* 4 *

「あ、あの、宮様」


 今まで全く話しかけに来なかった同級生数名が、帰り支度を進める私の席を取り囲む。私がびくりと肩を震わせても、うっすらと頬を染めている彼女たちは全く気付いていない様子だった。


「昨日の進駐軍の将校様ですが、み、宮様のお知り合いの方なのでしょうか?」


 一人がまるで勇気を振り絞るように、私にそう問いかけてきた。


「……そうですが、それが何か」


 私の返事は思いがけず、棘のあるものになってしまった。彼女たちは少し怯んでしまう。しかし、大変に残念だったけれど、それで彼女たちの好奇心がなくなることもなかった。


「皇女殿下様は、あの方とお知り合いだったのですね」

「……えぇ。家庭教師をしていただいておりますの」

「家庭教師?! とてもうらやましいですわ!」


 キャーッとつんざくような黄色い悲鳴が上がる。


「あんな素敵な方が家庭教師だなんて……なんて素晴らしいのでしょう」

「まるで、以前見た異国の映画に出てくる俳優のようでしたわね!」

「進駐軍にあのような方がいらっしゃるなんて。お父様が紹介してくださった将校様とはかけ離れてましたわ」


 口々に話し始めるそれが騒音にしか聞こえなくて、私は勢いよく席を立った。


「お話はそれだけかしら?」

「……え?」

「それだけでしたら、私は失礼いたしますね」


 カバンを抱きかかえながら、私は教室の出口に向かう。最後に振り返って、あっけに取られている彼女たちに向かってこう告げる。


「あと、その【宮様】とか【殿下】とか、あと【百合子様】も、そういう呼び方はやめてくいただけるかしら? それでは」


 まだ迎えの車は来ていないけれど、私は足早に廊下を進む。


 私は、悔しくて仕方がなかった。


 みんな、私の外側しか見てくれない。皇女である私。進駐軍の将校という家庭教師がついている私。この学校では、誰も私の内側なんて見てくれない。


 目じりに暖かいものが滲み始めた。私がそれを指先でぬぐおうとしたとき、背後から誰かの声が聞こえてきた。


「あの! みや……じゃなくて、殿下、でもなくて……ゆ、百合子、さん!」


 振り返ると、息を切らせた女の子が立っている。きちんと結われたおさげに、丸い眼鏡。同じクラスだった気がするけれど……私は彼女の名前が分からなかった。それが伝わったのか、息を整えた彼女は名乗り始める。


「あの、藤本ふじもと京子きょうこと申します。ゆ、百合子さんにどうしてもお願いしたいことがございまして」

「お願い? いいわ、聞いてあげる」


 私の気まぐれに藤本さんはパッと顔を明るくし、胸を撫でおろす。


「よかったぁ。……あの、この私に、外国語を教えていただけないでしょうか!」


 何を言い出すのか……少しだけヒヤヒヤしていたけれど、彼女のお願いと言うのは拍子抜けするものだった。



***



「先ほど教室で、百合子さんに進駐軍の家庭教師がついていると聞きまして。だから、百合子さんは語学の成績がいつもいいんだなって思いまして。……それで、もしよかったら教えていただけないかと」


 私たちは誰もいない中庭のベンチに並んで座っていた。藤本さんは、もじもじと恥ずかしそうにうつむいている。


「私、語学が、特にハノーヴ語がとても苦手で……でもどうしても、春までには日常会話ができるくらいにならないといけないんです!」

「それで、私から習おうなんて。分からないところがあるなら、先生に聞けば良かったじゃない」

「それはそうなんですけど……私、一度でもいいから、百合子さんとお話がしてみたかったんです。入学した時から、お話をしたらどんな子なんだろうってずっと興味があって」


 その言葉に驚いた私がハッと彼女の横顔を見ると、藤本さんは照れているように顔を赤らめていた。


 女学校に入学してから私に話しかけてきた同級生たちは、親に仲良くなるように命令されてきた子たちがほとんどだった。私の機嫌を取ろうと一挙一動を舐めるように観察して、何かするたびに大げさにほめたたえようとする。それがとても嫌で、私は彼女たちと自然と距離をとる様になっていたのを思い出していた。


 だから、純粋な気持ちで「私と話をしてみたかった」なんて言われると……なんだかこそばゆくなっていく。私は背中がムズムズとかゆくなっていくのを耐えながら、藤本さんに話しかけた。


「それで、どこが分からないの?」

「え? 教えてくださるんですか?!」


 彼女は中庭に響くくらい大きな声をあげた。そんなに驚かなくてもいいじゃない、と自然に笑みがこぼれる。


「迎えの車が来るまでの間ね。そう長くは出来ないと思うのだけど、それでもいいかしら?」

「ええ、もちろん! よろしくお願いします!」


 この時、こんな風に迂闊に了承するべきではなかったと後悔するのは、もう少し時間が経ってからだった。


「……ど、どうしてこの文法が分からないの? 一年生の時に習う内容よ!」

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