30 艦隊北上

 一九四三年四月二十二日現地時刻〇五〇〇、戦艦山城を旗艦とする攻略部隊はメルギーを出港した。

 そして日付が変わった二十三日、第一機動艦隊が夜間空襲によって打撃を受けたとの電文は、山城の下にも届いている。

 攻略部隊司令官の阿部弘毅中将は、当初の作戦計画通りに艦隊をセイロン島に進ませているものの、一抹の不安を抱いていた。

 第一機動艦隊が打撃を受けたということは、インド洋東部には、有力な英機動部隊が存在することになる。たとえ、一隻あたりの搭載機数が日米の空母に劣るとはいえ、輸送船にとっては脅威である。攻略部隊には、一隻の空母も存在していないのだ。

 一応の安心材料は、二十三日中はアンダマン諸島ポートブレアの零戦隊の上空援護を受けられることであったが、やはり根本的な問題解決のためには英東洋艦隊の撃滅は必須である。

 連合艦隊司令部から第一機動艦隊に宛てた電文を山城は傍受していたが、それによればGF司令部は第一機動艦隊に対して二十三日を艦隊再編の時間として与えるようであった。

 つまり、第一機動艦隊が英東洋艦隊を攻撃するのは、二十四日となるであろう。

 徐々に夜が明けつつある中、阿部は山城艦橋の長官席で思案顔をしていた。


「通信参謀」


「はっ」


「第二十一航空戦隊司令部に、本艦隊の上空直掩を確実にするよう要請を出せ」


「無線封止中でありますが、よろしいのですか?」


「構わん。無線封止に拘って、英艦隊からの空襲を受けた際に上空直掩機がいないのでは話にならんからな」


 ポートブレアの第二十一航空戦隊は、七十二機の零戦を定数として揃えている。実際の稼働機はそれ以下であろうが、それでも攻略部隊にとっては貴重な存在である。

 航空機の配備は母艦航空隊とソロモン戦線が優先され、ポートブレアの零戦隊は未だ二一型を使用しているが、今回の場合は逆に都合が良かった。零戦二一型は三二型よりも航続距離が長いため、攻略部隊が上空援護を受けられる時間が長くなるのだ。

 とはいえ、不安材料がないわけではない。

 連合艦隊司令部は第二十一航空戦隊に対し、英東洋艦隊への牽制のため積極的な襲撃を命じている。第二十一航空戦隊が陸攻隊の直掩を優先すれば、必然的に攻略部隊に回される零戦の数は少なくなる。

 そうならないために、阿部は予め第二十一航空戦隊に釘を刺しておいたのである。


「それと、航路をなるべく北寄りに取るように設定せよ」


 この時期、ベンガル湾沿岸地域は雨期に入っている。つまり、陸地周辺は天候が悪化しやすいのである。珊瑚海海戦で瑞鶴がスコールに隠れて空襲を逃れた戦訓があるように、雨雲の下に入ってしまえば空襲を凌ぐことが出来る。

 阿部はそう判断していた。

 いずれにせよ、彼は上陸船団を無傷でセイロン島まで送り届けなければならないのであった。

 メルギーから一番近い上陸地点のセイロン島トリンコマリーまでは、直線距離でも一八〇〇キロ近くある。昨年まで阿部が第十一戦隊を率いて戦ってきたソロモン戦線でいえば、ラバウルからエスピリットゥサントまでの距離に近い。

 それだけの距離を航行しなければならないとなれば、嫌でも神経質になろうというものだ。

 高速輸送船たるS型貨物船を中心とする上陸船団の巡航速度は十六ノット(時速約三〇キロ)。多少遠回りになっても、二十五日の昼前には確実にセイロン島に辿り着けるだろう。

 山城以下の艦艇と高速輸送船で構成された上陸船団は、緊張と共に二十三日の朝を迎えた。






 この時、帝国海軍には不運と幸運が同時に訪れていたといえる。

 不運はもちろん、イギリス東洋艦隊の夜間空襲によって打撃を受けてしまったことである。しかし一方で、東洋艦隊の夜間空襲が成功してしまったが故に生まれた幸運もあった。

 それは、これまでベンガル湾方面に向けられていたイギリス軍の注意が、一時的にせよ第一機動艦隊に向けられたことである。サマヴィルの東洋艦隊もセイロン島の基地航空隊も、夜間雷撃の戦果確認を優先したために、セイロン島で六機しか存在しない長距離偵察可能なカタリナ飛行艇を全機、セイロン島南方に振り向けたのである。

 結果、双発機としては航続距離の短いブレニム爆撃機ではベンガル湾東部を索敵範囲に収めることが出来ず、イギリス軍のベンガル湾索敵網に大きな間隙が生じることになったのであった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 戦場となっているセイロン島沖と、ホワイトハウスのあるワシントン.D.Cの時差は十時間半である。

 ようやく夕食の時刻となったホワイトハウスでは、ルーズベルト大統領と統合作戦本部のリーヒ議長、キング作戦部長、マーシャル参謀総長、アーノルド陸軍航空隊司令官の五名が会食していた。

 だが、会食というには和やかな雰囲気など欠片もないものであった。

 誰もが無言で、ナイフとフォークを動かしている。食器のこすれる音、食べ物を咀嚼する音などが、食堂に響く。

 ここで彼らは、インド洋の戦況について報告が入るのを待っているのである。

 インド洋での海戦は、間違いなく今後の大戦の行方を左右する決戦となる。それが、五人の共通認識であった。

 欧州と極東で隔てられた枢軸国。それがインド洋で手を結ぶなど、連合国にとっては悪夢以外の何ものでもない。

 東部戦線の戦況がソ連にとって芳しいものでない以上、援ソルートであるペルシャ湾ルートを封鎖されれば、真っ先にソ連の継戦能力が低下する。次いで、インド洋航路によって英連邦諸国や植民地との繋がりを維持しているイギリス国内での厭戦気分の高まりも警戒しなければならない。そして、英米との連絡を完全に断たれることになる中国の蒋介石の対日政策についても、注意が必要である。

 そうした事態とならないよう、米英はなけなしの艦隊をインド洋に送り込んだのである。

 両軍合わせれば戦艦六隻、空母六隻を中心とする大艦隊である。これで何ら戦果を挙げられないということはないだろうと、五人はある種の希望的観測を胸に黙々と食事を続けていた。

 食後のコーヒータイムとなった頃に、食堂の扉が叩かれた。


「海軍省より、エドワーズ参謀長がいらしています」


 給仕の一人が、キング作戦部長に耳打ちする。通せ、と彼は短く命じた。

 キングは作戦部長として多くの幕僚を持つが、直接接するのはリチャード・S・エドワーズ参謀長と、チャールズ・M・クック先任参謀の二人だけであった。彼らは大戦を通じて、この気難しい上司を補佐し、彼と幕僚の橋渡しを務めることになるのである。


「お食事中、失礼いたします」


 一礼して、丸顔に太い眉をした壮健そうな軍人が入室する。


「第五十一任務部隊よりの報告が入りました」


 そう言って、彼は一枚の報告書をキングに差し出した。この上司は、報告は必ず紙一枚にまとめさせた。二枚以上の報告書は読むことなく即座に屑籠に捨てるほど、キングは部下に対して厳格であった。


「寄越せ」


 高圧的な口調と共に書類を受け取ったキングは、さっとそれに目を通す。彼の瞼が、不機嫌さを表すように痙攣した。


「……大統領閣下、良い報告と悪い報告の二つがあります。どちらを先にお聞きになりますか?」


「総じて、悪い報告の方が喫緊の問題と決まっている」ルーズベルトは答えた。「報告したまえ」


「はっ。第五十一任務部隊は二十二日昼間の戦闘により、空母エセックス、インディペンデンス、プリンストン、駆逐艦フートを喪失。さらに夜半、ジャップの戦艦部隊の追撃を受け、戦艦マサチューセッツ、アラバマ、軽巡テンバー、駆逐艦マーフィー、フィリップ、リングゴールドが沈没。その他、潜水艦などの要因によって重巡ボルチモア、駆逐艦スワンソンが失われました。戦艦アイオワ、軽巡サンタフェなどが損傷を負い、現在、インド西岸のコーチンに向け航行中とのことです」


「……」


 ルーズベルトは無言でコーヒーカップを置いた。しばらく両手を膝の上に組んで、虚空を見つめるような表情のまま時間が過ぎる。

 統合作戦本部の残り三名も、一様に深刻そうな表情をしていた。


「……我が方の戦果は?」


 ようやく、精神的な落ち着きを取り戻したらしいルーズベルトが尋ねる。


「航空攻撃による戦果について正確なところは不明ですが、少なくともジャップの空母二隻に打撃を与えた可能性が高いとのこと。夜戦では敵巡洋艦二隻、駆逐艦三隻を撃沈したとのことです」


「犠牲に対して、戦果が少なすぎる。まるで割に合わん」


 リーヒ議長が呻くように言う。


「それで、良い報告というのは?」


 今度はマーシャル参謀総長。


「英東洋艦隊が、ジャップの空母部隊に対する夜間空襲に成功しました」


 同盟国の戦果を、キングは寧ろ忌々しげに報告する。合衆国海軍は敗北し、王室海軍は戦果を挙げるなど、矜持の高い彼からすれば許しがたいことであったのだ。


「戦果は、戦艦一、空母二、巡洋艦二、艦種不詳二、撃沈確実。空母一、巡洋艦三撃破とのことです。まあ、航空隊からの報告をそのまま転送してきたようなので、だいぶ精査する必要があるでしょうが」


 ふん、と鼻を鳴らし、キングは報告書をぞんざいにテーブルの上に置いた。


「つまり、東洋艦隊はまだ健在なのだな?」


 ルーズベルトが、確認するように問う。


「の、ようですな」


 それに、素っ気なくキングは応じた。


「海戦の経過もそうですが、インド・アッサム地方での地上戦も気になるところです」陸軍を統べるマーシャルが言った。「先日のカルカッタへの艦砲射撃によって、英印軍はジャップが後方に上陸するのではないかとの疑念に囚われているとのことです。そのために、正面戦力を引き抜いて後方警備に回し、ますますジャップとの戦闘において劣勢に立たされているのだとか」


「ジャップが英印軍の後方に上陸してアッサム地方で包囲殲滅作戦を採るつもりなら、艦砲射撃のあった十八日の時点で上陸していなければおかしい」


 キングは、英印軍の戦況分析を嗤うように評した。


「まったく、連合王国の人間は植民地のことになると途端に冷静な判断力を失うようですな」


「しかし、インド戦線が重要であることに変わりはない」ルーズベルトが言う。「東洋艦隊が健在ならば、期待しようではないか。イギリス人たちの植民地にかける執念に」


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 戦艦武蔵の通信室は、昨夜から大わらわであった。

 この帝国海軍最良の通信設備を備える戦艦は、敵味方を問わずありとあらゆる通信を傍受しようと試み、ために松井宗明通信長を始めとする通信員たちは、夜を徹して情報収集に追われることになったのである。

 傍受された電文の中には、インド・アッサム地方に侵攻する陸軍第十五軍の通信や、それを迎撃しようとする英印軍の通信らしきものまで存在していた。

 空母翔鶴被雷の報告は、すでに通信室の全員に知れ渡っている。だからこそ、彼ら自身も友軍の状況や英米艦隊の動向を探るべく、必死になっているのである。


「通信長、電探に感あり!」


 ブラウン管を覗いていた星電探員が報告する。


「方位三二〇度に機影一を確認! 距離、およそ五十キロ!」


「ただちに艦橋に報告しろ!」


 恐らくは偵察機であろうが、油断は出来ない。その背後に、こちらを攻撃しようと窺っている敵の大編隊がいないとも限らないのだ。

 とはいえ、あまり神経質になっても仕方がないとも松井は思っている。

 疑心暗鬼に陥って、イルカや鯨、それに流木を敵潜水艦と誤認した例は枚挙に暇がない。こういう時こそ、冷静に情報を分析する必要性があるのだ。


  ◇◇◇


「セイロン島からの報告によりますと、日本艦隊は南東方向に向けて航行中。カタリナ飛行艇が確認出来たのは、戦艦一、巡洋艦三、空母二からなる艦隊のようです」


 戦艦キング・ジョージ五世の艦橋で、参謀長がサマヴィル中将に報告する。


「米艦隊からの情報では、日本艦隊は三群から成っているという。他に敵艦隊は発見出来なかったのか?」


「セイロンからの報告では、これ以上のことは判りません。」


 参謀長は首を振った。


「判った。それにしても、いささか電文の転送に時間がかかりすぎだな」


 サマヴィルの顔には、不満が表れていた。

 セイロン島の基地航空隊が放ったカタリナ飛行艇が日本艦隊を発見したのが、一一〇〇時過ぎ。東洋艦隊にセイロン島の基地航空隊司令部から報告を受けたのが、一三〇〇時過ぎ。

 二時間近い時間を浪費したことになる。

 彼我の艦隊の艦載機の航続圏外であったから良かったものの、そうでなければ東洋艦隊は一方的に空襲を受けていた危険性すらあるのだ。


「やはり、指揮系統の統一がなされていないことが原因かと」


 東洋艦隊と、セイロン島の基地航空隊、それに守備隊の指揮系統は完全に分割されていた。そのため、東洋艦隊とセイロン島の航空隊との間に、連携の不備が生じているのである。

 日本艦隊がインド洋での通商破壊作戦を繰り広げている頃から現場では問題視されていたのであるが、地中海戦線・北アフリカ戦線が逼迫していたこともあり、これまで本国ではイギリスの戦争遂行能力の維持に死活的に重要であるはずのインド洋戦線を軽視していたといわざるをえないだろう。

 インド洋の海上交通路を賭けた英米連合艦隊と日本艦隊との決戦が生ずるに至った今も、その問題は解決されていないのだ。

 東洋艦隊の戦力増強をすればそれで日本艦隊との決戦に勝てるほど、昨今の戦争は単純なものではない。もはや、接舷切り込み攻撃を行っていた時代ではないのだ(一九四〇年二月に発生したアルトマルク号事件は例外中の例外)。

 航空機が発達した現代では、空との連携が不可欠なのである。

 しかし、頭でいくら本国と海軍上層部を批判したところで、建設的なものではないことは、サマヴィルにも判っていた。

 思考を、現在の戦況に切り替える。


「南東方向に向けて航行中ということは、昨夜の空襲で日本艦隊がそれなりの打撃を受けたと見て間違いなかろう」


「はい。そうでなければ、彼らは夜明けと共に索敵機を発進させ、我が艦隊に対して空母戦を挑んでくるはずです。未だレーダー室は敵機らしき反応を探知しておりませんし、警戒は必要でしょうが、敵艦隊は撤退に入った可能性もあるかと」


 昨年のセイロン島沖海戦でも、日本艦隊は東洋艦隊主力を攻撃することなく、撤退している。

 しかし今回の日本側の作戦は上陸を伴ったものであると暗号解読の結果判明しているので、安易に撤退と結論付けるわけにもいかない。

 戦力の再編のために、一旦、東洋艦隊と距離を取っているだけであるのかもしれないのだ。


「とはいえ、追撃はすべきではなかろうな」


「はい、小官もそう考えます」


 サマヴィルの言に、参謀長が頷く。

 彼らの頭にあるのは、ビルマ戦線の戦況だった。現在、英印軍はアッサム地方で防戦を繰り広げているが、敵のカルカッタ上陸を警戒して戦力を分散せざるを得ない状況に陥っている。

 日本艦隊の役目が英米艦隊のインド洋南部への誘引であり、その隙に陸軍部隊をカルカッタに上陸させるという作戦も考えられないことはないのだ。

 未だ日本の上陸船団と思しき艦隊を捕捉出来ていないことも、彼らの判断を難しいものとしていた。


「状況から考えて、日本軍がココス諸島を占領する可能性は低かろう」


「はい」


 連合軍側は、日本側の上陸目標を正確には把握していない。ココス諸島への上陸という可能性も当初は考えられたが、昨日、米艦隊が日本艦隊を発見した時点で彼らはココス諸島を通過していた。

 つまり、日本軍の目標はココス諸島ではない。

 となれば、セイロン島、チャゴス諸島、セイシェル諸島、マダガスカル島などに候補が絞られることになる。これでもまだ候補が多いが、状況的に見てマダガスカルやセイシェルの可能性は低いだろう。

 日本艦隊の針路は南東であり、もしそれらの地点を攻略するために東洋艦隊との距離を取っているのであれば、針路は南西でなければ不自然である。燃料を余分に消費することになりかねない。


「やはり、連中の狙いはインドか」


「サー、その可能性が非常に高いかと」


 セイロンかカルカッタかは未だ確定は出来ないが、今後の戦闘の焦点がベンガル湾になることだけは間違いないだろう。


「問題は、ポートブレアの日本軍基地航空隊だな。あれを排除出来ない限り、ベンガル湾東部での作戦行動は危険が伴う。昨日の海戦で、イラストリアスの戦闘機隊が消耗してしまったことは痛いな」


 昨日、空母イラストリアスのF4Fマーレット隊を米艦隊の救援に向かわせたのだが、逆にその大半を日本の零戦に撃墜されてしまった。帰還した機体も被弾によって修理不能となったものが多く、戦力としては換算出来ない。

 そのため艦隊の保有する戦闘機は、空母フォーミダブルのF4F二十八機、各空母が搭載するシーファイア、シーハリケーン合わせて二十一機の総計四十九機である。

 昨日の米日空母戦では、日本軍攻撃隊は護衛に多数の零戦を付けていたという。五十機に満たない戦闘機では、艦隊防空にいささか不安を感じざるを得ない。

 さらに、バラクーダ雷撃機の稼働機も、当初の四分の一以下に落ち込んでいる。

 空母機動部隊としての打撃能力は、ほとんど喪失してしまったといっていい。

 この上、ポートブレアの基地航空隊と日本空母部隊を同時に相手取ることになれば、ミッドウェー海戦の日本海軍と同じ轍を踏むことになるだろう。


「日本艦隊の動向には引き続き注意を払いつつ、我が艦隊は一旦北上、セイロン島トリンコマリー沖に展開し、日本艦隊を迎撃する態勢を整える」


 サマヴィルはそう命じた。彼は逆に、ミッドウェー海戦における米艦隊と同じ状況に自らの艦隊を置こうとしたのである。

 日本艦隊の撤退については確証が持てない以上、艦隊をアッズ環礁に引き上げさせるという選択肢はない。かといって、南方の日本艦隊を追撃してベンガル湾の防備を空にするわけにもいかない。

 日本軍がセイロン上陸を目論むにせよ、カルカッタ上陸を目論むにせよ、戦艦三、空母三を含む有力な艦隊がセイロン島沖に展開することは、それだけで彼らに対する圧力になる。


「今後の我が艦隊の方針としては、セイロン島の基地航空隊の支援を受けながら戦闘機による艦隊防空に努めつつ、敵上陸船団の捕捉・撃滅を図る。これしかなかろう」


「はい」サマヴィルの言葉に、参謀長が頷いた。「ただ、やはり日本の航空隊を警戒して、夜間の作戦行動に絞るべきでしょう。敵上陸船団を、水上砲撃戦によって撃滅するのです」


「昨日、日本艦隊がアメリカ艦隊に対して行ったように、かね?」


「はい」


 イギリス海軍は、地中海戦線においてイタリア海軍と何度も水上砲撃戦を繰り広げているが、実は夜戦に突入した海戦は非常に稀であった。

 マタパン岬沖海戦では、夜戦によってイタリア重巡三隻を撃沈した英艦隊であったが、これは追撃の結果、そうなったのであって、当初から夜戦を企図していたわけではない。海戦そのものは、午前中に開始されている。

 また、マルタ島を巡って発生した第二次シルテ湾海戦が夜戦ともいえるが、これも夕刻に砲戦が開始されたものの、一九〇〇時前には英伊艦隊とも砲戦を切り上げている。

 日本海軍のように積極的に夜戦を挑むというのは、欧州の海軍にとってみればかなり例外的事例なのだ。

 英米艦隊は日本海軍に比して優れたレーダーを搭載しているので夜戦が不可能というわけではないのだが、それでもやはり戦前から夜戦の訓練を積極的に行ってきた日本海軍に比べればその技量は劣る。

 ソロモン戦線でのアメリカ海軍の数々の敗北、そして昨夜、新鋭戦艦二隻を撃沈された第五十一任務部隊の惨状がそれを証明している。


「やむを得んか」


 サマヴィルとて、日本海軍に夜戦を挑む危険性は承知している。しかし、インドを失うことによる戦略的損失に比べれば、許容すべき危険性であるともいえる。最早、戦況は東洋艦隊の戦力温存を図っているような段階ではないのだ。

 出来れば地中海での海戦のように、こちらの制空権が確保された状況での昼間砲戦が望ましいが、航空兵力で圧倒的に劣る東洋艦隊では自殺行為にしかならない。それこそ、地中海でのイタリア海軍の立場を、今度はイギリス海軍が味わうことになるだろう。

 夜戦というのは、そうした意味では現実的な選択ともいえた。


「では、セイロン島の基地航空隊と共同して敵輸送船団の捕捉に努めるとしよう。航空参謀」


「はっ!」


「セイロン島の基地航空隊には引き続き、南方に発見された日本艦隊との接触を続けてもらうと共に、我が艦隊はベンガル湾での索敵を強化する。そのことを踏まえて、明日以降の索敵計画を立てるように」


「アイ・サー。ただちに取りかかります」


「うむ、頼んだぞ」


 こうして、イギリス東洋艦隊は二十四日以降のベンガル湾での作戦行動を実施すべく、艦隊を北上させ始めたのであった。


  ◇◇◇


 後世、歴史家の中は東洋艦隊が夜間雷撃を行った二十二日から二十三日の夜にかけて、水上艦隊による追撃を併せて行わなかったことを批判する者がいる。

 だがこれは、後知恵に等しい意見であった。

 何故ならば、夜間雷撃を決意した時点で英東洋艦隊は自ら日本艦隊の位置を把握していたわけではなく、追撃しようにもその針路を定めることが出来なかったのである。

 さらには、第一機動艦隊が戦艦六隻を擁する部隊であることを考えれば、戦艦三隻による追撃は無謀であるともいえた。サマヴィルらは当然、第一機動艦隊が米艦隊追撃のために第二艦隊を分離していることを知らなかったのだ。

 水上艦隊による追撃を行わなかったのは、その時点においてサマヴィルらの知り得た情報を総合すれば、必然的な結果であるともいえるのである。

 ただ、そうした批判が生まれるには、当然ながら背景がある。

 つまり、二十二日から二十三日にかけて、東洋艦隊が追撃など損害を度外視した積極的行動に出ていれば第一機動艦隊がかなり危機的な状況に陥っていた可能性があり、逆にそうした行動を行わなかったために第一機動艦隊に再編のための時間的猶予を与えてしまったという事実があるためだ。

 とはいえ、あくまで可能性の話であり、セイロン島のカタリナ飛行艇が第一機動艦隊を捕捉した時点で水上艦による追撃を決意したとしても、逆に武蔵以下戦艦部隊によって東洋艦隊の方が打撃を受けていただろうという指摘もある。

 その意味では、上陸船団の撃滅を決意したサマヴィルの判断は正しかったといえるのだ。






「翔鶴より、艦内の換気は概ね完了したとの報告が入りました。当面、危機は脱したものと考えます」


 その報告に、武蔵艦橋に安堵の息が広がる。


「しかし、被雷によって航空燃料庫に亀裂が入り、そこから航空燃料が漏れ出すとは……」


 険しい声で白石参謀長が呟いた。

 昨夜の空襲によって被雷した翔鶴であったが、浸水自体は沈没が危ぶまれるほどのものではなく、十分に回航可能な程度には収まっていた。だが、被雷からしばらくして後部の軽質油タンクに亀裂が発見され、そこから燃料の気化が始まっていたことで、艦隊将兵の間に衝撃が走った。

 ガソリンガスが艦内に充満すれば、火花一つで翔鶴は爆沈してしまう。

 このため、岡田艦長は艦内に火気厳禁の命令を出すと共に、三基のエレベーターをすべて降ろし、格納庫に通じる通路をすべて開け放たせた。危険を承知で、舷窓すら開けさせたという。

 もし潜水艦による雷撃などを受ければ、艦内の扉や舷窓が開け放たれているので、即座に浸水が拡大して沈没する危険性すらあった。

 第一機動艦隊は翔鶴の護衛を固め、対潜警戒用の九七艦攻などを飛ばして早朝から厳重な警戒を行っていた。

 その甲斐あってか、ようやく翔鶴は危機的な状況を脱することが出来たのである。

 近藤長官以下が安堵に胸をなで下ろすのも、無理からぬことであった。


「ミッドウェーの戦訓から空母の不燃化対策が取られていたというが、艦政本部もガソリンの気化は盲点だったようだな」


「はい。各空母に改めて注意を促すと共に、内地に帰還後、各空母の航空燃料庫の防御を強化させる必要があるでしょう」


 近藤の言葉に、白石参謀長が応じた。


「まあ、空母の改装工事は今ここで出来ることではない。それよりも、英艦隊の動向には注意を払わんといかんな」


「第八五一航空隊よりもたらされた英東洋艦隊の位置から考えますと、本日中の接敵は彼我共に不可能かと」


 飛行艇を主力とする第八五一航空隊は、アンダマン諸島ポートブレアとスマトラ島北部のサバン島に展開し、ベンガル湾全域とスマトラ島西岸沖をほぼ索敵圏内に収めている。

 一四〇〇時過ぎ、索敵に出ていた九七式飛行艇の一機が索敵線の最西端付近で北上中の英東洋艦隊を発見していた。

 第一機動艦隊としては連合艦隊司令部からの指示通り、本日中に再度の給油を済ませ、明日以降、英艦隊の決戦に備えるつもりであった。

 セイロン島の敵飛行場への砲撃は、二十四日の夜に行う予定である。

 現在、第一機動艦隊は再編によって次の三群からなる部隊となっていた。


第一機動艦隊  司令長官:近藤信竹中将

 第二艦隊  司令長官:近藤信竹中将

第一戦隊【戦艦】〈武蔵〉〈長門〉

第二戦隊【戦艦】〈伊勢〉〈日向〉

第三航空戦隊【空母】〈隼鷹〉〈龍鳳〉

第四戦隊【重巡】〈高雄〉〈愛宕〉〈摩耶〉

第十六戦隊【重巡】〈足柄〉

第二水雷戦隊【軽巡】〈神通〉

 第十五駆逐隊【駆逐艦】〈黒潮〉〈親潮〉〈陽炎〉

 第二十四駆逐隊【駆逐艦】〈海風〉〈江風〉〈涼風〉

 第三十一駆逐隊【駆逐艦】〈大波〉〈巻波〉〈長波〉〈清波〉


 第三艦隊  司令長官:小沢治三郎中将

  甲部隊  司令官:小沢治三郎中将

第三戦隊【戦艦】〈金剛〉〈榛名〉

第一航空戦隊【空母】〈瑞鶴〉〈瑞鳳〉

第二航空戦隊【空母】〈飛龍〉〈龍驤〉

第八戦隊【重巡】〈利根〉〈筑摩〉

第十戦隊【軽巡】〈阿賀野〉

 第四駆逐隊【駆逐艦】〈萩風〉〈舞風〉〈嵐〉〈野分〉

 第十駆逐隊【駆逐艦】〈夕雲〉〈巻雲〉〈風雲〉〈秋雲〉

 第十六駆逐隊【駆逐艦】〈初風〉〈雪風〉〈天津風〉〈時津風〉

第六十一駆逐隊【駆逐艦】〈秋月〉〈涼月〉〈初月〉


  乙部隊  司令官:西村祥治少将

第七戦隊【重巡】〈最上〉〈三隈〉〈鈴谷〉〈熊野〉

第十二戦隊【軽巡】〈五十鈴〉

 第八駆逐隊【駆逐艦】〈朝潮〉〈大潮〉〈満潮〉〈荒潮〉

 第十七駆逐隊【駆逐艦】〈谷風〉〈浦風〉〈磯風〉〈浜風〉

付属【空母】〈翔鶴〉〈飛鷹〉


 損傷を負った空母を一部隊にまとめ、第二艦隊、第三艦隊甲部隊で改めて空母部隊を編成した形である。

 翔鶴、飛鷹に関してはシンガポール回航も検討されたが、結局は乙部隊として後続させる恰好となった。これは、艦隊の位置的にスマトラ島が壁になってシンガポールへ向かうことが難しいことによる。

 シンガポールへ回航するにしても、現状での最短経路であるズンダ海峡は岩礁が多く潮の流れも速いため、航海の難所として知られており、必然的に第一機動艦隊がインド洋に進出した際のロンボク海峡を通過することになる。しかし、特に護衛に当たる駆逐艦の燃料を考えると困難なものがあった。

 最善はマラッカ海峡を経由してシンガポールへ向かうことだが、セイロン島沖に英東洋艦隊が展開していることを考えると、危険であった。

 このため、翔鶴、飛鷹は第一機動艦隊主力に後続させ、英艦隊の撃滅後にマラッカ海峡経由でシンガポールへ回航することとなったのである。


「各艦は給油完了後、本日一七〇〇を以て再度北上を開始。明日の払暁と共に索敵機を発進させ、英東洋艦隊の撃滅を図る。その旨、瑞鶴にも伝達せよ」


「はっ!」


 翔鶴被雷後、第三艦隊の小沢長官は空母瑞鶴に将旗を移していた。

 こうして帝国海軍は二十四日の決戦に備え、残存六空母では整備員たちによる夜を徹しての作業が行われることになったのである。

 セイロン島攻略“雄作戦”は、これにて第二段階に入ったといえよう。






 だが、第一機動艦隊の企図とは違い、すでにベンガル湾を巡る攻防戦はこの日の夕刻に始まっていた。


「七五三空よりのト連送を受信しました! 第二十一航空戦隊は英東洋艦隊に対する薄暮攻撃を敢行せる模様!」

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