32 攻略部隊の戦闘
山城の二一号電探が南西方向からの反応を捉えたのは、二十四日一〇一四時のことであった。
方向からして、友軍機であるはずがない。
「対空戦闘用意!」
「宜候、対空戦闘用意!」
攻略部隊で電探を搭載している艦は山城だけであるため、発光信号で各艦に敵機の接近が知らされる。
攻略部隊各艦の高声令達器から、対空戦闘用意を意味するラッパの音が響き渡った。
乗員が甲板上を駆け抜け、高角砲座や機銃座に取り付く。
ミッドウェー海戦や先日のカルカッタへの艦砲射撃など、これまで何度か実戦に出る機会はあったものの、山城と扶桑が実際に敵と遭遇するのはこれが初めてであった。
二戦艦の乗員の間に、緊張が走る。
山城の艦橋上部に設けられた見張所では、見張り員が電探の捉えた方向に双眼鏡を向け、警戒を続けていた。
「……」
「……」
艦橋にいる阿部弘毅中将も、早川幹夫艦長も、緊張と共に空を見つめていた。
やがて、伝声管を通じて報告がもたらされる。
「左二〇度方向、英
「……三式弾を、撃ちますか?」
早川艦長が、阿部司令官に問いかけた。対空戦闘を見越して、すでに主砲には三斉射分の三式弾が装填されている。
「いや、相手を驚かせるだけに終わるだろう」だが、阿部中将は首を振った。「無駄に砲弾を消耗する必要はあるまい」
ソロモンでの経験から、阿部は三式弾は対空戦闘ではなく地上砲撃にこそ威力を発揮すると考えていた。山城と扶桑は、船団を無事にセイロンまで送り届けると共に、上陸地点への艦砲射撃という任務も与えられているのだ。
効果を上げられるか判らない対空射撃に用いて、徒に砲弾を消費する必要はないというのが、阿部の考えであった。
「それよりも通信参謀、ポートブレアに緊急通信だ。『我、敵機ノ接触ヲ受ク。至急、上空直掩隊ヲ遣ワサレ度』だ。急げ」
「はっ、『我、敵機ノ接触ヲ受ク。至急、上空直掩隊ヲ遣ワサレ度』。直ちに打電いたします!」
通信参謀は、艦橋を出るとラッタルを転がり落ちるようにして駆けていった。
「近くにスコールでも発生していればいいのだが……」
阿部は双眼鏡を構えて左右の海上を確認するが、スコールを思わせるような雲は見当たらない。
「艦長、本艦と扶桑、青葉、そして第六駆逐隊を船団に先行させる」
「敵の空襲を、我々で吸収するおつもりで?」
「ああ、上手く誘いに乗ってくれるかは判らんがな」
「そういうことならば、望むところです」
にやり、と早川は不敵な笑みを浮かべた。これまで鳥海艦長として第八艦隊司令部の消極的な指揮に不満を持っていた彼にとって、囮役とはいえ、指揮官に怯懦の色が見えないことは喜ばしいことだった。
「先任参謀、一旦、船団護衛の指揮は一水戦司令部に委ねる。先行する我々と出来るだけ距離を取り、スコールでなくとも、とにかく手近な雲を見つけてその下を航行するように伝えよ」
「はっ、直ちに艦隊陣形の再編と一水戦司令部への命令伝達を行いましょう」
一時間ほど前、攻略部隊は第一機動艦隊が英東洋艦隊の空母二隻を撃沈したとのGF司令部宛の電文を傍受していた。
空母艦載機による空襲の危険性は、低いと見ていいだろう。
問題は、セイロン島の基地航空隊である。
帝国海軍によるインド洋での通商破壊作戦の影響により、敵基地航空隊の活動は不活発であるとはいえ、油断は出来ない。恐らく、稼働可能な機体をすべて投入して上陸船団への空襲を敢行することだろう。
ポートブレアの零戦隊は間に合うのだろうか。
阿部は神仏へ祈りたくなる衝動に駆られながら、山城の長官席に座っていた。
やがて、敵機が射程圏内に入ったのか、高角砲が射撃を開始する。上空で炸裂した砲弾の煙の間を縫うようにして、敵機は南へと去っていった。
◇◇◇
「攻略部隊が捕捉されたか」
瑞鶴艦橋で電文内容を記した紙を見つつ、小沢治三郎中将は呟いた。
「長官、攻略部隊の位置と、セイロン島からの距離が出ました」
他の参謀や瑞鶴の航海長と共に海図台で作業していた山田定義参謀長が声をかける。
「どこだ?」
小沢も長官席から立ち上がり、海図台に寄った。
インド洋東部を示した海図に、彼我の艦隊の位置を示す駒が置かれている。
「セイロン島トリンコマリーの北東約三〇〇浬(約四八〇キロ)、マドラス沖二二〇浬(約三六〇キロ)付近を航行中の模様です」
つまり、攻略部隊はベンガル湾を北回りでセイロン島に接近しつつあるということだ。
セイロン島から三〇〇浬というのは、順調に航行出来れば明日の明け方にはセイロン島の沖合に到達出来る距離であった。
「完全に、セイロン島の基地航空隊の航続圏内だな」小沢は言った。「それで、ポートブレアからの距離は?」
「およそ五六〇浬(約九〇〇キロ)です」
第三艦隊航空甲参謀の内藤雄中佐が答えた。
「第二十一航空戦隊には零戦二一型が配備されておりますので、航続圏内ではありますが、攻略部隊上空に滞空出来る時間は十五分から二十分程度。初期のガ島戦と同じような状況です」
いかに零戦二一型が長大な航続距離を持つとはいえ、片道一〇〇〇キロ近い地点まで飛び、燃料を消費する空戦をやって帰投するというのは、機体性能や搭乗員にとって限界に近い。
昨年のガダルカナル攻防戦でも、第二次ソロモン海戦の勝利によってガ島飛行場を確保するまでは、零戦隊はラバウルからガダルカナルまで飛ぶという過酷な任務を強いられていた。
「それでは、敵の攻撃隊の来襲と零戦隊が到着する時刻が上手く合わなければ、攻略部隊は上空直掩のない状態で空襲に見舞われてしまうではいか」
「しかし、大型爆撃機による水平爆撃では命中率はあまり期待出来ないでしょうから、それほど懸念する必要もないのでは?」
「万が一ということもある。我々は想定していなかった英艦隊からの夜間空襲を受けた。もしセイロン島に我が中攻の如き雷撃可能な大型機がいれば、上陸船団が大打撃を受けることは避けられんぞ」
「……」
「……」
「……」
参謀たちは険しい表情を見せた。
英艦隊からの夜間空襲によって遅れた一日が、雄作戦最後の段階になって障害となって現れた形である。
本来であれば今頃、二十五日の上陸作戦に備えて第一機動艦隊はセイロン島の航空基地その他軍事施設に入念な艦砲射撃を加えていたはずであった。
攻略部隊も昨日までであればポートブレアの基地航空隊の援護を十分に受けられる距離を航行していたであろう。
「二航戦旗艦、飛龍より発光信号!」
その時、見張り員の一人が叫んだ。
「読み上げろ」
瑞鶴の野元為輝艦長が命じる。
「はっ! 『我、零戦隊ノ発進準備完了。セイロン上空ニテ敵空襲部隊ヲ撃滅スルヲ至当ト認ム』。以上です」
二航戦司令官・山口多聞少将の意図は明らかだった。
攻略部隊まで零戦隊が届かないのであれば、敵航空部隊がセイロン島を発進するところを襲撃すればよいということである。
それでも敵空襲部隊の発進と零戦隊の到着の時刻が重なるかどうか、ほとんど賭けに近い策ではあるのだが。
「ですが、今、各空母に残っている零戦は艦隊直掩用のものです」先任参謀の高田利種大佐が言う。「それを出してしまっては、艦隊防空に差し支えます」
「攻撃隊はあと三十分程度で帰投します」内藤航空甲参謀が反論した。「収容作業で飛行甲板が塞がるため、航空隊を発進させるならば今しかありません。また、攻撃隊が帰投すればその零戦を艦隊防空に回せます。何の問題もありません」
「しかし、燃料補給や整備があるだろう。帰投してすぐに上空に上げられるわけでもあるまい」
「そこまでにしておけ」
小沢は参謀たちの間で始まった議論を抑えた。
「今は攻略部隊の安全が最優先だ。山口くんの意見具申の通り、賭けではあるが、セイロン島上空での航空撃滅戦を狙う。敵機がすでに攻略部隊に向かった後であるならば、地上の陣地に機銃掃射でもさせればよい。艦隊防空のために飛行甲板に上げておいた零戦隊をただちにセイロン島上空に派遣するのだ。急げ!」
「はっ!」
一方、第一機動艦隊本隊である第三艦隊の前衛としての役割を担っている第二艦隊の動きは速かった。
第三航空戦隊旗艦・空母隼鷹に座乗する角田覚治少将は、攻略部隊の発した電文を受信すると即座に武蔵に対して発光信号を送った。
「北上シ攻略部隊ヲ支援スルノ要アリト認ム」
そして事実上、第二艦隊の航空戦指揮を担う立場にあった角田は、近藤長官の命令を待たずに隼鷹と龍鳳の艦首を攻略部隊の方向に向けさせ、さらに速力を二〇ノットに増速させた。
南太平洋海戦でも角田少将の勇猛果敢さを見せられている近藤長官は、これに苦笑しつつ、第二艦隊の全艦艇に北上を下命、さらに第三航空戦隊に対して零戦隊の発進準備を命じた。
この命令に対しても、角田の反応は早かった。即座に発光信号にて武蔵に返信があった。
「即時発進可能ナル零戦、隼鷹九、龍鳳三」
艦隊直掩のために飛行甲板上に待機させていた零戦隊を攻略部隊の支援に向かわせることを、暗に角田は具申していたのである。
彼は二航戦の山口少将と違い、零戦隊の往復が不可能なのであれば、その分、母艦が北上すればよいと考えていたのであった。
「問題は、小沢くんがどう考えるかだな」
艦隊を北上させながら、武蔵艦橋で近藤信竹中将は呟いた。
米機動部隊と英東洋艦隊を撃滅した母艦航空隊の損耗は大きいだろう。英艦隊を攻撃して帰投した第一次攻撃隊の九九艦爆と九七艦攻の内、どれだけの機体が再出撃可能となるのか、まったく予測がつかない。
ただ、少なくともトリンコマリーとコロンボの英軍の飛行場を破壊するだけの機数は残らないだろう。
作戦立案段階でそれが予測されていたからこそ、飛行場の破壊は戦艦部隊の役割とされたのである。あるいは、ソロモン戦線での戦訓が連合艦隊司令部にそうした作戦を策定させたのかもしれない。
戦艦陸奥によるガ島飛行場への艦砲射撃によって、帝国軍はその後のガ島攻防戦を優位に進めるための端緒を掴んだのである。
「参謀長」
「はっ!」
白井万隆少将が即座に応じる。
「航空戦の指揮は小沢くんに任せるとして、我々はセイロン島飛行場と英東洋艦隊の残存艦艇への対処を考えねばならん。飛行場への艦砲射撃の最中に、英戦艦部隊に急襲されては敵わんからな」
英空母は撃滅したものの、戦艦についての撃破報告は、昨夜の第二十一航空戦隊のもたらしたものだけである。
つまり、英艦隊にはまだ少なくとも二隻の戦艦が健在である可能性があるのだ。
彼女たちがこちらのセイロン島攻略を阻止すべく、飛行場の沖合で待ち伏せをしているということもあり得るだろう。
「では、飛行場砲撃に際しては、本艦と長門には徹甲弾を装填させ、万が一の会敵に備えさせます。飛行場や防御陣地への砲撃だけでしたら、伊勢、日向の二艦でも十分に対処可能でしょう」
「戦果確認の意味も含めて、英東洋艦隊に接触機を出してその動向に注意を払うべきだと思うが、どうだ?」
「ではその旨、瑞鶴に伝達いたしましょう」
「うむ、そうしてくれたまえ」
「はっ!」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
船団から離れた山城以下六隻の艦艇は、二〇ノットの速力で南下を続けていた。
上陸船団については、一水戦司令官の木村昌福少将に指揮を委ねている。
六隻の艦艇は、中心に山城、扶桑、その周囲を青葉、響、電、雷が取り囲むという、輪形陣と呼ぶにはあまりにも小さな陣形を構成して航行している。
英軍のブレニム爆撃機の接触から四十分ほどして、今度はカタリナ飛行艇の接触を受けた。
この時、すでに上陸船団は一時的に北上を開始しており、山城以下六隻との間に距離を生じつつあった。
一水戦旗艦・阿武隈からは敵機との接触を知らせる通信がないことから、どうやら敵索敵機は船団を見失ってしまったらしい。
代わりに、二隻の旧式戦艦を中心とする艦隊への接触を続けていた。
敵機の空襲を山城と扶桑で吸収するという阿部中将の目論見は、ひとまず成功したとみていいだろう。
「しかしあのカタリナ、しつこいですな」
先任参謀の鈴木正金中佐が呟く。その言葉通り、英軍所属を示す
恐らく、味方航空隊にこちらの位置を絶えず発信し続けているのだろう。
英軍の双発爆撃機に比べて、カタリナ飛行艇の航続距離は長い。接触機としては適切なのだろう。
敵機は巧妙にこちらの高角砲の射程限界を飛行し、接触を維持していた。
そして、最初の英軍機の接触から一時間ほどして、電探に新たな反応を捉えた。反応は一機、方角は南東であり、艦橋の者たちは一様に首を傾げた。
「方角的に、ポートブレアからでも、セイロンからでもありません」
「上のカタリナの燃料が切れかけており、そのために追加の接触機が接近しているでは?」
「とにかく、見張りを厳重にするのだ」
甲板上では、じりじりと照りつける太陽に肌を焼かれながら、機銃員たちが空を睨んでいる。最初の対空戦闘用意の命令からすでに一時間以上。防暑服に汗を滲ませている乗員も多かった。
やがて、艦橋上部の見張所から、伝声管にて報告が入る。
「友軍機です! 二式大艇です!」
その報告に、阿部司令官や早川艦長らは、互いに顔を見合わせた。上空支援を要請したが、まさか最初に来た友軍機が飛行艇とは。
恐らく、索敵に出ていた搭乗員の独断だろう。
ソロモン戦線などでも、大型機同士の空戦というものは存在していた。インド洋での作戦発動に当たって索敵を活発化させていた第二十一航空戦隊の索敵機も、索敵中に敵大型機と遭遇して空戦になる事例が発生していたという。
こちらの艦隊を発見したらしい二式大艇は、速度を上げてカタリナ飛行艇に一直線に突っ込んで行った。
甲板上の乗員たちから歓声が上がる。
最初から空戦目的で突っ込んでくるとは、カタリナの搭乗員たちも思っていなかったのだろう。慌てたような急激な機動で、セイロン島の方向に離脱していった。
「随分と無茶をする……」
双眼鏡でその様子を見ていた阿部中将は、案ずるように呟いた。
その献身はありがたいが、一機の飛行艇での防空など無茶が過ぎるだろう。特に、巨大な飛行艇たる二式大艇は、機体そのものも貴重である。
「発光信号で、彼らに伝えてやれ。『支援感謝ス。
最初の接触から二時間が経った頃、山城の電探は南西から接近する大規模な編隊の反応を捉えた。
この間、乗員に戦闘配食が行われ、高角砲員や機銃員たちもそれぞれの配置で握り飯や沢庵を頬張っていた。
敵機は頃合い良く、多くの乗員が戦闘配食を食べ終わった辺りで来襲したのである。
とはいえ、将兵の間に楽観の気配はない。
「……やむを得んか」
阿部は電探室からの報告に、呻くような独り言を漏らした。
ある程度は覚悟していたことではあるが、零戦隊の到着よりも敵機の来襲の方が早かったのである。零戦二一型の巡航速度は時速三三三キロ。ポートブレアから艦隊上空まではどんなに早くても三時間近くはかかる計算になるのだ。
「上空の二式大艇に、退避するよう伝えろ」
「はっ!」
流石に、敵の大編隊に飛行艇一機で挑ませるわけにはいかない。
「艦長、主砲射撃用意だ」
戦闘艦橋にいる阿部は、伝声管で防空指揮所にいる早川艦長に命じた。
「よろしいのですか、司令?」
「撃墜出来るかは甚だ疑問だが、編隊を崩して混乱させることくらいは出来よう」
早川艦長の問いに、阿部中将はそう答えた。
「判りました」頷いて、早川は射撃指揮所へと命令を下す。「砲術長、対空射撃用意!」
「宜候! 対空射撃用意!」
艦橋最上の九四式十メートル二重測距儀が旋回し、電探が捉えた方向へと向けられる。それに合わせて、六基の主砲塔も旋回していく。
甲板上では乗員に退避を促すブザーが鳴らされ、機銃員たちが駆け足で主砲射撃の爆風の届かない退避所へと逃げ込んだ。
「見えました! 右舷二〇度、高度五〇〇〇に敵編隊を発見! 双発爆撃機二〇ないし三〇!」
「来たか……」
阿部は艦橋の外を見ながら呟く。彼の目でも、空に浮かぶ黒いごま粒は確認出来た。
「主砲、射撃用意よし!」
射撃指揮所から、砲術長の威勢のいい声が響く。
「主砲、撃ち方始め!」
早川の号令一下、山城の主砲十二門が一斉に火を噴いた。大和型や長門型には及ばない三十六センチ砲とはいえ、一斉射撃の轟音と爆風は相当なものであった。
砲口から噴き出した膨大な砲煙が、船体を覆い尽くす。
それが後方に流れ去る頃に、上空で三式弾が炸裂した。砲弾内部に仕込まれていた四八〇個の円筒型弾子が空中にばらまかれる。
十二発合計で五七六〇個の弾子が英軍の編隊を襲ったわけであるが、撃墜は確認出来なかった。こちらの発砲と同時に、敵編隊は散開してしまったからである。
後方を進む扶桑も旗艦に倣って主砲による対空射撃を行ったが、やはり敵の編隊を崩す以上の効果はなかったようだ。
それにしても、敵編隊は雷撃機のように高度を落とそうとはしていない。こちらの中攻のように、魚雷を搭載しているというわけではないのだろう。
そのことに、阿部はわずかながらの安堵を覚える。
接近してくる双発爆撃の数は、よく見れば二〇機より少ないように見えた。これまでの通商破壊作戦によって、セイロン島の航空戦力が消耗しているという情報は間違いではなかったようだ。
後は、各艦の艦長の操艦技術にかかっている。
少なくとも、この山城や扶桑が被弾したところで、セイロン島上陸作戦に大きな支障は出ない。そう考えれば、少しは気が楽になるように阿部は思えた。
この時、セイロン島を発進したのは、ブリストル・ブレニム双発爆撃機であった。
コロンボとトリンコマリーの航空基地の機体を合わせても二〇機程度しか配備されていなかったのだが、この爆撃機部隊がセイロン島最大の航空打撃戦力であった。
カタリナ飛行艇と共に索敵に出ていた数機を除き、十七機の編隊で彼らはセイロン島を飛び立った。
実はこの二〇分後、基地には第一機動艦隊の放った零戦隊が来襲し、緊急発進しようとしたハリケーン戦闘機多数が地上撃破されるという損害を蒙っていた。ブレニム隊は辛うじて第一機動艦隊の空襲を逃れて、攻略部隊へ取り付くことに成功したのである。
初期型であるMK.Ⅰ型の就役からすでに七年以上の時間が経過し、欧州戦線では昨年来、各部隊で機体の更新が行われていたが、それ以外の戦線では未だ第一線の機体として配備され続けていた。
セイロン島に配備されていたのはⅣ型。
最大で六〇〇〇キロ近い航続距離を誇る一式陸攻と比較すると、航続距離は約二三〇〇キロ程度でしかなく、さらに爆弾搭載量も一〇〇〇ポンド(約四五三キロ)爆弾一発ないし、五〇〇ポンド(約二二七キロ)爆弾二発しか搭載出来ない。
非常に限られた性能の双発爆撃機ではあったものの、整備の容易さから、物資の不足するセイロン島でも辛うじて稼働可能な状態を保たれていた。
十七機のブレニム爆撃機は緩降下で爆撃すべく、日本の戦艦部隊に向けて徐々に高度を下げ始めた。
「撃ち方始め!」
号令一下、山城の高角砲が火を噴き始める。
出撃前に大規模な対空火器の増強を受けた武蔵と違い、山城も扶桑も二十五ミリ機銃を若干、増設しただけである。
米軍の最新鋭戦艦のような、濃密な対空弾幕を構成出来るわけもない。
「敵一機、左舷三〇度より、本艦に向かい緩降下してきます!」
「取り舵一杯、急げ!」
「とぉーりかぁーじ!」
防空指揮所で操艦の指揮を執る早川幹夫大佐にとって、戦艦の艦長として初めての対空戦闘であった。
水雷科出身の彼は、駆逐艦や巡洋艦ほどに小回りの利かない山城の操艦には戸惑う部分もあったが、リンガ泊地での訓練でとにかくその操舵の癖を体に叩き込んでいた。
何よりも、早川よりも海兵一期後輩の古村啓蔵(古村は一年留年しているので、本来であれば同期であった)は武蔵艦長として米艦隊との熾烈な対空戦闘と対艦戦闘を戦い抜いたそうではないか。
武蔵を立派に指揮している海兵の後輩を尻目に、山城に無様を晒させるわけにはいかない。
やがて、山城の艦首が左に振られ始める。船体を右に傾斜させながら、彼女は敵の爆撃を避けるべく旋回していく。
右舷側の海面に、轟音と共に高々と水柱が二本、立ち上った。
「二五番(二五〇キロ)爆弾だな」
水柱の大きさから、早川はそう判断した。よほど当たり所が悪くない限り、山城や扶桑が致命傷を負うことはないだろう。しかし、装甲がない輸送船団にとっては脅威である。
「舵戻せぇ!」
敵機の空襲を山城と扶桑で吸収するという阿部中将の策が嵌まったことに、早川としても安堵を覚えた。
しかし、と彼は同時に思う。
英軍からしてみれば、こちらの上陸作戦を阻止するためには輸送船団の攻撃が最も効果的であるはずである。恐らく、こちらの輸送船団を見失ってしまったからこそ、自分たちに空襲を仕掛けてきているのであろうが、いささか思い切りが良すぎるように思えるのだ。
再度、索敵機を放つなどして船団の捜索を行わず、山城と扶桑に空襲を仕掛けてきた意図は何なのか。
単純に輸送船団を見失ったというだけならよいのであるが、何か釈然としないものを感じる。
夜間空襲まで行って第一機動艦隊に打撃を与えようとした英軍にしては、空襲目標の選定が単純に過ぎるように思えるのだ。
「……阿部司令官に意見具申」
早川は背後に控える伝令に言った。
「英水上艦隊の襲撃を警戒するの要ありと認む。以上だ」
「はっ! 阿部司令官に伝令。『英水上艦隊の襲撃を警戒するの要ありと認む』、ただちに伝達いたします!」
復唱の後、伝令の一人が戦闘艦橋に向けてラッタルを駆け下りて行った。
杞憂であればいいのだが、と早川は思う。
しかし、こちらの第二艦隊は米機動部隊を追撃、水上砲戦によって撃滅を図ろうとしたという。同じことを、英東洋艦隊が考えていないとも限らないだろう。
「敵機二機が扶桑に向かいます!」
上空で炸裂する高角砲弾の弾幕を潜って、さらに二機の
やはり、大型艦である本艦と扶桑は狙われやすいのだろう。
敵機がこちらの水上艦艇に打撃を与え、その間隙に乗じて英水上艦隊が輸送船団に襲撃を仕掛ける。もしかしたら、そうした作戦であるのかもしれない。
「右舷二〇度に敵機、本艦に向け緩降下!」
「取り舵一杯!」
「とぉーりかぁーじ、一杯!」
そうであるならば、是が非でも山城を空襲で傷物にされるわけにはいかない。
転舵を命じる早川の声に、一層の力が籠る。
「南東より、新たな編隊の接近を確認!」
刹那、見張り員の切迫した声が響く。
「何ぃ!?」
まさか、新たな敵編隊か?
早川を含めた防空指揮所の将兵たちに、緊張が走る。
「あれは……単発機です! 我が軍の零戦に間違いありません!」
「まさか、もう到着したのか……?」
半ば唖然とした様子で、早川は呟いた。
ポートブレアから攻略部隊までの距離を考えれば、零戦の巡航速度で三時間前後はかかる計算であったのだ。
それが、予測よりも早まった理由は明らかだ。
「連中、巡航速度以上で飛ばしてきたのか……」
帰投のための燃料に余裕を持たせておきたいだろうに、攻略部隊を守るためだけに無理をしてきたのだろう。
こうなったら、何としてでも船団を無事にセイロン島に送り届けなければならない。零戦搭乗員たちの献身を無駄にしないためにも。
早川は敵爆撃機へと襲いかかっていく零戦隊を見上げながら、そう固く決意した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「敵船団への空襲の戦果は不明確、か」
眉間に皺を寄せながら、サマヴィル中将は呻いた。
「はい。空襲部隊は日本の戦闘機隊に横合いから襲撃され、最終的に大半が撃墜されてしまったようです。そのため、生き残った搭乗員の戦果報告に幅があり過ぎ、正確な戦果が判明していないとのことです」
参謀長が説明した。
現在、キング・ジョージ五世、ウォースパイトを中核とするイギリス東洋艦隊は北上を続けていた。
ついに、我が軍の索敵機が日本の上陸船団を捕捉したのである。サマヴィルは、これに夜戦を挑むことを決意していた。
接触機からの報告がセイロン島から転送されてくるのには相変わらず時間がかかっていたが、それでも敵船団を守る戦艦の数は二隻、それも旧式のフソウ・クラスだと判明したことは大きい。
こちらはレナウンが戦線離脱したとはいえ、最新鋭戦艦たるキング・ジョージ五世に、歴戦の戦艦ウォースパイトが存在している。二戦艦とも敵の爆撃によって対空兵装を破壊されていたものの、主砲射撃に関する機構は生きている。戦艦としての価値は、いささかも損なわれていない。
第一次世界大戦期の戦艦、それもユトランド沖海戦以前の設計であるフソウ・クラスならば、十分に勝算がある。ウォースパイトも年代的にはフソウ・クラスと同じ戦艦ではあったものの、主砲口径は十五インチ。フソウ・クラスとは一インチの差とはいえ、砲弾重量は一〇〇キロ以上の差があるだろう。
「第一次世界大戦時で最良の戦艦」とまでいわれるクイーン・エリザベス級であるならば、十分にフソウ・クラスに対して優位に立てるだろう。
唯一の懸念材料はキング・ジョージ五世の四連装砲塔の故障率の高さであったが、こちらの目標はあくまでも敵輸送船団である。
ビスマルク追撃戦のように敵戦艦の撃沈が目標でない以上、最悪、敵戦艦の足止めが出来ればそれで構わなかった。その隙に、巡洋艦以下の軽快艦艇で輸送船団を攻撃させればいいのだ。
「諸君」
サマヴィルは己の幕僚やキング・ジョージ五世の艦長たちを睥睨するようにして告げた。
「我々の作戦目標に変更はない。我が艦隊は夜間を待って敵輸送船団に接近、砲戦によってこれを撃滅する。諸君らの献身と勇気があれば、必ずや勝利出来るものと小官は確信している。我が大英帝国の存亡は、この一戦にかかっているものと覚悟せよ!」
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