第三章 インド洋決戦1943
21 出撃の刻
古来より、アデン湾は交通の要衝であった。
古代エジプト、ギリシャの時代から季節風を利用した貿易船が行き交い、十九世紀に入りスエズ運河が開通するとさらにその重要度は高まっていた。
そのアデン湾には、南北に二つの重要な港がある。
アラビア半島のアデン港と、アフリカのジブチ港であった。
そしてその二つの港は今、それぞれが連合軍と枢軸軍のインド洋における拠点となっていた。
一九四三年三月二十八日、ジブチは朝を迎えていた。
市街地から望むタジュラ湾には、戦艦を中心とした堂々たる艦隊が停泊している。どの艦も、イタリア海軍旗を掲げていた。
先月、ヴィシー・フランス政権側についていたこの港湾都市にドイツ軍を中心とする部隊が進駐し、市街を完全なる枢軸軍の支配下に置いていた。
イタリア艦隊もまた、ドイツ軍を輸送するためにスエズ運河を突破、以後、ジブチを根拠地に活動を続けている。
その戦力は、戦艦カイオ・デュイリオ、アンドレア・ドリア、ジュリオ・チェザーレを中心とする、戦艦三、軽巡二、駆逐艦六という強力なものであった。
この戦力によって対岸のイギリス植民地アデンに艦砲射撃を加えており、現在、アデンの連合軍は事実上、無力化されている。つまり、アデン湾の制海権とそこを経由して地中海に至る海上交通路は、完全に枢軸軍の支配下にあったのだ。
そのジブチに、昇りつつある太陽を背景に接近する機影があった。
旗艦カイオ・デュイリオに座乗するカルロ・ベルガミーニ中将の元に、陸上の防空監視所から報告が入った。
だが、ベルガミーニ提督は各艦に対空戦闘用意を発令したものの、艦隊そのものを湾外に退避させようとは思わなかった。その必要がないからだ。だから、対空戦闘用意も念のために出されたものである。
ドイツ軍の整備した飛行場からはメッサーシュミットが緊急発進したのも、やはり警戒態勢を敷いているが故の行動でしかなかった。
「機数三を確認!
「ふむ、予定通りだな」ベルガミーニ中将は感嘆の声を上げた。「夜間のインド洋を横断して、よく過たずここへたどり着けたものだ」
イタリア海軍が想定している戦場である地中海に比べ、インド洋は圧倒的に広い。それを、三機の日本軍飛行艇は突破してきたのである。しかも、敵機との遭遇を避けるため夜間に飛行するという危険まで冒して。
やがて、三機の飛行艇はタジュラ湾へと着水した。
濃緑色に塗装された、巨大な四発の機体であった。日本海軍が誇る傑作飛行艇、二式飛行艇である。
「日本の連中、本気のようだな」
ベルガミーニは、この三機の機体が何の目的のためにジブチへとやってきたのかを知っている。
連合軍艦艇の拠点となっている、アフリカ・ケニアのキリンディニ港への航空偵察。そのために、彼らはここへやって来たのだ。
ジブチからキリンディニまでは、直線距離でも一〇〇〇キロはある。だが、インド洋を横断したあの飛行艇ならば、難なく飛んでいける距離なのだろうとベルガミーニは思う。
枢軸軍は連合軍のような戦争指導者同士の会談の場などを設けていないため、共同作戦の実施は難しい。それでも、日本側の意図を察して、こちらが行動することは可能だろう。
実際、本国からは、日本艦隊の出撃に際して好機至らば機宜の行動をとられ度、との命令を受けている。曖昧な内容の命令であるのは、艦隊保全を考えてのことだろう。
ベルガミーニに限らず、イタリアの各艦隊司令官は、海軍総司令部より自艦隊が優勢な状況でない限り、出撃も交戦も控えるように命令が下されているのである。
イタリア艦隊の行動が、他国海軍のそれに比べてひどく消極的であるのはそのためだった。だから今回も、出撃するかどうかは完全に状況次第である。
とはいえ、あの極東の海軍国がインド洋での大規模な作戦行動を考えていることは確実だ。
最終的な作戦目標はインド洋の制海権を確保して、ヨーロッパとアジアの連絡航路を打通すること。
だが、そのために日本海軍が具体的にどのように行動するのか、イタリア艦隊には知らされていない。
「まあ、空母戦というものを傍から眺めているのもまた一興だろうて」
イタリア海軍には現状、空母を保有していない。海軍自前の航空戦力がないが故に、地中海では苦戦を強いられていた。空母を大量に保有する日本、アメリカ、イギリスが少しばかり羨ましい。
とはいえ、羨んでばかりいられないのが、艦隊司令官という立場なのだ。
「こちらはこちらで、好きなようにやらせてもらうさ」
連合軍艦隊を日本海軍が引き受けてくれるならば、イタリア艦隊にも少しは活躍の余地があるだろう。アラビア海沿岸のインド主要都市に艦砲射撃を実施することも出来る。
そうなれば、イギリス海軍に対して地中海での借りをインド洋で返すことが出来るだろう。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
インド洋作戦を含む第三段階帝国海軍作戦方針は、一九四三年三月二十五日を以って正式に発令された。
インド洋作戦はセイロン島攻略と日独連絡航路の打通を目指した大規模な作戦であり、海軍は第二、第三艦隊を中心とした連合艦隊の主力部隊を投入して作戦に当たる。陸軍も南方軍麾下の第四十八師団、近衛歩兵第三連隊、同第四連隊が参加する。
大規模な上陸作戦という意味では、開戦時の南方攻略作戦以来のものであった。
また、陸軍と海軍の方針がほぼ一致しているというのも、作戦の特徴であったかもしれない。
ミッドウェー海戦、そしてガダルカナル攻防戦を潜り抜けた日本は、今再び、連合軍に対する決戦に臨もうとしていたのである。
フィリピン・マニラに連合艦隊司令部と第二、第三艦隊、攻略部隊の司令部が集結していた。
「二式大艇は一機が発動機不調で引き返した他は、全機が無事にジブチにたどり着けたとのことです」
連合艦隊の代表として参加している一人、樋端久利雄航空甲参謀が言った。
「これにより、作戦発動前にアフリカ東岸の各地を航空偵察することが可能となりました」
「それはありがたい」
第三艦隊司令長官・小沢治三郎中将が満足そうに言った。
「これで、ミッドウェーの際のような敵艦隊の動向がまったく不明であるということは起こりにくいでしょう」
最早、日本海軍にはミッドウェー海戦のような敗北をして、もう一度立ち直るだけの戦力的余裕はない。開戦時と比べて三隻に減少してしまった正規空母は、現在、内地で改装を急いでいる小型空母では代えの利かないものなのだ。
来年には最新鋭の装甲空母大鳳と、改飛龍型空母が三隻就役するというが、それでもアメリカ海軍に比べれば微々たる増強に過ぎないだろう。
「それで、GF司令部は敵戦力をどのように見積もっているのか?」
第二艦隊司令長官・近藤信竹中将が問う。
彼は四月一日を以って発令された戦時艦隊編制の改正により、新たに発足した第一機動艦隊司令長官も務めている。これは、水上艦部隊である第二艦隊と空母部隊である第三艦隊を合わせた艦隊であり、小沢よりも先任である近藤が指揮を執ることになっていた。
「ドイツ、イタリアや中立国経由でもたらされた情報によりますと、アメリカ軍が戦艦二、ないし三。どれも最新鋭戦艦です。空母は最新鋭のエセックス級空母が一、小型空母が二となります。一方のイギリスは戦艦一、ないし二、空母は重装甲のイラストリアス級が二隻となるでしょう」
樋端は淀みなく答えた。
今回、連合艦隊側の出席者は彼と宇垣纏参謀長だけであった。
すでに具体的な作戦計画は近藤、小沢らの元に届けられており、今回の会合は作戦発動前の最終確認といった趣の強いものであった。
「セイロン島など、インド方面の航空戦力はどうなっておりますかな?」
攻略部隊を率いることになった阿部弘毅中将が問うた。
「昨年八月から実施しているインド洋機動作戦“B作戦”や陸軍重爆隊による爆撃の結果、特にベンガル湾での敵航空機の活動はほとんど見られなくなっております。警戒は必要ですが、脅威の度合いでは英米連合艦隊の方が上です」
「その敵空母の戦力は、ほぼ互角と考えるべきでしょう」
第三艦隊側の出席者である山口多聞・第二航空戦隊司令官が言った。
「米軍の空母は一隻当たりの搭載機数が多い。小型空母といえど、我が軍の飛鷹型程度の搭載機数を持つと考えるべきです」
今回、山口も空母部隊の一群を指揮する立場にあった。そのために、戦隊司令官でありながらこの場に呼ばれていたのである。
「はい、おっしゃる通りです」樋端は言う。「ただ、米艦隊の撃滅だけに固執して、英艦隊に横合いから奇襲を受けるようなことはないようにお願いいたします。その逆もまた然りです。これは、ミッドウェーを経験されておられる山口少将には自明のことかもしれませんが」
「とにかく、発見した敵を全力で叩く。その方針でよかろう。索敵も厳重にする」
小沢が近藤や山口を見回して言った。
「うむ、小沢さんの方針で問題なかろう」近藤も賛意を示すように頷いた。「ところで宇垣参謀長」
「何でしょうか?」
近藤と宇垣は同じ中将であるが、やはり近藤の方が先任となる。
「艦隊の指揮系統についてだが、航空戦に関しては小沢さんに任せたい。もし小沢さんの身に万が一があれば、山口くんに航空戦の指揮を委ねる。それでよろしいか?」
宇垣はちらりと小沢と山口を見遣る。二人が何も言わないところを見ると、すでに三人の間で合意が出来ているのだろう。
それに、近藤の言うことは突飛なことではない。実際、南太平洋海戦の際も、近藤は自らが先任であるにも関わらず、空母部隊指揮官であった南雲忠一中将に航空戦の指揮を委ねている。
単に先任であるという理由だけで、水上部隊の指揮官が空母部隊の指揮官に口を出すべきではないと考えているのだろう。
「小沢長官と山口司令官に異論がなければ、連合艦隊司令部として特に言うことはありません」
「そうか、それはありがたい」近藤は頷いた。「それでは小沢さん、航空戦の指揮はあなたにお任せします」
「承知いたしました。必ずや、ご期待に応えてみせましょう」
近藤と小沢は、互いに目礼を交わした。
すでに彼ら二人の間では合意が出来ていたとはいえ、正式に小沢の航空戦に対する指揮権が認められたことは大きい。麾下戦隊との打合せでも、明確に指揮系統を示すことが出来るのだ。
戦場において航空戦の指揮権委譲を行ったミッドウェー海戦(これは山口が一方的に航空戦の指揮を執ると宣言しただけだが)、南太平洋海戦よりも、円滑に空母戦の指揮が行えるだろう。
「ちなみに、イタリア艦隊についてはどうなりますかな? ジブチまで進出をしているとのことですが」
その存在が気になったらしく、近藤が尋ねる。
すると、宇垣と樋端が互いの顔を見合わせて苦い表情を作った。
「……不明、としか言いようがないですな」
代表して、宇垣が答えた。言い辛いことを告白するような、どこか不承不承といった印象を受ける口調だった。
「光延大佐……ああ、イタリア駐在武官ですが……を通じて、イタリア海軍に我が軍の行動に呼応してインド洋での作戦行動を行うよう要請はしたらしいのですが、明確な返答は得られていないとのことです」
「まあ、要するにあてにはならない、ということですな」
身も蓋もない言い方で、小沢が切り捨てる。
「航続距離の問題もあります」上官の言葉を引き継いで、樋端が言った。「イタリア海軍艦艇は狭い地中海での行動を想定しているため、総じて航続距離が短いという情報があります。出撃したとしても、我が艦隊と合同作戦は取れません。恐らく、アラビア海沿岸への艦砲射撃を行う程度の動きしか出来ないでしょう」
「イタリア艦隊のことは、頭から追い出して出撃することにさせてもらおう」
「それがよろしいでしょうな」
苦笑を噛み殺したような調子で、宇垣が頷いた。
「さて」雰囲気を元に戻すように、宇垣は咳払いをする。「インド洋打通作戦“雄作戦”は、第一機動艦隊を敵艦隊撃滅の任に、攻略部隊が基地航空隊と協力してベンガル湾での陽動および上陸船団の護衛を担当していただきます。セイロンの敵飛行場に関しては、敵機動部隊の撃滅が確認された後、夜間に接近しての艦砲射撃にて破壊することとします」
彼の口調は明快そのものであった。攻撃目標の優先順位、各部隊の役割がはっきりとしている。ミッドウェーでの反省があるからであった。
これによって、第一機動部隊は敵機動部隊との決戦に集中することが出来るだろう。
「この作戦によって日独連絡航路が打通すれば、戦局に与える影響は計り知れません。提督諸氏におかれましては、この一戦に皇国の命運をかける覚悟で臨んでいただくことを、山本長官は希望しておられます」
宇垣のその言葉を以って、連合艦隊司令部からの最後の作戦伝達は終了した。
ついに、日本海軍の総力を投入してのインド洋作戦が開始される時が来たのである。
作戦参加艦艇は、次のようになっていた。
第一機動艦隊 司令長官:近藤信竹中将
第二艦隊 司令長官:近藤信竹中将
第一戦隊【戦艦】〈武蔵〉〈長門〉
第二戦隊【戦艦】〈伊勢〉〈日向〉
第三航空戦隊【空母】〈隼鷹〉〈飛鷹〉〈龍鳳〉
第四戦隊【重巡】〈高雄〉〈愛宕〉〈摩耶〉
第十六戦隊【重巡】〈那智〉〈足柄〉
第二水雷戦隊【軽巡】〈神通〉
第十五駆逐隊【駆逐艦】〈黒潮〉〈親潮〉〈陽炎〉
第二十四駆逐隊【駆逐艦】〈海風〉〈江風〉〈涼風〉
第三十一駆逐隊【駆逐艦】〈大波〉〈巻波〉〈長波〉〈清波〉
第三艦隊 司令長官:小沢治三郎中将
甲部隊 司令官:小沢治三郎中将
第三戦隊【戦艦】〈金剛〉〈榛名〉
第一航空戦隊【空母】〈翔鶴〉〈瑞鶴〉〈瑞鳳〉
第八戦隊【重巡】〈利根〉〈筑摩〉
第十戦隊【軽巡】〈阿賀野〉
第四駆逐隊【駆逐艦】〈萩風〉〈舞風〉〈嵐〉〈野分〉
第十駆逐隊【駆逐艦】〈夕雲〉〈巻雲〉〈風雲〉〈秋雲〉
第十六駆逐隊【駆逐艦】〈初風〉〈雪風〉〈天津風〉〈時津風〉
乙部隊 司令官:山口多聞少将
第二航空戦隊【空母】〈飛龍〉〈龍驤〉
第七戦隊【重巡】〈最上〉〈三隈〉〈鈴谷〉〈熊野〉
第十二戦隊【軽巡】〈五十鈴〉
第八駆逐隊【駆逐艦】〈朝潮〉〈大潮〉〈満潮〉〈荒潮〉
第十七駆逐隊【駆逐艦】〈谷風〉〈浦風〉〈磯風〉〈浜風〉
第六十一駆逐隊【駆逐艦】〈秋月〉〈照月〉〈涼月〉〈初月〉
攻略部隊 司令官:阿部弘毅中将
攻略部隊直率【戦艦】〈扶桑〉〈山城〉【重巡】〈青葉〉
第一水雷戦隊【軽巡】〈阿武隈〉
第六駆逐隊【駆逐艦】〈雷〉〈電〉〈響〉
第九駆逐隊【駆逐艦】〈朝雲〉〈山雲〉〈峯雲〉〈薄雲〉
第二十一駆逐隊【駆逐艦】〈初春〉〈初霜〉〈若葉〉
潜水艦部隊 司令官:市岡寿少将
【特設潜水母艦】〈日枝丸〉
【潜水艦】〈伊八〉〈伊二七〉〈伊二九〉〈伊三四〉〈伊三五〉〈伊三七〉〈伊一六二〉〈伊一六五〉〈伊一六六〉〈伊一六九〉〈伊一七〇〉〈伊一七一〉〈呂六二〉〈呂六三〉〈呂六四〉〈呂六五〉〈呂六八〉
第二十一航空戦隊 司令官:市丸利之助少将
一式陸攻×四十八機
零戦×七十二機
二式陸偵×四機
二式飛行艇×六機
九七式飛行艇×十機
※作戦発動にあたり、ケンダリーに展開する第二十三航空戦隊から増援を受け、定数を満たしている。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「日本艦隊はスマトラ島リンガ泊地に集結している模様です」
英米合同作戦会議の席上、イギリス東洋艦隊の参謀はそう報告した。
ケニアのキリンディニ港には今、英米の艦隊が集結していた。いうまでもなく、日本海軍のインド洋での大規模な作戦行動を阻止するためである。
日本海軍の暗号解読により、連合軍は日本の次なる目標がインド洋であることを察知していた。
「ジャップの艦隊兵力については、把握出来ているのでしょうか?」
穏やかな声で尋ねたのは、アメリカ艦隊の最高責任者、レイモンド・A・スプルーアンス中将であった。
「戦艦八、空母八、巡洋艦十五隻以上からなる艦隊のようです」
「……」
判ってはいたが、その戦力差に米海軍内部で智将との評判高いスプルーアンスも表情を堅くせざるを得なかった。
現在、インド洋に集結している英米連合艦隊の兵力は次のようになっていた。
アメリカ第五十一任務部隊 司令長官:レイモンド・A・スプルーアンス中将
【戦艦】〈アイオワ〉〈マサチューセッツ〉〈アラバマ〉
【空母】〈エセックス〉〈インディペンデンス〉〈プリンストン〉
【重巡】〈オーガスタ〉〈ボルチモア〉
【軽巡】〈テンバー〉〈サンタフェ〉
【駆逐艦】〈ウェインラント〉〈メイラント〉〈リンド〉〈ウィルクス〉〈スワンソン〉〈ラドロー〉〈マーフィー〉〈ブリストル〉〈エディソン〉〈フィリップ〉〈レンショー〉〈リングゴールド〉〈イートン〉〈フート〉
イギリス東洋艦隊 司令長官:ジェームズ・サマヴィル中将
【戦艦】〈キング・ジョージ五世〉〈ウォースパイト〉〈レナウン〉
【空母】〈イラストリアス〉〈ヴィクトリアス〉〈フォーミダブル〉
【重巡】〈ロンドン〉〈カンバーランド〉
【軽巡】〈ジャマイカ〉〈ケニア〉〈モーリシャス〉〈オライオン〉〈エメラルド〉〈エンタープライズ〉
【駆逐艦】〈ジャベリン〉〈ジャーヴィス〉〈ヌビアン〉〈ケルビン〉〈アクティヴ〉〈アンソニー〉〈ダンカン〉〈ラフォレイ〉〈ライトニング〉〈ルックアウト〉〈パラディン〉〈パンサー〉
両国ともに、かなり無理をしてこれだけの兵力をかき集めていた。
ヨーロッパ戦線では、ドイツ艦隊の行動が活発化していた。大戦初期のように、流石に大西洋まで進出して通商破壊作戦を行うことはなかったが、ノルウェーを拠点にして北極海方面で暴れ回っている。
昨年末のバレンツ海海戦以降、すでにいくつかの援ソ船団がその犠牲になっていた。
一方、大西洋ではアメリカの護衛空母がようやく数を揃えることが出来たため、対Uボート戦が本格化しているが、それでも船団護衛用に数多の艦艇が必要となることに変わりはない。
太平洋戦線では昨年十一月の第一次ガダルカナル沖海戦(日本側呼称、第三次ソロモン海戦)と、今年二月の第二次ガダルカナル沖海戦(日本側呼称、第四次ソロモン海戦)でアメリカ海軍はその戦力のほとんどを喪失しており、その艦隊は再建途上にある。
スプルーアンス中将率いる第五十一任務部隊は、その再建された艦隊ではあったものの、練度の点で問題を抱えている艦艇が多い。
最新鋭戦艦アイオワは竣工後二ヶ月も経っておらず、重巡ボルチモアに至っては日本軍のインド洋進出を阻止するため強引に竣工時期を早めている。ノーフォークを出港した時には未だ工事未了であり、工廠の工員を乗せたままインド洋に回航されていた。
空母の搭乗員たちも、アメリカ東海岸からインド洋まで喜望峰を回っての遠距離航海を行ったため、十分な訓練時間が取れていない。
こうした悪条件が重なっていながら、それでも英米の首脳は日本軍のインド洋進出を断固阻止しなければならないと判断していた。
特に、イギリス首相チャーチルの危機感は生半可なものではなかった。彼はすでに昨年七月、シンガポール陥落と北アフリカ戦線での敗勢の責任を問われ、内閣不信任案が提出されている。不信任案は否決されたものの、戦時下の挙国一致内閣で不信任案が提出されてしまうほど、議会ではチャーチルの戦争指導能力を疑問視する声が上がっているのだ。
そして、不信任案否決後も、イギリスを取り巻く戦況は悪化の一途を辿っている。
輸送船団は被害を出し続け、北アフリカ戦線では敗北がほぼ確定していた。カイロに籠城する最後のイギリス軍部隊も、すでに降伏している。
これを挽回できる可能性があったのは、北アフリカ上陸作戦“トーチ作戦”であったが、その実現の目途は立っていない。
ガダルカナル攻防戦の結果、トーチ作戦に投入されるべきアメリカ海軍の兵力が太平洋戦線に引き抜かれ、まず四二年十一月の作戦実施が延期された。そして、アメリカ艦隊が再建される四三年四月を目途に作戦が再開されるはずだったが、またしても日本海軍という要素によって艦隊戦力が他方面に引き抜かれ、作戦は無期限の延期が決定されてしまった。
結果、北アフリカのイギリス軍残存兵力はパレスチナ方面にまで撤退し、ロンメル将軍率いる枢軸軍相手に絶望的な抵抗を続けている。
そうした状況に加え、日本軍のインド洋進出である。
すでに日本軍はガダルカナル攻防戦が始まる直前の一九四二年八月初旬からインド洋での大規模通商破壊作戦を行っていたが、今回は明らかに上陸作戦を伴った大規模作戦を目論んでいる。
エジプトに加えてイギリス最大の植民地であるインドまでもを失えば、イギリス国民の間で厭戦気分が広がり、最悪、連合国から脱落しかねない。その危うさは、すでにチャーチルに対する内閣不信任案という形で表出しているのだ。
もちろん、イギリス国内で厭戦気分が広がるという問題とは別に、戦争経済という観点からもインド洋の制海権喪失は許されないことだった。インド洋という海上交通路は、オーストラリアやニュージーランドからの食料を英本土に輸送するためにも、ペルシャ湾の石油資源を連合国が利用するためにも、不可欠の大動脈であったのだ。
また、アメリカとしても日本軍のインド洋進出は何としても阻止しなければならなかった。
単にイギリスの連合国脱落を阻止するためだけでなく、ヨーロッパと極東で切り離された枢軸国がインド洋という回廊で繋がることは、アメリカにとっても不利であるからだ。
また、インド洋には援ソルートの一つであるペルシャ湾ルート、援蒋ルートの一つ(実質、最後の一つ)であるビルマルートがある。イギリスだけでなく、連合国にとってインド洋は生命線なのである。
これには、太平洋戦線を重視するキング作戦部長もインド洋への兵力回航に同意せざるを得なかった。彼は太平洋戦線を重視すると共に、日本の陸軍兵力を大陸に釘付けにしている中国戦線も重視していたからだ。
蒋介石が日本と講和を結べば、数十万単位の兵力を日本は太平洋方面に展開することが出来る。それを、キングは恐れているのだった。
当然、北極海ルートに引き続きペルシャ湾ルートも遮断寸前となっているソ連にとっても、日本海軍のインド洋進出は脅威であった。
ソ連は太平洋を航行している輸送船が日米双方によってたびたび撃沈されており、これまでにも日本政府に抗議を申し入れていたが、日本海軍によるインド洋通商破壊作戦が始まって以降は、その抗議がより頻繁になっているという(日本政府は抗議のたびに、戦場海域における中立国船舶の安全は保障できないと返答している)。
ソ連はスターリングラードを奪還するための冬季攻勢にも失敗し、ドイツによる春期攻勢が始まればバクー油田も失陥するだろうと、ルーズベルトとチャーチルは判断していた。
それほどまでに、一九四三年四月現在での連合軍を取り巻く状況は悪かったのである。
「とはいえ、我が軍も先日、キング・ジョージ五世とイラストリアスが回航された結果、多少の戦力増強には成功しております」
同盟国の前で無様を晒すことは連合王国人としての矜持が許さないのか、東洋艦隊の参謀は強気な口調で言った。だが、スプルーアンスはそれが単なる虚勢であると見抜いている。
イギリスの三空母はイラストリアス級であり、重装甲な反面、搭載機数は四〇機弱に過ぎない。これではエセックスの半数以下である。艦載機も、合衆国から見れば旧式化しているとしか思えないフェアリー・バラクーダ雷撃機(これでもイギリスの最新鋭雷撃機)と、合衆国から貸与されたF4Fワイルドキャット(イギリス軍は「マーレット」と呼んでいるが)が中心であった。
とはいえ、戦闘機に関しては合衆国も最新鋭のF6Fヘルキャットの生産が軌道に乗っておらず、搭載しているのはエセックスのみ。二隻のインディペンデンス級にはF4Fが搭載されている。
あまり同盟国を悪く言えた義理でもないか、とスプルーアンスは思う。
「我々は、過度に悲観的になる必要はないでしょう」
スルプーアンスの思案顔をどう解釈したのかは知らないが、イギリス東洋艦隊司令長官ジェームズ・サマヴィル中将は全員に諭すように言った。
「あなたがた合衆国は、圧倒的に劣勢なミッドウェーで日本軍に圧勝したではありませんか。スプルーアンス提督、あなたはその勝利の立役者だったそうですな」
「合衆国軍人としての本分を尽くした。ただそれだけの話ですし、以後もそうするつもりです」
朴訥とした口調で、スプルーアンスはそう答えた。
そう答える他に、今この状況で自分が出来ることがなかった。
彼はテーブルの上に出された紅茶に手を付ける。馥郁たる香りが、鼻を抜けていく。キリンディニのあるケニアは、紅茶の名産地の一つである。
そういえばインドやセイロンも紅茶の名産地だったか、とスプルーアンスは思い出す。
この味を守るためにこの王国人たちは戦おうとしているのか、とどこか皮肉な思いと共に、彼は紅茶を飲み干した。
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