27 巨獣激突

「敵艦発砲! 発砲炎から見えるシルエットから、ジャップの新鋭戦艦と思われます!」


 装甲に覆われた航海司令塔に、見張り員からの報告が飛び込む。


「敵艦隊との距離、およそ一万九六〇〇ヤード(一万八〇〇〇メートル)! 敵砲弾、急速接近中!」


 今度は、レーダー室からの報告である。合衆国海軍の誇る水上捜索レーダーたるSGレーダーは、飛翔中の砲弾すら探知することが出来るのである。


「ジャップは戦艦を先頭にして突撃しているのか!?」


 ありえない、とでも言いたげな声でムーア参謀長が叫ぶ。戦術的常識を無視しているとしか思えない隊列を、ジャップは組んでいるのだ。

 戦艦同士の対決となったガダルカナル沖海戦(日本側呼称、第三次ソロモン海戦)では、二度の夜戦とも、両軍は最初に巡洋艦や水雷戦隊を中心とした前衛部隊が激突したのである。


「……」


 一方、スプルーアンスも無言のまま唇を噛んでいた。戦艦を隊列の最後衛に配置して、接近してくるであろう敵巡洋艦・水雷戦隊を砲撃で叩くという計画は瓦解している。

 まさか、いきなり戦艦同士の砲撃戦になるとは。

 まるで、ガダルカナル沖海戦の第一夜戦のようである。あの時は隊列の混乱もあって、両軍の巡洋艦がいきなり砲撃戦となったのだ。それはあくまで前衛部隊同士の戦闘ではあるが、その熾烈さは古今東西の海戦でも見られないものであった。

 ここで、その再現となるのか。


「……ジャップは、最新鋭戦艦で追撃してきたか」


 ようやく、スプルーアンスは呻くようにそう口にした。

 見張り員の報告を聞く限り、昼間の攻撃隊が敵新鋭戦艦に魚雷を命中させたというのは、誤認であったようだ。その後方を進む敵戦艦の艦種は不明であるが、流石にもう一隻のヤマト・クラスということはないだろう。

 昼間の航空攻撃で確認されたのは、ヤマト・クラス一、ナガト・クラス一、イセ・クラス二である。

 ガダルカナル沖海戦後、友軍潜水艦に救助されたリー少将やデイビス大佐らの証言によれば、敵新鋭戦艦は超十六インチ砲を搭載している可能性が高いという。長砲身十六インチ砲か、十八インチ砲かは不明だが、強敵であることには違いない。

 そうなれば、敵の砲門数は超十六インチ砲九門、十六インチ砲八門、十四インチ砲二十四門を持っていることになる。

 対してこちらは、アラバマが被雷したとはいえ、十六インチ砲搭載戦艦が三隻。砲門数は十六インチ砲が二十七門。

 こちらの戦艦の防御力を考えれば、イセ・クラスはほぼ無視してよい相手である。

 戦力的には互角であろう。

 まだ、勝機が去ったわけではない。


「駆逐艦ブリストルより通信! 方位四〇度方向にスコールらしきものを確認したとのこと!」


 そして、天は未だ合衆国を見捨てていなかったらしい。


「艦隊針路四〇度! スコールの中に退避せよ! 戦艦戦隊は友軍艦艇の退避を援護するものとする!」


 レーダーの性能が合衆国のそれに劣るジャップ相手ならば、スコール内に逃げ込めば確実に振り切ることが出来るだろう。それまで、ジャップの艦隊はアイオワ以下三隻の戦艦が阻止するのだ。


「提督、本艦は射撃準備を完了いたしました」


 アイオワ艦長マックレア大佐が言う。言外に、射撃開始命令を求めているのだ。

 合衆国海軍の最新鋭戦艦アイオワは、五〇口径十六インチ砲であるMk.7を搭載している。これは前級であるサウスダコタ級やノースカロライナ級の四十五口径十六インチ砲と同じSHS(スパーヘビーシェル:大重量砲弾)を使用するが、砲身長を五〇口径に延長したことで、問題となっていた初速の遅さを解決している。それによって、命中率の向上を狙ったのである。

 実際、ガダルカナル沖海戦ではレーダーを用いての射撃を行ったにも関わらず、命中率は電子兵器を持たない日本側と大きな差はなかったという。

 だが、アイオワは違う。初速七六二メートルと、四十五口径のものよりも、秒速六〇メートル以上も速く砲弾を撃ち出すことが出来る(それでも大和型の初速七八〇メートルより遅いが)。

 これならば、電子装備の性能も相俟って、ジャップの戦艦と互角以上に戦えるはずであった(光学照準の誤差は距離に比例して大きくなるが、レーダーの誤差は距離に無関係)。


「よろしい、艦長。射撃開始だ」


「アイ・サー。撃ち方始めオープン・ファイアリング!」


「ファイア!」


 砲術長の叫びと共に、アイオワの主砲が火を噴いた。衝撃によって船体がかすかに左に傾ぐ。

 航空機が主流となった時代において、二度目の米日戦艦対決である。そして指揮を執るのは、上官ハルゼーの皮膚病発症によって、何の因果かミッドウェーにて空母部隊を率いることになった元水上部隊指揮官のスプルーアンスである。

 水上部隊の指揮から一年以上離れた末に、本来指揮すべき戦闘に巡り合ったのだ。

 彼としては、運命というものの皮肉を思わざるを得なかった。


「敵砲弾、まもなく弾着!」


 再び、レーダー室からの報告。

 航海司令塔は防御のために極端に窓が少ないため、外の状況は報告に依るしかない。

 やがて、アイオワを艦底部から突き上げるような衝撃が襲った。


「ダメージ・リポート!」


 マックレア艦長が叫ぶ。


「至近弾あるも、被害らしきものは認められず!」


「よろしい。副長は引き続き、被弾に備えて待機を継続せよ!」


「アイ・サー」


「こちらレーダー室。弾着スプラッシュナウ! ……全弾遠弾。命中弾なし!」


 マックレア艦長が、不満の呻きを漏らした。全弾遠弾ということは、方位測定や測距が甘かったか、散布界が広すぎたのだろう。もちろん、その両方の可能性もある。

 後世の人間が思っているほど、合衆国海軍のレーダー射撃は万能ではない。この当時の技術水準の問題ではあるのだが、アイオワの装備する射撃管制用のMk.8レーダーだけでは正確な射撃が出来ないのである(加えて、Mk.8射撃管制レーダーはいささか信頼性に難があった。合衆国海軍における射撃管制レーダーの信頼性問題は、戦後にMk.13射撃管制レーダーが完成するまで解決されなかった)。このため、射撃指揮所にいる旋回手と照準手による光学照準が必須だったのだ。

 つまり、合衆国側も敵艦を目視出来ないと精密な射撃は行えなかったのである。

 一九四三年四月二十二日の月齢は十七・四。かなり大きな光源となっているのだが、夜間見張り員を特別に育成している日本海軍に比べれば、夜間における合衆国海軍見張り員の能力は劣らざるを得ない。

 散布界については、単純に練度の問題だろう。竣工後二ヶ月弱であるが故の訓練不足が、実戦になって現れたか。


「艦長、焦ることはない」


 焦燥が顔に出ていたマックレア大佐を、スプルーアンスが宥める。彼とて、アイオワの訓練不足は承知の上である。それでも艦隊で最も通信設備が優れているが故に、彼女を旗艦に選んだのだ。


「初弾でそうそう上手くはいくまいよ。我々にはジャップにはない電子の目がある。焦らず、砲術長が成果を上げるのを待つのだ」


「はっ、申し訳ございません」


「それに、本艦の目的は敵艦隊の撃滅ではなく、敵艦隊の足止めだ。主砲で敵艦を牽制出来ればそれでよい。手段と目的を逆転させてはならん」


「アイ・サー」


 やがて、砲術長による弾着修正が終わったのだろう。主砲発射の轟音と共に、アイオワが再び振動した。






「だんちゃーく!」


「近、近、遠」


 武蔵は、各砲塔一門ずつの交互射撃を行っている。一万八〇〇〇メートルの彼方に、高さ一五〇メートル近い水柱が立ち上った。

 射撃指揮所では、観測員や弾着観測機からの報告を元に永橋砲術長が射距離と苗頭量を修正する。この修正は十秒、遅くとも二十秒以内に済ませるよう、砲術科の者たちは鍛えられていた。


「てぇー!」


 永橋砲術長の叫びと共に、武蔵の主砲が再び吠えた。三度目の主砲発射。第一射と第二射で、ある程度の修正は出来ている。彼はこの射撃で夾叉か命中弾が出ることを期待した。

 彼我の距離は一万八〇〇〇メートル。初速七八〇秒の一式徹甲弾ならば、三〇秒弱の距離である。

 その間に、敵艦からの弾着があった。見当違いというほどではないが、未だ武蔵からは一〇〇〇メートル以上離れた場所で水柱が上がっている。第一射であれば無理からぬことであろうが、これは敵艦からの第二射である。

 連中、修正が下手くそだな。

 夜戦艦橋でそれを眺めていた古村は思った。奴ら、米本土東海岸からはるばるインド洋までやって来た所為で、腕が鈍ったのか。

 日露戦争におけるロシア海軍バルチック艦隊の例を思い出し、古村は内心で首を傾げた。米海軍は当時のロシア海軍とは違い、帝国海軍に勝る優れた電探を持つ相手である。

 第三次ソロモン海戦の結果を見ても、決して油断出来る相手ではない。それだけに、古村にとって米戦艦の射撃技量の稚拙さは脳裏に疑問符を浮かべるほどのものであった。


「だんちゃーく!」


 やがて、ストップウォッチを持った観測員が独特の抑揚と共に報告する。


「敵艦を夾叉、命中は確認されず!」


「よくやった砲術長! 次より斉射に入れ!」


「宜候! 次より斉射!」


 夾叉であったことは惜しいが、距離と方位は正確だったということである。命中弾が出るかどうかは、あとは確率論の問題であった。

 武蔵の主砲砲身が、主砲弾装填のために仰角を下げる。たった今、砲弾を消費した砲身に、新たな徹甲弾が装填される。

 砲弾の装填に三十三秒。仰角の再調整に五秒前後。

 約四〇秒で、武蔵は斉射の用意を整えた。


「てぇー!」


 大和型戦艦が誇る四十六センチ砲九門による全門斉射である。衝撃は艦を傾け、左舷海面に霧を発生させた。一瞬、彼女の姿が砲煙に隠れる。

 砲身が再び下がり、砲弾の再装填に入る。

 艦橋最上の射撃指揮所から、艦底部の機関室に至るまで、誰もが弾着の瞬間を待ちわびた。

 やがて―――。


「だんちゃーく!」


「命中二を確認! 敵艦に火災発生!」


 彼方で上がる爆炎は、古村も確認出来た。思わず、唇の端が吊り上がる。


「砲術長、ただいまの射撃、見事であった」


 近藤も、心底感嘆した口調で永橋砲術長を賞賛する。


「こちら艦長。ただ今の射撃により、本艦は敵戦艦に命中弾を得た。敵戦艦は炎上中である」


 古村は、高声令達器を使って全乗員に武蔵の戦果を告げた。当然ではあるが、多くの乗員は艦内におり、砲戦の様子を直接見ることは出来ない。

 戦いは、明日以降も続く。少しでも彼らの疲労を回復させ、士気を向上させるためにも、戦果を全乗員で共有しようと古村は思ったのだ。

 この辺りは、彼の水雷屋らしい側面が出たといえる。特に駆逐艦などは、武蔵のような大戦艦と違い、全乗員が一つの家族であるかのような連帯感があるのだ。ある意味で、古村はそうした水雷屋の気風を、武蔵に持ち込んだともいえる。

 武蔵が二度目の斉射を放つ。

 敵艦からの命中弾は、未だなかった。






 命中の衝撃は、想像以上のものがあった。

 至近弾による突き上げるようなものではない。艦のリベットや溶接部がすべて外れ、バラバラになるのではないかと思えるほどの衝撃である。


「ダメージ・リポート! 急げ!」


 マックレア艦長が艦内電話に向かって怒鳴る。


「中央部と後部にそれぞれ一発ずつ被弾! 中央部への命中弾は装甲を貫通! 右舷缶室損傷! 出し得る速力、二十八ノット! また、後部甲板にて火災発生!」


「消火急げ!」


 アイオワの機関部は、機関室と缶室、さらには四基の主機を交互に配置した完全な形でのシフト配置となっている。そのために、装甲を貫通されながらも機関部の損傷を最小限に抑えられたのであった。

 最大速力三十三ノットの発揮は不可能となってしまったが、それでも二十八ノットはジャップの旧式戦艦よりも優速である。現状ではアイオワとマサチューセッツが被雷したアラバマに速力を合わせているため、アイオワの速力低下によって後続艦の隊列に混乱が生じる可能性もない。

 とはいえ、それが大した安心材料にならないということは、航海司令塔にいる全員が理解している。

 アイオワ級戦艦は、自身と同じSHSを撃ち込まれても、距離一万八〇〇〇メートルから二万四〇〇〇メートルの範囲で安全圏を確保出来るように設計されている。

 だが、SHSの重量一二二一キロに対し、大和型の一式徹甲弾は重量約一・五トン。アイオワ級は、大和型戦艦に対して実質的に安全圏と呼べるものを持たないのである。

 そのことを、スプルーアンスを初めとする者たちは装甲を貫通されたという事実によって理解したのであった。

 未だ全門が健在な主砲が、敵新鋭戦艦に向けて四度目の砲撃を行う。だが、これまでの射撃で散布界が砲戦を行うには広がりすぎていることが弾着観測により判明していた。

 散布界は砲弾同士の干渉や気象・海象条件によってどうしても生じてしまうものではあるのだが、操砲上における各砲身、砲塔ごとの誤差によっても生じてしまうものでもある。後者に関しては十分な訓練によってある程度解決可能なものであった。

 やはり、竣工後二ヶ月での実戦投入による無理が実戦において現れているのである。訓練期間が短かったため、アイオワの戦闘訓練は対空戦闘とダメージ・コントロールに重点が置かれていたのだ。

 彼女が弾着修正を行って第五射を放とうとする直前、さらなる直撃弾が船体を襲った。


「前部、中央部、後部にそれぞれ一発命中! 第二煙突付近に直撃弾です! 後部マスト崩壊! 艦尾カタパルトも全壊!」


 アイオワ級は第二煙突の直後に後部マストを設置しており、そのさらに後方に後部檣楼がある。報告からは、まだ後部射撃指揮所が生き残っていることが判った。だが、いつまでこの艦が敵戦艦の砲弾に耐えられるか判らない。

 スプルーアンスの背を、嫌な汗が流れた。

 戦艦部隊の役割は、損傷艦を初めとする友軍艦艇のスコールへの退避を援護すること。果たして、このアイオワはそれだけの時間を稼げるのだろうか?

 彼は祈るような気持ちで、装甲の向こう側、敵艦へと飛翔していく砲弾を幻視していた。


  ◇◇◇


 海の彼方で、合衆国海軍が「パゴタ・マスト」と呼ぶ特徴的な前部檣楼が砲炎の中に浮かび上がった。

 炎に一瞬だけ照らし出された艦型から、相対する敵艦はジャップのナガト・クラス。


「ソロモンでの仇を討たせてもらうぞ、ナガト」


 それを見て、マサチューセッツ艦長フランシス・ホィッティング大佐は意気軒昂だった。

 彼の指揮するマサチューセッツは、サウスダコタ級戦艦の一角を占める新鋭戦艦である。しかし、ネームシップたるサウスダコタも二番艦インディアナも、今や存在していない。彼女たちは、憎むべきジャップによってソロモンの海に沈められてしまったのである。

 姉妹艦二隻の、そして彼女たちと共に沈んだ三〇〇〇名以上の乗員たちの復仇を果たさなければならない。

 その意味では、ジャップの方からわざわざ出向いてきてくれてありがたいくらいだと、ホィッティング大佐は思っている。

 確かに、ソロモン戦線で初めて姿を現したヤマト・クラスは油断出来ない相手だろう。だが、ナガト・クラスはそうではない。いかに「世界のビック・セブン」と讃えられていようが、完成は二十年以上前のことである。

 旧式の十六インチ砲搭載戦艦、しかも砲弾一発あたりの威力は同じ十六インチ砲搭載戦艦であるサウスダコタ級に劣る戦艦などに、マサチューセッツが遅れを取るとは思えなかった。

 実際、ガダルカナル沖海戦でも、サウスダコタが沈没した原因は敵水雷戦隊からの魚雷であり、同海戦におけるワシントン、ノースカロライナと違って敵の砲弾によって艦の主要区画を破壊されたが故に沈没したのではない。

 マサチューセッツは敵の爆弾によって両用砲や機銃座の大半を破壊されていたが、主砲射撃に必要な装備は健在である。サウスダコタは砲戦に入る前に電気系統を破壊され、主砲も二門が使用出来ないというハンデを背負っていたが、このマサチューセッツはそうではない。

 敵新鋭戦艦が出現した以上、素早くナガトを戦闘不能にして、アイオワの援護に回るべきである。

 ホィッティング大佐は、そう判断していた。

すでに彼の頭は、砲撃開始を命令した時点で長門を撃破した後の状況を考えていたのである。






 武蔵の後方を進む長門は、武蔵が主砲射撃を開始するのとほぼ同時に砲撃を開始していた。米艦隊に対して、完全に先手を取ったのである。

 長門は第三次ソロモン海戦でマサチューセッツの同型艦であるサウスダコタと戦っている。彼女にとって、これが二度目の戦艦同士の砲撃戦であった。

 そして、長門は第三次ソロモン海戦の時と同じく、帝国海軍の砲術教範の想定通り、三射目にしてマサチューセッツに命中弾を叩き出していた。


「三ヶ月もドック入りしていたから、腕が鈍っているかと心配だったが、杞憂だったようだな」


 長門夜戦艦橋で、久宗ひさむね米次郎大佐が満足げに呟いた。

 彼は第三次ソロモン海戦では青葉艦長として参戦し、艦橋に直撃弾を喰らいながらも生き残った強運の持ち主であった。青葉の本土帰還後、一九四二年十二月十日付で長門艦長に就任していた。

 とはいえ、着任した当初の長門は第三次ソロモン海戦での損傷を修理するために入渠中であり、ようやく彼女がドックから出られたのは今年の二月下旬であった。

 次期インド洋作戦に間に合わせるために、第三次ソロモン海戦で比較的損害の小さかった長門は大和、陸奥に優先して修理が行われたのだ。

 その結果、こうして二度目の日米戦艦対決の場に加わることが出来たといえる。

 入渠中は十分な砲撃訓練は出来なかったものの、リンガ泊地ではその時間を取り戻そうとするかのように猛訓練を行い、今回の作戦に臨んでいる。長年、長門に乗り込んでいる下士官上がりの特務士官などの熟練した乗員たちは健在であり、それが長門の練度維持に一役買っていたといえよう。


「次より斉射!」


 命中弾を出した以上、交互射撃を行って地道に弾着修正を行う必要はない。ここからは斉射によって一気に決着を付けるべきだ。

 久宗は長門艦長を引き継ぐに当たり、前任の矢野英雄大佐から第三次ソロモン海戦についての戦訓を伝えられている。久宗自身も、当時の戦闘詳報には一通り目を通していた。

 そこから判ったのは、敵新鋭戦艦の持つ十六インチ砲弾の威力の高さであった。長門型戦艦の主要防御区画は、四十一センチ砲弾にも耐えられるように設計されている。その彼女たちのヴァイタルパートが、米軍の使用する十六インチ砲弾によってあっさり貫通されてしまったのである。

 そして、敵新鋭戦艦の乗員の捕虜などからの情報も総合した結果、敵砲弾は従来の十六インチ砲弾よりも二割ほど重いことが確認された。

 敵新型砲弾の威力から改めて防御力を計算し直したところ、長門型戦艦は敵新型砲弾に対して距離二万二〇〇〇メートルから二万六〇〇〇メートルという極めて狭い範囲でしか安全圏を確保出来ないことが判明したのだ。

 距離二万メートル以下であれば、垂直装甲すら貫通される可能性があるという。

 つまり、現在の砲戦距離一万八〇〇〇メートルというのは、長門にとって極めて危険な距離なのである。

 敵艦に先駆けて命中弾を出したならば、その優位が崩れない内に敵の戦闘力を奪い取るしかない。

 幸い、未だ敵艦からの命中弾はない。砲弾が重いということはそれだけ初速が遅く、遠距離まで飛ばそうとすればするほど、空気抵抗などの影響によって命中率が低下するのだ。

 その命中率だけが、唯一、長門型が敵新鋭戦艦に対して優位に立っている要素といっていい。

 四度目の射撃にして、長門は八門の四十一センチ砲による斉射を実施した。一瞬、めくるめく砲炎が夜戦艦橋に詰める者たちの網膜を焼く。

 砲弾を急かしたくような気分と共に、久宗たちは命中の瞬間を待った。






 長門からの三度目の射撃によって、マサチューセッツは二発の命中弾を喰らうこととなった。

 一発は艦尾の非装甲区画に命中。カタパルトやクレーンを爆砕しつつ、航空機作業甲板に大穴を空けて火災を発生させた。もう一発は舷側の垂直装甲に命中、十九度の傾斜角のついた三三二ミリの装甲に阻まれて弾かれてしまった。


「消火急げ!」


 ホィッティング大佐はダメージ・コントロール班に命じた。ヴァイタルパートの貫通は予想通り防げたものの、夜間に火災を発生させていては恰好の標的となってしまう。


「ファイア!」


 砲術長の叫びと共に、マサチューセッツが第三射を放つ。砲煙を残して、初速七〇一メートル毎秒で一二二五キロのSHSが砲口から飛び出す。

 それと入れ替わりで、長門からの第四射が降り注いだ。

 何とも不吉な予感を抱かせる赤色の水柱が、マサチューセッツを包み込む。そして、直後にその予感は現実のものとなった。

 衝撃が、マサチューセッツの航海司令塔を襲う。異様な金属音と爆発音。まるで、艦が悲鳴を上げているかのような激震。

 まさか……。

 ホィッティング大佐の脳裏に、嫌な予感が過ぎる。


「艦中央部に直撃弾! 装甲を貫通し、煙路内で爆発! 爆風と衝撃によって、ボイラー二基が停止! 出し得る速力、二十二ノット!」


「馬鹿な!」


 ダメージ・コントロール班を率いる副長からの報告に、思わずホィッティングは怒鳴った。神の理不尽を呪うような叫びであった。

 サウスダコタ級は、自身と同じSHSを用いた十六インチ砲に撃たれても耐えられるだけの防御力を備えている。それが、SHSを持たないはずの旧式のナガトによって、装甲を貫通されたのである。

 ホィッティングの叫びは、当然といえば当然であった。

 いくら距離約一万八〇〇〇メートルと、戦艦同士の砲撃戦としては近い部類に入るとしても、コロラド級の砲弾であればサウスダコタ級の装甲を貫くのは不可能なはずなのである。当然、長門型もそれに準ずる攻撃力を持っているものと、合衆国海軍は想定していた。

 ガダルカナル沖海戦でも、ナガト・クラスの砲弾がサウスダコタに大きな損害を与え出したのは、距離一万五〇〇〇メートル前後からであった。

 だから、ホィッティングはこの距離ならばまだ安全であると判断していたのである。

 その想定が、崩されたのだ。

 実は、長門型戦艦の四十一センチ砲は、距離二万メートル前後において四五四ミリの貫通力を誇っていた(ただし、垂直装甲に対して)。昭和九(一九三四)年からの大改装によって主砲を換装、射程距離と威力を増加させていたのである。

 この貫通力は、距離二万メートル以下で垂直装甲に対する貫通力四四八ミリを発揮するサウスダコタ級のMk.6四十五口径十六インチ砲に匹敵するものであった。

 長門型の主砲はビック・セブン中最良との後世の評価は、間違いではないのである。

 とはいえ、長門がマサチューセッツの装甲を貫通出来たのは、いくつかの幸運が重なっていたためであった。まず、命中したのが装甲厚一五四ミリの水平装甲であったこと、そして落下角度の関係によって砲弾が本来の装甲貫通能力に近い性能を発揮出来たこと、この二つの幸運によって、長門はマサチューセッツの装甲を貫通することが出来たのである。


「レーダー室より報告。第四射の弾着を確認!」


「こちら見張所! 本艦の第四射、命中弾確認出来ず!」


「諸元修正、急げ!」


 ホィッティング大佐は急かされるような調子で砲術長に命令した。


「アイ・サー!」


 砲術長も、マサチューセッツの被害は理解しているのだろう。声には焦燥が滲んでいた。

 マサチューセッツはガダルカナル沖海戦で撃沈された三戦艦と違い、Mk.8射撃管制レーダーを竣工時から装備している。最新鋭の射撃管制レーダーを搭載しているならば、いかにMk.8レーダーに信頼性の問題が付きまとっていようとも、ガダルカナル沖海戦よりも命中率が上がっていて然るべきだとマサチューセッツの乗員たちは思っていた。

 しかし、まともな射撃管制レーダーを持たないはずのジャップに、完全に先手を取られてしまっているのである。


「ファイア!」


 マサチューセッツが五度目の主砲弾を放つ。それが命中することを、ホィッティング大佐は祈らざるを得なかった。

 そして、その祈りが届いたのかどうかが判る前に、再び長門の砲弾がマサチューセッツに降り注いだ。

 再び船体に衝撃が走る。不気味な軋みを上げるマサチューセッツ。心なしか、艦が傾き始めたように感じる。


「ダメージ・リポート!」


 艦内電話に向かうホィッティング大佐の声には、戦闘が始まる前の余裕はすでになかった。


「艦首および右舷防水隔壁からの浸水を確認! 後部射撃指揮所、応答ありません!」


「注水による傾斜復元急げ!」


 この時、長門からの命中弾は三発。

 内一発は後部檣楼を直撃し、後部射撃指揮所ごとそこを消滅させていた。

 二発目は、艦首部に命中。元々凌波性に問題を抱えていたサウスダコタ級の艦首に海水が流れ込み、さらに航行性能を悪化させることとなった。

 そして、長門にとって幸運だったのは、舷側装甲に命中したがために装甲を貫通出来なかった砲弾であった。

 サウスダコタ級戦艦の装甲は、水平、垂直ともに船殻の内側に装甲を配置した内装式となっている(大和型の水平装甲なども内装式)。そして、舷側の垂直装甲は避弾径始を考慮して十九度の傾斜を付けた傾斜装甲となっていた。

 この傾斜装甲、傾斜を付けることによって装甲自体の厚みよりも水平方向の装甲の厚みを増加させ、防御力を高める効果があったのであるが、これが逆に悪い方向に働いた。

 比較的緩い角度で命中した長門の一式徹甲弾は、マサチューセッツ装甲の避弾径始によって跳弾となった。そして、傾斜装甲の角度と砲弾の命中角度から、その跳弾は下方向への跳弾となってしまった。

 結果、直径四十一センチの一式徹甲弾は垂直装甲の外側にあった船殻、防水隔壁を兼ねていた二重のそれを滅茶苦茶に破壊してしまったのである。

 いわゆる「ショットトラップ」と呼ばれる現象が発生したのであった。

 これにより、マサチューセッツはヴァイタルパートの装甲こそ貫通されなかったものの、防水区画に多量の浸水が発生、傾斜が五度にまで深まったのである。

 艦首からの浸水と合わせて、マサチューセッツのトリムは大きく狂い、主砲射撃に深刻な悪影響を与えることとなった。






 一方、長門もマサチューセッツからの手痛い報復を受けていた。

 これまで空振りを繰り返していたマサチューセッツの射撃も、第五射にして長門の船体を捉えることに成功したのである。

 基準排水量三万九〇〇〇トンの船体を揺るがす衝撃。

 だが、久宗は夜戦艦橋で不敵に笑ってその衝撃に耐えた。艦橋に直撃弾を喰らって周囲が血の海となった第三次ソロモン海戦での青葉を思えば、何ということもない。


「被害知らせ!」


「主要防御区画を貫通されました! 下部電信室、応答ありません! また、左舷副砲群にも被弾。兵員室のいくつかが破壊され、火災が発生しています!」


「消火急げ! それと、機関室は無事か!?」


「機関、未だ全力発揮可能です!」


「よろしい! 砲術長、とにかく撃ちまくれ! とっととあの戦艦を片付けるぞ!」


「はっ!」


 やはり、敵新鋭戦艦の攻撃力は侮れない。こちらは六発の命中弾を叩き出しているが、どこまで打撃を与えられたかは判らない。

 素早く敵の戦闘力を奪わなければ、装甲を容易に貫通されてしまう長門が不利になる。

 それに久宗としては、後方を進む第二戦隊の伊勢と日向が気になるところだった。両艦合わせて二十四門もの三十六センチ砲を持つが、米軍の最新鋭戦艦に対しては攻撃力、防御力ともに性能不足だろう。

 敵一番艦は武蔵に任せておけば問題ない。

 だが、敵三番艦は伊勢と日向だけに任せるには少しばかり荷が重いだろう。

 長門が、そして第二戦隊を生き残らせるためにも、敵二番艦の早期撃破は必須であった。

 長門が第六射を放つ。

 もし第三次ソロモン海戦で自分を生き残らせた神だか仏だかがいるならば、と久宗は祈る。どうか、これで決まらせてくれよ。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 時はしばし遡り、太陽は西の彼方の水平線に沈み残照が空の半分を覆っている時刻。

 インド洋の空は、まるで戦いの記憶を拭い去ろうとするかのように茜色と濃紺に染まり、そしてその間に細く白色を残した美しい黄昏色トワイライトに染められていた。

 その空をこれから汚そうとすることに、サマヴィルは一種の背徳的悦楽を覚えてもいた。


「英国は各員がその義務を尽くすことを期待する」


 旗艦キング・ジョージ五世の信号マストに、多彩な信号旗が翻る。かのトラファルガー海戦においてネルソン提督が掲げたのと同じ信号旗。

 インド洋の制海権の喪失は、そのまま大英帝国の敗勢に繋がる。例え最終的にこの戦争に勝てたとしても、かつての繁栄を取り戻すことは不可能となるだろう。

 その意味では、確かにトラファルガー海戦と同じく危機的な状況に彼らはあったのだ。

 三空母の飛行甲板には艦載機が並べられ、すでに発動機の轟音を響かせている。


「提督、各空母発艦準備整いました。ご命令を!」


 参謀長が緊張と興奮で上ずった声で上官を急かした。サマヴィルも己の参謀たちに向き直る。


「よかろう」


 サマヴィルの目線が、彼らを見回した。彼らの誰一人として、諦観を抱いているような表情はしていない。

 そのことに、サマヴィルは東洋艦隊を統べる者としての誇りを感じた。

 彼らだけではない。艦隊の誰もが、大英帝国の矜持と意地とをその胸に宿していることだろう。

 ならば、自分のなすべきことは一つだけだ。

 艦橋を圧する声で、サマヴィルは宣言した。


「日本の水兵どもに知らしめるのだ、インド洋ここが、誰の海であるのかを!」

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