34 徇名の古兵
「目標、敵一番艦。主砲交互射撃、撃ち方始め!」
「てぇー!」
轟音と共に、山城の三十六センチ砲六門が火を噴く。
大正六(一九一七)年に竣工して、すでに二十六年。彼女の生涯にして初めての、対艦砲撃であった。
乗員たちは艦内のそれぞれ配置で、万感の思いと共に発砲の衝撃を受け止めていた。
「だんちゃーく!」
早川幹夫艦長は、夜戦艦橋たる羅針艦橋で敵戦艦のいるであろう方向に視線を向けていた。
敵戦艦の動向については、観測機から断続的に報告が入ってきている。敵艦は前衛部隊同士の戦闘の脇をすり抜けるようにして面舵に転舵、なおも上陸船団を捕捉すべく北上しているという。
これに対して、阿部弘毅司令官は同航戦を挑むことを決断。山城、扶桑は敵の針路を先回りするような形で大きく取り舵を切っていた。
反航戦のままではすれ違う形となり、敵艦隊は山城、扶桑を突破して船団を襲撃するだろう。阿部中将の命令は妥当なものであった。
このため、現在、彼我の態勢は山城、扶桑が敵二戦艦に対して片仮名の「イ」の字を描くような形となっている。擬似的な丁字状態であるが、それほど長くこの態勢は続かないだろうと早川も阿部も思っていた。
なぜならば、敵はこの態勢を回避したいはずであるから、どこかの段階で転舵するであろうからだ。このままでは、敵は前部の砲塔しか砲戦に使用出来ない。
敵が転舵するまでの間、こちらがどこまで優位を保てるか。
早川は緊張を覚えずにはいられなかった。
第一機動艦隊からの索敵報告では、敵戦艦は最新鋭のキング・ジョージ五世級と、クイーン・エリザベス級ないしR級と思しき戦艦が各一。
KGV級は主砲口径十四インチ、QE級とR級は共に主砲口径十五インチ。
一方で、扶桑型の主砲口径は四一式三十六センチ砲(実際の主砲口径は三十五・六センチ)。
大規模な近代化改修によって、扶桑型は帝国海軍の想定決戦距離であった二万メートルから二万五〇〇〇メートルの間で自艦と同じ砲弾に耐えられる防御力は持っているとはいえ、油断は出来ない。想定決戦距離はその後、二万メートルから三万メートルの間と変更され、その前提の下で改装された伊勢型に比べて、扶桑型の防御力は低いのだ。
夜戦のために戦前の想定決戦距離よりも近い距離で砲戦を行っているため、十四インチ砲相手であっても、どのような結果となるか判らない。
ましてや、もう一方の戦艦は十五インチ砲装備である。少なく見積もっても、十四インチ砲弾より一〇〇キロは砲弾重量が上だろう。
まったく楽観出来なかった。
だが、早川の胸に緊張はあるが、恐れはなかった。ただ自らの指揮する戦艦に、その真価を発揮させてやりたいという静かな興奮があるだけだった。
この艦を設計し造った造船技術者たち、日々の猛訓練に耐えてきた乗員たち。
彼らの努力と献身は今、この瞬間のためだけにあるのだ。
自らの生死など、この際関係ない。山城が満足に戦った末に力尽きたのならば、彼女と運命を共にするのもまた一興。
山城の放つ第二射を全身で感じながら、早川はそう思っていた。
キング・ジョージ五世の周囲に、轟音と共に水柱が立ち上った。
完全に先手を取られた恰好である。
「提督、このままでは危険です」
参謀長が切迫した声を上げる。
「現状では、敵戦艦に針路を抑えられる形となっており、本艦もウォースパイトも後部砲塔が使用不能です」
「やむを得ん。面舵に転舵し、敵艦と同航砲戦を行う」
「アイ・サー!」
今の状況は、ビスマルクにフッドを撃沈されたデンマーク海峡海戦に酷似していた。あの時も、司令官であるランスロット・ホランド中将はビスマルクとの距離を詰めることを優先し、ためにドイツ側に丁字を描くことを許してしまったのである。
サマヴィルとしては、同じ轍を踏むわけにはいかなかった。
未だ双方の距離は一万七〇〇〇メートル付近であり、イギリス海軍の想定決戦距離から考えれば、遠距離砲戦となってしまう。
しかし、やむを得なかった。特にキング・ジョージ五世……ウォースパイトも程度問題の差ではあるのだが……は、この態勢ではまともな命中精度が期待出来ないのだ。
何故ならば、(日本海軍の視点から見ると極めて不可解なのだが)キング・ジョージ五世級戦艦の主砲測距儀は、主砲塔に搭載されたものの方が大きく(十二・八メートル)、艦橋最上の射撃指揮所に搭載されたものの方が小さい(四・八メートル)のである。当然、小さな測距儀は大きな測距儀に対して精度が落ちる。そのため、キング・ジョージ五世級の主砲射撃に関しては、主砲塔側の測距儀の補助が不可欠であったのだ。
しかし、この方式は被弾時の戦闘力維持という点からは優れていたが、射撃指揮所よりもかなり低い位置にある主砲塔測距儀が波を被りやすいという欠点を持っていた。実際、デンマーク海峡海戦では、ドイツ側が風上に位置していたことも手伝い、敵に向かって突き進むプリンス・オブ・ウェールズの前部主砲塔測距儀が波を被って使用不能となっている。
日本戦艦に頭を抑えられている状況ということは、前方に向かって主砲を撃たなければならないということであり、もともと艦首の凌波性の低いキング・ジョージ五世にとって不利な態勢であったのだ。
サマヴィルが同航戦を決断したのは、必然の帰結といえた。
キング・ジョージ五世が面舵を切り、後続のウォースパイトがそれに続く。
その間に、敵の第二射が二戦艦に降り注ぐ。
キング・ジョージ五世の至近に噴き上がった水柱が崩れ、膨大な量の水を甲板に叩き付けていく。
「砲術長、射撃準備まだか!?」
ジョン・フィリップ・マック少将が急かすように怒鳴る。
敵の砲撃精度は優秀だ。
二度もアメリカ新鋭戦艦との砲撃戦に打ち勝っただけのことはある、というわけか。サマヴィルはイギリス人らしい皮肉そうな笑みを浮かべて、敵艦のいる方向を見つめていた。
やがて、キング・ジョージ五世とウォースパイトは、距離一万七〇〇〇メートルにて山城、扶桑との同航砲戦に入った。
「
「ファイア!」
キング・ジョージ五世にとり、ビスマルク追撃戦以来の対艦砲撃戦。彼女の誇る十四インチ砲が火を噴く。砲口から飛び出しためくるめく炎が、艦橋にいる者たちの網膜を焼いた。
「ウォースパイト、撃ち方始めました!」
そしてウォースパイトもまた、その十五インチ砲を敵二番艦に向けて射撃を開始していた。
「苗頭左寄せ二、急げ!」
山城艦橋最上部の射撃指揮所に、砲術長の命令が響き渡る。
敵一番艦が転舵したため、砲弾が敵艦後方に逸れてしまったのである。そのための諸元修正が必要であった。
諸元修正は熟練の砲術科員たちによって十秒あまりで済まされ、新たな射撃諸元の下に、山城は第三射を放つ。
その衝撃を受け止めながら、恐らくもう一度、諸元修正が必要だろうと砲術長は思う。敵艦の転舵による彼我の位置の変化を組み込んだ上で、第四射を放たなければならないだろう。
敵戦艦との距離は一万七〇〇〇メートル。
帝国海軍の想定決戦距離よりも近く、何度も空振りを繰り返すようでは砲術科の威信に関わる。
と、山城の第三射と入れ替わるようにして、敵の弾着が発生した。
大瀑布を逆さまにしたような水柱が、山城の左舷に林立する。
「ただ今の弾着による被害はなし!」
夜戦艦橋では、早川艦長が英米のダメージ・コントロール班に当たる内務班の班長からの報告を受けていた。
敵弾は山城よりも五〇〇メートル以上遠方に着弾した。
まだ直撃弾を受けるまでには時間がかかるだろう、と早川は判断する。敵は針路を同航戦となるように変更したとはいえ、先に射撃を開始した山城が、現状ではまだ優位に立っているといえよう。
やがて、山城は四度目となる主砲射撃を行った。
「……」
早川は固唾を呑んでその結果を見守る。
敵の転舵による修正を行ったであろう第四射。
緊張と興奮に、喉が張り付きそうになる数十秒。
「だんちゃーく!」
ストップウォッチを持った計測員の叫びに応じるように、彼方で炎が上がった。
「敵一番艦に命中二を確認!」
「よくやったぞ、砲術長! 次より斉射!」
「宜候! 次より斉射!」
扶桑型戦艦の装填時間は、約四十秒とされる。交互撃ち方のため、第四射を行った砲身に新たな砲弾を装填していく。
艦首から艦尾まで連なる、連装六基十二門の三十六センチ砲。
装填のために五度にまで下げられていた砲身が、鎌首をもたげるように持ち上がっていく。そして、主砲発令所の定めた角度で、すべての砲身の動きが停止する。
「てぇー!」
刹那、砲術長と裂帛の叫びと共に、山城は咆哮した。
十二門の主砲全門を用いての、一斉射撃。
夜の闇すら打ち払おうとするかのように、砲口から火焔が飛び出した。衝撃波は海面を半円形に薙ぎ払い、轟音は殷々と海面に木霊する。爆風が甲板を吹き抜け、初速七八〇メートル毎秒、重量六七三キログラムの一式徹甲弾十二発がキング・ジョージ五世に向けて突き進んでいく。
その生涯において初めてとなる大口径砲弾の被弾に、キング・ジョージ五世の船体は動揺した。
「ダメージ・リポート!」
マック艦長が副長と繋がっている艦内電話に向かって怒鳴る。
「中部垂直装甲および後部第三砲塔に直撃弾! されど、装甲を貫通された形跡はなし! 第三砲塔も射撃可能です!」
その言葉に、サマヴィル中将もマック艦長もほっと息をつく。
四連装砲塔は、昼間の空襲での被弾時に一度故障している。ビスマルク追撃戦の際のように、砲戦の最中に故障されては堪らない。
ひとまず、まだキング・ジョージ五世は全主砲が使用可能なわけである。
山城の放った第四射六発の内、二発がキング・ジョージ五世への直撃弾となった。一発は第三主砲塔前盾に、もう一発は中部舷側に命中している。
四一式三十六センチ砲の貫通力は、距離二万メートルにおいて三〇七ミリ(垂直装甲に対して)。
一方で、キング・ジョージ五世の主砲前盾には三二四ミリの装甲が施され、垂直装甲も水線部で三八一ミリを誇っていた。彼女と同等の砲戦能力を持つ敵艦に対しては、極めて優れた耐弾抗堪性を持っているのである。
「ファイア!」
キング・ジョージ五世も負けてはいない。三基の主砲塔から、第二射が放たれる。
左舷に向けられた砲口から、十四インチ砲弾が炎と共に飛び出していく。
それと入れ替わるように、山城の第五射が降り注ぐ。放たれた十二発の一式徹甲弾の内、実に五発がキング・ジョージ五世への直撃弾となった。いかに旧式戦艦とはいえ、三十六センチ砲十二門の砲弾投射能力は、キング・ジョージ五世級以上のものがあったのである。
巨人の拳が船体を打ち据えるような激震が、イギリスの新鋭戦艦を襲う。
「ダメージ・リポート!」
「艦首錨鎖甲板に直撃弾! 艦首部に浸水が生じています! 航空機作業甲板および後部煙突と後部檣楼の間にも被弾! さらに二発が舷側に命中した模様! ヴァイタルパートの貫通はありません!」
「浸水の拡大防止と、後部注水区画への注水によるトリム復元急げ!」
「アイ・サー!」
未だキング・ジョージ五世は致命傷を受けていない。艦の全長の内、約六割を装甲で覆うという日米の戦艦に比較して重防御な装甲配置となっていることが幸いしているのだろう。
だが、流石に浮力の問題で艦全体を装甲で覆うことは出来ない。艦首部への直撃弾による浸水は、不可抗力だろう。
「
「直撃は認められず! 全弾遠弾の模様!」
「諸元修正急げ!」
この距離で装甲を抜かれる心配がないことは、二度の直撃によって確認出来た。
だが、マック艦長の表情には微塵も余裕はなかった。すでにこちらは直撃を受けている一方で、未だ命中弾を出せていない。
装甲が貫通されることはなくても、艦上構造物が破壊されれば戦艦とて浮かぶ鉄の塊である。
主隊の任務は、後衛が敵上陸船団を捕捉・撃滅するまでの間、敵戦艦部隊を牽制すること。戦闘力を失ってしまっては、それを果たせなくなるのだ。
「ファイア!」
キング・ジョージ五世が放つ第三射を、マック艦長は神への祈りと共に見送った。
◇◇◇
「命中一を確認!」
戦艦扶桑の艦橋に、歓喜のどよめきが起こる。
帝国海軍が宿敵と定めた米戦艦ではないものの、戦っている相手は紛れもなく戦艦である。乗員すべてが興奮に包まれているといってもいい。
「砲術長、次より斉射!」
扶桑艦長・鶴岡信道大佐の声が、夜戦艦橋に勇ましく響く。
扶桑も山城と同じく、第四射での命中を成し遂げていた。
敵戦艦の主砲は、恐らく十五インチ。扶桑型の防御力で、どこまで耐えられるかは判らない。だからこそ、十二門の主砲で素早く叩きのめしておきたかった。
例え撃沈出来ずとも、艦上構造物をことごとく破壊してしまえば、いかに戦艦といえど戦闘力を維持出来ない。
仰角を取った三十六センチ砲十二門が、一斉に火を噴く。
主砲発射時の轟音が、艦橋にいる者たちの鼓膜を震わせる。
砲口から飛び出した炎が、同型艦の山城に比べても特徴的な艦橋を持つ扶桑を照らし出す。それはすべての帝国海軍軍人にとって、一つの幻想的光景といえるものであったろう。
それは、戦艦という艦種が持つ無骨さと勇壮さを余すところなく示している光景であったからだ。
扶桑から放たれた一式徹甲弾もまた、敵艦を打ち砕くべく大気を突き破りつつ進んでいた。
「ファイア!」
ウォースパイトの誇る十五インチ砲四門が轟然と砲弾を発射した。ノルウェーで、地中海で、何度となく枢軸軍艦艇を打ち据え、王室海軍に勝利をもたらしてきた戦艦の咆哮である。
だがウォースパイトもまた、キング・ジョージ五世級と同じような測距儀の問題を抱えていた。ウォースパイトの二、三番主砲塔は司令砲塔とされ、九・一四メートルの測距儀が搭載されているのに対し、射撃指揮所の測距儀は四・五七メートルなのである。
イギリス海軍が極端な形の近接砲戦ドクトリンを敷いているのも、故のないことではないのである。
だが、ウォースパイトは一九四〇年七月九日のカラブリア沖海戦にて、砲戦距離二万四〇〇〇メートルにて伊戦艦ジュリオ・チェザーレに命中弾を与える快挙を成し遂げている。
そのため、乗員たちの間にはこの距離でも日本の戦艦と互角に戦えるという自信が広がっており、また独、伊、日三ヶ国すべての艦艇に対して撃沈記録を立ててやるのだと意気込んでおり、その士気は高かった。
実際、扶桑を撃沈することが出来れば、ウォースパイトはドイツ、イタリア、日本という主要枢軸国海軍すべてと戦い、そして勝利した戦艦として歴史に名を刻まれることになるだろう。
砲門数では扶桑型に及ばないウォースパイトではあるが、艦長のハーバード・パッカー大佐はそれでもこの艦が有利であろうと判断していた。
主砲口径、レーダー、乗員の練度、どれを取ってもウォースパイトは申し分ない。
同じ第一次大戦期の戦艦相手であるならば、十分な勝算があった。
転舵を終えて同航戦に入り、第一射を放ったところで、敵戦艦からの弾着があった。
船体に衝撃。
「ダメージ・リポート!」
パッカー艦長は即座に副長に問う。
「船体中央部に被弾! 航空機格納庫全壊!」
この時、幸いなことに英戦艦は水上機を一切搭載していなかった。一九四三年以降、イギリス海軍は戦艦の弾着観測機を、空母艦載機で代用していたのである。そのため、格納庫に被弾したからといって、航空機や燃料が炎上し出すような事態にはならなかった。昼間の空襲でもカタパルトやクレーンに損傷を受けていたが、それもまた現状の英戦艦にとってはさしたる打撃ではない。
扶桑の放った第四射は、空の格納庫を倒壊させただけに終わったのである。
「
「直撃は認められず! 全弾、近弾の模様!」
流石に、いかに熟練の古参兵が乗り込んでいる旧式戦艦とはいえ、最初から命中弾を得ることは出来なかった。そのことについて、パッカー大佐は特に何の感情も覚えない。
戦艦の砲撃とは、厳密なデータの積み重ねによってのみ、命中弾を得られるものであるからだ。
直接照準が可能な至近距離でもない限り、何度か弾着観測を重ねなければ命中弾は出せない。
「ファイア!」
やがて、諸元修正を終えたウォースパイトが第二射を放つ。
交互射撃のため、一度に撃てる砲弾は四発。そして、クイーン・エリザベス級戦艦の場合、基本的に八門を同時に使用する斉射を行うことはない。
これは射撃速度が一分間に一発という、いささか遅めの射撃速度が原因であり、ために短時間で連続した発砲が可能な交互射撃が、クイーン・エリザベス級の砲撃では基本とされているのである。
砲口から飛び出した十五インチ砲弾は、直後に扶桑の放った第五射と空中で交差する。
ウォースパイトの船体に、再びの衝撃。
「ダメージ・リポート!」
「左舷舷側装甲および第四砲塔バーベット付近に命中弾あり! 装甲の貫通は確認されず! 第四砲塔射撃可能!」
「了解!」
ウォースパイトの舷側装甲は三三〇ミリ、水平装甲が一二七ミリ、バーベットが二五〇ミリであった。
装甲に対して砲弾が垂直に命中しない限りは、扶桑型の一式徹甲弾はようやく水平装甲を貫通出来るかどうかといった威力しか持たないのである。
この時、扶桑の放った砲弾四発が命中していたのであるが、どの砲弾もウォースパイトの装甲を貫通することが出来なかった。
「ファイア!」
そして第二射の弾着を修正したウォースパイトの第三射が、砲術長の叫びと共に放たれる。
「敵二番艦、腕が良いぞ」
賞賛が混じりつつも、渋い声で鶴岡艦長は呻いた。
第一射と第二射の弾着を比べると、明らかに第二射の射撃精度は上がっていた。散布界も悪くない。敵戦艦の砲術科員たちの腕は、帝国海軍に勝るとも劣らない。
敵二番艦がQE級かR級だとしたら、この扶桑と同じように熟練の下士官や特務士官が乗り込んでいるのだろう。艦歴の長い艦艇故の特徴だった。
「てぇー!」
扶桑の右舷が、再び朱に染まる。六度目となる主砲射撃。斉射としては二度目である。
第五射は命中の爆炎こそ確認されたものの、火災らしきものは発生せず、敵の速力も落ちていない。ほとんど損害らしい損害を与えることなく終わってしまったのだろう。
敵戦艦は、侮れない。
水柱の数を見れば四本なので、交互射撃を行っているとすれば相手の主砲は八門。
一方、扶桑の主砲は十二門。
砲弾一発あたりの威力か、一度の射撃における投射量か。
これは、そうした戦いであるのだ。
刹那、扶桑を
船体に走る衝撃。艦橋に届く爆音。よろめく者たち。
敵は第三射にして、扶桑の船体を捉えることに成功したのだ。やはり、敵の射撃技量は相当なものだ。
「被害知らせ!」
「第四砲塔付近に被弾するも、装甲の貫通は認められず!」
「射撃は可能か!?」
「可能です!」
「宜しい! 砲術長、そのまま撃ち続けろ!」
「宜候! 射撃を継続します!」
この時、扶桑は幸運に恵まれていたといえる。
ウォースパイトを含むクイーン・エリザベス級戦艦の主砲MarkⅠ/N十五インチ砲は、砲弾重量八七九キログラムの新型徹甲弾、六crh徹甲弾を使用している。扶桑型の一式徹甲弾よりも二〇〇キロ以上重いのである。
「奇跡の大砲」とまで絶賛されるこの主砲、交戦距離二万ヤード(約一万八〇〇〇メートル)における貫通能力は垂直装甲に対して二九七ミリ、水平装甲に対しては七十二ミリであった。
命中箇所である主砲塔の周辺は、三〇五ミリの装甲で覆われている。当然、直角に砲弾が命中したわけではないから、見かけ上の装甲厚はそれよりも厚くなる。
このため、扶桑は装甲の貫通を免れたのである。
ただし、扶桑型で三〇五ミリの装甲が施されているのは司令塔、主砲塔バーベット、そして機関部のみであった。ヴァイタルパートであっても、機関部以外は二二九ミリの装甲しか施されていない。
装甲を貫通されなかったのは、本当に幸運であったのだ。
扶桑が第七射を放つ。
空中で、彼我の砲弾が交差した。
敵戦艦からの命中弾は、艦齢二十八年を迎えた老嬢を強かに打ち据えていた。
「後部射撃指揮所、応答なし!」
「第二砲塔天蓋に命中弾あり! 測距儀破損!」
各所から上がってくる被害報告に、パッカー大佐は険しい表情を浮かべる。
未だ、艦の浮力に関わるような損害は受けていない。しかし、敵の第七射は確実にウォースパイトの砲戦能力の一部を奪い去っていた。
扶桑による第七射の命中弾は三発。内一発は舷側装甲に命中して防がれたものの、残り二発はそれぞれ後部射撃指揮所、第二砲塔に深刻な損害を与えていた。
これで、ウォースパイトが受けた敵弾は七発。
イタリア戦艦との砲戦でも、これほどまでに被弾した経験はなかった。
「奴らは紛れもなくトーゴーの系譜に連なる者たちだ……」
パッカー艦長は不敵な笑みと共に、敵戦艦の陰を見つめていた。当時、世界第二位の海軍力を誇っていた帝政ロシアの艦隊をツシマ沖で壊滅させた軍人たちの伝統は、今もあの戦艦に乗り込む者たちの中に宿っているのだろう。
「だが、我々もまた、ネルソン提督の精神を受け継ぐ者だ。そう簡単に引き下がるわけにはいかんのでな」
その呟きに応ずるように、彼方で爆発の炎が上がった。
「敵戦艦に、命中二を確認!」
「よくやったぞ、砲術長! 砲撃の手を緩めるな!」
「アイ・サー!」
ウォースパイトは再び咆哮した。
八門の十五インチ砲を振りかざしながら、彼女はインド洋の海面に白い航跡を残していく。
最初の命中弾よりも重い衝撃が、扶桑の船体を襲った。
「被害知らせ!」
「第五砲塔天蓋に直撃弾! 仰俯角装置破損により射撃不能!」
「右舷副砲群に直撃弾! 砲員の戦死多数! 火災発生!」
「消火、急げ!」
この時、ウォースパイトの放った四発の十五インチ砲弾の内、二発が扶桑への命中弾となっていた。
一発は舷側に命中し、副砲砲郭区画を破壊していた。
そして、もう一発は第五砲塔天蓋に命中した。砲弾の貫通こそ一五二ミリの装甲板が許さなかったが、天蓋装甲を固定していたネジが外れ、砲身の仰俯角装置を破損させてしまったのである。
扶桑型の主砲塔天蓋の装甲は溶接やリベットなどではなく、何とマイナスネジで固定されていた。このため、強い負荷が掛かるとネジが折れてしまうのである。
当然、この弱点は造船関係者も把握しており、天蓋装甲はネジ以外に、日本の伝統的木造建築で使用される「継ぎ」の技術が応用され、被弾してネジが折れても簡単に装甲が剥離しないようになっていた。
そのため天蓋装甲が外れてしまうことこそなかったものの、折れたネジの一部が砲塔内を跳弾のように飛び回り、砲員を死傷させ、さらにそこにあった機構を破壊してしまったのである。
これで、扶桑の主砲は十門に減少した。
しかし彼女は、なおも主砲弾を放っていた。
第八射が生き残った主砲から放たれていく。その衝撃は、未だ十分な威力を持って扶桑乗員たちを揺さぶっていた。
扶桑はまだ、敗北したわけではなかった。
扶桑の第八射は、実に五発がウォースパイトへの直撃弾となった。
命中率五割。
帝国海軍の射撃技術の粋を見せつけるような、見事な砲撃であった。
直撃弾炸裂の衝撃はウォースパイト全艦を揺るがし、不気味な金属的な軋みを上げさせた。
「ダメージ・リポート!」
「左舷舷側装甲に直撃弾! されど、装甲を貫通された形跡なし!」
「第四砲塔に直撃弾! 被弾によりバーベットに歪みが発生! 旋回不能です!」
「左舷副砲群に直撃弾! 砲弾の誘爆により、火災発生!」
「煙突付近に直撃弾! 爆風が煙路を逆流し、ボイラー二基停止! 出し得る速力、十六ノット!」
「艦首に直撃した砲弾により、錨鎖庫に浸水が発生しています!」
「ダメージ・コントロール班は火災の消火と浸水の防止に努めよ!」
艦首の浸水は、すぐには浮力に影響しないだろう。しかし、速力の低下と主砲が二門、使用不能となったことは痛手であった。
とはいえ、敵のセイロン侵攻を阻止出来れば、トリンコマリーかコロンボに入港することが出来る。速力が低下したからといって、ベンガル湾から脱出出来なくなり、ビスマルクのように日本艦隊に袋叩きに遭って撃沈されることが決まったわけではない。
まだ勝機が去ったわけではないのだ。
「こちら見張所! 敵戦艦に命中二を確認!」
こちらの戦果はどうだ?
パッカー艦長は思わず、敵の艦長に尋ねたい衝動に駆られてしまった。
このウォースパイト以上の打撃を、敵艦に与えられたか?
前につんのめるような衝撃が、扶桑を襲った。
艦橋の内部を照らすような爆炎が、艦首から立ち上った。
「被害知らせ!」
「第一、第二砲塔付近に直撃弾! 火災発生!」
「やむを得ん。第一、第二砲塔弾薬庫注水! 急げ!」
鶴岡艦長は苦渋の表情と共に決断した。
前部と後部の主砲塔付近には、場所によっては二二九ミリの装甲しか張り巡らされていないのだ。主砲塔弾薬庫だけは三〇五ミリの装甲で覆われているが、付近が破壊され、火災が発生しているとなれば危険である。
さらなる艦首部への被弾で火災が拡大して手が着けられなくなる前に、弾薬庫の誘爆だけは防ぐ措置をとっておかねばならない。
これで、扶桑に残された主砲は六門。
奇しくも、ウォースパイトと同じ砲門数となってしまったのである。
「一門でも主砲が残っている限り、砲撃を継続せよ!」
鶴岡は、不退転の決意と共に命じた。
「てぇー!」
砲術長の叫びに、咆哮が重なる。
扶桑は自らを操る人間たちに応ずるように、残った主砲で力強く砲声を轟かせたのである。
扶桑から放たれた第九射六発の一式徹甲弾は、三発がウォースパイトの船体を捉えた。
これで、ウォースパイトの被弾した三十六センチ砲弾は十五発。
日本海軍の想定では、このあたりの被弾数で戦艦は戦闘能力を失うとされている。
「ダメージ・リポート!」
だが、パッカー大佐の意気は衰えていなかった。ウォースパイトはユトランド海戦以来、何度となく危機を乗り越えて生還してきた戦艦である。この程度で、ある意味往生際の悪いこの老嬢が屈するとは思えなかった。
「第三砲塔天蓋に被弾! 測距儀破損!」
「左舷水線部付近に命中弾! バルジ内に若干の浸水を確認!」
「中部機銃群に命中弾あるも、装甲を貫通された形跡なし!」
「宜しい! 砲撃を続けよ! 敵も弱ってきているぞ!」
敵戦艦は、前部で火災が発生しているようであった。
そして、今の被弾数と水柱の数から考えて、敵の放った砲弾は六発。フソウ・クラスの主砲は十二門であるから、その半数をウォースパイトは奪い去ったわけである。
ウォースパイトはウォースパイトで、精度の劣る射撃指揮所の測距儀しか使えなくなったわけであるが、まだ使用出来る主砲の数は同じである。ならば、口径の大きいこの戦艦が勝利するだろう。
その思いと共に、パッカーはウォースパイトの放った砲弾の行方を追っていた。
被弾の衝撃ごとに、扶桑の船体は切り刻まれるように損害が蓄積していった。
「後部射撃指揮所、応答ありません!」
「中部に一発被弾! 副砲砲郭区画での火災、さらに拡大します!」
「くっ! 第三、第四砲塔弾薬庫に注水せよ!」
鶴岡は断腸の思いであった。
これで、扶桑で健在な主砲は第六砲塔の二門のみ。
中央部への被弾によって、今まで消火に当たっていた乗員たちは軒並み吹き飛ばされてしまっただろう。新たに人を送るにしても、その間に火災は拡大する。再び弾薬庫に注水することは、やむを得なかった。
最後に残った艦最後尾の第六砲塔が、扶桑の意地を見せるかのように咆哮した。
「ああ、本当によくやってくれている」
なおも射撃指揮所で砲戦の指揮をとる砲術長、そしてただ一基となりながらも砲声を絶やさない第六砲塔の砲塔長、そして彼らの下で砲戦を支える幾多の砲術科員たち。
「お前たちらこそ、帝国海軍の誉れだ」
万感の思いと共に、鶴岡は呟いた。
その二発の一式徹甲弾は、扶桑乗員たちの不屈の闘魂が乗り移ったかのように、ウォースパイトへの直撃進路を辿っていた。
数十秒の飛翔の後、一万七〇〇〇メートルの彼方にある老嬢の艦橋が激震に揺れる。
誰もが床に叩き付けられ、機材が破壊され、衝撃波と熱波が倒れ伏す者たちの頭上を駆け抜けていく。
「……」
パッカー大佐も、一時、自失状態にあった。
彼が再び意識を現実に戻すことが出来たのは、艦橋に駆けつけた衛生兵に揺り動かされたからであった。
「……一体、何が起こった?」
靄の掛かったようになっている頭を振りながら、ウォースパイトを統べる男は尋ねた。
「艦橋後部に被弾した模様です」衛生兵が答えた。「前部檣楼マストは倒壊、射撃指揮所も破壊されました」
近代化改装の行われたウォースパイトには、キング・ジョージ五世級のような巨大な箱形艦橋がそびえ立っている。被弾面積の大きいそれに、敵弾が命中したというわけか。
まるで、デンマーク海峡海戦でのプリンス・オブ・ウェールズのように……。
パッカーは周囲を見回した。
艦橋は、控えめに言っても酷い有り様であった。
誰も彼も階級など関係なく倒れ伏し、機材が散乱し、血飛沫が周辺に付着している。
「敵艦の状況はどうか?」
それでも、パッカーが気になったのは敵戦艦であった。
ここまで激しい応酬を繰り広げたのだ。例え日本の戦艦であっても、その行く末を確認するのは彼女と戦った者の義務であろう。
「敵戦艦は、速力を落としている模様です。主砲も沈黙しています」
「そうか」
パッカーは落ち着いて、その報告を受入れることが出来た。胸の内には、深い納得があった。
「ドイツ海軍に勝ち、イタリア海軍を破ったこのウォースパイトも、ついにトーゴーの末裔には凱歌を上げること叶わなかったか」
扶桑とウォースパイト、共に第一次世界大戦時に生を受けた二隻の艨艟は、互いが最後に放った砲弾によって、その戦闘力を喪失したのであった。
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