33 不死鳥、舞う
戦艦山城を旗艦とする攻略部隊は、昼間に一度だけ空襲を受けたものの、それっきりであった。
空襲によって山城、扶桑が至近弾を受けたものの、被害は皆無といってよい。
上空直掩についていた零戦隊は、二式大艇に誘導されながらポートブレアの方面へと去っていった。無事に基地へと帰還出来るよう、甲板の乗員たちは帽触れで東の空へと消えてゆく彼らを見送ったという。
しかし、なおも油断は出来なかった。
二十四日一五〇〇時過ぎ、第一機動艦隊の放った二式艦偵が北上する英東洋艦隊の残存艦艇を発見したとの通信が、山城に届いたのである。
間違いなく、輸送船団の撃滅を狙っての行動であろう。
ベンガル湾の南方には第一機動艦隊がおり、英東洋艦隊にとって北上はかなり危険な艦隊行動であるといえる。ベンガル湾南部を日本艦隊に蓋をされる形となり、湾内で孤立する可能性があったのだ。
しかし、その危険を冒さなければ輸送船団を捕捉することは出来ない。
セイロン島防衛という戦略目標からすれば、冒して当然の危険と見ることも出来よう。
そして現実問題として、優勢な水上部隊に捕捉された場合、攻略部隊は確実に劣勢に陥る。上陸船団が壊滅すれば、第一機動艦隊が健在であろうと、戦略的には日本の敗北となるのだ。
そう考えれば、英艦隊にとっては決して分の悪い賭けではなかった。逆に、有力な艦艇が旧式の扶桑型二隻しか存在しない攻略部隊にとって、未だ戦艦二隻、巡洋艦、駆逐艦多数の戦力を持つ英東洋艦隊は重大な脅威であるといえた。
故に、攻略部隊は最大限の警戒を以て、セイロン島へ向けて南下を続けていた。
艦隊は空襲時と同じく、山城、扶桑と青葉、第六駆逐隊からなる前衛隊と、第一水雷戦隊の護衛する高速輸送船からなる本隊とに分かれていた。
前衛隊は船団本隊から三〇キロほど前方を航行していた。
駆逐艦
「観測機は、何とか一機が使用可能となりそうです」
防空指揮所から戦闘艦橋に降りていた早川幹夫艦長が、阿部弘毅司令官にそう報告した。
「そうか」阿部は頷いた。「扶桑の方でも、一機だけならば修復可能との報告が入っている。艦長と砲術長には苦労を掛けるだろうが」
「いえ、三式弾を撃つためだけに観測機を上空に退避させたところで、回収のために時間を浪費していたでしょう。やむを得ないことかと」
どこか自分自身を納得させようとするような声で、早川は言った。
昼間の空襲の際、山城と扶桑は主砲による対空射撃を実施していた。その際、後部甲板に繋留してあった三機の零式水上観測機を、主砲発射時の爆風で破損させていたのである。
早川艦長の言う通り、クレーンで回収する手間などを考えれば観測機を退避させることは出来なかっただろう。
しかし、主砲射撃を命じたのは自分である手前、阿部としては己の迂闊さに歯噛みする思いだった。
現在、整備員たちは総出で破損した機体の修理に当たっている。三機の零観の中から一番破損の少ない機体を選び、残り二機から流用可能な部品を取り外して修理しているのである。
「通信参謀」
「はっ」
「第一機動艦隊から、英艦隊について続報はないか?」
「はい。いいえ、今のところ第一機動艦隊からの通信は受信しておりません」
「ふむ、そうか」
阿部は眉に皺を寄せ、夜の帳が降りつつあるインド洋の海面を見つめた。
第一機動艦隊が英東洋艦隊を撃滅してくれることに一縷の望みをかけていたのであるが、やはり難しいのだろう。
米機動部隊や今朝の英空母撃沈で、第一機動艦隊は航空戦力の大半を消耗してしまったに違いない。
あるいは、英艦隊が上手くスコールを見つけて、そこに逃げ込んだのか。
いずれにせよ、戦艦二隻を基幹とする英東洋艦隊の残存兵力が攻略部隊の守る上陸船団を狙って北上していることは確実である。
この山城と扶桑で、英水上艦隊を撃退しなければならないのである。
この旧式戦艦でどこまで勝負出来るか、司令官である阿部としても予測することは難しかった。
しかし、だからといって艦隊を北上させることも出来ない。GF司令部から上陸予定日の繰り下げ命令が出ていない以上、阿倍の独断でセイロン到着を遅らせるわけにはいかないのだ。
それに、陸軍に対する海軍の面子もある。
船団護衛に戦艦まで繰り出しておきながら敵艦隊から逃れようとするなど、出来るはずがなかった。GF司令部や軍令部からは自分の敢闘精神が疑われるであろうし、せっかく実戦の機会を得て士気の上がっている山城乗員たちが陸軍将兵から臆病者扱いされるのは、いかにも忍びなかった。
「……」
だから阿部は、山城艦橋の長官席で努めて鷹揚な態度を維持しようとした。
考えてみれば、ミッドウェーで二航戦司令官の山口多聞少将は今の自分より厳しい立場にあったのだ。味方の空母三隻が炎上し、ただ一隻残った飛龍は山口や乗員、搭乗員たちと共に絶望的に孤独な戦いを強いられた。そしてついには、そのような逆境をはね除け、敵空母二隻を撃破する戦果を挙げたのである。
山口の苛烈ともいえる敢闘精神と乗員、搭乗員の献身が完敗に終わりかけたMI作戦に奇跡を呼び寄せたといってもいいだろう。
ならば、自分も彼に倣おうと思った。
自分の指揮下にある戦力は、山口とは違い、一隻も欠けることなく未だ手元にあるのだから。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
艦橋の窓ガラスは、叩き付けるようなスコールの雨粒によって薄暗く濁っていた。
「主は我らをお見捨てにならなかったようだな」
猛烈なスコールの中を進むキング・ジョージ五世の艦橋で、サマヴィル中将はほっと息をついた。
この天候では、日本の航空部隊も東洋艦隊を攻撃することは出来まい。
「しかし、問題がないわけでもありません」
傍に控えていた参謀長が言う。
「視界不良により、本艦が目視出来るのは後続するウォースパイトのみ。艦隊陣形に乱れが生じないとも限りません」
「レーダーは作動しているのだろう?」
「作動しておりますが、PPIスコープに艦名が表示されるわけではありませんので、具体的にどの艦がどこにいるのかは判別がつかないのです」
「今のところ、陣形に問題は生じているのかね?」
「現状は、陣形を維持出来ているようです」
「ならば、問題はない」サマヴィルは言った。「今は日本軍の空襲を逃れることが先決だ。多少の陣形の乱れは、スコールを出てから立て直せばよかろう」
「かしこまりました」
昨日やソロモン戦線での日本軍航空隊の行動を見ても判るように、彼らは薄暮だろうが夜間であろうがお構いなしに空襲を仕掛けてくるのだ。例え日が暮れたとはいえ、油断は出来ない。
東洋艦隊も日本軍空母部隊に対して夜間空襲を行い、今また夜間砲戦を挑もうとしているが、それは自らの劣勢故にやむを得ず取られた戦術である。常態的に夜襲を行おうとする日本海軍が、列強の海軍を見ても例外的なのである(日本海軍にいわせれば、それもまた自らの劣勢故に取っている戦術ということになるのだろうが)。
そうしている間にも、艦隊はスコールの中を進んでいく。
ベンガル湾周辺地域は雨期に入ろうとしており、四月から五月にかけて月間平均降水量は一気に跳ね上がる。その恩恵を、東洋艦隊は受けているのだ。
風浪によって艦は動揺し、甲板上を滝のように水が流れていく。
艦隊の進行方向と雨雲の進む方向が同じなのか、スコールにしては随分と長かった。これぞまさしく、神の恩恵であろう。
東洋艦隊はスコールに紛れて日本軍上陸船団に接近し、輸送船を撃滅した後、ベンガル湾を離脱する。特に離脱に際しては、セイロン島南方に存在する日本空母艦隊が障害となるだろうが、その程度の危険は許容すべきであるとサマヴィルは考えている。
上陸船団さえ撃滅出来れば、セイロン島の防衛、ひいてはインド防衛という戦略目標は達成出来るのだ。
インドを失うということは、大英帝国そのものを失うに等しいほどの損失なのである。
例えこの大戦の最終的な勝利者としてイギリスの名が刻まれていようと、グレート・ブリテン島だけが残っているような状況は、大英帝国にとって到底勝利とはいえない。
帝国の将来のために東洋艦隊をすり潰すことになるのであれば、それで構わないとすらサマヴィルは思っている。
何故ならば、そのためにこそ我々は存在しているのだから。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
左右に隊列を広げて楔形の陣形を構成している第六駆逐隊。
その左翼を担っている駆逐艦響は、左舷前方の水平線上にスコール雲を発見した。見張り員によると、その雨雲は徐々に勢力を弱めながら北東方向に進んでいるように見えるという。
「見張り員、スコール周辺に厳重警戒」
響駆逐艦長の森卓次中佐は、前部檣楼見張り台にそう命じた。
水平線上に発見したということは、スコールまでの距離は五〇キロ以上はあるだろう。当然、地球は丸いわけであるから、その下にある海上の様子は判らない。だが、敵艦隊がスコールに紛れて接近してくる可能性はあるだろう。
何せ、見張り員の報告を信じるならば、そのスコールは都合良く北向きに進んでいるというではないか。
隠れ蓑としては、まさしく絶好のものだろう。
警戒しない方がどうかしている。
響の森卓次駆逐艦長は「戦闘即応」を信条とする勇猛果敢な指揮官であった。それは、メルギー出撃前の訓示にも表れている。「本日戦死、全員瓦となって
そのような人物であったから、むしろ敵艦隊の出現を心待ちにしている節すら見えた。
墨のような夜の海面に白い
イギリス東洋艦隊のサマヴィル司令長官は、二一〇〇時過ぎ、一端スコールから出ることを決断していた。流石に、スコールの中に隠れ続けることによる問題の方が大きいと判断したのである。
艦隊陣形はレーダーによってしか確認出来ず、さらに下手をすれば日本の上陸船団と知らぬ間にすれ違ってしまうかもしれないのだ。
彼の命令の下、東洋艦隊はスコールから出るために西に九十度の針路を取り、雨雲から出ると今度は北に九十度の変針を行った。
若干乱れかけていた艦隊陣形も、この時に直している。
本格的な夜戦の経験の少ないイギリス海軍は、ソロモンでのアメリカ艦隊を参考にして陣形を組んでいた。
すなわち、駆逐艦や軽巡といった軽快艦艇で前衛と後衛を編成し、その間に主隊を挟むという陣形である。
このため、東洋艦隊は前から順に前衛が駆逐艦ジャベリン、ケルビン、ジャーヴィス、ヌビアン、軽巡エメラルド、エンタープライズ、主隊が戦艦キング・ジョージ五世、ウォースパイト、後衛が軽巡ジャマイカ、ケニア、オライオン、駆逐艦アクティヴ、アンソニーの単縦陣を形成していた。
東洋艦隊は二十三日の
また、後退する損傷艦艇の護衛や沈没艦の乗員救助のために、さらに駆逐艦五隻が艦隊を離れていた。
そのため、これら戦艦二、軽巡五、駆逐艦六の兵力が、現在の東洋艦隊の全兵力だったのである。
サマヴィルは前衛と主隊で敵護衛部隊を足止めし、その間に後衛が船団を攻撃するという作戦計画を指揮下の艦艇に伝達している。
後衛の軽巡はオライオンを除き最新鋭のフィジー級であり、これは十五・五センチ砲三連装五基を搭載する日本の最上型軽巡(その後、主砲は二〇・三センチ砲に換装され、一九四二年段階で連合軍もこの事実を知っていた)に対抗して建造されたタウン級軽巡を元にした艦である。そのため、六インチ砲三連装四基十二門という、軽巡としては比較的強力な武装を誇っていた。
この艦ならば、多少の障害を突破して上陸船団に肉薄出来るとサマヴィルは踏んでいたのである。
二二一六時。
キング・ジョージ五世の備える二七三型レーダーが真方位三二〇度、距離三〇キロ付近に反応を探知した。
このレーダーの実用探知距離は大型艦で最大三十三キロ、小型艦で最大二十四キロと、当時の水上捜索用電探としては最高峰の性能を持つものの一つであった。なお、ウォースパイトには一世代前の二七一型が搭載されている。こちらの探知距離は大型艦約二十キロ、小型艦約十五キロである。
この付近に東洋艦隊以外の友軍艦隊は存在しない以上、サマヴィルが探し求めていた日本軍の上陸船団に違いない。
「探知距離から考えて、レーダーが捉えたのは恐らくは日本の戦艦ないしは巡洋艦かと」
参謀長がそう進言する。レーダーの性能限界から、その周囲にいるだろう駆逐艦が確認出来ていないのだ。
「うむ。レーダーの捉えた目標を前衛隊に伝達せよ。敵艦隊の前衛を確認したならばこれを排除させるのだ」
「アイ・サー」
「本艦とウォースパイトは主砲射撃準備をなせ。二〇年前に巣立っていったかつての教え子たちの成長具合を確かめてやろうではないか」
響が敵艦隊を発見したのは、キング・ジョージ五世が山城や扶桑を探知したことに遅れること約十分。東洋艦隊前衛との距離が一万二〇〇〇メートルにまで詰まってきた頃のことであった。
“鳩の巣”と渾名される駆逐艦の見張り台は、戦艦などよりも低い位置にある。それでも夜間、一万メートル超えで敵艦を発見出来たことは、十分に賞賛に値するだろう。
「敵艦隊発見」の報が、直ちに隊旗艦である雷と攻略部隊旗艦山城に伝達される。
「取り舵一杯! 機関、最大戦速となせ! 右砲雷戦用意!」
森卓次艦長は、矢継ぎ早に命令を下した。
艦が左へと舵を切り始め、出力を上げた機関の轟音が響き渡る。艦首から巻き上がる
「雷と山城に通信! 『我、突撃ス』!」
森は、獲物に襲いかかる寸前の猛獣のような獰猛な表情を浮かべていた。
敵は電探ですでにこちらの位置を把握しているだろう。ならば、悠長に雷と
駆逐艦単艦でも戦えるということを、夕立の吉川艦長や綾波の作間艦長が証明しているではないか。
「いいかお前ら! 七つの海の支配者気取りのイギリス人どもに、帝国海軍の駆逐艦乗りの何たるかを教えてやれ!」
高声令達器から流れる森の叫びに応えるように、乗員たちが喊声を上げる。
轟々と唸りを上げる機関によって、響はたちまちに最大速力である三十四ノットに達していた。砕かれた波濤は
接近してくる敵艦隊も速力を上げているであろうから、相対距離はあっという間に縮まるはずだ。
「砲術長、目標、敵一番艦! 距離八〇にて砲戦開始だ!」
「宜候! 目標、敵一番艦、距離八〇にて砲戦開始!」
羅針艦橋の上に備えられた、射撃指揮所である九四式方位盤射撃塔が三メートル測距儀と共に旋回していく。三基の五〇口径十二・七センチ連装砲塔も同様である。
「距離一万!」
互いが三十ノット以上の速力を出しているとして、あと二〇〇〇メートルの距離を詰めるのに一三〇秒前後。
「距離九〇!」
敵はこちらを捕捉しているのだろうが、まだ発砲はない。流石に電探を備えているとはいえ、夜間で一万メートル近い距離での射撃には自信がないとみた。
「敵は駆逐艦四、大巡二と認む! 大巡はケント級の模様!」
ある程度距離が詰まってきたので、見張り員が敵の艦種を確認出来たのだろう。夜間見張り員として特別訓練を受けているとはいえ、驚異的な視力である(とはいえ、イギリスの巡洋艦はエメラルド級軽巡であり、ケント級重巡というのは誤認であった)。
「いいぞ、その調子で頼む!」
いっそ愉快げに、森は叫んだ。
そしてついに、待ち望んでいた距離となる。
「距離八〇!」
「撃ち方始め!」
「てぇー!」
刹那、三門の十二・七センチ砲が猛然と火を噴く。
三年式十二・七センチ砲は、最大射程一万八四四五メートル、初速九一〇メートルを誇る。その高初速から、射撃精度は極めて高いと評判であった。装填速度も毎分二〇発に達するが、弾着観測などを行いながらの射撃であるから、実戦ではこれよりも遅くなる。
それでも、帝国海軍の駆逐艦は日々の猛訓練によって、実戦でも一分間に最大十発は放てるだけの練度を誇っていた。
発砲炎を煌めかせながら、響は英東洋艦隊前衛へと突撃していった。
「敵艦発砲! 距離、およそ八七〇〇ヤード(約八〇〇〇メートル)!」
「くそっ、先手を取られたか!」
英東洋艦隊の先頭を走る駆逐艦ジャベリンの艦橋で、艦長が呻く。
ジャベリンにも、二七一型レーダーは搭載されている。そのためレーダーで敵の存在は判明していたのだが、夜間故に目視での確認が遅れていた。
レーダー射撃が出来ないことはないが、目視での弾着観測が出来なければ射撃精度は大幅に落ちる。
「やむを得ん、星弾射撃だ! 所詮、敵は一隻! エメラルドとエンタープライズのためにも、敵艦を照らし出してやれ!」
「アイ・サー!」
レーダーで捉えた距離と方位、そして目視で確認出来た発砲炎を頼りに、艦前部に装備された四十五口径四・七インチ連装砲が旋回していく。
ジャベリンを始めとするJ型駆逐艦の主砲は、四・七インチQF MarkⅩⅡ型。初速八一〇メートル、装填速度毎分十五発と、日本の三年式十二・七センチ砲よりも性能は劣る。
ジャベリンが星弾射撃を始める前に、響から最初の弾着があった。
三本の水柱が、基準排水量一七六〇トンの船体を包み込む。
「……連中、腕が良いぞ」
敵弾は命中こそしなかったものの、ジャベリンの至近に着弾していた。
そして彼女もまた、響へと発砲を始める。前部四門の主砲から、敵艦を照らすべく星弾が発射された。
だが、敵艦の姿が星弾によって海上に浮かび上がる前に、敵の第二射がやってきた。今度は、さらに近かった。
船体が動揺し、崩れた水柱が甲板に襲いかかる。
J型の主砲塔は後方開放型のため、砲員たちはずぶ濡れになりながら次弾を装填していく。
その時、彼方で星弾の光りが瞬いた。
「敵艦を確認しました! 敵艦は駆逐艦の模様!」
「よろしい!」艦長は歓声の叫びを上げた。「これよりは星弾と通常弾の交互射撃とせよ!」
「アイ・サー!」
砲術長からの返答があった直後だった。
ジャベリンの船体に、衝撃が走る。艦橋の者たちが姿勢を崩し、一部は床に叩き付けられた。
「ダメージ・リポート!」
「第三砲塔、応答ありません! 後部甲板で火災発生!」
「消火、急げ!」
くそっ、日本の奴ら、第三射で当ててきやがった……。
艦長は内心で罵声を漏らす。
レーダーにも星弾にも頼らずの命中。すさまじい夜戦技量だ。
たった一隻、それも駆逐艦での突撃など無謀の極みだと思っていたが、奴らにはそれなりの自信があったというわけか。
悔しいが、納得は出来る。
「こちらも撃ち返せ!」
艦長の叫びに応じるように、艦首の主砲が火を噴く。急げ急げと、砲弾の後ろを蹴り飛ばしたい気分になる。こちらがあの駆逐艦を仕留めるまでに、このジャベリンは何発被弾する?
それを考えると、艦長の背に冷たい汗が流れてくる。
刹那、響からの第四射がジャベリンに降り注いだ。
命中弾を出したが故の、六門一斉射撃。
四発が、ジャベリンへの直撃弾となった。
「―――っ!?」
何らかの意味ある行動を取る間もなく、艦長を含めた艦橋の者たちの意識は炎に包まれていった。
そして艦上構造物のほとんどを破壊されたジャベリンは、インド洋に浮かぶ松明となって、漂流を始めていた。
搭載魚雷が誘爆してその姿がインド洋に消えるまで、さほど時間はかからなかった。
「ジャベリンが!?」
見張り員の悲痛な叫びが、駆逐艦ジャーヴィスの艦橋に響く。
「狼狽えるな! 敵は単艦だ!」
ジャーヴィスを隊旗艦とする第十四駆逐隊司令兼ジャーヴィス艦長のアンソニー・F・パグスリー大佐が動揺を感じさせぬ声で怒鳴った。
「奴を主隊に近付けさせるわけにはいかん。ケルビンはジャベリンに代わり星弾射撃を実施せよ! 本艦とヌビアンは、敵駆逐艦を目標として砲撃を開始するのだ!」
だが、パグスリー大佐の内心は煮えたぎった火口のようになっていた。
ジャベリンは、彼が初代艦長を務めた思い入れのある艦なのである。その彼女が今、日本軍駆逐艦の猛射を受けて炎上、漂流を開始している。
何としても、仇を取らねばならなかった。
だが、その直後にはもう、敵駆逐艦からの砲撃はケルビンに降り注ぎ始めていた。
「敵一番艦炎上!」
「よくやったぞ、砲術長! 目標を敵二番艦に変更!」
「宜候! 目標、敵二番艦!」
星弾に照らされてはいるものの、響に未だ直撃弾はない。
彼我の距離は六〇〇〇メートル近くにまで縮まっていた。
発砲速度をほとんど緩めることなく、響は敵二番艦への射撃を開始した。炎上する敵一番艦の明かりのお陰で、随分と狙いやすくなっていた。
ただし、敵隊列に混乱は見られない。航行不能となった敵一番艦を、巧みに避けたのだろう。
森の予測は当たっていた。もし先頭が隊旗艦のジャーヴィスであれば混乱が生じていたかもしれないが、パグスリー大佐は第三次ソロモン海戦など米艦隊と日本艦隊との夜戦の戦訓を分析して、夜戦における旗艦先頭は危険が大きいと判断していたのである。実際、第三次ソロモン海戦では日米合わせて五名の将官が戦死しているのだ。指揮官戦死による混乱は、特にアメリカ艦隊において酷かった。
「敵二番艦に命中を確認!」
初速の早さと距離が詰まっていることに助けられてか、響は第二射にしてケルビンへの命中弾を叩き出していた。
続く斉射となった第三射で、全身を切り刻まれたケルビンは戦闘力を失ってしまった。そして舵を損傷したのか、炎上しながらあらぬ方向へと進み始めていた。
その直後、響の周囲に水柱が林立する。弾着によって掻き回された海が波を生じさせ、響の船体を弄ぶ。
「被害知らせ!」
「ただ今の弾着による被害はなし!」
その報告に、森はほっと息をつく。
「敵巡洋艦、こちらに接近してきます!」
「何っ!?」
崩れた水柱の向こうを確認していた見張り員の叫びに、森は反応した。
敵艦は転舵している。そうなれば、連中は射撃諸元を一から求め直しになるだろう。この隙を無駄にすることは出来ない。
「砲術長! 次の目標は敵五番艦! 巡洋艦だ!」
「宜候! 目標、敵五番艦! やってやりましょう!」
大物を喰える好機と見たのか、砲術長の声も森に負けず劣らず溌剌としていた。
「水雷長! 目標敵巡洋艦! 距離四〇にて発射開始!」
同時に、森は敵巡洋艦に対して魚雷を発射する決断を下した。
出来れば魚雷は敵戦艦が出現した時のために温存しておきたいが、撃ちまくられている状況ではそうも言っていられない。響が戦闘力を失う前に、何よりも被弾によって魚雷が誘爆するのを防ぐために、使えるときに使っておいた方がいい。
「距離四〇まであと二分。それまで持ってくれよ、響」
まるで意思ある存在に語りかけるように、森はそっと呟いた。
「
ジャーヴィス艦長パグスリー大佐は、切迫した声で命じた。
炎上しながら迷走を始めたケルビン、そして漂流するジャベリンを避けようとしたのである。
操舵員が必死に舵輪を回していく。下手をすれば衝突してしまうだけに、操舵員の顔も強ばっていた。
艦橋の床が左舷に傾斜するのを感じながら、パグスリー大佐は敵艦を睨んでいた。
ジャーヴィス、ジャベリン、ケルビン、ヌビアンからなる第十四駆逐隊は、昨年まで主に地中海で活動してきた。しかし、北アフリカ戦線での敗北とそれに伴うマルタ島以東の制海権喪失で、追い出されるようにしてインド洋に派遣されることになったのである。
地中海で数々の武功を立ててきた駆逐隊が、たった一隻の日本軍駆逐艦に半壊させられるなど、悪夢以外の何ものでもなかった。
面舵を切るジャーヴィスは、左舷側に炎上するジャベリンとケルビンを見ることになる。
その光景に、パグスリーは歯噛みする。
炎上する二艦の右舷側を通過することで、敵駆逐艦からはこちらの姿がくっきりと照らし出されてしまうことだろう。
転舵中のため、射撃もろくに出来ない。
だが、取り舵に切るわけにはいかなかった。
自分たちは前衛隊なのだ。
敵と距離を取るような戦術機動を取れば、キング・ジョージ五世とウォースパイトに危険が及ぶ。ケースメイト式の副砲を備えるウォースパイトはともかく、キング・ジョージ五世は昼間の空襲で両用砲の大半が破壊されているのだ。肉薄してくる駆逐艦への対処は、難しくなっている。
「エメラルドに被弾! 敵は目標をエメラルドに変更した模様!」
「くそっ! 奴ら、イタリアの連中とは比べものにならん!」
罵声とも感嘆ともつかぬ叫びを上げるパグスリー。
地中海ではドイツ空軍は確かに脅威だったが、イタリア海軍はその消極的な指揮やレーダーの性能差もあって、それほど苦戦したという記憶はない。彼が着任する以前のことではあるが、このジャーヴィスにしても、かつてイタリア重巡ザラを撃沈しているのだ。
地中海を追われはしたものの、パグスリーにはドイツ空軍には敗北しても、イタリア海軍に敗北したという意識は微塵もないのだ。
そのような相手に比べれば、目の前の駆逐艦の勇猛さと機を見るに敏な決断力は、ただ呻くしかない。
転舵を終えるまでは、こちらは照準を定めることが難しい。
あの駆逐艦の艦長は、その隙を狙って巡洋艦という大物を喰うつもりなのだろう。
「砲術長! 射撃準備、まだか!?」
響は水柱の中を突っ切るように進んでいく。
立ち上る水柱によって照準を妨害されるも、彼女は初弾から軽巡エメラルドに命中弾を叩き出していた。
彼我の距離はすでに五〇〇〇。
炎上する敵艦の右舷側を通過してくれたおかげで、敵水雷戦隊は夜の海上にくっきりとその陰を映し出している。
「右魚雷戦! 舵そのまま!」
「今の針路宜候!」
羅針艦橋からそれぞれ両舷に突き出している魚雷戦用方位盤には、すでに水雷長が張り付いている。
このまま、残りの一〇〇〇メートルを一気に駆け抜けようとする。
再び響は水柱に包まれた。
残り四隻となった敵水雷戦隊の射撃。
こうなれば、魚雷の発射が先か、被弾が先か。
最早、森の与り知らぬ境地であった。
響の主砲も、相手を牽制するように射撃を継続する。敵巡洋艦の艦上で、火災が発生していた。
水雷長が、魚雷の深度と雷速を報告する。あとは、射点に到達するだけだった。
だが刹那、船体に衝撃が走る。艦後方から爆発音。
「被害知らせ!」
よろめきながらも、森は堪えた。
「探照灯および二番砲塔被弾! 探照灯員、総員戦死!」
「……」
その報告に、森は一瞬だけ瞑目した。再び目を見開き、敵艦を見据える。
「まもなく射点に着きます!」
航海長が叫ぶ。一〇〇メートル単位で、彼は距離を読み上げる。
「四三……四二……四一……四〇!」
「魚雷発射始め!」
「てぇー!」
水雷長の叫びと共に、九三式一型魚雷が発射管から放たれる。圧搾空気の噴射音が艦橋に届いた。
二秒の間隔を開けて、一本ずつ、一・五度の角度で魚雷が海中へと躍り出る。
九本の魚雷の発射が終わるまで十八秒。
緊張と期待と不安。
それは駆逐艦乗りにとって、何よりも長く感じられる十八秒であった。
「魚雷発射完了!」
「取り舵一杯! 離脱するぞ!」
「宜候! とぉーりかぁーじ、一杯!」
「敵駆逐艦、離脱していきます!」
「こちらレーダー室! 左舷五〇度に新たな反応捕捉! 駆逐艦と思われます!」
「くそっ、嵌められたか!」
見張り員とレーダー員からもたらされた報告に、パグスリーは罵声を漏らした。
敵は、両舷からこちらを挟み撃ちにするつもりであったらしい(実際には命令を待たずに響が突撃を開始しただけなのだが、当然、パグスリーは知るよしもない)。右舷側の駆逐艦に意識を取られすぎていた。
口惜しいが、あの駆逐艦は見逃すしかない。
「砲術長、水雷長! 左砲雷戦用意だ! 急げ!」
「アイ・サー!」
この時、英第十四駆逐隊の左舷側から、単縦陣に陣形を組み直した雷、電が接近しつつあったのである。
と、凄まじい爆発音が後方から響いてきた。艦橋から見える光景が、一瞬、昼間のように明るくなる。
「ジャベリン、爆発しました!」
泣き叫ぶような見張り員の悲痛な声。
パグスリーは拳をきつく握りしめた。
恐らく、火災によって搭載魚雷が誘爆したのだろう。自らが艦長を務めた駆逐艦の、あまりに呆気ない最期であった。
だが、彼らの悲劇はこれだけに留まらなかった。
「エメラルド被雷の模様!」
この時、距離四〇〇〇メートルで放たれた響の魚雷は、二本がエメラルドへと命中していた。雷速四十九ノット、しかもイギリス側は響の魚雷発射を察知していなかった。雷跡を発見した時にはもう、手遅れであったのだ。
「さらにエンタープライズも被雷!」
そして、響の魚雷は二隻の軽巡の船体を捉えることに成功していた。
エメラルドには中部と後部に一本ずつ、エンタープライズには艦首に魚雷が命中し、そこを吹き飛ばしていた。
今や、東洋艦隊の前衛はジャーヴィスとヌビアンだけとなってしまったのである。
一方の響は離脱の最中にも砲撃を受け、エメラルドないしエンタープライズの放った六インチ砲弾一発が命中していたものの、これは不発であった。
後に乗員たちから「不死鳥」の名で呼ばれることになるこの特型駆逐艦は、戦死十六名という損害を出しつつも、離脱に成功したのである。
◇◇◇
キング・ジョージ五世の左舷側に広がる海面は、まさに煉獄そのものであった。
瞬く発砲炎、炎上する艦艇、そして流れ出した重油がぬめりを帯びた光を反射している。
「……」
サマヴィル中将を始めとする東洋艦隊司令部は、前衛隊の戦闘の詳細を把握出来ていなかった。
戦闘は唐突に開始され、そして混乱のまま今も続けられているのだから。
主隊たるキング・ジョージ五世とウォースパイトは、そんな戦場海面の脇をすり抜けるように面舵を切り、さらなる北上を続けていた。
「敵戦艦と思しき反応は捕捉し続けているな?」
「サー。問題ありません。ただし、こちらも捕捉されているようではありますが」
「戦闘とは、相手あってのことだ。一方的な勝利など、始めから期待しておらんよ」
そう言った彼らの頭上からは、航空機の発動機が放つ重い音が聞こえていた。日本の弾着観測機だろう。対空レーダーたる二八一型レーダーでも、すでにその機影は捕捉していた。
「敵戦艦との距離は?」
「現在、およそ二万五〇〇〇ヤード(約二万三〇〇〇メートル)です」
「ふむ。では、距離一万ヤード(約九〇〇〇メートル)にて砲戦開始とせよ」
「アイ・サー」
キング・ジョージ五世艦長のジョン・フィリップ・マック少将が応じる。
元々、イギリス海軍は近接砲戦指向であり、戦前の想定決戦距離は一万一〇〇〇メートルから一万五〇〇〇メートルであった。しかしその後、地中海での戦闘やビスマルク追撃戦の結果、その近接戦指向はさらに高まり、想定決戦距離は九〇〇〇メートル、状況次第ではさらに接近するという、極端な近接砲戦ドクトリンを敷いている。
サマヴィルの命令も、そうしたイギリス海軍の戦術教範に則ってのものであった。いかにレーダーがあるとはいえ、彼はイギリス海軍の夜間砲戦技量に絶大な信頼を寄せているわけではないのである。
実際、イタリア重巡三隻を撃沈したマタパン岬沖海戦では、相手が損傷艦であったとはいえ、ウォースパイトは探照灯を照射した上で距離三五〇〇メートルという、戦艦にとっては超至近距離での砲撃を行っていた。
ビスマルク追撃戦以来の砲撃戦に、乗員たちは静かな緊張と興奮に包まれている。空母と共に沈んだ戦友の仇を討つべく、乗員たちの士気は高まっていた。
異変が生じたのは、彼我の距離が一万九〇〇〇ヤード(約一万七五〇〇メートル)を切ったあたりのことであった。
突如として、キング・ジョージ五世の船体が眩い光りに包まれたのである。
「敵機、吊光弾を投下した模様!」
見張り員が叫ぶ。そして、敵機の行動の意味を、サマヴィル中将もマック艦長も即座に理解した。
「連中、この距離で砲戦を始める気か!?」
サマヴィルの目には、未だ敵戦艦の姿は見えない。それは、見張り員も同様だろう。
だが、日本人は違ったらしい。
「敵艦の発砲を確認! シルエットより、フソウ・クラスと思われます!」
「提督!」
急かすような叫びを、マック艦長は上げる。
「やむを得ん!」サマヴィルも、即座に決断した。「ただちに反撃を開始せよ! ウォースパイトにも砲撃の許可を出せ!」
「アイ・サー!」
これが、第二次世界大戦において最初で最後となる日英艦隊決戦の始まりとなった。
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