52 血染めの航路

 ジャップ水上艦隊への攻撃を終えた合衆国海軍母艦航空隊の損害は、無視し得ぬ大きさであった。

 第一次攻撃隊六十八機は半数以上にあたる三十七機を撃墜され、第二次攻撃隊四十五機も二十八機が撃墜されていた。さらに第二次攻撃隊は事実上の薄暮攻撃となり、母艦への旗艦が日暮れ間近となったことで着艦事故が続出、さらに十一機が失われ、損傷して修理不能と判断された機体も含めれば第二次攻撃隊は事実上の全滅という被害を受けていた。


「残存五空母で稼働可能な機体は、F6F一〇五機、SB2C三十一機、SBD三機、TBF二十四機の計一六三機となります」


 戦艦ニュージャージー艦橋で、第三艦隊の航空参謀が声に戦慄を蓄えながら報告した。


「戦闘機隊はそれなりに兵力が残っているようにも思えますが、艦隊の上空直掩と攻撃隊の護衛をこなさなければならないと考えますと、やはり戦力は激減してしまったとしか言いようがありません。艦爆、艦攻も、恐らくあと一度の出撃で消耗してしまうでしょう」


 つまり、再建された合衆国海軍の機動部隊は、またしても壊滅の危機に瀕しているというわけである。

 真珠湾を出撃した際には八六一機という戦力を誇っていたにも関わらず、今や保有する航空機はその五分の一以下にまで低下していた。

 もちろん、失われた機体すべてが敵機に撃墜されたわけではなく、母艦と共に喪失した機体や修理不能と判断されて海中に投棄された機体もある。しかし、だとしても第三艦隊は艦艇と航空機の双方で大損害を受けてしまったと判断せざるを得なかった。


「こちらの戦果は?」


 ハルゼーは固い声で尋ねた。


「敵戦艦一に魚雷三本、同二隻に魚雷二本を命中させ撃破したとのことです。また、巡洋艦二隻も撃破したとの報告が入っております」


「おい、戦艦の数が当初の索敵結果よりも増えているぞ」


 最初にジャップ水上艦隊を発見した索敵機からの報告では、敵艦隊には戦艦は二隻しか存在しないはずであった。


「それが、その戦艦というのがソロモンとインド洋で確認されたヤマト、ムサシなるジャップの新鋭戦艦であったようで、随伴するナガト・クラスを巡洋艦と誤認していたようです」


「例の超十六インチ砲を搭載しているというあの戦艦か……」


 思わずハルゼーは唸った。単純に戦艦同士の戦力を比較した場合、ヤマト・クラスとナガト・クラスの計四隻を擁するジャップ水上艦隊は、アイオワ級三隻を持つこちらの艦隊を砲戦能力で凌駕している。

 搭乗員たちの報告した戦果を信じたいところであるが、航空部隊の指揮官を長く務めているハルゼーは、彼らの報告する戦果を鵜呑みにしてはならないことを知っている。戦艦三隻、巡洋艦二隻撃破という今日の戦果を、どこまで信じてよいのか……。

 敵戦艦を一隻でも撃破出来ていれば戦艦戦力で互角だが、そうでない場合は、こちらが不利となる。

 それに、懸念すべきはジャップ水上艦隊の存在だけではない。


「それで、日没に至るまでジャップの空母部隊は現れず、か」


 こちらがジャップ艦隊を空襲圏内に捉えている以上、ジャップ空母部隊が存在しているならば、向こうもこちらを捕捉していて然るべきである。

 しかし、日没に至るまで索敵機から発見の報告もなければ、ジャップ艦載機からの空襲もなかった。


「はい。結局、我々はジャップの空母部隊を発見することが出来ませんでした」


 カーニー参謀長が悔恨を滲ませながら言った。


「恐らく、ハワイの暗号解読班も含めて、我々はジャップに引っ掛けられたのです。連中は始めから、戦艦部隊を主力とした作戦構想を立てていたのでしょう」


「じゃあいったい、ジャップの奴らは何故、作戦構想をWWIのユトランド沖海戦並みにまで戻したんだ? ツシマ沖の栄光よ、今一度とでもいうわけか?」


 怒りを押し殺した低い声で、ハルゼーは尋ねる。


「可能性としては、空母の喪失を恐れたということが考えられます。現時点でジャップの保有する大型空母の数は我が軍に劣りますから、正面切った空母決戦を避け、基地航空隊の戦力を集中させて我が艦隊に対抗しようとしたのでしょう。ドイツの誘導滑空爆弾を保有するベティ隊が存在していたことからも、それは明らかであると考えます」


「だが、戦艦部隊で機動部隊を捕捉するのは至難の業だぞ? それこそ、海戦史上で言えばイギリスのグローリアスくらいしか……、いや、ジャップが狙っているのはサボ島沖海戦(日本側呼称、第一次ソロモン海戦)の再現か!?」


 ハルゼーはその可能性を考え、背筋に冷たいものが走った。

 サボ島沖海戦は、ジャップの巡洋艦部隊によってガダルカナル島ルンガ沖に停泊していた連合軍輸送船団が壊滅的打撃を受けた戦いである。この輸送船団の壊滅とそれによる物資の喪失によって、連合軍によるガダルカナル上陸作戦は最初から躓いたといっても過言ではなかった。

 それと同じことを、ジャップが考えていたとしても不思議ではない。


「はい、その可能性が極めて高いかと」


 カーニー参謀長は固い声で同意した。


「これで我々は、ますます引き下がるわけにはいかなくなったな」


 険しい面持ちで、ハルゼーは参謀たちを見回した。

 ここで下がっては、本当にサボ島沖海戦の二の舞になってしまう。しかも、ガルバニック作戦に投入された海兵隊、陸軍を合わせた陸戦兵力は予備兵力も含めれば約八万四〇〇〇人である。輸送船団が壊滅した際の損害は、ガダルカナルの比ではない。


「ジャップ空母部隊は存在しないと推定される以上、俺たちは発見されたヤマト以下ジャップ戦艦部隊に対し明日中に決戦を挑むべきと考えるが、昼間砲戦を挑むべきか、夜間砲戦を挑むべきか、どちらにすべきだと思う?」


「……」


「……」


「……」


 カーニーを始めとした参謀たちは、互いに顔を見合わせた。

 ハルゼーの示した二つの方針は、どちらも一長一短であった。

 昼間砲戦となれば空母艦載機の支援の下に砲撃戦を行うことが出来る。だが、今日の戦闘を見る限り、ジャップ水上艦隊上空には直掩戦闘機が舞っていると考えるべきだろう。そうなれば、艦載機の消耗はさらに激しくなり、今回の作戦で壊滅的打撃を受けた母艦航空隊の再建までの道が遠のくことになる。

 何より、ジャップの基地航空隊を完全に壊滅させられたわけではないのだ。昼間砲戦を挑むとなれば、ジャップ航空隊にこちらの砲撃を妨害される危険性もある。

 一方の夜間砲戦は、一年前と比べて更に性能が向上したレーダーを利用してジャップ戦艦と戦うことが出来る。しかし、夜戦の技量という点では未だジャップが勝っていると思われ、魚雷の性能や乗員の練度なども含めた総合的な戦力を考えると、ジャップが有利であるかもしれない。

 両者を比べた場合、ジャップ航空隊という不確定要素をある程度排除出来る夜間砲戦の方が、まだ勝機が望み得る(連中は夜間空襲も行ってくるので、完全に排除出来ない)。


「昼間は残存機の総力を挙げてジャップ艦隊の漸減につとめ、しかる後、夜戦にて雌雄を決するべきでしょう」


 参謀を代表して、カーニーがそう答えた。

 それは奇しくも、日本海軍が戦前に想定していた漸減邀撃作戦構想そのものであった。


「母艦航空隊の損害は甚大なものとなるでしょうが、我々の後方に控えている八万人の陸戦兵力と輸送船団の乗員の命には代えられません。さらに、ここで輸送船団が壊滅すれば、対日侵攻計画全般に重大な影響を与えることになります」


 合衆国海軍の主力であるこの第三艦隊が壊滅しても、対日侵攻作戦全般を大幅に遅滞させることになるだろうが、それをあえて指摘する者はいなかった。

 自分たちは、海軍軍人なのだ。艦隊保全に拘るばかりでは、ジャップに勝利することは叶わない。


「……いいだろう」


 ハルゼーは短い間を置いて、決断した。


「我が艦隊は明日、残存航空戦力を全力でジャップ水上艦隊にぶつけ、しかる後、夜間砲戦にて奴らのクェゼリン突入を阻止する。その旨、マッケーンの奴にも伝えろ」


「アイ・サー!」


 猛将の瞳には、未だ衰えぬ戦意の炎が宿っていた。

 なお現在、第三艦隊は次のような二群に再編されていた。


  第五八・一任務部隊  司令官:ウィリアム・F・ハルゼー大将

【戦艦】〈アイオワ〉〈ニュージャージー〉〈ミズーリ〉

【重巡】〈ボストン〉〈キャンベラⅡ〉

【軽巡】〈オークランド〉〈リノ〉

【駆逐艦】九隻


  第五八・二任務部隊  司令官:ジョン・S・マッケーン中将

【空母】〈ヨークタウンⅡ〉〈ワスプⅡ〉〈カウペンス〉〈モンテレー〉〈サン・ジャシント〉

【重巡】〈クインシーⅡ〉〈セントポール〉

【軽巡】〈ヴィンセンスⅡ〉

【駆逐艦】十三隻


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 一方、米海兵隊および陸軍によるクェゼリン攻略作戦は五月十三日から再開されていた。

 前日十二日を通してクェゼリン環礁内の無人島に重砲陣地を構築する作業を行ったアメリカ軍は、沖合の艦隊および重砲陣地からの砲撃支援の下、再び環礁南部のクェゼリン本島および北部のルオット・ナムル島への上陸を開始したのである。

 上陸用舟艇に乗り込んだアメリカ兵たちは一度目の上陸の時と同様に出血を強いられながらも、日本側の戦力低下などもあって海岸へと辿り着くことに成功した。さらにアメリカ側にとって幸運なことに砲弾の内一つがルオット島の日本軍弾薬庫を直撃、日米双方の兵士を巻き込んで大爆発を起こした。

 この大爆発により増援の見込みのない日本軍ルオット・ナムル守備隊が大打撃を受ける一方、アメリカ側は大爆発に巻き込まれて損耗した分の兵員を即座に補充、日本側の混乱も相俟ってその日の内にルオット島の最重要攻略目標としていた飛行場の確保に成功した。

 クェゼリン島の守備隊はなおも善戦してアメリカ軍の島内部への進撃を許してはいなかったが、ルオット・ナムル島守備隊の消耗は著しかった。このため、ルオット・ナムル島守備隊はルオット島の放棄を決定、残存守備兵力をナムル島に集結させるため、十三日の夜陰に乗じて砂州で繋がったナムル島にルオット島守備隊を撤退させ、なおも徹底抗戦をするべく態勢を立て直そうとしたのである。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 翌五月十四日。

 第一遊撃部隊が米機動部隊に捕捉されて空襲を受けることになった一方、西村祥治中将率いる第二遊撃部隊はトラック出撃以来、順調な進撃を続けていた。

 時折、艦隊上空に米飛行艇が現れることがあり、何度か艦隊将兵の間に緊張が走ったが、結局、この日まで一切の空襲を受けることはなかった。

 ポナペ島の北回りでクェゼリンへと進撃する第一遊撃部隊とは逆に、第二遊撃隊は南回りでナウル、オーシャン島に展開した零戦隊の援護を受けつつ航行を続けていた。


「第一五三空からの電文を受信いたしました」


 十四日の正午過ぎ、昼の戦闘糧食を済ませた旗艦比叡の艦橋にそのような報告が届けられた。


「クェゼリン島ノ二〇〇度十五浬ニ戦艦四、巡洋艦二、駆逐艦十、小舟艇多数。同地点ノ九〇度七浬ニ輸送船八〇、ルオット島ノ北側ニ駆逐艦、小舟艇多数。以上です」


 電文の内容は、そのようなものであった。

 第一五三空は、彩雲を装備する偵察機部隊である。比叡が受信した通信はこの日、クェゼリン沖の偵察に出た彩雲からの電文を、第一五三航空隊司令部がマーシャル周辺に展開する全部隊宛てに転送したものであった。


「意外と少数ですな」


 比叡艦長・篠田勝清大佐がそのような感想を漏らす。


「水上艦の戦力だけで比べれば、我が艦隊と大差はありません。第一遊撃部隊と合わせれば、我が方が戦力で圧倒しています」


「とはいえ、これはクェゼリン周辺だけの数字だ」


 楽観的になりそうな艦橋の雰囲気を、西村は引き締めた。


「米機動部隊には新鋭戦艦が護衛についている。我々のクェゼリン突入を阻止すべく駆け付けてくる可能性も否定出来ん。そうなれば、彼我の戦艦数は八対八で互角だ」


 その上、こちらは大和、武蔵を有するとは言え、自分の率いる第二遊撃部隊の戦艦は巡洋戦艦を大改装した金剛型である。米新鋭戦艦と正面切った砲撃戦を演ずるには、いささか荷が勝ちすぎている。

 西村はそう考えていた。


「米機動部隊の動向に関する情報も、入電次第、ただちに報告するように通信長に厳命しろ」


 だから、彼は伝令に来た通信兵にそう命じて帰した。


「残った問題は、栗田長官の方の動向だな」


 とはいえ、敵情が判ればそれで万事解決というわけでもない。

 二手に分かれて進撃を続ける遊撃部隊は、当初の計画では十五日黎明を期してクェゼリン突入を目指すことになっていた。つまり、クェゼリン沖で第一、第二遊撃部隊が合流しての突入を目論んでいたわけである。

 しかし、米機動部隊からの空襲を受けていない西村艦隊と、空襲を受けた栗田艦隊とでは、進撃速度に差が出てしまっていた。

 もともと作戦計画は米機動部隊による空襲などの迎撃があることも加味して練られており、栗田艦隊が遅れているというわけではない。その逆で、西村艦隊の方が順調に進撃し過ぎてしまっていたのである。

 このまま進撃を続けた場合、第二遊撃部隊のクェゼリン突入は十四日二三〇〇前後。

 当初の作戦計画より六時間近く、早く突入することになってしまうのである。

 西村は悩んだ末、一四一〇時、第二遊撃部隊が第一遊撃隊に先行していることを知らせる電文を発した。


  ◇◇◇


 一方、前日の時点でハルゼーの機動部隊に捕捉されていた帝国海軍第一遊撃部隊は、五月十四日〇八〇〇時過ぎ、再び米偵察機の接触を受けていた。

 第一次空襲は一〇二六時より開始され、エニウェトクからの零戦隊の上空援護により各艦ともに至近弾程度の被害で終わった。続く第二次空襲は一二〇六時より始まり、第一次空襲よりも機数を減らしていたアメリカ軍攻撃隊は、ほとんどの機体が栗田艦隊の輪形陣に辿り着くことすら出来なかった。わずかに妙高に至近弾があった程度であった。

 こうして、ハルゼーらが母艦航空隊の壊滅と引き換えに目指した日本艦隊の漸減という目的は、不徹底な結果に終わってしまったのである。

 そして第一遊撃部隊上空を守る零戦隊によって攻撃隊の大半が撃墜されてしまった結果、ハルゼーの手元に残った航空機は、ついに一〇〇機を割ることとなってしまった。未だ第三艦隊には五隻の空母が存在していたが、艦載機の存在しない空母は単なる鉄の箱に過ぎない。

 その意味では、日本側は米機動部隊の無力化という作戦目的を達成出来たことになる。

 しかし一方で、日本側の基地航空隊の損害も甚大であった。

 五月十日から始まったマーシャル沖航空戦の結果、マーシャル周辺に展開していた四個航空戦隊はその攻撃力のほとんどを喪失していた。

 特に昼間攻撃を行った艦爆、艦攻隊の被害は大きく、陸攻隊、陸爆隊もまた再編が必要なほどの損害を負っていた。唯一、一定程度の戦力を保っているのは、戦闘機隊のみであった。

 彼ら搭乗員たちは、その命を以て第一、第二遊撃部隊がクェゼリンへ突入するための血路を切り拓いたのである。

 その血染めの航路に導かれるように、二つの日本艦隊はクェゼリンへと接近を続けていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 西方に沈み行く夕日を背にしながら、戦艦大和は十八ノットでの航行を続けていた。

 すでに水平線のあたりは夜の帳が降りており、第一遊撃部隊はトラック出撃後、三日目の夜を迎えようとしていた。

 いよいよ明日の黎明にはクェゼリン突入を敢行することとなるため、艦内には静かな興奮と緊張感が漲っている。


「やはり、西村艦隊の進撃速度が速すぎます」


 大和艦橋下部に設けられた戦闘指揮所で、小柳冨次参謀長が悩ましげに報告した。


「このままでは、西村艦隊のクェゼリン突入は今夜二三〇〇時から明日〇二〇〇時前後。我が艦隊の突入予定時刻は明日〇五〇〇時から〇七〇〇時前後。五、六時間近い差が生まれることになります」


「西村艦隊が空襲を受けなかったのは僥倖ではありますが、それが逆に作戦計画に狂いを生じさせる結果になるとは……」


 先任参謀の志岐常雄大佐も眉間に皺を寄せて海図を睨んでいる。


「比叡に一時、進撃を停止するように命じますか?」


「……いや、そこは西村くんの判断に任せよう」


 司令長官たる栗田健男中将は、少しの黙考を挟んだ後、そう答えた。


「第二遊撃隊が空襲を受けていないということは、我が艦隊が敵の攻撃を引きつけているということだ。恐らく、今夜から明朝にかけて我が艦隊は米新鋭戦艦による迎撃を受ける可能性が大だ。その間隙を突いて第二遊撃隊がクェゼリンに突入出来る好機が巡ってくる可能性もあろう。無理に作戦計画に拘って、第二遊撃隊の行動を制限する必要はなかろう」


 それに、米軍が帝国海軍の接近を察して輸送船団を退避させる可能性もある。突入の好機が目の前にあるのならば、それを逃すべきではないというのが栗田の考えであった。


「では、西村艦隊への通信は如何いたしますか?」


「第二遊撃部隊は第二遊撃部隊の判断においてクェゼリン突入を敢行するよう命ずると共に、我々の突入予想時刻も合わせて通報せよ。それだけでよい」


「はっ、そのようにいたします」


「それと、艦隊将兵には余裕のある内に戦闘糧食を配っておけ。先ほども言った通り、今夜にも米新鋭戦艦部隊と会敵するものと想定して我々は進撃を続ける」


「はっ、そちらも併せて伝達いたします」


 通信参謀が応じ、戦闘指揮所にいる松井宗明通信長に司令部からの命令を西村艦隊と麾下艦艇に発するよう伝達した。


「……」


 その様子を栗田は視界の端に納めつつ、戦況表示板を眺めた。

 航空部隊や潜水艦からの索敵結果が反映され、クェゼリン周辺の彼我兵力の位置関係が示されている。もちろん米艦隊の位置情報については不確かな部分もあるだろうが、それでもこれまで戦隊や艦隊を指揮してきた中で最も情報量の多い状況下に置かれていることには違いない。

 その表示板の一点、第一遊撃部隊の針路上に、米機動部隊を示す印が付けられている。

 基地航空隊から何度かもたらされた情報によって、彼らが自分たちの進撃を阻止する構えを見せていることは、十分に予測出来た。

 ここから数時間の戦闘が、捷一号作戦の成否を決するものとなるだろう。

 栗田は静かな気持ちで、大和の電探が敵艦隊を捕捉するその瞬間を待っていた。


  ◇◇◇


 その栗田艦隊を阻止すべく、ハルゼーは再度、艦隊を再編した。

 空母には軽巡と駆逐艦を付けて後方に退避させ、自らは旗艦ニュージャージーに座乗したままクェゼリンへと接近しつつあるジャップ艦隊を迎え撃つ態勢を取っていた。

 その兵力は、以下の通りである。


【戦艦】〈アイオワ〉〈ニュージャージー〉〈ミズーリ〉

【重巡】〈ボストン〉〈キャンベラⅡ〉〈クインシーⅡ〉〈セントポール〉

【軽巡】〈オークランド〉〈リノ〉

【駆逐艦】九隻


 この内、アイオワは空襲によって後部射撃指揮所を破壊され、セントポールもまた被弾によって後部砲塔を使用不能とさせられている。

 水上砲戦部隊として万全の状態であるとは言い難かったが、これが今の第三艦隊に残された最大の戦力であった。

 ジャップ水上艦隊は南方にもう一群が確認されていたが、ハルゼーはそれへの対応を上陸部隊の支援艦隊を指揮するオルデンドルフ少将に任せていた。オルデンドルフ艦隊も戦艦テネシーを損傷させられたとはいえ(なお、上陸支援のためにテネシーは未だクェゼリン近海に留まっていた)、それでも戦艦三隻を擁する有力な艦隊である。

 これと合同しての迎撃も参謀たちは検討したが、最終的に夜戦という状況下では自軍の混乱を助長するだけだという結論になり、それぞれがそれぞれの敵艦隊に対応することとなったのである。

 合同訓練が十分になされていない寄せ集めの艦隊が夜戦に臨むとどのようなことが起こるのか、それは第一次ガダルカナル沖海戦(日本側呼称、第三次ソロモン海戦)などの混戦で十分に合衆国海軍は把握していた。


「ヤマト、か……」


 すでに陽の落ちた黒い海を進むニュージャージーの艦橋で、ハルゼーは呟いた。

 その船が初めて合衆国の前に姿を現わしたのは、第一次ガダルカナル沖海戦第二夜戦。

 あの海戦で合衆国の新鋭戦艦三隻が砲戦によって一挙に撃沈され、空襲によって沈没したインディアナも含めて四隻の戦艦を一度の海戦によって失うという合衆国海軍史上最悪の敗北となった。

 そして、その海戦を後方のヌーメアで指揮していたのが、他ならぬハルゼーであった。

 第一次ガダルカナル沖海戦だけではない。その後の第二次ガダルカナル沖海戦(日本側呼称、第四次ソロモン海戦)も含めて、ハルゼーは南太平洋でジャップに煮え湯を飲まされ続けてきた。

 そして今また、自分の率いる艦隊はジャップによって大損害を受けた。

 南太平洋方面軍司令官時代に引き続き、第三艦隊司令長官としてもジャップに敗北するという、二度目の屈辱に塗れるつもりは、この猛将にはなかった。

 たとえこのニュージャージーの沈没と引き換えにしてでも、あの忌々しいジャップの新鋭戦艦は仕留めなければならない。

 ハルゼーは、そう考えていた。


  ◇◇◇


 栗田艦隊からの電文を受信した西村祥治中将は、航空部隊による索敵結果を慎重に検討していた。

 エニウェトクやポナペからは、夜間接触を維持するための飛行艇や水偵が発進し、クェゼリン周辺に展開する米艦隊の位置情報を盛んに送信していた。

 栗田艦隊の針路上に存在する米機動部隊の存在も、比叡では把握している。


「これは、栗田艦隊のクェゼリン突入はさらに遅れるな……」


 加えて、米新鋭戦艦と交戦した場合、栗田艦隊にどの程度、クェゼリンに突入出来るだけの戦力が残されているかは判らない。

 インド洋での海戦の結果を考えれば多少、楽観視しても良いようにも思えるが、一方で第三次ソロモン海戦の結果を考えれば安易に栗田艦隊の勝利を前提とすることは出来なかった。

 西村もまた、栗田と同じように米輸送船団が退避してしまう可能性を懸念しており、単独での突入もやむを得ないものを考えていた。

 クェゼリン沖に展開する米艦隊は、戦艦四隻を中心とする部隊である。

 栗田艦隊が米新鋭戦艦を引きつけてくれている状況ならば、十分に突入は可能であろう。一方で、西村艦隊が急速にクェゼリンに接近すれば、栗田艦隊の迎撃に向かった米新鋭戦艦が反転してくる可能性も否定出来ない。

 そうなれば、西村艦隊は金剛型四隻で米新旧戦艦八隻を相手にしなければならなくなる。

 悩みどころであった。

 だが、その悩みを一挙に吹き飛ばす通信が、比叡にもたらされた。

 十四日一九四五時過ぎのことである。

 「本十四日以降状況切迫、陣地保持ハ困難ニ至ル」という本文から始まる電文は、ナムル島守備隊が発したものであった。そして電文は、戦闘行動不能な重傷者を自決させた後、通信機器と機密書類を処分して健在な者たちで挺身斬り込み隊を編成、日付が変わるのを待って海岸に突入することを伝えていた。

 電文の最後は「将兵一同聖寿ノ万歳ヲ三唱、皇運ノ弥栄ヲ祈念シ奉ル」という言葉で締め括られていた。

 その電文が艦橋に伝えられた瞬間、司令官から艦長、見張り員に至るまでが粛然とした面持ちになった。


「司令官、我々単独でも突入いたしましょう」


 静かな激情を込めて、比叡艦長・篠田勝清大佐が言う。


「ああ、そうだな」


 西村もまた、同じ気持ちであった。ここまでクェゼリンの守備隊はよく持ち堪え、米輸送船団を沖合に繋ぎ止めてくれていた。

 その命を賭した奮戦を、ここで無駄にすることは出来ない。

 たとえ第二遊撃部隊単独であっても、彼らの献身に報いなければならなかった。


「大和に通信。我、十四日二三〇〇『クェゼリン』突入ノ予定。夜戦ニテ敵船団ヲ攻撃、之ヲ撃滅セントス。以上だ」


「はっ!」


 その電文は二〇二〇時、大和で受信され、「了解。貴艦隊ノ健闘ヲ祈ル」という短い通信が返ってきた。

 こうして、第二遊撃部隊は第一遊撃部隊の到着を待たず、単独にてクェゼリン突入を敢行することに決意したのである。






 クェゼリン単独突入を決意した西村艦隊は、艦隊の再編を行った。

 基地航空隊の偵察結果によれば、クェゼリン周辺には戦艦、巡洋艦、駆逐艦といった艦艇の他に、「小舟艇」が存在するという。

 西村中将はこれを魚雷艇と判断、魚雷艇排除のために、一部艦艇を掃討隊として先行させることにしたのである。

 その結果、掃討隊は四水戦旗艦・神通と第三十二駆逐隊(涼波、藤波、早波、浜波)の五隻が務めることとなり、さらに金剛型四隻の本隊に対する前衛隊として第七戦隊(最上、三隈、鈴谷、熊野)および第二駆逐隊(村雨、夕立、五月雨、春雨)の八隻が充てられ、本隊直衛として第二十七駆逐隊(白露、時雨、夕暮、有明)が警戒にあたることとなった。


「アメ公の艦隊と本格的に戦うのは、第四次ソロモン海戦以来だな」


 そんな前衛隊に配属された駆逐艦・夕立の艦橋で、吉川潔大佐はこれから始まるであろう海戦に思いを馳せていた。


「また一暴れ出来るといいですな」


 吉川の声に楽しげに応じたのは、吉井五郎中佐であった。

 吉川は第二駆逐隊司令として、吉井は夕立駆逐艦長として今回の作戦に臨んでいる。


「ああ、バリ島やソロモンみたいに縦横無尽に駆け回りたいものだ」


 この二人は海兵五〇期と同期であり、緒戦の南方作戦中に発生したバリ島沖海戦ではそれぞれ吉井が朝潮駆逐艦長、吉川が大潮駆逐艦長として参加している。ただし、昇進速度は吉川の方が一年程度早く、昨年十一月、一足先に大佐に昇進して駆逐隊司令に補職されていた。

 その吉川が駆逐隊司令となったのは、奇しくもかつて駆逐艦長を務めていた夕立の所属する第二駆逐隊であり、それもあって隊旗艦を馴染みのある夕立に定めていた。


「それでこそ、駆逐艦乗りですからな」


 暗い艦橋で潮風を受けながら、二人の水雷屋は獰猛に笑う。

 そして十四日二二五二時。

 前衛隊は掃討隊の進んでいる前方に砲炎が煌めくのを確認した。

 それは、オルデンドルフ少将の艦隊が迎撃のために配置した魚雷艇と、神通以下五隻の掃討隊が戦闘に突入したことを告げる合図であった。


「ついに始まったな」


「各艦は見張りを厳にしろ! 魚雷艇がこちらに回り込んでくるかもしれん! 絶対に本隊には近付けさせるな!」


 吉井の呟きに応ずるように、吉川は隊全体に命令を発した。

 この時初めて、クェゼリンを巡る攻防戦で日米両軍は互いの艦隊と相見えることとなったのである。

 それは同時に、帝国海軍による捷一号作戦が、その最終局面へと突入したことを意味してもいた。

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