25 雷撃隊奮闘
嵐のようなジャップの攻撃隊が去った後も、第五十一任務部隊に安寧の時間は訪れなかった。
レーダーが再び、ジャップの大編隊の接近を察知したからである。
「本艦はジャップの五〇〇ポンド爆弾の直撃六、至近弾二を受けました。装甲を貫通したものはなく、火災も鎮火いたしました。若干の浸水により発揮可能な速力は三十一ノット。航行に支障はありませんが、対空火器の損害は甚大です」
ダメージ・コントロール班を率いる副長からの報告は、決して喜ばしいものではなかった。
対空火器が破壊されてしまったということは、今まさに接近しつつあるジャップの第二次攻撃隊を防ぐ手段が限られてしまうということなのだ。
「エセックスからの報告では、直掩隊で上空にあるのは九機のみ。どれもベテラン搭乗員だったためにジャップに撃墜されるのを免れましたが、弾薬の消耗は激しいです」
航空参謀がスプルーアンスに報告する。そこに、ムーア参謀長が付け加えた。
「マサチューセッツ、アラバマも本艦と同様に対空砲火に打撃を受けています。さらにボルチモア、デンバーにも直撃弾が生じています。ボルチモアに関しては、火災の鎮火に手間取っているようです」
ボルチモアは、未完成ともいっていい状態で出撃している。乗員の訓練も十分ではなく、効率的なダメージ・コントロールが行えていないのだろう。
「それでは遠くから我が艦隊は丸見えということだね」
その報告に、皮肉に唇を歪めてスプルーアンスは言う。
「ならば東洋艦隊の戦闘機隊も、こちらを見つけやすくなるだろう」
ジャップの第一次攻撃隊が来襲する直前、スプルーアンスは英東洋艦隊に戦闘機隊の救援を要請した。
発艦にかかる時間と、移動する時間、それを考え合わせればそろそろ到着してもよい頃だ。
「オーガスタより発光信号! 北東より接近する編隊あり! 数、およそ二〇!」
「……どうやら、天は我らを見捨てなかったようだな」
あえて楽観的な口調でスプルーアンスは言った。
方角的に、東洋艦隊の戦闘機隊だ。ジャップの第二次攻撃隊の到来とほぼ同時に到着するとは、何ともタイミングがよい。
もちろん、二〇機程度の直掩機で艦隊の安全が確保出来るわけではないことは判っているが、司令官たる自分が不安な様子を部下に見せるわけにはいかないのだ。
アイオワは被弾によって後部檣楼に設置されていた最新鋭対空レーダーであるSKレーダーを破損していた。水上捜索用のSGレーダーは無事であるものの、対空レーダーを損傷してしまったことは大きな損害であった。一応、SGレーダーも対空レーダーとして使用出来ないことはないものの、探知距離はSKレーダーに対して数十キロ単位で劣っている(ちなみに、SKレーダーも水上捜索用レーダーとして使用出来るが、こちらは逆にSGレーダーに比べて対水上探知距離が数十キロ単位で劣っている)。
他の二戦艦も同様な状況であり、現在は重巡オーガスタのSCレーダーに頼らざるを得ない状況となっていた。
「艦隊陣形の再編を急がせろ。次は雷撃隊が来るぞ!」
「アイ・サー! ただちに全艦に信号を出します!」
現在、先ほどまでの対空戦闘による回避行動で輪形陣が乱れている。これを立て直さなくては、ただでさえ低下した艦隊の防空能力がさらに低くなってしまう。
そして、ソロモン戦線での戦訓から次にやって来るのは雷撃機だろうと、スプルーアンスは読んでいた。
爆撃機による対空火器の減殺と、その後の雷撃機の来襲。
これは、ジャップの基地航空隊が第二次ガダルカナル沖海戦(日本側呼称、第四次ソロモン海戦)で使った戦法である。それを、ジャップの機動部隊司令官は応用したのだろう。
こちらの放った攻撃隊の戦果も気になるが、今は再び接近しつつあるジャップの攻撃隊への対処である。
とはいえ、スプルーアンスに出来ることは少ない。
彼は、対空射撃の停止によって一時的に蒼穹を取り戻した空を見上げた。
インド洋を舞台とした狂乱は、今しばらく収まりそうにないだろう。
◇◇◇
「感謝しますよ、江草隊長」
インド洋の澄み渡った海上に狼煙のように上がる黒煙を確認しながら、第二次攻撃隊隊長・高橋定大尉は独りごちる。
目指すべき敵艦隊の居場所が、噴き上がる黒煙によってはっきりと確認出来た。江草少佐率いる第一次攻撃隊は、その役目を完璧に果たしてくれたのだ。
チャフを撒き終えた二式艦偵が退避行動に移るのと入れ替わりで、第二次攻撃隊の各機は速度を上げていく。
その時、新郷英城大尉率いる制空隊の零戦が落下増槽を切り離し、敵艦隊の北方に向けて翼を翻していった。
「北方より、敵機の来襲を確認!」
後部座席で偵察員を務める国分豊美飛曹長が報告した。制空隊は、その迎撃に向かったのだろう。
高橋もその方向に目を向ければ、ソロモンの海で何度も遭遇したずんぐりむっくりとした機体、F4Fらしき戦闘機が二〇機ほどいた。
五十四機の零戦隊の内、制空隊を務めるは三十六機。これならば、南太平洋海戦のように自分たちが敵戦闘機に襲われる可能性は低いだろう。
「制空隊、空戦開始!」
国分の声を受けて、高橋は心の中で零戦隊に声援を送りながら視線を敵艦隊に戻す。
第二次ソロモン海戦や南太平洋海戦で見た緻密な輪形陣と違い、いささか米軍の陣形は乱れている。恐らく、第一次攻撃隊からの回避運動をする過程で陣形が崩れてしまったのだろう。連中はまだ、その立て直しの最中のようだ。
これは、好機だった。
今ならば第一次攻撃隊の成果と併せて、敵の対空砲火はその本来の威力を発揮出来ない。
「国分、全機に『トツレ(突撃隊形作れ)』を送れ!」
「はい!」
国分飛曹長が電鍵を叩く。
十二機の九九艦爆と六〇機の九七艦攻が母艦ごとの編隊に分かれ、目標への襲撃機動を取り始める。
「見張りをしっかり頼むぞ!」
制空隊を突破してくる敵機もいるかもしれない。だから高橋は国分にそう命じた。自分は、敵艦への攻撃に集中する。
翔鶴、瑞鶴併せて十二機の九九艦爆では、複数の目標を狙うには数が少なすぎる。そのため、高橋は十二機すべてを率いて、輪形陣中央に陣取る敵大型空母に狙いを定めた。
艦攻隊も、高度を落として敵輪形陣への突入体勢に入りつつある。
「全機、突撃せよ!」
直後、高橋の九九艦爆は第二次攻撃隊全機に対してト連送を発信した。
◇◇◇
三隻の空母を護衛する二十一隻の艦艇が、この日二度目の対空戦闘を開始した。
すでに多方面からジャップの
「方位七〇度よりケイト接近中! 高度六五〇〇フィート(約二〇〇〇メートル)、距離六マイル(約一万メートル)!」
「射撃開始!」
「ファイア!」
アイオワの生き残った五インチ両用砲と四〇ミリ機銃、二〇ミリ機銃が、向かってくる九七艦攻に対して射撃を開始する。かすかに艦が振動し、艦橋は凄まじい騒音に満たされた。
水平に近い角度で発射された曳光弾が、敵編隊に向けて伸びていく。そして、それに比例するように甲板の上にガラガラと空薬莢が転がる。
敵の第一次空襲から間もないこともあり、甲板上の遺体はそのままである。ぐしゃぐしゃに破壊された人体や臓物の間を空薬莢が転がっていく光景は、精神の均衡を崩すような悪夢的な光景であった。
おまけに、暑いインド洋では死体が腐るのも早い。発砲の硝煙と共に、遺体の放つ腐臭は乗員たちの神経を容赦なく削り取っていく。
それでも、両用砲や機銃に取り付いている乗員たちは、自分たちが傍らに転がる戦友の遺体に仲間入りしないためにも、必死で両用砲や機銃を撃ち続け、弾倉を交換していた。
ジャップの雷撃機は、徐々に高度を下げながら輪形陣内部へと斬り込もうとする。
対空火器の破壊を免れた外周部の駆逐艦が、盛んに対空射撃を繰り返す。
日本海軍の雷撃隊は、基本的に目標の手前約一万メートル、高度二〇〇〇メートルから襲撃運動に入る。雷撃の際は編隊を横一列に並べるため、輪形陣全周から襲いかかられるとまるで第五十一任務部隊が九七艦攻に包囲されているかのような印象を受ける。
実際、突撃を受ける側である合衆国将兵の受ける心理的圧迫は相当なものがあった。
どの艦も必死で対空砲火を撃ち上げる。
だが、先ほどまで九九艦爆を相手にしていたからか、一部の艦では信管の再調整が間に合わず、砲弾が早めに炸裂して弾片が虚しく水しぶきを上げるだけの箇所もあった。
小沢治三郎の目論見通り、二波合計二〇〇機以上の攻撃隊による飽和攻撃は、完全に第五十一任務部隊の処理能力を超えていた。そして、一部の艦の練度不足がそれに拍車をかける。
それでも、最新鋭のVT信管を与えられた一部のフレッチャー級駆逐艦は戦果を上げていた。
輪形陣中央の空母へと突撃を行っていた一機の九七艦攻が、両用砲弾の炸裂を受けて翼を吹き飛ばされた。即座にバランスを崩し、海面に突っ込んでいく。
だが、乗員たちには歓声を上げる余裕はなかった。
迫り来る敵機は、一機だけではないのだ。
最新鋭兵器VT信管は、内部にレーダーを組み込むことによって目標付近で自動的に炸裂する仕組みとなっている。その砲弾が威力を発揮し(装置の大きさから、機銃弾にはVT信管を装着出来ない)、最新鋭駆逐艦たるイートンとフートは共同で立て続けに四機の九七艦攻を撃墜した。
九七艦攻が横隊を構成しているため、照準を都度変えなければならないという問題があったものの、日本艦隊の対空砲火に比べれば驚異的な戦果であった。
だが、こうした彼女たちの奮戦は、合衆国軍人には決して理解出来ない日本軍搭乗員の行動によって悲劇をもたらすことになった。
被弾して炎上してなお操縦を維持出来た一機の九七艦攻が、帰還不能と悟って魚雷を抱えたままフートに体当たりしたのである。
体当たりの瞬間、九七艦攻の魚雷とフートの搭載魚雷が誘爆を起こした。周囲を圧するような爆発音を響かせながら、フートは炎上しながらスクラップとなった船体を海上に停止させる。
第一次空襲で被弾したボルチモア、デンバーの担当していた空域に加え、これで第五十一任務部隊の輪形陣には三ヶ所の穴が空いたのである。そこから、ジャップの機体は確実に輪形陣内部へと突っ込んできた。
すでに降下を終えた九七艦攻は、高度十メートル以下という狂気的な高度で三隻の空母への接近を続けている。
ここまで高度を下げられると、さしものVT信管もあまり役に立たない。海面からの反射波によって見当違いの場所で炸裂してしまうからだ。しかも輪形陣内部へと侵入されてしまえば、友軍艦艇への誤射を恐れて射撃は緩慢とならざるを得ない。
すでに、無数のジャップの雷撃機が輪形陣内部への斬り込みに成功していた。
輪形陣内部で三空母を直衛するアイオワ、マサチューセッツ、アラバマは、第一次空襲と比べれば散発的ともいえる程度の対空砲火しか繰り出すことが出来ない。
「ガッデム、このクレイジー・ジャップが!」
アイオワの甲板では、機銃を操る乗員が怨嗟じみた罵声を上げた。周囲に戦友の死体が転がる中で、彼らはジャップへの憎しみだけを頼りに精神の均衡を図っていた。
プロペラが海面を叩くほどの高度で進撃を続ける九七艦攻は、一部の両用砲や機銃の俯角下に潜り込んでいたのだ。これでは、照準は不可能である。
一方の九七艦攻も、雷撃のためには速度を巡航速度(二六〇キロ)にまで低下させねばならず、さらにひとたび雷撃針路に入れば機体の横滑りや旋回運動は出来なかった。狙いやすい的となるため、搭乗員にとっては緊張の瞬間である。
数機の九七艦攻が、アイオワの弾幕を振り切って空母エセックスに肉薄する。
だが、各艦が低空を進む九七艦攻に気を取られている隙に、最初の災厄は高空からやってきた。
「敵機、エセックスに急降下!」
見張り員の絶叫と共に、
「面舵一杯!」
「面舵一杯、サー!」
エセックス艦長ドナルド・ダンカン大佐は怒鳴った。
対空射撃を、艦隊単位の弾幕射撃から個艦防御に切り替える。左右と上空から襲いかかるジャップの機体に対して、猛烈な射撃を浴びせかけた。
だが、敵機に怯んだ様子はない。
爆撃機と雷撃機の同時攻撃は、サンタクルーズ諸島沖海戦でもエンタープライズとホーネットが撃沈された厄介な戦術であった。
一機の九七艦攻が弾幕によって翼をもぎ取られ、海面に激突する。
陣形を維持するため二十四ノットで進んでいたエセックスは、増速しつつ艦首を右に振りつつあった。
だが、ジャップの急降下爆撃機は無情にもエセックスの未来位置に向けて爆弾を投下していく。
「畜生、あいつは命中するぞ!」
上空を監視していた見張り員が、震える声で絶叫した。
そのまま体当たりするのではないかと思えるほどの高度で、九九艦爆は二五〇キロ爆弾を投下した。一部の見張り員は、自身に向かって降ってくる黒い塊が見えたという。
一発の爆弾が艦首に命中し、飛行甲板を貫いて炸裂する。
さらにもう一発の爆弾が前部エレベーターを直撃し、エレベーターを上空に吹き上げる形で爆発した。
三発目は左舷スポンソンの単装両用砲に近い飛行甲板に命中。爆発の衝撃と弾片は両用砲を破壊し、さらに周辺の機銃座にいる者たちの肉体を切り刻んだ。加熱した銃身に肉片や臓物が付着し、異臭を立てる。
一瞬、エセックスの船体は外れた爆弾による水柱に包まれた。
そして、それが崩れて視界が確保出来た時にはもう、手遅れであった。
「右舷のケイト、魚雷投下!」
「左舷のケイトも魚雷を投下した模様!」
右舷への転舵を続けるエセックスの両側から、その未来位置に向けて九七艦攻は魚雷を投下した。
その距離は、わずか八〇〇メートル。必中を期しての肉薄雷撃であった。
「畜生! くたばれ、ジャップ!」
魚雷投下後もエセックスに迫り来る九七艦攻に対して、機銃員たちは絶叫しながら機銃を撃ち続ける。敵機の姿は手でつかみ取れそうな程に接近し、瞬時に影を残して後方に飛び去っていく。入れ替わりに、反対舷から航過してきた九七艦攻が彼らの頭上を抜けていった。
右舷から五本、左舷から四本の雷跡がエセックスに迫っていた。
九一式改三型魚雷の速力は四十二ノット。八〇〇メートルの距離を四〇秒程度で駆け抜ける。
するすると迫り来るジャップの雷跡。
「総員、対衝撃防御!」
命中は避けられないと悟ったダンカン艦長が、全乗員に告げる。
魚雷はやがてエセックスの航跡の中に消え、その身に詰め込まれた三〇〇キロの炸薬を彼女の船体に叩き付けた。
瞬間、エセックスの船体が持ち上がるような衝撃が襲った。
くぐもった音と共に、両舷に水柱が上がる。
艦橋に詰めていた者たちの多くもなぎ倒され、痛みに呻くことになった。
「機関停止! ダメージ・リポート!」
ダンカン艦長は即座に副長へと艦内電話を繋ぐ。
魚雷命中の瞬間から、エセックスの傾斜は始まっていた。
「右舷に三、左舷に一被雷! 右舷への傾斜、六度! 浸水、なおも増大中! さらに格納庫内で火災発生!」
「傾斜復旧と消火を急げ!」
被雷した魚雷は四本。
南太平洋海戦では空母ホーネットが三本の魚雷を受けた時点で総員退艦命令を発している。それを考えれば、爆弾三、魚雷四というエセックスの被害はかなり深刻であった。
竣工からおよそ五ヶ月。
その間に訓練を続けたダメージ・コントロール班がどこまで艦を復旧させられるか。
エセックスの命運は、そこにかかっていた。
「被害の集計が出ました」
ムーア参謀長が悄然とした面持ちで報告する。
「ジャップの第二次空襲により、駆逐艦フートが沈没。エセックスに爆弾三、魚雷四、インディペンデンスに魚雷三、プリンストンに魚雷二が命中。いずれも航行不能です。インディペンデンスはすでに総員退艦命令が出されています。プリンストンからも傾斜復旧の見込みなしとの通信が入っております」
プリンストンは竣工から二ヶ月程度。ダメージ・コントロール班の練度が足りなかった可能性がある。
「プリンストン艦長に、総員退艦命令を出すよう伝えたまえ。それと、エセックスの曳航は可能かね?」
スプルーアンスが一縷の望みを賭けて問う。
「エセックスの傾斜は、現在十三度にまで深まっております。とはいえ、これ以上の浸水を防げれば、可能性はあるでしょう」
「エセックス艦長に、艦の保全に全力を尽くすように伝えたまえ。それと、重巡オーガスタにエセックスの曳航準備を命じるのだ」
「アイ・サー」
未だなお冷静さを失わないスプルーアンス中将に敬意を示すようにムーア参謀長は一礼した。
「また、帰還する攻撃隊について、燃料に余裕のある機体は東洋艦隊に向かうように通信を出したまえ。余裕がない機体については、駆逐艦の近くに着水させるように」
「アイ・サー。攻撃隊と東洋艦隊に通信を出します」
「それで、攻撃隊の戦果はどうなっているのかね?」
「搭乗員が帰投してから正式な集計を取ることになりますが、攻撃隊からの報告によりますと、大型空母、小型空母、大型巡洋艦各一隻撃沈、さらに敵新鋭戦艦に魚雷三を命中させたとのことです」
「新鋭戦艦とは、ソロモンで確認された例のヤマトとかいう戦艦かね?」
「恐らく、そうでしょう」
「ふむ」
もしそれが本当であるならば、攻撃隊はかなりの戦果を上げたことになる。もちろん、搭乗員間における報告の重複によって実際よりも多い戦果が伝わっている可能性もある。
慎重な判断が求められるところではあるが、ジャップの三群の空母部隊の内、一群に打撃を与えたと見てよいだろう。
もし東洋艦隊がもう一群に打撃を与えることが出来れば、残るジャップの空母部隊は一群。
ここまで敵戦力を減らすことが出来れば、ジャップがインド洋のいずれかの地点の攻略を目論んでいるとしても、中止せざるを得なくなるだろう。
こちらの戦艦部隊に加え、セイロン島の航空隊という不確定要素を排除するために、二、三隻の空母では対応出来ないはずである。
正直なところ、そこまでジャップの戦力を漸減出来れば、インド西岸のコーチン港などに籠もるという選択肢も現実的になってくる(ちなみに、インド西岸の良港であるゴアは中立国ポルトガルの植民地のため、使用不能)。例え戦艦であっても敵海上交通路に圧力を加えることが出来るのは、ノルウェーのティルピッツやソロモンの霧島で証明済みである。
高速を発揮出来るイギリスのキング・ジョージ五世やレナウンならば、そうした役割を担うことが出来よう。そうなれば、第五十一任務部隊は合衆国本土へと帰還し、太平洋での対日反攻作戦に備えることが可能となる。
第五十一任務部隊の空母は壊滅的打撃を被ったが、絶望するまでではないと、スプルーアンスは判断していたのだ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
空母翔鶴に、次々と帰還した攻撃隊が着艦していく。
だが、その多くは艦橋から見守る小沢の目にも明らかなほど損傷していた。しかも、出撃した時に比べて機数が明らかに減っている。
空母機動部隊の構想を打ち出した小沢であるが、実際に機動部隊を指揮するのはこれが初めてである。それだけに、その光景は衝撃的であった。
「空母戦とは、これほどのものなのか……」
ぼそりと、彼は呟く。
このような戦いを続けていては、いずれ日本から搭乗員はいなくなってしまうだろう。その予感に、小沢は戦慄すら覚えていた。
航空戦に関して何か新しい戦術や兵器が生み出されない限り、日本はアメリカの工業力と人的資源に圧倒されてしまう。
だが、そうした感慨は作戦終了後の戦訓分析の中で抱けばよい。今は、次の戦闘に備えなければならないのだ。
〇八一三時に発進した第二次攻撃隊が帰還したのは、一二四五時過ぎのことであった。
赤道付近の太陽は未だ天高く昇っており、日没までだいぶ時間があることを示していた。
実際、この時期のインド洋の日没時刻は一八二〇時前後である。日没までまだ五時間近くあった。
「参謀長、第三次攻撃隊の出撃は可能か?」
小沢の問いに、山田参謀長は難しい表情を浮かべた。
「可能か不可能かで問われれば、可能でしょう。ミッドウェーや南太平洋では、飛龍や隼鷹が帰還した部隊を再編成して第三次以降も攻撃隊を繰り出しております」
「ただし、それほど多くの機体は出撃していなかったな?」
「はい。あの時と今では状況が違いますが、恐らく第三次攻撃隊を出撃させるにしても、三、四〇機程度のものとなる可能性があります」
損傷した機体は当然、修理が必要なため出撃出来ない。そのため、現状での稼働可能機で第三次攻撃隊を編成することになる。
「それと、帰還した搭乗員たちだけでなく格納庫内で作業する乗員たちの体力消耗も問題です」
「三十度を超える炎天下で、密閉された格納庫での作業だ。確かに、考慮せねばならんな」
翔鶴など多くの艦の乗員は、同じく赤道直下のソロモン戦線を潜り抜けた者たちである。それなりに暑さには慣らされているが、流石に蒸し風呂状態の格納庫で長時間の作業を続けることは出来ない。
特に魚雷の調定作業は精密を要するので、疲れ切った整備員たちには酷な作業となるだろう。
「米軍の対空砲火の熾烈さを考えると、中途半端な機数での攻撃はかえって被害だけを大きくする可能性があります」
「うむ、どうすべきか……」
眼下の飛行甲板では、整備長が帰還した機体で修理不能と判断したものを海中に投棄している。ワッショイ、ワッショイという整備員たちのかけ声も届いた。
それを見て、小沢は悩ましげな息をついた。英東洋艦隊やセイロン島の航空基地も控えている現状では、航空隊の不用意な消耗は避けるべきだろう。
未明の索敵では英東洋艦隊を発見出来なかったのだが、武蔵による方位測定を元にして第二艦隊が予備の水偵を発信させたところ、第一機動艦隊の北方約三七〇浬(約六九〇キロ)の地点にキング・ジョージ五世級戦艦やイラストリアス級空母を含む艦隊を発見している。索敵機は従来の進出距離三〇〇浬を越えて、四〇〇浬で索敵を行うよう命じていたのだ。
第三次攻撃隊を出すのならば、当然、健在な空母部隊であるこの艦隊を攻撃すべきだろう。ただし、距離が遠いので本日中の攻撃は不可能である。明日、つまり二十三日以降の攻撃となるだろう。
とはいえ、残った米戦艦部隊を見逃すのも後々禍根を残す可能性がある。緒戦の南方作戦では、上陸作業中に敵艦隊が来襲したという事例もある。空母を叩いたとはいえ、不安要素は残るのだ。
それに、山田は搭乗員と整備員の疲労を口にしたが、搭乗員の精神面も考慮せねばならないだろうと小沢は考えている。
これだけ多くの機体がやられたのだから、搭乗員たちの士気に及ぼす影響は大きいだろう。搭乗員室に彼らが集まれば、嫌でも持ち主のいなくなった食器や空席が目につくはずである。
疲労していようとも、戦闘の興奮状態が冷めない今日の内に第三次攻撃隊を出すべきではないのか。
小沢は迷っていた。
「失礼いたします!」
そのようにして小沢や参謀たちが思案顔を突き合せている艦橋に、通信兵が飛び込んできた。
「二航戦司令部より入電。我、攻撃隊ノ収容完了。今ヨリ第三次攻撃ノ準備ヲ開始ス。以上です」
「……山口くんらしいな」
小沢は苦笑を浮かべた。
収容機の数で言えば、二航戦が一番少ない。何せ、攻撃隊を収容する空母は飛龍一艦だけである。一航戦と三航戦は、特に発着不能となった飛鷹の航空機を分散させて収容しているため、時間がかかっていた。基本的に、飛鷹の第一次攻撃隊は隼鷹が収容し、第二次攻撃隊は翔鶴、瑞鶴が収容している。
飛龍に座乗する山口多聞少将は、攻撃隊の収容が終わるや否や、第三次攻撃隊の発進準備を命じたに違いない。闘将らしい迅速果断な指揮ぶりである。
思えば、ミッドウェー海戦で山口は第一次、第二次攻撃隊などの残存機をかき集めて第三次攻撃を実施し、敵空母を撃破する戦果を上げているのだ。
「三航戦司令部よりも入電です。攻撃隊ノ収容完了次第、第三次攻撃ノ準備ヲ開始ス。以上です」
もう一人の通信兵が艦橋にやって来て、報告する。
今度は三航戦司令官の角田覚治少将からであった。彼も山口と共に戦った南太平洋海戦において、麾下の隼鷹から三次にわたる攻撃隊を発進させている。
そして何よりも、山口も角田も、航空戦の指揮においては小沢よりも歴が長い。
その彼らが、第三次攻撃を主張しているのである。
小沢の肚は決まった。
「航空参謀、ただちに稼働可能機を集計してくれ。整備班には、損傷機の修理は後回しにして稼働可能機の整備を優先するよう命じろ」
「はっ! ただちに」
一度決まってしまえば、行動は早い。
「第三次攻撃隊の出撃時刻を、一五〇〇とする。それまでに、搭乗員たちは十分な休息を取らせるように。それと、瑞鳳に接触機を発進させるよう信号だ」
「はっ!」
ただでさえ慌ただしい飛行甲板で、一層人の動きが激しくなる。一刻も早く航空機を格納庫に降ろすべく、整備班の者たちが総出で機体に取り付いて、三基のエレベーターに機体を押し込んでいく。
「苦労をかけるな」
小沢はその様子を見て、そっと呟いた。
整備班の者たちは熱気の籠もる格納庫で、夜明け前から不眠不休で機体の整備に当たっていたのだ。翔鶴、瑞鶴は上空直掩隊を上げていないので、第二次攻撃隊が出撃した後はしばらく休めたのだろうが、それでもこれからまた夜を徹しての整備が始まることになる。
第三次攻撃隊の準備が終われば、翌日の戦闘に備えて損傷機の修理をし、それが終われば出撃準備である。彼らには休む暇もない。
こうした者たちによって、帝国海軍の空母は支えられているのだと、小沢は改めて実感した。
敵艦隊との距離は、すでに二〇〇浬を切っている。第三艦隊よりも三〇浬前進している第二艦隊は、さらに敵艦隊との距離は近いだろう。
これは、南太平洋海戦で山口や角田が行ったことを小沢が参考にしているからだ。南太平洋海戦の時と同じく、敵艦隊との戦闘で傷付いた攻撃隊を一刻も早く母艦に収容するための措置であった。
第三次攻撃隊は、間違いなく薄暮攻撃となる。
搭乗員たちの負担を減らすためにも、艦隊をさらに米艦隊に接近させるべきだろう。
小沢は対空警戒を厳としつつ、第五十一任務部隊へ向けて艦隊を前進させた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
東洋艦隊は、空母を集中運用するイギリス海軍初の機動部隊といえた。
これまで、イギリス海軍は海戦において空母を集中運用した経験はない。マタパン岬沖海戦やビスマルク追撃戦などでも、基本的に艦隊に配属されていた空母は一隻のみである。
イラストリアス級三隻を運用する東洋艦隊は、その意味においてイギリス海軍最強の航空打撃能力を持つ艦隊であるといえた。
インド洋を死守しようとするチャーチルら本国の決意の程が、艦隊編成に現れているのである。
とはいえ、実際に艦隊を率いる立場であるサマヴィル提督にしてみれば、自らの艦隊が米日の機動部隊に対して大きく劣っていることを実感せざるを得なかった。
三隻の空母に搭載されているのは、次のごとき戦力しかなかったのである。
イラストリアス……F4F×二十四機 シーファイア×十二機 バラクーダ×十二機
ヴィクトリアス……フルマー×十八機 シーハリケーン×六機 バラクーダ×十四機
フォーミダブル……F4F×二十八機 シーファイア×五機 バラクーダ×十二機
合計:戦闘機×九十三機 雷撃機×三十八機
総計:一三一機
雷撃機だけは本作戦に合わせて最新鋭のバラクーダに置き換えられているが、ヴィクトリアスなどは旧式化している復座戦闘機のフルマーを搭載しているのだ。
旗艦キング・ジョージ五世の艦橋から、ヴィクトリアスなどに着艦する合衆国のアヴェンジャー雷撃機などを見ていると、自軍の航空戦力に疑いの目を向けたくなってしまう。
「合衆国は、ずいぶんとやられたようですね」
参謀の言葉に、サマヴィルは無言だった。
東洋艦隊は現在、母艦が発着不能となった第五十一任務部隊の攻撃隊を収容していた。とはいえ、この海域まで辿り着けるだけの燃料を残していた機体は少ないようで、収容したのはドーントレス二機、アヴェンジャー三機の計五機だけである。
それらの機体にも、生々しい弾痕が残されている。
そして、それにも増して悲惨であったのは第五十一任務部隊を救援するために発進させたイラストリアスのF4F隊である。出撃した二十四機の内、帰還出来たのは七機のみであった(帰還後、三機が海中に投棄)。
撃墜されたか、帰還不能となるほどの損傷を受けて第五十一任務部隊の付近に着水したのだろう。
今朝方発生した索敵機の誤撃墜事故といい、士気を低下させるような状況が続発している。
「……日本艦隊に、正面切った空母戦を挑むのは無謀であろうな」
「はい」
サマヴィルの言葉に、参謀長は頷く。第五十一任務部隊の惨状を知らせる通信や、今三隻の空母に見られる光景を目にしては、その現実を受け止めざるを得ない。
「一年越しの実行ということになるが、やるしかあるまい」
決然とした口調で、サマヴィルは参謀長を見た。
「サー、それでは、各空母に伝達いたしましょう」
「ああ、我々は、日本艦隊に対し夜間雷撃を敢行する」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
一三二〇時、小沢の元に各母艦から第三次攻撃に使用可能な機体の数が報告された。
隼鷹……零戦×四機 九九艦爆×六機 九七艦攻×九機(飛鷹所属機を含む)
翔鶴……零戦×七機 九九艦爆×三機 九七艦攻×五機 二式艦偵×一機(飛鷹所属機を含む)
瑞鶴……零戦×九機 九九艦爆×五機 九七艦攻×四機 二式艦偵×一機(飛鷹所属機を含む)
飛龍……零戦×五機 九九艦爆×三機 九七艦攻×四機 二式艦偵×一機
合計:零戦×二十五機 九九艦爆×十七機 九七艦攻×二十二機 二式艦偵×三機
総計:六十七機
山田定義参謀長の予測よりも二十機ほど多い機体が、二度にわたる攻撃を終えた帝国海軍第一機動艦隊の稼働可能機であった。この数に、当然ながら修理が必要な損傷機は含まれていない。
集計の結果、第一次攻撃隊は零戦六機、九九艦爆十一機、第二次攻撃隊は零戦三機、九九艦爆三機、九七艦攻九機を失っていた(帰還後、投棄された機体も含む)。これに加えて、上空直掩の零戦も八機が失われている。
南太平洋海戦に比べれば、敵艦隊への攻撃で喪失した航空機は三十二機と、半分以下である。特に艦攻に六割近い損害を出した南太平洋海戦を思えば、多数機による飽和攻撃と艦爆隊による敵対空砲火の破壊が効果的であったことが判る(もちろん、米艦隊の練度不足に助けられた面もある)。
それでも被弾して損傷した機体は多数に上り、第三次攻撃隊として出撃可能な数が一〇〇機を下回っていたことは、帝国海軍の母艦航空隊の将来が決して明るいものではないことを如実に示していた。
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