31 ベンガル湾攻防

 すでに日の沈んだ海に、鼻を突く硝煙の臭いが立ちこめていた。


「フィリップス提督は、このような敵を相手にしていたのか」


 開戦劈頭、プリンス・オブ・ウェールズと共に沈んだ東洋艦隊司令長官の苦闘を思って、サマヴィルはキング・ジョージ五世から見える海面に険しい視線を向けていた。

 各艦の艦影が薄ぼんやりと見える海上では、白く目立つ航跡が複雑に交錯している。


「被害の集計は終わったか?」


「サー。巡洋戦艦レナウンに魚雷二本、空母ヴィクトリアス、重巡カンバーランド、軽巡モーリシャス、魚雷各一本命中。また、駆逐艦ライトニングは炎上した敵機に体当たりされ、すでに総員退艦命令が出されています」


「レナウンがやられたか……」


 空母ヴィクトリアスの被雷も痛手であったが、日本の上陸船団に対する夜襲を企図しているサマヴィルにとって、戦艦一隻の戦線離脱は痛手であった。

 暗号解読によって、日本海軍の擁する戦艦は八隻。米軍の索敵情報により、内六隻は空母部隊の護衛についていることが確認されている。そこから逆算すれば、残り二隻の戦艦が船団護衛についている可能性が高い。

 レナウンの被雷により、東洋艦隊で健在な戦艦はサマヴィルの座乗するキング・ジョージ五世と歴戦のウォースパイトの二隻のみになってしまった。重巡もロンドン一隻となってしまった。

 軽巡だけはまだ五隻が健在であり、輸送船相手であれば問題ない戦力であろうが、敵戦艦部隊を排除して上陸船団を攻撃しなければならない可能性を考えると、不確定要素が増えてしまったことになる。


「やむを得ん。レナウン以下損傷艦艇四隻には護衛を付け、退避。レナウンについては、トリンコマリーに回航させよ」


「日本軍の攻略目標がセイロン島である可能性がある以上、トリンコマリー回航は危険では?」


「いや、逆だ。日本が上陸する可能性があるからこそ、だ」サマヴィルは言った。「レナウンにはトリンコマリー港内で偽装を施し、敵の空襲があった場合に備えさせる。そして、いざ敵がセイロンに上陸しようとした際には、その主砲で以て陸上部隊を援護させるのだ」


 つまり、サマヴィルは損傷したレナウンをセイロン防衛のための浮き砲台として利用することを画策したのである。

 レナウン乗員にとっては酷な話ではあるかもしれないが、主砲射撃要員だけを艦内に残し、残りは陸戦隊として守備隊に合流させるという手もある。

 セイロン島の守備隊は二個旅団約三〇〇〇名であり、日本陸軍の大部隊を迎撃するにはいささか戦力が不足していた。本来であればここにオーストラリアの二個旅団も加わっていたのだが、彼らはソロモン戦線の逼迫化とそれによる日本軍の本土上陸の可能性を恐れて昨年の内にオーストラリア本国に帰還している。


「ソロモン戦線での戦訓を考えるに、日本軍はさらなる夜間空襲を企図しているやもしれん。艦隊陣形の再編を急がせろ」


「アイ・サー!」






 一九四三年四月二十三日夕刻に行われた第二十一航空戦隊第七五三航空隊による薄暮攻撃は、一式陸攻の長大な航続力を改めて連合軍に認識させることとなった。

 連合艦隊司令部から命令されるまでもなく、第二十一航空戦隊は飛行艇部隊である第八五一航空隊を中心にベンガル湾での索敵を行って第一機動艦隊を支援する態勢を整えていた。

 第二十一航空戦隊の索敵範囲は、驚くべきことにセイロン島を含むベンガル湾全体を覆っていた。長大な航続力を持つ飛行艇を配備しているので当然と見ることも出来るが、一式陸攻ですら無理をすればポートブレアからベンガル湾の東西を往復することが出来るだけの航続距離を持っていたのである。

 もちろん、不用意にセイロン島に接近すれば戦闘機の迎撃を受けるため、昨年八月以来のインド洋での通商破壊作戦ではセイロン島周辺は潜水艦の担当範囲となっていた。

 しかし、翔鶴の被雷による第一機動艦隊の一時的な後退により、第二十一航空戦隊はその危険を犯さざるを得なくなってしまった。連合艦隊司令部から、潜水艦部隊と共にベンガル湾での積極的な攻撃行動を命ぜられたからだ。

 GFからの命令では陸攻隊の徒な損害を戒めるように言われていたものの、現地で指揮を執る第二十一航空戦隊司令官・市丸利之助少将にとってみれば、GFの命令は二律背反であった。

 陸攻隊の護衛に零戦を付けるのならば、ベンガル湾の東半分しか行動圏内に収めることが出来ない。しかし、敵艦隊はその零戦の航続圏外に発見されたのである。

 当然のことであるが、イギリス艦隊はこれまでのベンガル湾での通商破壊作戦の損害から、不用意にベンガル湾東部に侵入してくることはないであろう。

 そうなれば、陸攻隊のみによる攻撃を敢行せざるを得ない。

 結果、市丸少将はソロモン戦線での戦訓を踏まえて、陸攻隊による薄暮攻撃を決意したのである(もっとも、英東洋艦隊を発見した時刻から逆算すれば、二十三日中の攻撃は必然的に薄暮攻撃にならざるを得なかった)。

 第二十一航空戦隊には、雄作戦発動に合わせて一式陸攻四十八機が配備されている。ここから、索敵に出ていた機体を除く稼働可能機三十七機がポートブレアを出撃したのである。内、七機は照明弾搭載機であった。

 攻撃隊は二機が発動機不調で引き返したものの、現地時間一七三六時に英東洋艦隊を捕捉。攻撃を開始した。

 つまり、イギリス東洋艦隊は三十機あまりの一式陸攻による雷撃を受けたのである。


「我、英R級戦艦一、アーク・ロイヤル級一ヲ大破、巡洋艦三、撃沈確実」


 その報告電は当然、武蔵でも傍受されたが、ソロモン戦線を潜り抜けてきた近藤信竹長官を始めとする一部の司令官たちはこの戦果報告に懐疑的であった。

 い号作戦における薄暮・夜間空襲の誇大な戦果報告に悩まされていた戦訓もあり、第一機動艦隊としては巡洋艦を二、三隻撃破出来ていれば良い方であろうと判断したのである。空母の撃破報告についても、これまでの戦訓から艦隊に随伴している油槽船を空母と誤認している可能性も否定出来ず、二十四日の空母戦が楽なものになるとは、小沢長官も考えなかった。






 この攻撃により、攻撃隊は六機の陸攻を失うこととなった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 一九四三年四月二十四日、共に大戦の行方を賭けた決戦になるとの認識から、日英両艦隊の司令官たちの敵艦隊撃滅にかける意気込みには並々ならぬものがあった。

 だが、艦隊全体における将兵の士気という観点から見れば、また違っていた。

 帝国海軍はすでに米艦隊を撃破して、多大な戦果を挙げている。翔鶴が夜間空襲によって損傷したとはいえ、それが逆にイギリス海軍への敵愾心となって士気を上げる効果をもたらしていた。

 特に母艦搭乗員たちは、何としても翔鶴の仇を取ってやるのだと敵艦隊発見の報がもたらされる前から意気軒昂であった。

 一方、夜間空襲を成功させた東洋艦隊ではあったが、すでに米艦隊が壊滅してしまい、事実上、インド洋で孤立した形となっていた。

 確かに、夜間空襲の成功と多大な戦果(事実とは異なっていたにせよ)により、一時的に士気は上がっていた。だが、二十三日の薄暮攻撃は、そうした高揚した士気に水を差す結果となったのである。

 イギリス東洋艦隊は日本艦隊との決戦を前にして母艦航空隊を消耗しており、これに加えて日本軍基地航空隊からの空襲により、駆逐艦一隻が沈没、戦艦、空母、重巡、軽巡各一隻が艦隊から脱落し、その護衛のためにさらに駆逐艦四隻が割かれていた。

 結果として、英東洋艦隊は日本空母部隊との決戦を前にして戦力を低下させていたのである。

 四月二十四日現在、英東洋艦隊の戦力は、戦艦二、空母二、重巡一、軽巡五、駆逐艦七にまで減らされていた。二隻の空母についても、イラストリアスは戦闘機隊を消耗しており、ヴィクトリアスの被雷と併せて東洋艦隊の母艦航空隊の戦力は艦隊防空すら危ぶまれるほどにまで低下していたのである。

 なおも旗艦キング・ジョージ五世にはトラファルガー沖海戦においてネルソン提督が掲げていた信号旗がはためていたが、将兵たちはこの海戦がトラファルガー以上に苦しいものとなるだろうことを、無意識の内に感じていたのである。






 両軍は早朝から索敵機を放って敵艦隊の捕捉に努めていたが、先に相手を発見したのは重巡熊野を発進した零式水偵であった。

 〇六五七時、熊野所属機はセイロン島沖北東約一二〇浬(約二二〇キロ)の地点に空母を中心とする艦隊を発見、それを第一機動艦隊に打電したのである。

 彼我の距離は約二二〇浬(約四一〇キロ)。

 帝国海軍の母艦航空隊にとって、十分に攻撃可能圏内であった。

 航空戦の指揮を任されている小沢治三郎中将の決断は早かった。


「第一次攻撃隊、発進せよ!」


 彼は、艦橋を圧するような声で命じた。


「この一撃が、戦争を決める一撃となる! 帝国海軍は、諸君らの奮戦に期待するところ大である!」


 こうして、第一次攻撃隊は各母艦を飛び立っていった。

 その編成は次の通りである。


  第一次攻撃隊  指揮官:飛龍飛行隊長・江草隆繁少佐


零戦×四十八機 九九艦爆×三十六機 九七艦攻×二十四機 二式艦偵×二機

総計:一一〇機


 各母艦からの内訳は、次の通りであった。


隼鷹……零戦×九機 九九艦爆×十二機 九七艦攻×三機

龍鳳……零戦×十二機

瑞鶴……零戦×九機 九九艦爆×十二機 九七艦攻×十五機 二式艦偵×一機

瑞鳳……零戦×九機

飛龍……零戦×六機 九九艦爆×十二機 九七艦攻×六機 二式艦偵×一機

龍驤……零戦十二機


 これが、米艦隊との戦闘を潜り抜けた第一機動艦隊が繰り出せる最大規模の攻撃隊であった。

 編成を見れば、飛鷹、翔鶴の戦線離脱がいかに大きかったのかが判る(それでも、攻撃隊は南太平洋海戦以上の規模ではあったが)。

 このため、小沢長官は艦隊直掩用として編入されていた各軽空母から、護衛の戦闘機隊を抽出させることにした。

 隼鷹、瑞鶴、飛龍は艦爆、艦攻を一度に多く発進させ、護衛の戦闘機には軽空母のものを使う。

 空母という滑走路の広さが限られた存在を利用するが故の、苦肉の策であった。空母というのは、一度に発進させられる航空機の数が限られているのだ。

 第一機動艦隊の母艦航空隊に余力がない以上、攻撃を小出しにせず、一度に最大限の攻撃を敵艦隊に叩き付けて敵空母を殲滅する。

 航空戦に知悉している小沢治三郎提督の、見事な采配ということも出来るかもしれない。

 また、軽空母の戦闘機隊員から敵空母への攻撃に参加出来ず不満の声が上がっているとの報告も寄せられていたため、彼らにも活躍の場を与えようという小沢長官の配慮でもあった。

 艦隊の直掩には、三軽空母の残りの戦闘機の他、隼鷹、瑞鶴、飛龍の格納庫で待機している零戦も使うことになる。

 なお、三軽空母の艦攻搭乗員からも、攻撃隊への参加要請が出されていたが、これは却下されている。理由は、三空母の弾薬庫には魚雷が搭載されておらず、対潜哨戒用の小型爆弾しか搭載されていなかったからである。

 江草隆繁少佐に率いられた第一次攻撃隊は各艦乗員たちからの帽触れと歓声に見送られ、やがて北の空へと消えていった。


  ◇◇◇


 航海は、不気味すぎるほどに順調であった。

 戦艦山城を旗艦とする攻略部隊は、ベンガル湾を北回りでセイロン島へと近づきつつあった。


「対空、対潜警戒を厳とせよ。輸送船に指一本たりとも触れさせてはならん」


 阿部弘毅中将は夜明けと共にそう命じ、自らも時折、海上に双眼鏡を向けていた。

 現在のところ、上空に直掩機の姿はない。

 零戦隊の存在するポートブレアからは距離が離れ過ぎ、常時、上空に待機していることが出来ないのだ。

 第二十一航空戦隊司令部からは、「零戦隊即時発進可能、貴艦隊ノ位置ヲ知ラサレ度」との通信が届いている。

 つまり上空直掩をしようにも、第二十一航空戦隊司令部は攻略部隊の現在地を把握していなかったのである。もっとも、これは元々設定されていた航路から、空襲を恐れた阿部中将が本来よりも北寄りにずらしたことにも原因がある。

 基地に近ければ、常にいくつかの隊を攻略部隊上空に張り付けておけるので、多少の航路の変更があってもそのような事態にはならないのだが、メルギー出港三日目ともなると、ポートブレアの零戦隊も航続距離の限界から、常時の上空直掩の提供が難しくなっていた。

 そのため、第二十一航空戦隊は零戦隊を待機させ、攻略部隊からの要請を待っている状態になっているわけである。

 当然、阿部中将も市丸利之助少将のそうした意図を理解している。

 問題は、やはり攻略部隊とポートブレアとの距離であった。

 敵の索敵機に発見されたと同時に第二十一航空戦隊に上空直掩機の派遣要請を出すとして、敵攻撃隊の来襲と零戦隊の到着、どちらが早いか。

 都合良くスコールが見つかればいいのだが、そればかりは運否天賦だろう。

 むしろ、第一機動艦隊の奮戦に期待するほうが、まだしも現実的だろう。

 とはいえ、どちらも阿倍の手の及ばないことである以上、あまり差はないように感じられる。

 すべては、今日一日の戦闘で決まる。

 自分たちの護衛する上陸船団が無事にセイロン島に辿り着けるのか、阿部や艦隊将兵、そして陸軍将兵にとっての緊張の時間は、まだ終わりそうになかった。


  ◇◇◇


 一方、基地航空隊の支援に期待しなければならないというのは、イギリス東洋艦隊も同じであった。

 日本の索敵機の接触を受けると同時に、サマヴィル中将はセイロン島の基地航空隊に対して上空支援を要請した。

 しかし、セイロン島の航空戦力は決して潤沢ではない。

 昨年八月以来、日本海軍の通商破壊作戦によってセイロン島への補給が困難となり、結果として燃料、予備部品ともに不安を抱えている状態である。

 しかも、配備されている戦闘機は緒戦の東南アジア戦線において日本軍戦闘機に圧倒されたハリケーン、復座のフルマーである。さらにいえば、比較的近距離で航空戦が行われる欧州戦線と違い、広大なインド洋ではその航続距離の短さが最大の弱点となっていた。

 英東洋艦隊がセイロン島から二〇〇キロ弱の地点に未だ留まっているのは、セイロン島に上陸作戦を敢行するであろう日本艦隊の横腹を突こうという意図と共に、ハリケーンの航続距離の短さも要因の一つだったのである。


「イラストリアス、フォーミダブルに信号。予備機も含めて、全戦闘機にて日本軍攻撃隊を迎撃する」


「アイ・サー」


 セイロン島の基地航空隊に支援要請は出したものの、東洋艦隊とは指揮系統が分かれているために、迅速に戦闘機隊の派遣に応じてくれるかは疑問であった。基地航空隊は基地航空隊で、己の基地を敵の空襲から守らなければならないのだ。

 日本空母部隊が島に迫りつつある状況からすれば、セイロン島が要請に応じない場合もあるだろう。

 だが、東洋艦隊が敗れればセイロン島にいくら航空機が残っていたとしても意味はない。インド洋の制海権を日本海軍に奪われれば、どの道、セイロン島は孤立化していずれ日本軍の手に落ちる。

 基地航空隊司令が大局的判断で戦闘機隊を派遣してくれることを、サマヴィルとしては祈らざるを得なかった。






 攻撃隊を先導する二機の二式艦偵の爆弾倉から、まるで紙吹雪のようにパラパラと錫箔が舞っていく。

 錫箔の大半は米軍の電探の波長に合わせた長さに切られているので、英軍に対してどこまで効果があるのかは、正直疑問であった。

 とはいえ、小沢長官も無策のまま二式艦偵にチャフを搭載させたわけではない。

 緒戦のシンガポール戦などで鹵獲した英軍の電探の波長などを参考にして、様々な長さの錫箔を二式艦偵の爆弾倉に詰めさせていた。

 電探の波長が判っていた米軍ほどに劇的な効果は望めないだろうが、それでも一定程度の効果はあるだろうと、小沢中将は踏んでいた。

 もし、マレー沖で沈んだプリンス・オブ・ウェールズやレパルスの装備を引き上げることが出来ていれば、また違った結果になっていたかもしれない。これら二艦は水深一〇〇メートル未満の比較的浅い海域に沈んでおり、連合艦隊司令部や軍令部では一時期、彼女たちから装備品を引き上げる計画を立てていた。しかし、今に至るまでサルベージは行われていない。

 とはいえ、サルベージ出来ていたとしても、この一年半の間に連合軍の電探技術は向上しているであろうから、どこまで効果があったかは不明である。

 小沢中将としても、最終的には搭乗員たちの技量に頼ることになるだろうことは理解していた。

 そして後世の視点から見ても、この時の第一機動艦隊が放った攻撃隊は、規模こそ二十二日のそれに劣るとはいえ、一九四三年時点において帝国海軍の望み得る最良のものであったといえる。

 攻撃隊長は“艦爆の神様”の異名をとる江草隆繁少佐。

 そしてその下には、南太平洋での激戦を潜り抜けてきた瑞鶴の納富健次郎大尉と高橋定大尉。さらには支那事変以来の歴戦の戦闘機乗りにして、大戦を通じて一発の被弾もなかったという“ゼロファイターゴット”こと、瑞鳳の岩井勉一等飛行兵曹。

 いずれも後世にまでその名が語り継がれることになる、最優秀の搭乗員たちがこの攻撃には参加していたのである。






 日本軍の攻撃を阻止せんとする東洋艦隊の上空直掩隊と、帝国海軍第一次攻撃隊の制空隊との戦闘は、完全に零戦の優位に進んでいた。

 この時、東洋艦隊が上空に上げていた戦闘機は米軍から供与されたF4Fマーレットが二十八機にスピットファイアの艦載機版シーファイア十七機の計四十五機であった。

 一方、制空隊を務める零戦三二型は四十八機中三十三機。

 数の上では、東洋艦隊が圧倒しているはずであった。

 さらには小沢長官の懸念していた通り、チャフの効果も限定的であり、東洋艦隊は第五十一任務部隊と違ってレーダー管制による戦闘機隊の指揮が可能であった。

 だがサッチ・ウィーブなどの対零戦戦術を編み出していた合衆国海軍と違い、日本空母部隊との初めての戦闘となった王室海軍は、対零戦戦術が十分に確立されていなかった。

 特に欧州戦線では独伊の戦闘機に対して格闘戦性能で優位に立っていた経験もあり、零戦隊に積極的に格闘戦を挑んだことが、逆に英戦闘機隊の消耗を早める要因となっていた。

 この傾向は、米第五十一任務部隊の援護に向かったイラストリアスのF4F隊においてすでに現れていたのであるが、数の差という問題に隠れて、各母艦の飛行長や飛行隊長らは問題を十分に認識出来ていなかった。

 さらに、高温多湿という環境によってシーファイアの液冷発動機が空中で次々と不調を起こしていたことも、英戦闘機隊の劣勢に拍車をかけていた。


「制空隊は上手くやってくれているようだ」


 九九艦爆の操縦席で、攻撃隊長江草隆繁少佐は安堵の息を漏らした。

 昨日よりも護衛の零戦隊の数は少なく、また敵艦隊が自分たちの艦隊を発見した形跡もない。そのため、敵空母は攻撃隊の護衛につけるための戦闘機も艦隊防空に投入出来るため、米艦隊を攻撃した時のように上手くはいかないだろうと江草は警戒していたのである。

 だが、それは杞憂に終わったようである。

 直掩隊の零戦十五機に守られた九九艦爆と九七艦攻の編隊は、海上に白い航跡を曳く英東洋艦隊に向けて進撃している。

 すでに「トツレ(突撃隊形作れ)」の信号は発せられており、艦攻隊は雷撃のために徐々に高度を下げつつあった。


「後方右四〇度に新たな敵機を発見!」


「何っ!?」


 後部座席の石井樹特務中尉の警告に、一瞬、江草の背筋に冷たいものが走る。


「直掩の零戦隊、向かいます!」


 零戦隊も、即座に気付いたようだ。直掩隊が落下増槽を切り離し、次々と翼を翻していく。


「頼むぞ」


 すれ違った零戦の搭乗員に敬礼を送りながら、江草はそう呟いた。

 この時、サマヴィルがセイロン島に要請した戦闘機隊がようやく到着しつつあったのである。トリンコマリーの航空基地を発したハリケーン隊二十機あまりが、江草率いる第一次攻撃隊に迫りつつあった。

 だが、江草は構わずに敵艦隊への進撃を続けた。残りの艦爆隊、艦攻隊も編隊を崩さず、隊長機に付き従う。

 今は、直掩の零戦隊にすべてを任せて進むしかないのだ。

 洋上に見える敵の艦影は、徐々にはっきりとしてくる。

 輪形陣の中心にいる二隻の空母。英海軍の最新鋭空母、イラストリアス級という奴に違いない。飛行甲板に重装甲を施しているというから、爆弾は効かないだろう。

 どの道、江草らの艦爆隊は敵護衛艦艇の対空砲火の減殺が任務である。

 空母を仕留めるのは艦攻隊の役目であり、であるからこそ、自分たちは彼らの針路を切り開いてやらねばならない。

 二空母を守るように、二隻の戦艦が見えた。艦型までははっきりしないが、相応の対空火器を搭載していることだろう。

 江草は即座に目標を定めた。


「飛龍艦爆隊目標、敵戦艦一番艦。瑞鶴艦爆隊目標、敵戦艦二番艦。隼鷹艦爆隊は適宜巡洋艦を目標とせよ!」


 その指示は、石井特務中尉によって即座に全艦爆隊に伝達される。

 江草は操縦桿を握る手にぐっと力を込めた。


「さあ、一年前の忘れ物を取り戻しにいくぞ」


 機体後部を赤く染めた江草機からト連送が発せられた瞬間、インド洋を巡る最後の決戦の幕が切って落とされたのである。






 すでに敵攻撃隊は輪形陣への侵入を開始していた。

 各艦が対空火器を上空に向けて、敵機の侵入を阻止しようとしている。

 サマヴィルの座乗するキング・ジョージ五世でも、すでに対空戦闘が開始されていた。両舷に備える八基の十三・三センチ連装両用砲、四基の四〇ミリ八連装ポンポン砲が射撃を繰り返している。

 だが、火を噴く敵機は存在しない。

 サマヴィルは歯噛みする。

 彼らには与り知らぬことではあるが、英艦隊の対空砲火は米艦隊のそれに比べれば非常に緩慢であるといえた。ある意味で、日本艦隊の対空砲火よりも劣る面があったかもしれない。

 キング・ジョージ五世級の両用砲は、砲弾重量約三十六キロだというのに人力装填であり、砲塔の旋回速度、砲身の仰俯速度ともに航空機に対応するには遅すぎた。

 さらに、ポンポン砲は弾道直進性が悪く、曳光弾も使用出来ないために命中率が極端に悪かった。故障率も高く、射撃を開始して五分と経たぬ内に、キング・ジョージ五世ではすでに一基のポンポン砲が故障して射撃不能となっていた。

 ポンポン砲はイギリス海軍における主力対空機銃であり、同様の現象は輪形陣を構成する大小の艦艇で発生していた。

 すでに濃密な対空弾幕を構成する米艦隊との死闘を何度となく繰り広げていた日本海軍の搭乗員にとっては、ある意味で拍子抜けするような有り様であったいう。

 米艦隊との戦闘を生き残ったものの、今日こそは生きて帰れないだろうという悲壮な決意と共に飛び立った搭乗員も多く、この散漫な対空砲火を見て自分の覚悟が馬鹿らしくなったとの証言を残す搭乗員すらいたという。


「敵機、直上! 急降下!」


取り舵一杯ハードアポート、急げ!」


 輪形陣内部に侵入するまで一機も失われることのなかった江草少佐率いる飛龍艦爆隊は、ついにキング・ジョージ五世への急降下を開始した。

 艦橋に立つサマヴィル提督ら艦橋要員は、息を呑んで艦の動きを見守った。

 ドイツのスツーカ爆撃機のような固定脚を持つ機体が、ダイヴブレーキの音を響かせながら急角度で降下してくる。

 艦首が左に振られ、キング・ジョージ五世の船体は取り舵旋回を開始した。

 反り返しの付いていない艦首から立ち上る水しぶきが、第一、第二砲塔を盛大に濡らしてく。

 だが、それでも彼女は“艦爆の神様”から逃れることは出来なかった。

 船体を揺るがす衝撃。

 それは一度では収まらず、二度、三度、四度、と連続する。

 命中しなかった爆弾によって立ち上った水柱よりも、船体を襲った衝撃の回数の方が多かった。

 江草隆繁少佐率いる飛龍艦爆隊は、実に八発の命中弾をキング・ジョージ五世に与えたのである。


「ダメージ・リポート!」


 艦長であるジョン・フィリップ・マック少将が怒鳴る。


「艦中央部から後部甲板にかけて火災発生! カタパルト全壊! また、衝撃によって第一、第三砲塔故障!」


「火災の消火と主砲の復旧を急げ!」


 キング・ジョージ五世級戦艦の特徴でもある四連装砲塔は、その複雑な機構故に故障が起こりやすかった。ビスマルク追撃戦においても、戦闘に参加したキング・ジョージ五世の主砲は故障に見舞われている。

 敵輸送船団の捕捉・撃滅という作戦が残っている以上、主砲の故障を見逃すことは出来ない。


「ウォースパイトでも火災発生! ロンドンもやられました!」


「くそっ、日本軍め。陛下の船を、よくもっ……!」


 見張り員の報告に悔しげな呻きをもらす艦橋要員すらいた。


「敵雷撃機、イラストリアスとフォーミダブルに向かいます!」


 雷撃のために速度を落としていた九七艦攻は、流石に無傷とはいかなかった。輪形陣外周部を突破するに際して、三機を失っていた。

 だが、それでも瑞鶴、飛龍、隼鷹の九七艦攻合わせて二十一機が敵空母への襲撃運動を成功させつつあった。

 瑞鶴隊はイラストリアスを、飛龍、隼鷹隊は共同でフォーミダブルに狙いを定めている。

 プロペラが海面を叩くのではないかと思われるほどの低空で接近する九七艦攻の横隊。

 欧州戦線におけるドイツの双発機による輸送船団への雷撃程度の知識しか持たない英艦隊将兵にとって、日本海軍の雷撃隊の襲撃運動はまさしく恐怖であった。

 対空火器に取り付いている乗員たちが、必死の形相で対空弾幕を張り続ける。

 故障して射撃不能となるポンポン砲を、怒りのあまり蹴りつける乗員すらいる有り様だった。

 二隻の空母は必死に雷撃から逃れようとするが、日本の雷撃隊は巧妙だった。左右から接近し、逃げ道を与えない。

 やがて、彼らはそれぞれの射点に到達する。

 日本の雷撃隊は必中を期すためか、距離一〇〇〇メートル未満で魚雷を投下していった。

 海面に突入した際の衝撃で九一式航空魚雷の発動板が倒れ、燃焼機が作動。海面に航跡を描きながら目標へと向かっていく。


「総員、衝撃に備えよ!」


 二空母の艦長が悲痛な警告を出した直後、衝撃は来た。

 船体を振るわせ、轟音と共に水柱を上げて炸裂する魚雷。

 この瞬間、イギリス東洋艦隊は空母機動部隊としての能力を完全に喪失したのであった。






 イラストリアスは右舷に三本、左舷に二本、フォーミダブルは右舷に一本、左舷に四本の魚雷を受けていた。

 特に片舷に四本もの魚雷を受けたフォーミダブルは、英空母に共通する水中防御の脆弱性から瞬く間に浸水が拡大。被雷から三十分と経たずに八〇〇名近い乗員を道連れに転覆、沈没してしまった。

 帝国海軍の搭乗員にとって、米艦隊のような熾烈な対空砲火を持たない英空母への雷撃は、ある意味、容易であったといえる。

 実際、この攻撃に参加した艦爆、艦攻隊の搭乗員の証言は、「演習のような気楽さ」、「極めて実戦的な実弾演習」、「リンガ泊地での猛訓練の方が辛かった」と、英艦隊をほとんど敵として認識していないのではないかと思えるほどのものであった。

 逆にいえばそれほどまでに米艦隊の対空砲火は熾烈であり、帝国海軍母艦航空隊の米艦隊に対する苦闘を思わせる証言でもあった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 だが、ベンガル湾を巡る攻防戦はこれで決着がついたわけではなかった。


「我、敵機ノ接触ヲ受ク。至急、上空直掩隊ヲ遣ワサレ度。攻略部隊、一〇二七」


 帝国海軍はまだ、セイロン島を攻略するための最後の障害を破砕したわけではなかった。

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