49 エースたちの空

 一九四四年五月十一日黎明、合衆国海軍第三艦隊はハルゼー長官に率いられてエニウェトク環礁、ポナペ島攻撃のために西進していた。

 昨夜までの航空戦の結果、艦隊は軽空母バターンが沈没し、正規空母レキシントンⅡ、イントレピッド、軽空母ベローウッドが戦列から離れていたが、それでも大型空母四隻、軽空母五隻、さらには戦艦四隻を擁する大艦隊であった。一群に相当する兵力を失ってなお、第三艦隊は日本海軍の第一機動艦隊を上回る兵力を保持していたのである。






 リーブス少将率いる第五八任務部隊第三群では、三隻の空母が今まさに暖機運転を終えて攻撃隊の発艦を始めようとしているところであった。

 まだ西の方に夜の暗さが残る南海の波濤を砕き、バンカーヒル、ワスプⅡ、サン・ジャシントは艦首を風上に向けるために回頭していく。重巡クインシーⅡ以下の護衛艦艇も、それに倣う。

 三空母の甲板上では、F6Fヘルキャットが、SB2Cヘルダイバーが、TBFアヴェンジャーが、轟々と発動機の音を勇ましく響かせていた。

 昨夜、第二群のイントレピッドがジャップの夜間空襲で被雷したことは、搭乗員たちも皆知っている。何としてもこの日の攻撃でジャップの基地航空隊を壊滅させてやるのだと、復仇の念に燃えた彼らの士気は高かった。


「各空母より報告、第一次攻撃隊。発進準備整いました」


「よろしい」


 艦橋から飛行甲板を見下ろしていたリーブス少将は、満足げに頷いた。

 今日の攻撃が成功すれば、マーシャル周辺からジャップの基地航空隊は一掃される。そうなれば、第五八任務部隊はジャップの艦隊の撃滅にのみ、集中することが出来る。

 未だジャップ艦隊がトラックを出撃したという情報は届いていないが、こちらの海兵隊がマーシャルに上陸すれば必ず巣穴から出てくるであろう。そうなれば、インド洋での海戦以来、およそ一年ぶりとなるジャップ機動部隊との空母決戦が発生する。

 航空基地への攻撃と、敵機動部隊への攻撃。

 どちらの攻撃であっても、攻撃隊のクルーたちに神のご加護があるようにと、リーブスはそっと十字を切った。

 そして、攻撃隊発進の命令を出そうと息を吸い込んだその時、見張り員の金切り声が艦橋に響いた。


「敵機、直上! 急降下!」


「何だと!?」


「馬鹿な!」


 リーブスを始めとする艦橋の者たちに、バターンの悪夢が蘇る。しかも、バンカーヒルは燃料や弾薬を満載した航空機が甲板に並んでいる。状況は、バターンの時よりも悪い。

 先ほどの神への祈りは別のものにすべきだったかと、リーブスは唇を噛んだ。


取り舵一杯ハードアポート! 急げ!」


 艦長が切迫した声で命令を下す。

 そして、遅ればせながら各艦で対空砲火の閃光が瞬き始める。


「……」


 思わず天に祈るような気持ちで、リーブスは空を見上げた。そして見た。

 双発の大型機が、狂気的な角度でバンカーヒルへと突っ込んでくる。


「くそっ、クレイジージャップめ! 初っ端から体当たりでもする気か!」


 見張り員の誰かの罵声が飛ぶ。

 合衆国海軍の間では、炎上したジャップの機体が体当たり攻撃を仕掛けてくるというのは、ある種の常識となっていた。今作戦中、戦艦アイオワも敵機の体当たりによって後部射撃指揮所を破壊されている。

 対空砲火の轟音、炸裂する砲弾、伸びていく曳光弾、そしてダイヴブレーキの風を切る音。

 刹那の間に起こった出来事は、まるで映画のワンシーンのように妙に現実味のないものであった。ある者にとってその時間はスローモーションのようにゆっくりであり、またある者にとってはすべてが一瞬のうちに終わっていた。

 急降下の途中で火を噴き始めた敵双発機、その胴体下から分離された二つの黒い塊。

 そして衝撃と轟音、紅蓮の炎。

 その敵機は、凄まじい正確さで二発の爆弾をバンカーヒルに命中させたのだ。

 甲板上で、火山が噴火した。

 リーブス少将を始めとした艦橋要員たちは、咄嗟の判断で床に身を伏せた。

 鼓膜を食い破るような轟音が周囲の空間を覆い尽くし、凄まじい爆発は艦を激しく揺さぶった。


「ダメージ・リポート!」


 立ち上がった艦長が、必死の声で報告を求める。その間にも、艦は轟音を連続させながら小刻みに揺れていた。


「……おお、神よ」


 立ち上がったリーブス少将は飛行甲板を見下ろして、途方に暮れた声を上げてしまう。

 そこは、一面の火の海であった。

 命中した爆弾が爆発し、甲板上に並んでいた航空機を根こそぎ誘爆させていた。F6Fはひっくり返り、SB2Cは溶鉱炉となり、TBFは残骸と化していた。

 甲板上の、ありとあらゆるものが燃えている。

 全身を炎に包まれた搭乗員か整備員かが甲板上を駆け回り、やがてその端より海に身を投げた。

 スポソンの機銃座では、血塗れの肉片があたりに散乱している。

 バンカーヒルは最初の艦長の命令によって転舵を続けており、遠心力によって燃え盛る機体が甲板上より海へと転落した。しかし、炎は未だ甲板上をなめ回している。

 下から爆風を受けたのか、歪んだエレベーターが奇っ怪な金属の山を形作っていた。

 そして、敵弾か誘爆の影響が機関部にまで及んでいるのか、バンカーヒルは徐々にその行き足を衰えさせていた。


「少将」


 艦長は悲痛な感情を押し殺して報告した。


「爆発と火災の影響で、艦内電話の回線が寸断しています。伝令を艦内に放って被害の確認と復旧にあたるつもりですが、本艦はすでに旗艦としての役割を果たせなくなっているものと判断せざるを得ません。どうか、移乗されて下さい」


「ああ、そうだな」


 リーブス少将は蒼白になりつつあった顔で頷いた。

 昨日のバターンに引き続き、奇襲的な急降下爆撃で最新鋭の航空母艦は大損害を蒙ってしまったのだ。この艦が助かるのかどうか、まだ判らない。だが、バターンの最期を見ているだけに、楽観的な気分にはなれなかった。


「最寄りの駆逐艦を接舷させよ。司令部をワスプⅡに移す」


「アイ・サー」


 通信兵が駆けていく。


「艦長」リーブスは言った。「艦の保全に全力を尽くして欲しいが、それが叶わぬようであれば早めに総員退艦命令を出すように。多くの乗員を、無駄に死なせるようなことはしたくない」


「かしこまりました。ご配慮、感謝いたします」


 バンカーヒル艦長は、感情を押し殺した声でそう言った。彼もまた、自らの指揮する艦の運命に悲観的なものを覚えていたのだ。






 このバンカーヒル被弾とそれに伴う混乱によって、リーブス少将麾下第五八任務部隊第三群の攻撃部隊発進は、一時間以上も遅延することとなった。


  ◇◇◇


 この日、バンカーヒルに爆弾を命中させたのは、ポナペ島を発進した第五二四航空隊に所属する銀河であった。

 昨夜の第二群に対する夜間空襲以来、日本海軍基地航空隊は彩雲や二式艦偵、第九〇二航空隊と第九五二航空隊の水偵などを利用して、米機動部隊に対する夜間接触をある程度、維持していた。

 そして十一日〇二〇〇時、ポナペ島に司令部を置く第六十三航空戦隊は、敵機動部隊に対する黎明索敵攻撃および昼間邀撃部署を発令。〇三三〇時、黎明索敵攻撃を期すべく第五二四空の銀河十二機を爆装にて発進させていた。

 この内の一機が、リーブス少将の第三群を捕捉することに成功、急降下爆撃にて五〇〇キロ爆弾二発を艦載機の発進準備中であったバンカーヒルに命中させたのである。

 二発の爆弾は飛行甲板を貫通して爆発、一発目は爆風で前部エレベーターを下から持ち上げるような形で歪ませ、二発目は格納庫も貫通して艦の深部へと至り爆発、機関部に重大な損傷を与えることに成功していた。

 そして、日本にとって幸運なことに、バンカーヒル艦上には発進を待っていた艦載機が所狭しと並べられていたのである。

 これにより、ミッドウェー海戦での日本空母のように飛行甲板では艦載機の燃料と搭載弾薬が誘爆、爆発と火災は艦内の電路を次々と切断させ、CICを始めとする指揮所や通信室にも深刻な損害をもたらした。そして猛烈な火災は艦全体を覆い尽くし、多くの乗員の命を奪うことになる。

 この段階では、損傷を負ったとはいえまだバンカーヒルの機関部は生きており、十四ノットでの自力航行が可能であった。ただし、消火用の海水を舷側から排出するために意図的に注水して艦を傾かせていたため、実際の速力は十ノットを切っていた。

 しかも、バンカーヒルに深手を負わせた銀河は撃墜されたものの、急降下前にリーブスの三群の正確な位置を報告しており、結果として黎明索敵攻撃に出ていた残りの銀河を呼び寄せることに成功していた。

 これにより、被弾から三〇分後、二機の銀河が傾斜して速力を低下させていたバンカーヒルに再度爆撃を敢行、五〇〇キロ爆弾をさらに二発命中させ、彼女のダメージ・コントロール班を吹き飛ばして、艦内通信の不通と合わせてバンカーヒルの復旧を絶望的なものとしてしまった。

 さらに数機の銀河が第三群を攻撃すべく向かったが、この頃にはワスプⅡとサン・ジャシントが混乱から立ち直って上空直掩のための戦闘機を発進させていたため、リーブス隊はそれ以上の損害を受けることは免れた。

 しかし、それはあくまで第三群がそれ以上の被害を受けるのを防いだだけであり、バンカーヒルの危機的状況は何ら変わらなかった。

 一四〇〇時過ぎ、火災の鎮火が不可能と判断されたバンカーヒルでは総員退艦が検討され始め、リーブス少将がそれを許可したことで、彼女の命運は定まった。

 爆発と火災で八〇〇名近い戦死者を出したバンカーヒルは、乗員移乗の後、自軍駆逐艦によって雷撃処分されることとなったのである。

 これにより、第三群は二日連続して空母を失うこととなった。






 しかし、バンカーヒル被弾はこの日、合衆国海軍第五八任務部隊を襲った悲劇の、ほんの序章に過ぎなかったのである。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 第六十三航空戦隊司令部よりの昼間邀撃部署の発令に伴って出撃したのは、第一次攻撃隊が第二八一空(元第二十四航空戦隊所属。マーシャル方面からの引き揚げに伴い、臨時に第六十三航空戦隊に編入)の零戦四十五機と第五二三空の彗星六十一機の計一〇六機、第二次攻撃隊が第二五一空の烈風隊三十三機と第七二二空の一式陸攻隊四十一機の計七十四機であった。

 目標は、ポナペ島北東に確認された米機動部隊の一群(これはモントゴメリー少将の第二群であった)。

 特に第七二二空は、ドイツから輸入した最新鋭の誘導滑空爆弾「フリッツX」を搭載し、これによる対艦攻撃に特化するために設立された部隊であった。指揮官は檜貝襄治少佐と共に「陸攻隊の双璧」と謳われる三原元一少佐である。

 すでに陸攻隊による昼間雷撃が成り立たなくなりつつある現状で、フリッツXは陸攻隊が手にした新たな武器であった(なお、銀河は胴体が細いため爆弾倉の幅が限られており、フリッツXの翼が邪魔して搭載出来なかった)。

 フリッツXによる対艦攻撃に特化した部隊は現状、七二二空「天雷部隊」と内地の七二一空「神雷部隊」のみであり、部隊名が雷にちなんでいることから乗員たちはフリッツXを「雷弾」、「雷玉」などと呼んでいる。

 地中海では英戦艦を一撃で轟沈せしめたというこの爆弾を装備した第七二二空は、捷一号作戦において帝国海軍が用意した切り札の一つであった。烈風を装備した第二五一空と併せて、帝国海軍は基地航空隊によって第一、第二遊撃隊によるマーシャル突入の障害となる米機動部隊の無力化を目論んでいたのである。






 すでに太陽は完全に水平線から顔を出していた。

 その光を受けながら、三原少佐率いる第七二二空は飛行を続けている。

部隊の装備する一式陸攻二四型は、一一型では一丁しか搭載されていなかった二〇ミリ機銃を四丁にまで増やし、防御火力を強化していた。

 乗員たちは酸素マスクを使用しつつ、陸攻隊は高度八〇〇〇メートル付近を進撃していた。

 笹井醇一少佐率いる護衛の烈風隊はそれより下の、酸素マスクを必要としない高度六〇〇〇メートル前後を飛行していた。

 一式陸攻は優秀な高高度飛行性能を持つ機体であり、ソロモンでの航空戦を経験している三原は、高度八〇〇〇メートル付近であれば米戦闘機の迎撃はほとんど受けないことを知っていた。唯一、恐ろしいのはP38であったが、そのような機体を米空母が搭載しているはずはない。

 自分たちを迎撃するために来襲する敵戦闘機隊は、烈風隊が相手をする。そして、陸攻隊はその隙に雲の状態などを確認しつつ高度を六〇〇〇から四〇〇〇メートル付近にまで下げて、雷弾を投下する。

 一方の第一次攻撃隊は、第二次セイロン沖海戦などの戦訓により、敵艦隊の対空砲火を減殺する役目を負っている。フリッツXの誘導のためには投下から命中までの間、母機は目標上空に向かって直進しなければならず、その脆弱さを露呈してしまう。そのためにも、敵艦隊の対空砲火の減殺は重要であった。

 いわば第一次攻撃隊は天雷部隊の露払いを務めてもらうことになったわけであるが、この攻撃を何としてでも成功させるためには必要なことだと、第一次攻撃隊、第二次攻撃隊の全員が納得していた。

 とはいえ、問題がないわけでもないと三原は思う。

 このフリッツXなる独国の開発した誘導滑空爆弾は、重いのである。

 その重量は約一・五トン。戦艦大和の主砲弾と同程度の重量であった。

 一式陸攻二四型は発動機を約一八〇〇馬力の火星二五型に換装して可搬重量ペイロードを一・五トンに増すことに成功していたが、機体に搭載されているのは何もフリッツXだけではない。

 四門の二〇ミリ機銃の予備弾倉も、それなりの重量なのである。さらに各中隊長機には機上電探(重量は一一〇キロ)も搭載しているため、完全に可搬重量を超えた状態で飛行しているのである。

 そのため、一式陸攻の通常の巡航速度である一七〇ノット(時速約三一五キロ)よりもやや遅くなり、さらに操縦桿の効きも悪くなっていた。そのため、敵機に襲われた際の回避運動は困難であると判断されていた。

 だからこそ、護衛に精鋭の二五一空が付けられていたのである。

 ソロモンの激戦を潜り抜けた歴戦の戦闘機乗りたちであれば、必ず自分たちを敵機動部隊上空まで送り届けてくれるだろう。

 だからこそ自分たちは、必ずこの攻撃を成功させねばならない。

 三原は、そう決意していた。






 最新鋭艦上戦闘機「烈風」一一型。

 その巡航速度は一八〇ノット(時速約三三〇キロ)であり、一式陸攻よりもわずかに速かった。


「……」


 第二五一空の隊長を務める笹井醇一少佐は、時折背後上方に粒のように見える陸攻隊との距離を確認していた。

 どうにも、重い独国製誘導滑空爆弾を搭載していることで、一式陸攻は本来の巡航速度を出せていないようである。そのため、烈風隊が先行し過ぎないよう、笹井たちも速度を調整せねばならなかった。

 隊内無線で、上空の陸攻隊と何度か遣り取りを交わして互いの距離を修正する。その繰り返しであった。

 とはいえ、誉発動機は快調に轟音を奏でており、このままならば問題なく米機動部隊へと辿り着くことが出来るだろう。


『こちら天雷一番。只今、第一次攻撃隊のト連送を受信した』


 不意に、少し雑音の混じった声が隊内無線から響いた。上空の天雷部隊一番機、つまりは三原少佐の機体の通信員の声であった。


「了解」


 笹井は短く答え、表情を鋭いものとした。

 すでに、敵機動部隊上空では第一次攻撃隊と米直掩隊による空戦が始まっているだろう。彼らは、天雷部隊のために敵機動部隊までの道を切り拓こうとしてくれている。

 笹井は引き締めた表情のまま、第一次攻撃隊の奮戦を願っていた。


  ◇◇◇


 零戦と彗星、合計一〇六機からなるポナペ島からの第一次攻撃隊がト連送を発信したのは、十一日〇七〇八時であった。

 すでにモントゴメリー少将率いる第五八任務部隊第二群は、前夜の空襲によって空母イントレピット、重巡ニューオーリンズが被雷し、護衛の駆逐艦三隻と共に後退していた。さらには九日の薄暮攻撃によって軽巡バーミンガムが被雷して護衛の駆逐艦一隻と共に戦線を離脱していたため、十一日時点での第二群の戦力は戦艦二、空母三、重巡一、駆逐艦八にまで低下していた。

 これでも十分な戦力ではあったが、濃密な対空砲火によって日本機の輪形陣突破を阻止することを目指していたことを考えれば、十一日時点における第二群の対空砲火の濃度は真珠湾出港直後よりも低下していたと言わざるを得なかった。

 さらに、大型空母であるイントレピットが後退したことによって攻撃隊の護衛と艦隊の直掩に充てる戦闘機の数も不足しており、日本海軍の放った第一次攻撃隊を迎撃出来たF6Fは、四〇機前後に過ぎなかった。

 そのため、米直掩隊が零戦隊と空戦を行っている隙を突いて彗星隊は第二群の輪形陣へと殺到することとなった。






「モントゴメリー少将の第二群より、戦闘機隊の救援要請が届いております」


 〇七二五時ごろ、第三艦隊旗艦ニュージャージーには第二群から救援を求める電文が届いていた。


「ジャップの第一次攻撃隊は彗星ジュディから成っており、これまでの戦訓を鑑みても第二次攻撃隊としてジャップの雷撃機が迫っていることは確実であります」


 カーニー参謀長がそう言い、ハルゼー長官に第一群の戦闘機隊の急派を求める。

 現在、第一群はエニウェトクの日本軍航空基地を攻撃すべき第一次攻撃隊の発進を終え、艦隊を直掩すべきF6Fもすでに上げていた。

 しかし今のところ、レーダーはジャップの機影を捉えていない。

 それもそのはずで、現在ニュージャージー艦橋から見える景色は暗い。ちょうど、スコールの中に入り込んでいたのである。

 このため、第一群は未だジャップからの接触を受けていなかった。この状況下ならば、直掩隊による第二群の救援は十分に可能であった。


「いいだろう。上にいる連中にモントゴメリーのところに向かえと命ずるよう、クラークに伝えろ」


 短く思考を済ませたハルゼーはそう決断を下し、第一群の隠れるスコール上空にいたF6F四〇機あまりがジャップの空襲に晒されている第二群へと向かうこととなったのである。


  ◇◇◇


 ヨークタウンⅡの戦闘機隊長を務めるデヴィッド・マッキャンベル少佐は、母艦からの命令によって部下たちを率いて第二群の救援に向かっていた。

 マッキャンベル少佐は今年で三十四歳となった戦闘機乗りであり、最前線で戦う搭乗員としてはいささか歳を喰っているともいえた。しかし、彼は優れた戦闘機隊指揮官であり、また一戦闘機乗りとしても優秀な技量を持っていた。部下の前ではいつもおどけた態度を取って距離を縮めようとしており、そのために彼らからの信頼度も高い。

 そんなマッキャンベル少佐であったが、正直、ヨークタウンⅡに配属された部下たちの技量については懸念を抱いていた。

 現在、合衆国海軍の搭乗員たちの技量はソロモンやインド洋での大量喪失の影響を引き摺っているために総じて低下しており、実戦の経験は今回のガルバニック作戦が初めてという者も多かったのである。

 機動部隊の戦闘機は、ジャップの零戦ジークを圧倒する性能を持つといわれるF6Fに更新されたにも関わらず、連日の戦闘で少なからぬ被害を出していた。その事実からも、マッキャンベルの懸念は決して杞憂と呼べるものではなかったのである。

 自分は指揮官として、何としても彼らに豊富な実戦経験を積ませ、ジャップの搭乗員に匹敵する戦闘機乗りにさせてやらねばならないと思っている。そのためには、まずは今回の作戦を生き残らせることが先決であった。






『敵編隊は真方位八〇度から一〇〇度の範囲より本艦隊に接近中。距離およそ七〇マイル(約一一〇キロ)』


「了解。誘導感謝す」


 途中からは母艦であるヨークタウンⅡではなく、第二群のホーネットⅡからのレーダー誘導を受けつつ、マッキャンベルはF6F隊をジャップの第二次攻撃隊との接触進路に向けていた。

 第一群司令部の判断は正しく、今まさに第二群はジャップの第二次空襲を受けようとしていたのである。


「……」


 マッキャンベルは目を凝らして蒼穹を見渡す。

 白く輝く太陽に、青く澄んだ空、片々と浮かぶ雲。

 高度一万八〇〇〇フィート(約五五〇〇メートル)を、四十四機のF6Fが飛んでいく。

 ホーネットⅡのFDO(戦闘機指揮管制士官)からの情報を信じるならば、敵編隊は太陽を背景に第二群に接近しようとしていることになる。


「……」


 ジャップの第二次攻撃隊は、恐らく雷撃機だろう。下方の警戒を中心に、それでも敵戦闘機からの奇襲を防ぐために適宜、上空や周囲にも目を配る。

 そして、見つけた。


「十時の方角に一式陸攻ベティ


 合衆国海軍にとっては見慣れた、葉巻のように太いジャップの双発爆撃機。

 だが、マッキャンベルはその編隊に奇妙な違和感を覚えた。

 一式陸攻は魚雷を搭載出来る双発爆撃機だ。ならば、もっと高度を下げていて然るべきなのに、連中は高度一万六〇〇〇フィート(約五〇〇〇メートル)前後を飛行している。命中率の悪い水平爆撃でもするもりか?

 とはいえ、撃墜してしまえばすべては問題ない。


「各機、高度差を活かして襲撃することに努めろ」


 隊内無線で、マッキャンベルはそのように命ずる。そして、自らは敵編隊長機と思しきベティを狙おうとした。この歴戦の戦闘機乗りは、まず敵編隊長機を墜として混乱状態に陥れる空戦術を多用していたのである。その方が、部下も楽が出来ると考えていたからだ。

 そして、翼を翻して襲撃運動に入ろうとしたその瞬間、歴戦の戦士の勘が拙いと囁く。

 さっと後方上空を確認。かすかな煌めき。


「全機、散開ブレイク!」


 マイクにそう叫ぶと共に、操縦桿を引き倒す。

 くるりと半横転するF6Fの横を、オレンジ色の火箭が通過する。そして、背後の空域から覆い被さるようなエンジン音。


「くそっ、ジャップの護衛戦闘機か!」


 流石に、護衛もなしにベティを送り出すような愚はジャップも犯さなかったらしい。

 首を回して、周囲の状況を確認する。

 すでに、自らの率いていた編隊は崩れていた。


「各機、ペアを崩すな!」


 孤立すれば、あっという間にジャップの餌食になるだろう。部下たちのためにも、マッキャンベルはそう怒鳴る。

 と、バックミラーに敵機の姿。


「くっ……!」


 再び、三十四歳の戦闘機乗りは操縦桿を捻る。

 遠心力で血が逆流するような感覚。回転していく景色。

 その中で目にした、見慣れないダークグリーンの機体。


「っ……、ジャップの新型機だ! 気を付けろ!」


 明らかに、それは零戦ジークとは異なる存在であった。何よりも、あの軽敏なジークよりも一回り以上大きい。

 恐らく、幅はこのF6Fと同じくらいか(これはほとんど事実で、烈風の主翼の最大幅は約十四メートル、F6Fは約十三メートルであった。また、全長も十メートル弱と、ほとんど同じような数値であった)。だとすれば、ジークよりも強力なエンジンを積んでいると見るべき。

 一瞬でそれだけの思考を巡らし、マッキャンベルは空戦の中へと身を投じていった。






「各機、死んでも陸攻隊を守れ!」


 隊内無線に、笹井は怒鳴る。

 敵よりも上空に占位して、背後からの逆落とし。

 陸攻隊を直接援護するための九機(三個小隊)を残し、笹井は二十四機の烈風を率いて敵戦闘機隊を待ち伏せていたのである。

 少なくとも、第一撃は上手くいった。

 敵戦闘機隊は、明らかにこちらよりも数が多い。恐らくは、他の空母部隊からの増援か。

 少し厄介なものを感じながら、笹井は最新鋭戦闘機を操る。

 すでに烈風隊は落下増槽を切り捨てていた。スロットルを開き、速度も六〇〇キロを超えている。

 降下状態にあった機体を引き起こし、操縦桿を捻る。ぐっと体を締め付けるような遠心力。

 だが、烈風の速度はほとんど落ちなかった。降下時の加速が、引き起こしによる速度の低下を防いだのだ。

 笹井は素早く周囲を確認する。二番機の太田敏夫飛曹長は、いつも通り背後を守ってくれていた。

 それと同時に、次の得物にも目を付けた。敵編隊はどうやらこちらの第一撃で混乱したらしく、編隊を乱している。

 その中で自分が容易に接近出来る位置に、孤立したようなF6Fがいた。

 降下から引き起こしにかかった笹井の烈風は、高速を維持したままその敵機の下部後方から一気に突き上げる。敵機はまったくこちらに気付いていない。

 あっという間に照準レクティルに敵機の姿が収まる。烈風と同じくらいの幅を持つ機体だろうに、胴体の洗練されていないずんぐりむっくりとした、グラマンの特徴的な機影。

 笹井は機械的な動作で機銃の発射レバーを絞った。

 九九式二号二〇ミリ機銃と、三式十三ミリ機銃が煌めき、操縦桿を通して機体の振動が伝わってくる。

 曳光弾が、過たず敵機の翼の付け根に吸い込まれた。

 途端、敵機の主翼は畳まれるように折れる。錐揉み状態になりながら、海へと落下していった。

 だが、笹井は敵機の最期を確認しなかった。即座に周囲の状況を確認し、次の目標へと向かう。

 空には、二〇〇〇馬力級発動機たる誉の轟音が高らかに響き渡っていた。まさしく烈風の初陣を飾る号砲だな、と笹井は不敵な笑みを浮かべながらそう思ったのだった。






 二十四機の烈風による背後からの奇襲攻撃によって、一瞬にして九機のF6Fがその犠牲となった。

 マッキャンベルたちは遮二無二ジャップを振り切ってベティの編隊へと取り付こうとするが、ジャップの新型戦闘機は執拗にその機動を妨害しようとする。

 ジークであれば速度差などで振り切れたかもしれないが、この新型機はジークよりもはるかに高速であった。


「ジーザス!」


 操縦桿を捻りながら、マッキャンベルは罵声を上げる。

 無線からは、ジャップの新型機に追いかけられて救援を求める部下たちの声が流れていた。


「各機、絶対に僚機を見失うな! 互いに援護してジャップを振り切るんだ!」


 自分の僚機であるラッシング中尉機は、離れずに援護してくれている。

 だが、突然の奇襲に恐慌状態に陥ってしまった若い搭乗員たちの多くは、ただ混乱するだけであった。見失った僚機を探している内に敵機の銃撃を浴び、あるいは目の前に現れた敵機を撃墜するのに夢中になるあまり別の敵機に背後から襲われ、ある者は急降下で離脱(零戦の追撃に対して有効な回避行動)を試みる。

 ヨークタウンⅡの戦闘機隊は、すでに編隊としての体を成さなくなっていた。

 マッキャンベルの視界の隅で、また一機の味方がジャップに襲われて白煙を吹いていく。


「くそっ、練度が桁違いだ……!」


 歴戦の戦闘機乗りであるマッキャンベルは、そうであるが故に新型機を操る敵戦闘機隊の練度が高いことを見抜いていた。

 視界の隅で、一機の味方機が今まさにジャップの新型機の餌食になろうとしていた。


「中尉、行くぞ」


 むざむざと部下が撃墜されるのを見ているわけにはいかない。

 操縦桿を捻り、その敵機に牽制の一連射を加える。だが、敵機は射撃前にこちらの存在に気付いたようだった。即座に機体を捻り、射線からはずれる。曳光弾は敵機をかすめることすらなく、虚空へと消えただけであった。


「くそっ、思い切りもいい」


 目の前の獲物に執着することなく、獲物を追っていても周囲の警戒を怠ることなく、そして危険と判れば素早く離脱する。

 こいつは、手練れ揃いのこのジャップ戦闘機隊の中でもさらにエース中のエースだ。

 恐らく、こちらが攻撃する側であれば自分が真っ先に狙っただろう編隊長機。


『隊長、後方上空に敵機!』


「くっ……」


 ラッシング中尉からの警告に、マッキャンベルは操縦桿を捻る。今まで機体のあった場所を通過する曳光弾の光。

 恐らく、自分にラッシング中尉がついているように、あのエースにもペアの機体がついているのだろう。

 だが、これで一度距離を取ることに成功した。


「付いてこられる者は私に続け! ベティを何としても阻止するぞ!」


 その命令に従える者が、どれだけいるのかは判らない。しかし、自分たちの使命は艦隊の上空直掩だ。敵戦闘機との空戦に夢中になるわけにはいかない。

 マッキャンベルのF6Fはプラット&ホイットニーの二〇〇〇馬力級エンジンの轟音を響かせながら、烈風隊の妨害を躱して一式陸攻へと接近しつつあった。






「手練れが混じっている! 絶対に油断するな!」


 一撃で多数の敵機を撃墜した烈風隊であるが、それでも敵搭乗員の全員が未熟者ばかりではなかったようである。

 こちらの追尾を振り切って、陸攻隊へ向かおうとする機体も現れる。敵編隊を突き崩すことに成功したとはいえ、機数でこちらが劣っていることに変わりはない。 連中は、その隙を突こうとしているのだ。

 敵の指揮官は、恐らく自分と同じ熟練の搭乗員だろう。混乱の中でも、艦隊を守るという自らの任務に忠実であろうとする。


「太田、付いてこい!」


 二番機を務める太田敏夫飛曹長に向かい、笹井は怒鳴った。多少の雑音はあれど、隊内無線で意思疎通が出来るのはありがたい。

 笹井は烈風のスロットルを全開にして、こちらを振り切ろうとする一部の敵機の追撃を開始した。

 烈風の最大速度は六一四キロ。

五〇〇キロ台後半で燻っていた零戦とは、訳が違う。

 それを思い知らせてやると、笹井は敵機を睨み付けていた。






 空戦は熾烈さを増しつつ、徐々に米艦隊上空へと近付きつつあった。

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