53 遊撃部隊突入
クェゼリンへと向けて航行を続けていた大和以下第一遊撃隊が、ハルゼー率いる米水上砲戦部隊を捕捉したのは、十四日二三一四時のことであった。
この時、第一遊撃部隊は敵艦隊との夜戦に備えて昼間の輪形陣から夜間襲撃陣形へと艦隊陣形を改めていた。上空から見れば、それは中央と両翼の三縦陣からなる陣形であった。
すなわち、中央に大和、武蔵、長門、陸奥の戦艦部隊を配置し、両翼に巡洋艦戦隊と水雷戦隊を配置した陣形である。ある意味でこの時初めて、帝国海軍は戦前の漸減邀撃作戦で想定されていた襲撃陣形を組む機会に巡り会えたといえる。
この日の月齢はおよそ二十二であり、南海の夜空には半月に近い月が掛かっている。
最初に敵影を捕捉したのは、艦隊左翼を務める第五戦隊旗艦羽黒や第二水雷戦隊旗艦矢矧の二二号電探であった。
「方位七〇度、距離二七〇(二万七〇〇〇メートル)に感あり!」
「米海軍め、やっとお目見えになったか」
軽巡矢矧の夜戦艦橋で電側室からの報告を聞いた、第二水雷戦隊司令官・早川幹夫少将は不敵に呟いた。
「ソロモン以来、一年ぶりの再会だな」
彼が山城艦長としてインド洋で戦ったのは英海軍であり、米海軍との対峙は第四次ソロモン海戦以来であった。
「大和でも米艦隊を探知した模様! 各艦に対し、弾着観測機を発進させよと言ってきています」
「艦長、本艦も弾着観測機を発進させよ」
「はっ!」
早川は、矢矧艦長の吉村真武大佐に命じた。
ほどなくして矢矧の射出機から、二機の零式水偵が射出される。
それにしても、矢矧から一万メートルは後方にいる大和でも敵艦隊を探知出来ているとは。早川は改めて、大和に搭載された三三号電探の性能を実感していた。
実際この時、大和に搭載された三三号電探は、距離およそ三万六〇〇〇メートルにてPPIスコープ上に敵影を映し出したのである。さらに言えば、すでに一時間以上前から第八〇二航空隊の二式大艇が米水上砲戦部隊への夜間接触に成功しており、各艦が電探で米艦隊を捕捉した時には、第一遊撃部隊の将兵は総員が戦闘配置についていた。
「大和より、我が戦隊および第四、第五戦隊に対し突撃命令が出ました!」
「よし、艦長! 行くぞ!」
「はっ! 航海長、速力、三十ノットとなせ!」
「宜候! 速力三十ノットとなせ!」
この時、第一遊撃部隊左翼は、羽黒、妙高、矢矧、島風、黒潮、陽炎、不知火、霞の順で航行していた。それら八隻の艦艇が、一斉に白波を蹴立てながら突撃を開始したのである。
同時に、反対側の右翼でも第四戦隊以下の艦艇が突撃を開始していた。こちらも、愛宕、高雄、摩耶、鳥海、海風、江風、涼風の七隻が単縦陣を組んでいる(なお、第三十一駆逐隊の四隻は本隊である戦艦部隊の直掩)。
夜間襲撃の教範に則り、左右から敵艦隊を挟撃する肚であった。
まずは巡洋艦部隊による遠距離からの統制雷撃、そして巡洋艦部隊の砲撃支援の下での水雷戦隊の突撃。
まさか開戦三年目にして水雷戦隊本来の戦法を実施することになるとはな。早川はどこか皮肉な思いと共に、米艦隊の存在するであろう方向を見つめていた。漸減邀撃作戦を実施するはずのマーシャル諸島で、本来であれば待ち受ける側であるはずの自分たち帝国海軍が逆に敵地に向かって突撃しているということも、その思いに一層拍車をかけていた。
だが、そうだとしても早川の心は沸き立っていた。もともと、彼は水雷畑を歩んできた人間である。一個水雷戦隊を率いる今の立場は、ある意味で戦艦山城艦長として英戦艦と対峙した第二次セイロン沖海戦よりもしっくりするものを感じていた。
「水偵、吊光弾を投下!」
第五戦隊に続いて突撃する矢矧の行く手に、眩い光球が現れる。羽黒や妙高、矢矧などから発進した水偵が敵艦上空に達し、吊光弾を投下したのだ。
「敵艦隊との距離、二二〇(二万二〇〇〇メートル!)」
だが、まだ彼我共に発砲はしていない。
この距離で砲撃を開始しても、命中は望めないことが判っているからだ。早川も、山城艦長であった時には距離一万七〇〇〇メートル前後から射撃を開始していた。
機関が唸り、艦首が海面を砕く音が艦橋に響いているが、砲声の響いていない海はどこか静寂に包まれているようにも感じる。だがそれは、早川を始めとする矢矧に乗り込む者たちの緊張を徐々に高めていく静寂でもあった。
「距離二〇〇(二万メートル)!」
向こうもこちらに向かってきている以上、彼我の距離は急速に縮まりつつあった。
「米艦隊の一部、取り舵に転舵しました! 大型艦らしい!」
「なるほど、第一、第二戦隊の針路を塞ぎにかかるつもりか」
北回り航路でクェゼリンへの突入を目指している第一遊撃部隊は、南東方向に向けて航行している。電探が米艦隊を方位七〇度で捕捉しているので、つまり彼らは第一遊撃部隊の進行方向左舷前方側より接近を続けていたことになる。それを今、取り舵に転舵することで、こちらの頭を押さえようとしているのだ。
つまり、米戦艦部隊はこちらの戦艦部隊に対して、丁字を描こうとしている。
だが、すべての米艦隊が戦艦の転舵に倣ったわけではなかった。
「米大型巡洋艦らしき艦影、こちらに向かってきます! ボルチモア級の模様! その後方に巡洋艦、駆逐艦多数を確認!」
当然、米戦艦の護衛部隊はこちらの突撃を阻止しようとする。
「距離一八〇(一万八〇〇〇メートル)!」
「第五戦隊、面舵に転舵!」
「第五戦隊に続け!」
「おもーかーじ!」
第一遊撃部隊左翼と米巡洋艦部隊は、互いに反航戦となるように進んでいた。このままでは高速のまますれ違うため、第五戦隊司令官・橋本信太郎少将は同航戦に持ち込もうとしたのだろう。
矢矧の船体が遠心力で傾くのを、早川や吉村は足を踏ん張って堪えた。
「もどーせー!」
やがて、敵巡洋艦部隊と同航戦を描くような形となる。
「距離、一六〇(一万六〇〇〇メートル)!」
「第五戦隊、撃ち方始めました!」
それまで静謐を保っていた戦場に、初めて砲声が鳴り響いた。
矢矧の前方を進む第五戦隊、羽黒と妙高の二〇・三センチ砲が火を噴いたのだ。十門の主砲が交互射撃を繰り返す。
「だが、ちと遠いな」
もちろん、橋本少将もこの距離での命中弾は期待していないだろう。あくまでも敵巡洋艦を牽制し、第二水雷戦隊の突撃を援護することを目的とした射撃だ。
実際、その効果はすぐに現れた。
「敵大型巡洋艦に発砲炎!」
米巡洋艦もまた、第五戦隊に引き摺られるようにして射撃を開始したのである。
少しの間を置いて、先頭を進む羽黒や後続する妙高の周囲に着弾を意味する水柱が立ち上り始めた。だが、どれも遠弾であって命中には至っていない。
早川もソロモンでは重巡鳥海の艦長を務めていたが、巡洋艦による夜間砲撃はいくら照明弾による援護があったとしても、一万メートルを切らないとまともな命中弾を与えられないだろう。
だが、敵巡洋艦の砲撃を引きつけてくれるだけで、二水戦には十分であった。
「艦長、この隙に敵巡洋艦を突破する。目指すは米戦艦だ」
照明弾による光がわずかに差し込む艦橋の中で、早川は命じた。そんな二水戦司令官の命令に、吉村艦長は溌剌とした声で応じる。
「はっ! 航海長、面舵一杯! 米戦艦に向け突撃せよ!」
「宜候! おもーかーじ、一杯!」
「大和に通信! 我、突撃ス!」
舵を大きく左舷に切った矢矧は、麾下の駆逐艦五隻を引き連れてアイオワ級への突撃を開始した。
十万馬力の出力を誇る機関が、轟々と音を立てていた。
一方、大和以下四隻の戦艦と三隻のアイオワ級戦艦との距離も徐々に縮まりつつあった。
米艦隊がこちらに対して丁字を描こうとしていることが判明すると、栗田中将は直ちに取り舵を命じ、同航戦に持ち込んだ。
この時点で、彼我の距離は二万五〇〇〇メートルにまで迫っていた。
大和左舷側の海域では、彼我の巡洋艦戦隊、水雷戦隊による戦闘が開始されており、砲声は大和夜戦艦橋にまで届いている。
「本艦は敵一番艦、武蔵は二番艦、第二戦隊は共同で敵三番艦を目標とすべしとのことです」
艦橋下部の戦闘指揮所から夜戦艦橋に直通する電話を受け取っていた伝令が、そう伝えた。
すでに大和の主砲は左舷に向けられており、射撃指揮所では刻々と変化する彼我の距離や位置関係の把握に務めている。
やがて、彼我の距離が二万三〇〇〇を切った辺りで米新鋭戦艦に変化があった。
「敵艦の発砲炎を確認! 米戦艦、撃ち方始めました!」
「連中、焦っているのか自信があるのか」
大和艦長・森下信衛大佐は落ち着き払った態度でそう呟いた。
夜戦の技量を鍛えてきた帝国海軍ですら、これまでの戦艦同士の夜間砲戦は距離二万メートル以下から開始している(といっても、事例が第三次ソロモン海戦と第二次セイロン沖海戦の二つしかないが)。いかに連中にこちらに勝る性能の電探があるとはいえ、いささか射撃を開始するのが早すぎやしないだろうか。
そう思っていると、夜戦艦橋の電話に取りついている伝令兵が再び口を開いた。
「戦闘指揮所より、距離二〇〇(二万メートル)にて射撃開始とのこと」
「了解」
大和以下四隻の戦艦は、第三次ソロモン海戦や第二次セイロン沖海戦と違い、電探射撃が可能なように改装、訓練されている。二万メートルというのは帝国海軍が戦前に想定していた決戦距離二万五〇〇〇メートルよりも近距離であるが、夜間という条件下であれば妥当な数値かもしれない。
「敵弾、間もなく弾着」
恐らく、下の戦闘指揮所に付属する電測室では電探で飛翔する敵砲弾を捉えていたのだろう。伝令がそう報告した。
「総員、衝撃に備えよ」
初弾で命中することはまずないと思っていたが、森下は念の為に命じた。
そして数秒後、大和の周囲に轟音と共に水柱が立ち上ったのであった。
「全弾、遠弾です!」
「諸元修正、急げ!」
戦艦ニュージャージーの艦橋は、大和艦橋より一足先に戦闘の喧噪に包まれていた。ハルゼーは長官席に座したまま、カール・F・ホールデン艦長らの様子を見守っている。
ハルゼーが距離二万五〇〇〇ヤード(約二万三〇〇〇メートル)から射撃を命じたのは、故のないことではなかった。
第一次ガダルカナル沖海戦(日本側呼称、第三次ソロモン海戦)と第二次セイロン沖海戦、この二度の海戦でジャップの新鋭戦艦と対峙した合衆国海軍は、被害の調査や乗員の証言などから、その性能をある程度まで把握することに成功していたのである。
その結果、ヤマト・クラスの超十六インチ砲(恐らく、長砲身十六インチ砲ではなく十八インチ砲と推定されていたが)に対して、アイオワ級戦艦の安全圏は二万二五〇〇メートルから二万四七〇〇メートルという極めて狭い範囲でしかないことが判明していたのである(ただし、アメリカ海軍によるこの計算は大和型の四十六センチ砲の威力を過小評価しており、実際には安全圏といえる距離は存在しなかった)。
また、合衆国戦艦の使用する砲弾であるSHS(大重量砲弾)は初速が遅く(五〇口径十六インチ砲のアイオワ級ですら大和型に劣る初速七六二メートル毎秒でしかない)、そのために近距離砲戦よりも遠距離砲戦の方が砲弾の威力を発揮しやすかったのである(遠距離砲戦ならば砲弾が山なりの弾道を描くため落下時の速度が上がり、砲弾重量と併せて敵水平装甲を貫通しやすくなる)。
そうした計算に基づいて、ハルゼーは距離二万五〇〇〇ヤードからの砲撃を命じていたのである。
レーダーの性能で劣るジャップはこの距離から砲撃されたところで、ろくに反撃も出来ないはずである。
三隻となってしまったアイオワ級であるが、未だ最大速力三十三ノットは発揮可能であった。一方、ナガト・クラスを伴うジャップ戦艦部隊の最大速力は二十五ノット。この速力差を活かして優位な距離を維持したまま、ジャップ戦艦を一方的に叩き続ける。そして、打撃を与えたところで一挙に距離を詰めて止めを刺す。
それが、ハルゼーの目論見であった。
ジャップ艦隊との会敵前にジャップの夜間偵察機に発見されるなど、索敵では後手に回っていた第三艦隊(第五八任務部隊)ではあったが、砲撃では機先を制することが出来た。
航空主兵主義者の自分が戦艦同士の砲撃戦を指揮しているのも妙な気分ではあったが、海軍軍人に本能的に刻まれているものなのか、この米日最新鋭戦艦同士の砲戦に興奮を覚えていることもまた事実であった。
「……」
ハルゼーは十六インチ砲の発砲の衝撃に揺れるニュージャージー艦橋から、彼方のヤマト・クラスを幻視していた。
奇妙なことに、敵戦艦との距離は一向に縮まらなかった。
「連中、あえてこの距離を維持しているな」
帝国海軍の中でも一二を争う操艦の名手である森下艦長は、即座に米戦艦の戦術機動を理解していた。もっとも、それは下の戦闘指揮所に籠っている第二艦隊司令部も理解していることだろうが。
すでに大和は、敵一番艦からのものと思われる射撃を三度、受けていた。どれも命中弾はなかったが、一方的に撃たれている状況というのは士気に良くない。
ナムル島守備隊からの決別電を受信しているとなれば、なおさらであった。大和乗員の誰もが、一分でも一秒でも早くクェゼリンに突入しなければならないと思っている。
「第二艦隊司令部より各艦へ。各個の判断において射撃開始して差し支えなし、とのことです」
「了解」
第二艦隊司令部も、ある種の焦りを抱き始めているのだろう。
この距離でどれだけの命中率が期待出来るか判らないが、水偵からの吊光弾と新型の三三号電探の性能に頼るとしよう。森下はそう決断した。
「砲術長、目標、敵一番艦。準備出来次第、撃ち方始め」
「宜候。準備出来次第、撃ち方始め」
艦橋最上部の射撃指揮所に陣取る能村次郎砲術長が応じた(なお、副長が欠員のため、能村は大和副長も兼任していた)。
海面から三十八メートルの高さにある測距儀はすでに敵一番艦を捉え、およそ三十秒おきに測距データを艦の最奥に設けられた主砲発令所に送っている。電側室からも同様であった。能村砲術長の命を受けて、九八式射撃盤に入力されていた各種データがまとめられ、射撃諸元が射撃指揮所と各砲塔に伝えられた。それを元にして、三基の主砲塔から伸びる砲身の内、右砲がまず仰角を取り始める。
「射撃用意よし!」
「主砲、交互撃ち方始め!」
「てっー!」
その瞬間、大和の三門の主砲からめくるめく炎が噴き上がった。
それは、第三次ソロモン海戦以来一年半ぶりとなる、そして大和の生涯にとって二度目の敵戦艦への主砲射撃であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「巡洋艦が何逃げ回っているんだ! 真面目にジャップと戦う気はないのか!?」
一方、クェゼリン環礁南西わずか二十浬の地点では、オルデンドルフ少将率いる第五四・一任務部隊と西村中将率いる第二遊撃部隊との戦闘が続けられていた。
だが、迎撃をする側であったオルデンドルフ艦隊の手際は、必ずしもよくはなかった。
オルデンドルフは魚雷艇、駆逐艦などを使って日本艦隊の戦力を漸減しつつ、最終的に三隻の戦艦による火力でこれを撃退しようとしていたのであるが、その魚雷艇部隊が早々に混乱状態に陥ってしまったのである。
今、第二十三駆逐戦隊を率いるアーレイ・バーク大佐はその混乱を収拾する時間すら与えられずに戦闘に突入することになってしまっていた。
だいたい、ジャップ艦隊の先鋒部隊がクレイジーとしか言いようのない戦法をとったのがそもそもの始まりだった。バークはそう思う。
実際、神通、涼波、藤波、早波、浜波の五隻からなる第二遊撃部隊掃討隊の突撃はアメリカ側の意表を突くものであった。
魚雷艇の掃討を担当する彼女たちは、魚雷艇を視認すると機銃も含めて手当たり次第に発砲してアメリカ魚雷艇部隊を攪乱し、さらに掃討隊の旗艦となっていた神通は探照灯を照射して魚雷艇乗員の目潰しまで行っていた。その上、日本側駆逐艦と米魚雷艇の双方が高速で動き回る中、日本側駆逐艦に接近し過ぎた魚雷艇が体当たりを喰らって転覆するという被害まで生じている。
もちろん、探照灯を照射する神通はアメリカ側にとって格好の標的となっていたが、彼女に砲火が集中する前に、戦場に第七戦隊の最上型四隻が乱入してきた。第七戦隊司令官・白石万隆少将は米巡洋艦戦隊の砲火から掃討隊を守るために、戦場に突入したのである。
そこから、アメリカ艦隊の混乱は加速度的に増していった。
そもそも巡洋艦戦力でいえば、アメリカ側は重巡一隻、軽巡二隻に対して、日本側は重巡四隻(掃討隊の神通を加えれば、さらに軽巡一隻)である。火力、砲門数ともに劣る三隻の米巡洋艦、ルイヴィル、デトロイト、ローリーは神通への砲撃を中止して日本の放った水偵の投下する吊光弾の下、避弾運動を取らざるをえなかった。
だがその消極的な巡洋艦部隊の戦術行動が、バークには腹立たしかった。
魚雷艇部隊はジャップ先鋒集団によって蹴散らされ、今また巡洋艦部隊がジャップ巡洋艦部隊の砲撃から逃げ回っている。
太平洋戦線に配属されて以来、バークは南太平洋で主に駆逐艦部隊を率いて船団護衛任務を中心に活躍していた。輸送船からの救援要請を受けて麾下駆逐隊を急行させた時、三十一ノットで駆逐艦を走らせたことから「三十一ノットバーク」の渾名を奉られるほど、敢闘精神に溢れた海軍指揮官であった。
その彼から見れば、三隻の巡洋艦の行動はあまりにも無様に映ったのだ。
もっとも、合衆国海軍はソロモンを初めとして、多数の艦艇と共に熟練の乗員を失っていた。もともとが上陸支援部隊として編成された第五四・一任務部隊である。地上への砲撃ならばともかく、敵艦隊との交戦、それもジャップ海軍の得意とする夜戦を挑まれているとなれば、その練度も合わせて及び腰になってしまうのも無理からぬ面もあった。
一方でナムル島守備隊の決別電を受信した第二遊撃部隊の将兵の士気は高かった。守備隊が日付が変わるのを合図に最後の突撃を行うと知らされた以上、何としても彼らの最期の瞬間に米輸送船団が壊滅する様を見せてやらねばならないという決意に燃えていた。
神通以下掃討隊のなりふり構わぬ突撃も、そうした闘魂の表れであった。
「くそっ、こうなったら俺たちだけでもジャップ艦隊に目にもの見せてやるぞ!」
バークの率いる第二十三駆逐戦隊は南太平洋での戦闘で消耗し、結成当初は二個駆逐隊八隻で編成されていたというのに、今では五隻にまで戦力を減らされていた。
「オースティン、援護しろ!」
『アイ・サー!』
バークはTBSを使って、第四十六駆逐隊司令バーナード・L・オースティン中佐に命じた。第四十六駆逐隊は第二十三駆逐隊麾下の部隊で、駆逐艦スペンス、コンバースの二隻から成っている(一方、バークの直率する第四十五駆逐隊は駆逐艦チャールズ・オズバーン、ダイソン、クラックストンの三隻。いずれもフレッチャー級駆逐艦)。
バークは以前からジャップ艦隊との夜戦で合衆国海軍水雷戦隊が戦果を挙げられる戦法を模索していた。それは、二つの駆逐隊でジャップ艦隊を挟撃し、一方が魚雷を発射後待避、もう一方の駆逐隊が魚雷の到達直後に反対側(つまり標的艦が被雷したのとは反対側)から攻撃を仕掛けてジャップに待避の時間的余裕を与えることなく混乱状態に陥れ、魚雷を発射して待避していた駆逐隊も戦場に駆け戻ってきて左右から再度攻撃を加える、という戦法である。
今まで船団護衛ばかりで実践する機会がなかったが、ついにその機会がやって来たのである。
『それでアーレイ、我々の目標は何だ?』
共に新戦法の訓練を行った部下からの問いに、合衆国海軍の水雷戦隊司令官は獰猛に答えた。
「決まっている。ジャップの戦艦だ」
掃討隊が米魚雷艇部隊を混乱状態に陥れて撃退し、第七戦隊が米巡洋艦三隻を四〇門の二〇・三センチ砲で圧倒している中、夕立に座乗する第二駆逐隊司令・吉川潔大佐は好機が到来したと考えていた。
「このまま一気に米戦艦まで突っ走るぞ! 第二駆逐隊、突撃せよ!」
駆逐艦一筋に生きていた男の裂帛の声が、夕立艦橋に響き渡る。
「宜候! 目標、米戦艦! 速力、最大戦速となせ!」
吉井五郎・夕立駆逐艦長もまた、快活とした声で応じた。夕立を先頭に、第二駆逐隊の四隻は白波を蹴立てて進んでいく。四門の十二・七センチ主砲塔と二基の魚雷発射管を振りかざしている夕立の姿は、吉川や吉井の闘魂が艦に乗り移ったかのようでもあった。
「右舷二十度、距離八〇に艦影三! フレッチャー級駆逐艦と認む!」
だが、そんな彼らの前に水を差すような存在が現れた。
前方を進む掃討隊の味方駆逐艦を見張り員が誤認しているのでは、という疑念は抱かない。帝国海軍は第四次ソロモン海戦で米新鋭駆逐艦を鹵獲して、その正確な艦影を把握することに成功していたからだ。
見張り員の捉えた艦影は、間違いなくフレッチャー級駆逐艦だろう。
「ったく、アメ公も素直にこちらを通してくれはしないか」
敵としても、戦艦への雷撃は絶対に阻止したいはずだ。いや、あの機動だと向こうもこちらの戦艦を狙っているのか?
吉川潔は駆逐艦乗りとしての勘からそう思った。
双方の駆逐艦が三十ノット以上の速力を出しているとなれば、八〇〇〇メートルの距離が詰まるのに四分と掛からない。
「主砲目標、右舷反航駆逐艦! 撃ち方始め!」
そして、吉川の思考は短時間であった。どの道すれ違うのであれば、撃たない理由はない。
「司令、魚雷は?」
「米戦艦にぶち込むまで温存しておけ」
吉井の問いに、吉川は簡潔に答えた。夕立を初めとする白露型駆逐艦は魚雷の次発装填装置を持つが、魚雷を装填するには慎重な作業を要する。戦場のど真ん中でやることは出来ず、一時的に戦場海面から待避する必要がある。そんな時間的余裕は、第二遊撃部隊には存在していなかった。
米駆逐隊と撃ち合う中で魚雷が誘爆する危険があるが、吉川はそんなことをいちいち気にしていたら駆逐艦乗りなどやっていられないと思っている。
やがて、射撃諸元を整えた夕立の前部砲塔が射撃を開始する。二門の十二・七センチ砲が、交互に砲口から炎を迸らせる。初速九一〇メートル毎秒を誇る三年式十二・七センチ砲の砲弾が、米フレッチャー駆逐艦に向かって突き進んでいった。
アーレイ・バークは思わず舌打ちをしてしまった。
巡洋艦同士の砲戦の脇をすり抜けてジャップ戦艦への雷撃を敢行するつもりだったのだが、ジャップの駆逐隊指揮官も同じことを考えていたようだ。
当然のことながら、双方が正面から接近することになってしまった。
「くそっ、忌々しいジャップめ。どこまでこの私の邪魔をすれば気が済むのだ」
今まで輸送船団の護衛任務ばかりで、ようやく自身の考案した新戦法を実施する機会が巡ってきたと思ったらこれである。
「敵艦発砲! 距離八七〇〇ヤード!」
「応戦しろ!」
一方的に撃たれるわけにはいかない。バークは叫んだ。
戦隊旗艦チャールズ・オズバーンに搭載されている三十八口径Mk.30五インチ単装砲が旋回し、艦首の二基が発砲を開始する。こちらの砲の初速は、秒速七六二メートル。
敵艦からの最初の弾着が、チャールズ・オズバーンの前方に水柱を発生させる。轟音と共に噴き上がり、崩れゆく海水の塊の中を彼女は突っ切った。
一方、当然ながら夕立にもチャールズ・オズバーンの放った砲弾が降り注いだ。
滝壺の中に突っ込んだかのように、崩れゆく水柱で夕立の船体が揺さぶられる。
「やはり海戦とはこうでなくてはな!」
その動揺に、吉川は快活に笑った。夕立の主砲が、そんな彼に応ずるように発砲を繰り返す。
「距離七〇!」
装填速度毎分二〇発(実際には弾着修正を行いながらの射撃なので、毎分十発ほど)の主砲が吠える中、彼我の距離は急速に縮まっていく。
「見張り員、そのまま距離を読み上げ続けろ!」
「はっ! ……距離六九!」
この駆逐隊司令の意図に疑問を挟むことなく、見張り員は小刻みに彼我の距離を計測し続けた。
その間にも、発砲は続いていく。
「だんちゃーく!」
「敵一番艦に命中一を確認!」
「砲術長、そのまま撃ち続けろ!」
「宜候!」
チャールズ・オズバーンの船体に、つんのめるような衝撃が走った。
艦橋全面が真っ赤に染まり、熱波が押し寄せる。
「ダメージ・リポート!」
「第一砲塔に被弾! 第一砲塔、応答ありません!」
「消火、急げ!」
やはり、夜戦の技量ではジャップに劣るか。
バークは歯噛みした。いかにこちらが優れたレーダーを持つとはいえ、正確な弾着観測を行うには目視も必須となってくる。距離八〇〇〇ヤード前後での弾着観測能力に、未だ合衆国海軍水雷戦隊は劣らざるを得ないことを彼は痛感していた。
恐らく、これまでの戦訓や訓練の結果を考えても、五〇〇〇ヤード(約四五〇〇メートル)を切らないとこちらの攻撃は通用しないだろう。
だが、反航戦のこの状態であれば、あと三分もしないうちにすれ違う。そうして目の前の敵をやり過ごせれば、自分の直率する第四十五駆逐隊にも、ジャップ戦艦を雷撃する機会が巡ってくるだろう。
その瞬間までどうかこの艦を守りたまえと、バークは神に祈りながらなおも二番砲塔で射撃を続けるチャールズ・オズバーンを見守っていた。
「敵艦後部に火災発生!」
「いいぞ! そのまま敵を蜂の巣にしてやれ!」
高初速で撃ち出される十二・七センチ砲弾の命中率は、夕立乗員の夜戦技量と相俟って非常に高かった。
「距離五〇!」
ここまでの射撃で、夕立はチャールズ・オズバーンに対して五発の命中弾を出していた(内二発は不発弾)。敵艦の前部と後部に、火災が発生している。だが、まだ致命傷ではないようだ。
夕立の周囲にも敵弾が落下しているが、未だ命中弾はない。
「距離四八!」
射撃の轟音と、見張り員の距離を読み上げる声が交互に響く。
「艦長、距離四五で面舵一杯に転舵だ。敵の隊列の目の前を横切れ」
下手をすれば敵艦と衝突しかねない命令を、吉川は平然と下した。
「宜候、距離四五で面舵一杯に転舵」
だが、それを受けた吉井もまた平然としていた。
二人は海兵同期であり、吉井はこの同期にして上官の駆逐艦乗りの気質を理解している。そして、ソロモンでの夕立の活躍も聞いている。この兵学校同期の男は、第三次ソロモン海戦で敵駆逐艦の真ん前を横切って敵の度肝を抜いてやったという。
敵駆逐隊の隊列を混乱させて味方戦艦への雷撃を妨害し、こちらは敵戦艦への接近を続ける。
危険だが、吉川らしいといえばらしいなと吉井は思った。
射撃の轟音と、敵弾の弾着による振動の中、二人の駆逐艦乗りはただ前だけを見つめていた。
「第三砲塔、応答ありません!」
「SCレーダー、損傷!」
バークの神への祈りも虚しく、チャールズ・オズバーンの被害は刻々と深刻さを増していった。
被弾によって電路の一部を寸断され、後部の第三、第四、第五砲塔の旋回が不可能となった他、TBSも使用不能となっている。
今や、チャールズ・オズバーンはただ一門残された第二砲塔で射撃を続けているだけであった。
魚雷発射管だけは神の加護があるのか、未だ誘爆を引き起こしてはいなかったが、すでにチャールズ・オズバーンは嚮導駆逐艦としての機能を喪失しつつあった。
夕立の船体に、衝撃が走った。
「被害知らせ!」
「後部機銃甲板に被弾! 機銃座は全滅!」
「了解!」
夕立は第三次ソロモン海戦後、小規模な改装を受けて第二砲塔の単装砲を撤去し、そこに機銃甲板を設けていた。
どうやら互いが高速で接近しつつあったため、敵の弾着が後ろに逸れてしまったようだ。船体中央部に命中していれば、魚雷が誘爆していただろう。
ソロモンでの戦いの時と同じように、この夕立は傷だらけになりながらも際どいところで生き残るしぶとさを持っているらしい。
かつて己の指揮した艦を思い、吉川は小さく唇を吊り上げた。
そして、いよいよその距離がやってきた。
「距離四五!」
「面舵一杯! 急げ!」
「おもーかーじ、一杯! 急げ!」
速力三十四ノットで突っ走っていた夕立の艦首が、大きく右に振られてゆく。その遠心力に堪えながら、吉川は敵駆逐隊の動きを鋭く見つめていた。
「敵艦、面舵に転舵! このままでは……!」
「こちらも面舵一杯だ! 急げ!」
見張り員の悲鳴じみた声を最後まで聞くことなく、バークは叫んだ。
「
操舵員が焦った動作で舵輪を回していく。
「ジャップの駆逐艦乗りは狂っていやがる!」
こちらの目算を外されて、思わずバークは罵声を上げた。
こちらが回避行動を取らなければ、間違いなくチャールズ・オズバーンは艦首を敵駆逐艦の舷側に突っ込んでいただろう。敵の艦長もそれは承知のはずだ。
こちらの隊列を乱すためだけに、こんな危険な戦術機動を取ってくるとは……。
そう思った直後、バークは己の体を衝撃が突き抜けるのを感じた。一瞬の浮遊感と、体を叩き付けられる痛み。耳に聞こえてくる乗員の悲鳴。
「ダ、ダメージ・リポート!」
艦長が叫ぶが、何が起こったかは明らかだった。
チャールズ・オズバーンの艦橋は、滅茶苦茶になっていた。各種機材が散乱し、血塗れの乗員が横たわっている。
バークはよろめきながら立ち上がって額に手をやると、ぬるりとした感触があった。
「衛生兵!」
誰かが伝声管に取りついて、衛生兵を呼んでいる。だが、その伝声管も破壊されて用をなさないだろう。
艦橋の惨状と、そして自分が生きていることから見て、多分艦橋基部に敵弾が命中し、爆風がこの場所を突き抜けたのだろう。バークはそう考えた。
「右舷タービン損傷! 出しうる速力、十七ノット!」
そして、被害は艦橋だけに留まらなかったらしい。もはや、このチャールズ・オズバーンは水雷戦隊旗艦としてはおろか、駆逐艦としての機能も喪失したと言っていい。
「ダイソン、煙幕を展開していきます!」
速力の落ちた旗艦を庇うようにチャールズ・オズバーンの前に出たダイソンが、煙幕を展開してこちらの姿をジャップの目から隠そうとしていた。
「ジャップの、ジャップの駆逐艦は、どうだ?」
だが、バークが気にしていたのはジャップの駆逐隊であった。
煙幕に視界が閉ざされる一瞬前、彼は照明弾と吊光弾に照らされた海面を駆けるジャップ駆逐艦の姿を見た。
バークの第四十五駆逐隊と対峙したジャップ駆逐隊は、一糸も隊列を乱さずにチャールズ・オズバーンの前を横切っていった。夜戦技量の違いを、まざまざと見せつけられた格好である。
バークは、自分がジャップ戦艦に雷撃を敢行する機会を永遠に失ってしまったことを認めざるを得なかった。
「全艦、本艦に後続しています!」
見張り員の声に、どこか安堵の響きが混ざっているのは気のせいではないだろう。
敵がよほどの馬鹿でなければ回避行動を取るだろうとは予測していたが、それでも敵が咄嗟の判断を誤れば衝突していた可能性もあった。
「各艦に被害はないか?」
「各艦とも健在の模様!」
「よろしい」
その報告を聞いて、吉川は不敵な笑みを浮かべた。
「よしっ! 改めて我が駆逐隊は敵戦艦への雷撃を試みる! 舵戻せ! 針路三〇度!」
「宜候。舵戻せ! 針路三〇度!」
いよいよ敵戦艦への雷撃ということで、夕立乗員たちの間にも静かな興奮が広がっていた。
何とか、日付が変わる前に第二遊撃部隊の姿をクェゼリン守備隊に見せることが出来そうだ。
誰もがそう思った矢先、艦橋に伝令の兵が飛び込んできた。
「比叡より全艦に通信! 『我、魚雷ヲ受ク。各艦ハ我ヲ顧ミズ前進シテ敵ヲ撃滅スベシ』。以上です!」
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