中も同じで【進駐軍】という言葉を耳にしただけで、青い顔をする同級生もいた。

 

 一見すると平和になったように見えるこの世界でも、あの頃感じていた恐怖は、まだ昨日の事のように残っている。それがきっと、この国とハノーヴ国の国交正常化を遠ざけている原因だろう。


 あっという間に中尉殿が運転する車は皇居の中に入り、珊瑚樹宮邸にたどり着いた。玄関で待ち構えていたトクがドアを開けてくれた。


「あの……わざわざありがとうございました」


 トクに睨まれるより前に、私は中尉殿に向かって小さく頭を下げて礼を言った。彼はいつも通り、優しい笑みを浮かべている。


「いいえ、私も楽しい時間を過ごせましたから。そうだ、リリィ」

「ん? なんでしょうか?」

「今度、ドライブデートでもいたしましょう」

「……え?」


 きっと私の顔は真っ赤に染まっている。ぶわっと体中が熱くなっていて、私の様子を見ているトクも、ニヤニヤと笑っていた。


「い、いたしません!」

「いいじゃありませんか、百合子様。中尉殿がお誘いくださっているのだから」

「よくありません!」

「あははっ!」


 彼は声をあげて笑い、小さくクラクションを鳴らしてから再び車を発進させた。その車が小さくなって、やがて見えなくなったのを確認してから、私は手で熱くなった顔をパタパタと仰ぎながら屋敷に入っていく。トクは「素直じゃないんですから」とクスクスと笑っていた。


***


 次の日、学校に行くといつも以上に視線を感じていた。それも、普段は感じないような……何だか好奇心がたっぷり視線を。私は何だか嫌な予感してしまう。


 その予感は、放課後になってから的中してしまった。


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