28 狂乱の夜戦
第四戦隊旗艦愛宕の主砲が轟音と共に砲弾を発射した。
後続する高雄、摩耶もまた主砲弾を放つ。
これに対し、米軍の二隻の巡洋艦が追撃するこちらの行く手を阻むように砲撃を返す。
「奴ら、完全に逃げの姿勢に入っているな」
城郭を思わせる重厚な造りの愛宕艦橋で、第四戦隊司令官・伊崎俊二少将は苦々しく呻いた。
米軍の巡洋艦の内、一隻はノーザンプトン級、もう一隻はソロモン海で存在が確認された新型巡洋艦である。対するこちらは高雄型三隻。
戦力的には、第四戦隊が明らかに有利である。だが、伊崎少将の顔は晴れない。
「敵艦、再び煙幕の中に隠れます!」
見張り員の報告に、伊崎も愛宕艦長である中岡信喜大佐も苦い顔をさらに苦くする。
武蔵の主砲射撃を号砲として始まった戦闘から、すでに十分あまり。
先ほどから、この連続である。敵も応戦してくるのであるが、あくまでこちらを牽制するための砲撃であるようだった。二隻の敵巡洋艦は駆逐艦の展開する煙幕の中に巧みに隠れ、三隻の重巡の砲撃に空振りを繰り返させている。
こちらも命中弾は受けていないが、厄介なのは煙幕だけではなかった。
「右舷二〇度に敵駆逐艦一を確認! 距離一万二〇〇〇! 突っ込んできます!」
「取り舵一杯!」
「とぉーりかーじ、一杯!」
伊崎の命令一下、舵を切り始めた愛宕に高雄と摩耶が続く。
「目標、接近中の敵駆逐艦!」
中岡艦長が、射撃指揮所へと怒鳴る。
「宜候、目標、敵駆逐艦!」
砲術長の声は、どこか
煙幕以外にも、こうして五月雨式に突撃を繰り返してくる米駆逐艦の存在は厄介であった。いや、むしろ牽制のためとはいえ明らかに逃げ腰な巡洋艦に比べて、単艦で果敢に突撃してくる駆逐艦の方がより厄介であるかもしれない。
彼女たちは、当然ながら魚雷を搭載している。接近されれば、第四戦隊はその餌食となってしまうだろう。それだけは避けなければならない。
「敵艦発砲!」
見張り員の報告が愛宕の夜戦艦橋に響く。敵駆逐艦が、愛宕に先駆けて射撃を開始したのだ。月明かりの降り注ぐインド洋の海上に、発砲炎によって一瞬だけ敵影が浮き上がる。
日本の駆逐艦と比べて重厚さを感じさせる敵駆逐艦。比較対象となるべきノーザンプトン級がいなければ、視界の限られた夜間では巡洋艦と誤認してしまいそうである。
愛宕の周囲に敵弾が落下する中、彼女もまた再び射撃を開始した。
五基の主砲塔から、それぞれ一発ずつの徹甲弾が放たれる。最大戦速で突っ込んでくる敵駆逐艦との距離は、すでに八〇〇〇メートル近くにまで縮まっていた。
空中を互いの砲弾が交差し、何度も水柱を立てる。
「敵巡洋艦、煙幕より出現! 発砲の閃光を確認!」
さらに、ノーザンプトン級も砲撃に加わってきた。だが、射撃の照準は接近中の敵駆逐艦に合わせてしまっている。このまま、敵駆逐艦に射撃を続行するしかない。
愛宕は敵駆逐艦に対し三度砲撃を加え、三度目の砲撃で敵艦後部に命中弾を与えた。しかしその直後、敵駆逐艦は反転して煙幕の中に隠れてしまった。
「目標を敵ノーザンプトン級に変更!」
またしても射撃目標の変更命令である。
「このままでは、敵艦隊にスコールの中に逃げ込まれてしまうな」
伊崎はそう呟くが、敵艦隊の妨害は巧みであり、第四戦隊は思うように追撃が出来ていない。結局、さらに二度射撃を行った後、敵重巡もまた煙幕の中に逃げ込んでしまった。
第四戦隊は針路をスコールの方に向けつつ、射撃を一時中止せざるを得なかった。三隻の重巡には電探が搭載されておらず、煙幕の内部で米艦隊がどのような機動を取っているのかが判らない。
見張り員たちも、いつ敵艦が煙幕から飛び出してくるかと、緊張を持って双眼鏡に取り付いている。
「第十六戦隊の方はどうか?」
戦闘が小康状態になったところで、那智、足柄で構成される重巡戦隊の動向について伊崎は問う。
「第十六戦隊は、第一、第二戦隊への襲撃機動を試みる敵駆逐艦への対応に追われているようです!」
「……」
伊崎は思わず呻き声を漏らした。
追撃の末、遭遇した米艦隊との戦闘は、ある意味で最初から佳境を迎えていたといっていい。何しろ、最初に砲火を開いたのは両軍の戦艦なのだ。
米軍もこちらの追撃を予期していたらしく、殿に戦艦を配置していたからである。
砲戦を行う彼女たちの脇をすり抜けるような形で、五隻の重巡は敵残存艦艇への追撃を開始したのであるが、これが思うようにいっていない。
未だ、一隻たりとも敵艦の撃沈が確認出来ていないのだ。
射撃の際には上空の水偵が吊光弾を落としてくれているが、それにも限りがある。そもそも、煙幕に隠れられては吊光弾による照明もあまり意味がない。月明かりがあるのは幸いであるが、やはり煙幕内の敵艦には意味のないものである。
そのままスコールの方向に向けて煙幕と併走することしばし。
「敵駆逐艦、煙幕より出現! 距離、九五〇〇!」
またしても、敵艦は唐突に煙幕から現れた。
「各艦は適宜砲撃を開始せよ!」
伊崎は戦隊全体に向けて命じた。こうも状況が錯綜しては、戦隊単位での統制された射撃などは望めない。各艦の艦長が個別に目標を選定し、砲撃するしかないのだ。
愛宕の主砲が再び砲撃を始めたのは、それから少ししてのことであった。
「左舷四〇度に雷跡四!」
「取り舵一杯、急げ!」
「とぉーりかーじ、一杯!」
一方、第十六戦隊を構成する那智と足柄もまた、米駆逐艦との混戦に陥っていた。
彼女たちと対峙する米駆逐艦は、武蔵以下戦艦部隊への突撃を行う戦術機動を見せており、無視するわけにはいかない存在となっている。
さらに、一部の敵艦は煙幕に紛れて魚雷を発射してくるため、那智も足柄も頻繁な変針を余儀なくされていた。
第十六戦隊旗艦の那智は、すでに十本近い雷撃を回避している。
「このまま敵艦が魚雷を消耗してくれれば良いのだが……」
那智艦橋で、第十六戦隊司令官・志摩清英少将は呟く。
米駆逐艦は日本の駆逐艦と違い、魚雷の次発装填装置を持たない。だから、敵駆逐艦が第十六戦隊相手に魚雷を消費してくれるならば、那智と足柄は間接的に戦艦部隊の護衛を果たせることになる。
しかし、それは被雷の危険性と紙一重のものである。雷跡が報告されるたびに、艦橋には緊張が走るのだ。
那智は接近してくる米駆逐艦に対し、主砲だけでなく高角砲すら用いて射撃を繰り返していた。敵駆逐艦の中には、五〇〇〇メートル近くにまで接近してくるものもいる。その勇敢さは、帝国海軍の水雷戦隊に勝るとも劣らないものだ。
これまでに那智と足柄は三隻の敵駆逐艦(煙幕への出入りを繰り返しているので、同一艦である可能性もあった)に命中弾を与え、内一隻を大破炎上させている。一方で那智も敵駆逐艦の五インチ砲弾を喰らい、艦橋の少し後方、中甲板にある兵員室を破壊されていた。
敵駆逐艦群の戦術は狡猾ともいえる。
第十六戦隊は敵駆逐艦群の戦艦部隊への雷撃阻止に追われ、敵艦隊に対する追撃も、敵戦艦に対する雷撃も不可能となってしまったのだ。
「雷跡、艦尾に抜けました!」
「舵戻せ!」
「宜候、舵戻せ!」
敵駆逐艦の雷撃を回避した那智は、再び遁走する敵艦隊への追撃を試みる。
右舷側の海面では今も武蔵以下戦艦部隊が米戦艦との砲戦を続けており、殷々たる砲声が那智艦橋にまで伝わってくる。戦況は不明であるが、未だ四戦艦は健在であるようだ。
「右舷二十五度に駆逐艦一! 距離八〇〇〇! 第二戦隊に向かいます!」
だが、雷撃の危機はまだ去ってはいない。
煙幕から飛び出してきた駆逐艦が、那智が雷撃を回避している隙を突いて第二戦隊への突撃を開始したのだ。
「敵駆逐艦に対し探照灯照射!」
志摩は迷うことなく命じた。探照灯を照射することで敵艦の姿を照らし出し、第二戦隊への警告としようとしたのである。
「宜候、探照灯照射!」
直後、煙突の脇に取り付けられた九二式一一〇センチ探照灯が白い光を放ち、光線が海面の上を駆け抜けた。その光線が、突撃をする敵駆逐艦の姿を照らし出す。
その白い光の道を追いかけるかのように、五基の砲塔が旋回する。
「射撃用意よし!」
「撃ち方始め!」
「てっー!」
伊勢と日向に向けて突撃する敵駆逐艦に向けて、那智の主砲が火を噴く。
「足柄も射撃を開始しました!」
見張り員の報告が艦橋に響く。雷撃の回避などで二隻の隊列は乱されているが、それでも足柄は那智に後続しているらしかった。
「左舷五〇度より新たな敵艦が接近中! 距離九〇〇〇!」
「高角砲にて応戦せよ!」
見張り員の報告を受け、
二〇・三センチ主砲の轟音の合間に、十二・七センチ高角砲の発砲音が混じり込む。
「第二戦隊、副砲による射撃を開始した模様!」
どうやら、伊勢と日向は副砲を用いて接近中の駆逐艦に対処するつもりのようだった。
敵駆逐艦の周囲に、無数の水柱が立ち上る。
やがて、那智が四度目の射撃を行ったあたりで、敵駆逐艦の艦上に爆発が起こった。那智か、足柄か、あるいは伊勢や日向の砲弾が命中したらしい。敵駆逐艦は誘爆を繰り返しつつ、洋上に停止した。
「照射止め!」
「宜候、照射止め!」
那智から放たれていた白い光線が消える。
だが、志摩や曽爾らはほっと息つく暇さえなかった。
「左舷の駆逐艦、魚雷発射運動!」
「面舵一杯!」
那智はまたしても転舵を余儀なくされる。彼女は高角砲を猛射しつつ、右へと旋回を始めた。転舵による遠心力によって、艦がかすかに傾く。
「後部見張所より報告! 足柄の後方に神通を確認! 二水戦、敵の妨害を突破して敵戦艦部隊への突撃を開始した模様!」
その報告に、志摩はほぅと一息ついた。ようやく、この膠着した戦闘に突破口が開けそうである。
ただし、それは同時にスコールに逃げ込もうとする敵残存艦艇への追撃を断念することに繋がる。しかし、水雷戦隊にとって最大の獲物たる敵戦艦は目の前にいるのだ。二水戦司令・田中頼三少将は、確実に仕留められる敵を目標に選んだのだろう。
ソロモン戦線を駆け抜けた指揮官らしい、臨機応変な対応である。
「本艦と足柄は、二水戦を援護せよ!」
ならば、自分たち第十六戦隊はその突撃が成功するように支援すべきだろう。
志摩は心の中で海兵二期後輩の二水戦司令官に声援を送ると共に、そう命じたのだった。
◇◇◇
アイオワの船体を、再びの衝撃が襲った。
「ダメージ・リポート!」
艦内電話に向かって、マックレア艦長が怒鳴る。
「後部射撃指揮所、応答ありません!」
「前部甲板にて火災発生中!」
「消火、急げ!」
武蔵からの第六射は、アイオワの後部射撃指揮所を完全に粉砕すると同時に、前部甲板にて火災を発生させたのであった。
一方、アイオワは九門の主砲がなおも健在であるが、第五射に至るまで命中弾を出せていない。
「艦長、速力がこれ以上落ち込まない内に、敵一番艦の前方に回り込むのだ」
航海司令塔で、スプルーアンスは決断した。
アイオワの速力は、被弾によって二十八ノットに落ち込んでいる。最大戦速である三十三ノットから五ノットも低下しているわけであるが、それでもなお高速は維持している。
命中弾が得られない現状では、砲戦よりもその速力を活かした機動によって敵戦艦を牽制すべきとスプルーアンスは考えたのである。
「アイ・サー! 機関増速、敵一番艦前方に回り込みます!」
マックレア艦長が即座に応じる。損傷がなければ二〇万馬力以上を発揮する機関が唸りを高め、アイオワが速力上げる。
「通信、マサチューセッツ、アラバマにはそのまま砲戦を継続するよう伝達せよ」
「アイ・サー!」
旗艦の運動に後続艦が無理に追従しないよう、予め旗艦の戦術機動については説明しておく必要があった。
「他艦の状況はどうか?」
「現在、オーガスタとデンバーが敵巡洋艦戦隊と交戦中とのことですが、煙幕を利用して敵の牽制に努めているとのことです。デンバーに三発ほど命中弾があったようですが、いまだ健在です」
「うむ、よかろう」報告に、スプルーアンスは頷いた。「あくまで、スコール内に退避するための時間を稼げればそれでよい。くれぐれも、無理はさせるな」
「アイ・サー」
問題はこちらの方かもしれない、とスプルーアンスは思う。
アイオワ以下三隻の戦艦は、敵艦隊の追撃から残存艦艇を守るために後衛を務めているが、戦況は芳しくない。
アイオワの主砲は空振りを繰り返し、一方で敵ヤマト・クラスの主砲は確実にこちらに打撃を与えている。ナガト・クラスに対して優位に立てるだけの性能を持つマサチューセッツも、先に命中弾を受けたという。
敵艦隊の追撃を牽制するための戦闘であるはずなのであるが、互いの戦艦が真っ先に衝突したために、本格的な砲戦に雪崩れ込んでいる。被雷によるアラバマの速力低下もあり、スプルーアンスはこの状況を脱する
水上部隊指揮官としての経歴を歩んできた自分にとっては、戦艦同士の砲戦を指揮出来る機会に恵まれたことは本来であれば喜ぶべきことなのだろうが、今は興奮よりも不安と焦燥の方が勝っている。
せめて、アラバマがイセ・クラスを早期に撃破することが出来れば、活路が見出せるのだろうが、未だ彼女からは敵戦艦を撃破した旨の報告はない。
「こちらレーダー室! 敵一番艦の前方に出ました!」
「航海長、面舵二〇度! 全砲門を敵一番艦に向けられるようにせよ!」
「アイ・サー!」
敵艦を追い抜くような恰好となったアイオワは、そのままの姿勢では前部の二基の主砲塔が敵艦を捉えられなくなってしまう。そのため、マックレア艦長は面舵を命じたのである。
一方、敵一番艦はこれで後部の主砲をこちらに向けられなくなったはずであり、さらにアイオワが増速・変針したことによって照準を一から定め直さなければならなくなったはずである。
アイオワの高速性能が、一時的に有利に働いたといえよう。
とはいえ、敵一番艦も黙ってこちらに丁字を描かせてはくれないだろう。
「こちらレーダー室! 敵一番艦の動きに変化あり! こちらと同じく転舵した模様! 再び同航戦に入ります!」
「……」
スプルーアンスは無言でレーダー室からの報告に頷いた。
敵一番艦が動いた。これで、完全に奴は射撃諸元を求め直す必要に迫られただろう。残存艦艇が退避するまでの時間を稼ぐという意味では、ひとまず成功を収めたといっていい。
だが、問題はアイオワそのものが退避するだけの余裕が生まれるかどうかである。
スプルーアンスの脳裏に諦観の単語は浮かんでいない。退避の頃合いを見極めようとする冷静な思考と共に、彼は彼我の艦隊運動を見守っていた。
「敵一番艦増速! こちらの頭を抑えようとしています!」
「なるほど、そう来たか」
見張り員からの報告に、武蔵艦長の古村啓蔵大佐はぼそりとした呟きで応じた。
敵艦の砲撃は空振りを繰り返しており、砲戦で優位に立てないのならばその機動によって優位に立とうとしているのだろう。
射撃諸元を一から求め直さなければならないことが厄介ではあるが、敵の機動によって武蔵が不利になったわけではない。
「こちらも面舵だ! 頭を抑えられるな!」
「宜候! おもーかーじ!」
「機関増速、二十六ノットとなせ!」
「宜候! 機関増速、二十六ノット!」
転舵と増速により、射撃は一時停止せざるを得ない。
「後続の艦に信号を出せ。旗艦ニ追従スルノ要ナシ、砲戦ヲ継続セヨ、とな!」
古村の転舵命令に合わせるように、近藤長官が通信兵に命令を下す。
武蔵の艦首が右に振られ、海面から上がる白い艦首波の勢いが増していく。
艦橋最上の射撃指揮所では、武蔵と敵艦の動きに合わせて再度の射撃諸元の計算に追われていた。その間に三基の主砲塔では徹甲弾の装填作業が行われている。
現在までに、敵戦艦に与えた命中弾は七発。帝国海軍の砲術教範では、そろそろ敵艦の戦闘力を喪失せしめたと判定される弾数である。
だが、敵艦はこちらに丁字を描くような機動を行っている。どう考えても、戦闘力を失っているようには見えない。
「本艦、敵一番艦と同航に入りました!」
「舵戻せ!」
これ以上、舵を切る必要はない。古村はそう命じた。
「敵一番艦、発砲を再開した模様!」
「早いな」
恐らく、電探による補助で射撃諸元を素早く計算し直したのだろう。だが、古村の表情に焦りはなかった。お互い、第一射から命中することなど、よほどの幸運に恵まれない限りはあり得ないのだ。
一方で、敵艦の示す稚拙な砲戦技量に対する油断は、古村の中にはなかった。
敵艦の乗員も無能ではない。これまでの射撃で、ある程度の感覚は掴めてきているはずであった。いつ命中弾が出てもおかしくはない。
「射撃用意良し!」
敵の主砲弾が到達する前に、武蔵も射撃準備を整えたらしい。
「よろしい、撃ち方始め!」
「てぇー!」
武蔵の主砲が、この日七度目となる射撃を行う。
砲煙が晴れるのとほぼ同時に、敵砲弾の弾着がある。武蔵の周囲を、アイオワの放ったSHSによる水柱が取り囲んだ。
「ただ今の敵弾による命中弾なし!」
古村の予想通り、敵艦の第一射は空振りに終わった。
だが一方で、その散布界はわずかに狭まっているようにも感じる。やはり、敵の砲員も射撃に慣れてきたのだろう。被弾せずに済めばそれが最善だが、祈ったところでどうにかなるものでもない。
古村はただ泰然として、武蔵夜戦艦橋に立っていた。
「だんちゃーく!」
ストップウォッチを持った観測員の声が艦橋に響く。
「遠、遠、近。ただ今の射撃による命中弾なし!」
武蔵の射撃も、第一射では命中弾が出なかった。当然の結果であり、落胆するほどのことでもない。
これまでの射撃実績から、敵艦がこのまま変針などをしなければ三射から四射目には命中弾を出せるだろう。
砲術長を始めとする砲術科の者たちの技量を信じ、古村は次なる武蔵の射撃を見守った。
◇◇◇
「だんちゃーく!」
「命中三を確認! 敵二番艦、炎上しています!」
見張り員の興奮した声が、長門の第六射の戦果を告げた。
「……」
彼方で炎を吹き上げる敵艦の姿を、久宗は固唾を呑んで見守った。
直後、長門を水柱が包み込んだ。敵艦からの弾着である。
艦底から突き上げるような衝撃が彼女を襲うが、爆発音も金属の軋むような音も聞こえない。
「ただ今の敵弾による命中弾なし!」
第五射において長門に命中弾を与えた敵艦は、第六射を外した。それが意味するところは明らかだった。
「敵艦は、射撃に必要な装備に損傷を負ったのかもしれんな」
安堵の息と共に、久宗は呟く。やはり、自分は強運に恵まれているらしい。いや、長門が幸運に恵まれているのか?
長門は第三次ソロモン海戦を最も少ない被害で切り抜け、こうして大和、陸奥が参加出来なかった二度目の日米戦艦対決に臨むことが出来ている。戦艦として、長門は非常に恵まれた運命にあるといえるだろう。
長門が、七度目の射撃を行った。八門の四十一センチ砲による、斉射。
その砲弾は大気を貫きつつ、マサチューセッツへと殺到した。
ナガト・クラスによる第六射の衝撃が醒めやらぬ内に、第七射がマサチューセッツへと降り注いだ。
衝撃と爆音。
金属が軋みを上げ、マサチューセッツそのものが悲鳴を上げているようであった。
「ダメージ・リポート!」
「前部に二、中央部に一発被弾! 艦首からの浸水、さらに増大しています! 第二砲塔にバーベットの歪みを確認、砲塔旋回不能! 右舷対空射撃方位盤、全滅!」
昼間の空襲で両用砲が破壊された今、対空射撃方位盤の損害は大した意味を持たない。だが、前部に命中した敵砲弾は深刻だった。
これまでに、二度、艦首近くに命中した敵十六インチ砲弾。被弾によってマサチューセッツの艦首からは多量の浸水が始まっており、艦は前方への傾斜を深めていた。さらに、第二砲塔のバーベットが歪んだことにより、実質的にマサチューセッツの使用出来る砲塔には第一、第三砲塔の二基のみとなってしまった。
ヴァイタルパート内部の損傷は致命的ではないものの、彼女の戦闘力は大きく減じられてしまっている。
艦首からの浸水も、凌波性に難を抱えるサウスダコタ級では深刻な被害であった。
「何故だ……」
自らの艦の状況を報告されたホィッティング艦長は呆然と呟いた。
戦艦としては明らかに格下であるはずのナガト・クラスに、合衆国の新鋭戦艦たるマサチューセッツが叩きのめされようとしているのだ。
浸水によってトリムが狂ったことにより、折角第五射で命中弾を出したにも関わらず、その後の第六射は空振りに終わっている。一方、敵戦艦は第三射から連続してマサチューセッツに命中弾を与えていた。
いったい、ジャップは艦齢二十年を超えるであろうナガト・クラスにどのような魔法をかけたのか。
わずかに前方に傾く航海司令塔の床に、ホィッティング大佐は立ち尽くしていた。
「……アイオワのスプルーアンス長官に、TBSを繋げ」
やがて悄然と、彼は通信兵に命じた。
「本艦の被害甚大。スコールへの退避を許可され度、とな」
「アイ・サー」
命じられた通信兵の返答には、ジャップに負けたことへの悔しさが滲んでいた。
マサチューセッツの船体が主砲射撃の振動で揺れるが、最早、ホィッティングには気にならなかった。どうせ、浸水によって傾斜した状態で射撃を行ったところで、まともな命中弾は望めないだろう。
彼の意識は、如何に自らの指揮する艦を生き残らせるかという方面へと、すでに向かっていた。
「だんちゃーく!」
「敵艦に命中二を確認! 敵艦の速力、徐々に低下していきます!」
長門、八度目の射撃による戦果。
「……勝ったな」
唇の片端を持ち上げて、久宗は宣言した。敵の砲撃精度の低下と合わせて、あの戦艦はもはや戦力として換算出来ないだろう。
「敵二番艦、取り舵に転舵! 遁走を開始した模様!」
「目標を敵三番艦へ変更せよ! 第二戦隊を援護するのだ!」
正直、撃沈確実となるまで砲撃を続行したいところではあるが、第二戦隊が心配であった。
久宗は後ろ髪を引かれる思いではあったが、断乎とした口調で砲術長に目標の変更を命じた。
インド洋の海上交通路の確保という最終的な作戦目標からすれば、敵戦艦を撃沈出来ずとも無力化出来ればそれでいいのだ。彼は自分にそう言い聞かせ、友軍の支援に回ることを決断した。
◇◇◇
一方、久宗が懸念していた第二戦隊の伊勢、日向であるが、彼女たちとアラバマとの砲戦は日米両軍にとって奇妙ともいえるほど緩慢なものとなっていた。
この原因は伊勢型の二隻とアラバマ双方に求められた。
アラバマに関しては、単純に被雷による損傷が砲撃戦に悪影響を及ぼしていたのである。二本の魚雷を受けながらも浸水を食い止め、反対舷への注水によって傾斜を復旧した彼女であったが、主砲射撃による振動と至近弾による水中からの衝撃によって魚雷の破孔が拡大。さらに防水隔壁そのものを歪めて浸水を増大させた結果、砲撃と傾斜復元のための注水を繰り返す状況に陥っていた。
つまり、艦の傾斜と喫水線の変化によって、常に射撃諸元が変化しているのである。そのため、射撃速度を落とさざるを得なくなってしまったのである。
一方、伊勢型は、乗員の疲労が想像以上に激しかったことにより、砲塔内で作業する砲員の動作が遅れがちになっていた。これは、日本戦艦中最悪とまで評される居住性が原因であった。特に艦内通風性能が悪かったため、南方の暑気によって乗員たちの体力が他艦以上に奪われていたのである(伊勢型の艦内通風性能は、艦内で二酸化炭素中毒が出るほど悪かった)。
この問題は出撃前、リンガ泊地における訓練においてすでに指摘されていたが、結局は乗員の精神力に解決を任せるという、何とも日本的な解決手段がとられ、根本的解決はなされていなかった。
その結果、昼間の防空戦闘から続く戦闘配置による緊張と合わせて、乗員の体力の消耗が激しかったのである。
とはいえ、射撃速度が緩慢となっていたことは、伊勢と日向にとって不幸中の幸いともいえる面もあった。結果として両艦の射撃がほとんど交互に行われるようになり、弾着観測を容易としたのである。
帝国海軍は砲弾に塗料を混ぜて、複数艦が同一目標を射撃してもどの艦からの射撃か判別出来るようになっていたが、それでも限界があった。
この結果、伊勢は第四射にて、日向は第三射にてアラバマに命中弾を出すことに成功している。ただし、伊勢型の備える四一式三十六センチ砲の貫通能力は、距離二万メートルにて垂直装甲に対し三〇七ミリ。
水中弾の発生など、よほどの幸運に恵まれない限り、サウスダコタ級戦艦の主要防御区画を貫通することは不可能であった。
そのため第二戦隊とアラバマとの戦闘は、途中に米駆逐艦の突撃という場面はあったものの、双方が決定打を出せないままに継続することとなった。
「長門より信号。我、之ヨリ貴戦隊ヲ援護ス」
「長門は敵二番艦を撃破したのか」
見張り員からの報告に、伊勢の武田勇艦長は感嘆の声を上げた。
第二戦隊は本来、伊勢、日向、扶桑、山城の四隻からなる戦隊である。しかし、扶桑と山城は戦隊司令官たる阿部弘毅中将と共に攻略部隊に編入されており、第二戦隊は臨時で第一戦隊司令官(つまりは第二艦隊司令長官)の指揮下に編入されていた。
「通信。長門に信号。援護、感謝ス。以上だ」
「はっ!」
「……面倒事を押し付けるようで気が引けるが、あの敵艦は我々の手に余る」
夜戦艦橋から駆けていく通信兵を見遣りつつ、武田大佐は呟いた。旧式の三十六センチ砲戦艦で米軍の新鋭戦艦を相手にするのは、いささか荷が重いことを実感していた。
どういうわけか敵戦艦からの射撃は、こちらと同じく緩慢であり、幸いにして命中弾は出ていない。恐らく、昼間の空襲で射撃装置に損傷を負っていたのだろう。幸いといえば幸いであるものの、戦艦を預かる身としては、性能差故仕方がないのかもしれないが、伊勢に不甲斐なさを覚えないでもない。
そうした武田の内心を他所に、長門からの弾着を示す赤い水柱が敵艦を取り囲み始めた。
◇◇◇
雷跡の接近に見張り員が気付いた時には、すでに手遅れであった。
「総員、衝撃に備えよ!」
曽爾艦長が叫んだ直後、那智の船体に重々しい衝撃が走る。艦橋に立つ者たちは、手近なものを掴んでその衝撃に耐えた。
「被害知らせ!」
曽爾大佐は、那智の舷側にそそり立った水柱の本数から、すでに彼女を救い得ないことを覚悟していた。
「左舷前部、艦橋直下、第四砲塔直下に計三発被雷! 浸水拡大中!」
「右舷に注水急げ! 手すき乗員は重量物を右舷に移動させよ!」
そう言っている間にも、艦の傾斜は拡大していく。曽爾は、一瞬でも沈没の瞬間を遅らせようとしていた。
「司令、本艦はここまでのようです。足柄に、将旗をお移し下さい」
志摩に向き直り、曽爾は頭を下げてそう言った。
「うむ。ここまで、よくやってくれた。総員退艦を命じたまえ」
労うように、志摩は穏やかに命じた。
那智はこれまでに二十本近い魚雷を回避している。そして、第二戦隊への雷撃を阻止するなどの奮戦の末の被雷である。
加古、古鷹に続く三番目の重巡喪失艦となったことは残念ではあるが、これまでの南方作戦での働きなども考えれば、彼女は十分に役割を果たしてくれたといえよう。
「艦長、君も乗員の退艦を見届けた後、退艦したまえ。勝ち戦で、死に急ぐこともあるまい」
「はっ……!」
曽爾艦長は、さらに深く頭を下げた。
乗員たちの必死の努力のお陰か、那智は被雷から沈没まで一時間弱の猶予を得ることが出来た。
戦死・行方不明は、機関科の兵員を中心に一六八名。艦長以下、七〇〇名以上の乗員は駆逐艦長波と清波に救助された。
那智の被雷と時をほぼ同じくして、第二水雷戦隊は雷撃を敢行していた。
那智はその最期の瞬間まで、米駆逐艦の注意を引き付けることで、二水戦の突撃を援護する役目を全うしたのである。
◇◇◇
「頃合いだな」
TBSによって各艦から伝えられる報告を総合した結果、スプルーアンスは引き際を悟った。
マサチューセッツはすでに敵艦隊からの退避行動に移っており、少しして敵戦艦三隻から集中砲火を浴び始めたアラバマからも退避の許可を求める通信が入っている。
駆逐艦部隊の奮戦のお陰で敵艦隊の隊列も乱れており、サンタフェや沈没艦の乗員を乗せた駆逐艦が無事、スコールの下へと逃げ込むことが出来たことから、スプルーアンスは今しかないと判断したのである。
「全艦反転してスコールを目指すのだ。艦長、本艦もスコールへと退避させよ」
「アイ・サー! 面舵一杯!」
舵が利き始めて艦が転舵していくまでの数十秒の直進。その間に、アイオワは最後の主砲射撃を行った。
敵艦前方に回り込んでから、四度目の射撃であった。
それと入れ違いとなるように、敵艦からの砲弾がアイオワに降り注ぐ。こちらは、三度目の砲撃であった。
弾着の瞬間、航海司令塔が激震に揺れる。
「ダメージ・リポート!」
「第一、第二砲塔、バーベットの歪みにより旋回不能! 第二煙突倒壊! 換気口の損傷により、四番スクリュー停止します! 出し得る速力、二十二ノット!」
「換気口の復旧急げ!」
マックレア艦長の顔に、焦燥が走る。ただでさえ被弾によって低下していた速力が、さらに低下したのである。
この時、武蔵の砲弾は二発が命中していた。一発は第一、第二砲塔の中間に命中し、その爆発によって二つの砲塔ともに使用不能とさせている。そしてもう一発が第二煙突の根元に命中。これを倒壊させ、缶室からの排煙を困難とさせる結果をもたらしていた。
ただし、少なくとも沈没に至るような損害ではなかった。速力も低下したものの、まだ致命的となるほど低下したわけではない。
コンゴウ・クラスを含んでいないらしいジャップの艦隊相手であれば、十分に離脱が可能な速力である。
しかし結局、アイオワは対峙した敵戦艦に有効な打撃を与えることなく、戦場を去ることになってしまった。
そのことに、マックレアもスプルーアンスも落胆せざるを得ない。
だが、最後の最後、アイオワは幸運に恵まれることとなった。
「敵艦に命中一を確認しました!」
見張り員からの興奮した報告に、航海司令塔内で歓声が上がる。
ようやく、アイオワは敵戦艦に一矢報いたのである。
命中の爆炎は、前部甲板から起こった。
一瞬、武蔵の船体が前につんのめるような衝撃に襲われる。
「被害知らせ!」
実戦での初の被弾。覚悟していた古村は、即座に伝声管に飛びついた。
「艦首兵員室に直撃弾! 火災発生するも、現在消火中! 艦首部に若干の浸水あり!」
「消火と浸水の拡大防止に尽力せよ」
どうやら、それほど大きな損害ではないようだった。兵員室が破壊されたことで、一部の乗員の寝床がなくなってしまったが、作戦終了まで我慢してもらうしかない。
「敵一番艦、反転してスコールへ向かいます!」
「長官!」
古村は、急かすような調子で尋ねた。だが、近藤は首を横に振った。
「残念ではあるが、ここまでだ、艦長」
艦隊陣形は、かなり乱れている。これを立て直し、夜明け前までに第三艦隊へと合流して英艦隊との決戦に備えるとなると、これ以上の追撃戦は難しかった。
二日間休みなく戦うとなれば、乗員の疲労も無視出来ない要素となる。
すでに長門からは敵サウスダコタ級戦艦を二隻とも撃破したとの報告が入っており、二水戦がそれらに対して襲撃運動を成功させつつあるという。
あと数分程度で、その戦果が判明するだろう。
そして、被雷して総員退艦命令が出された那智乗員の救出も行わなければならない。
ここが、引き上げ時だった。
と、その時、夜戦艦橋に下部の通信室から興奮した調子の通信兵が飛び込んできた。
第二水雷戦隊の雷撃が成功したとの知らせだろうか、と夜戦艦橋に楽観的な雰囲気が広がる。
「第三戦隊旗艦、金剛より緊急入電です―――!」
だが、通信兵の声は興奮とは別の緊張感によって、上ずっていた。
「提督、通信室より東洋艦隊の母艦航空隊からの通信と思しきものを傍受したとのことです」
「東洋艦隊の母艦航空隊から?」
通信参謀の言に、何事かと訝しみながらスプルーアンスは問うた。
「とにかく、読み上げたまえ」
「サー! 『我、日本空母部隊に対し夜間航空攻撃を敢行。戦艦一、空母二、巡洋艦二、艦種不詳二、撃沈確実。空母一、巡洋艦三撃破』。以上です!」
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