19 第四次ソロモン海戦

 両軍の巡洋艦部隊同士の砲戦は、互いに決定打を出せぬまま続いていた。


「……」


 主砲発射の轟音が響く中、早川艦長はちらりと第八艦隊司令部の表情を窺った。発砲炎に一瞬照らされた彼らの顔は、一様に渋かった。しかし、三川長官は艦隊運動に関して何ら命令を出さず、大西参謀長以下の参謀連中も、何ら意見具申を行う様子はない。

 現在、両艦隊の距離は一万二〇〇〇メートル程度になっていたが、米巡洋艦部隊はまったく変針する様子はない。

 三川長官が距離一万二〇〇〇で魚雷発射始めの命令を下したため、鳥海以下五隻はその距離まで敵艦隊に接近したが、以後、こちらも針路を変えていない。

 つまり、夜間であるにも関わらず両艦隊は一万メートルを越えた距離で延々と射撃を続けていることになる。

 突撃命令をいつ出すつもりなのだ、と早川は司令部批判に等しいその進言を喉まで出しかける。だが、言えばまた参謀連中と口論になるだろう。艦長として艦の指揮をしなければならない砲戦の最中に、それは拙いと判断した。

 不満はあるが、今は艦の指揮に集中しなければならない。

 鳥海が九度目の交互射撃をした直後、船体に衝撃が走った。それと共に、爆音が艦橋に届く。


「被害知らせ!」


 敵弾の方が、先にこちらを捉えたのだ。

 当然か、と早川は冷静に思う。こちらが九度の射撃を行う間、相手はその倍以上の砲弾を放ってきたのだ。必然的に、命中弾を出すのも早いだろう。


「飛行甲板に直撃弾! 右舷カタパルト全壊!」


 搭載していた水偵は全機、発進させてある。燃料などが誘爆を起こす可能性はなかった。

 さらに、鳥海が十度目の射撃を行うのと入れ替わりでクリーブランドの六インチ砲弾が船体を直撃する。

 今度は、前部錨鎖庫付近に被弾。多量の浸水が生じ、速力を三十ノットから二十五ノットに落とさざるを得なくなった。

 待ち望んだ命中弾が出たのは、十一度目の射撃だった。


「敵艦後部に命中一を確認!」


「次より斉射に移行!」


 ようやくその命令が出せたことに、早川は安堵と興奮を覚える。

 鳥海のこれまでの鬱憤を晴らすかのように、十門の主砲が一斉に火を噴く。戦艦ほどではないが、頼もしい衝撃が船体を揺さぶる。

 だが、敵巡洋艦の発射速度は異常に早かった。鳥海が二度目の斉射を放つ前に、新たな直撃弾が生じたのだ。

 艦橋直前の第三砲塔から、爆炎が上がる。


「っ……!」それを見た早川は、被害報告がもたらされるよりも早く命令を下していた。「第三砲塔弾薬庫に注水! 急げ!」


 この時、クリーブランドの放った六インチ砲弾の一発が、鳥海の第三砲塔を直撃していた。

 高雄型(正確には日本の重巡)の主砲塔の装甲は二十五ミリしかない。クリーブランドの六インチ砲弾は砲塔前楯を貫き、砲塔そのものを破壊していた。


「消火、急げ!」


 そしてその第三砲塔周辺では、砲塔内の装薬が誘爆したことによる火災が発生した。


「弾着観測機より入電! 敵駆逐隊が本艦に接近中! さらに敵巡洋部隊は煙幕の展開を開始した模様!」


「砲術長、目標を接近中の敵駆逐艦に変更せよ!」


 砲戦を有利に展開しつつある敵が煙幕を張った意図は不明だが、敵駆逐隊の意図は明らかだ。

 雷撃を受けることだけは、何としても阻止しなければならない。


「艦隊、取り舵に転舵」それまで黙っていた三川長官が、突然の命令を発した。「敵艦隊との距離を取れ」


 一瞬、早川艦長は三川長官の意図を察しかねた。取り舵に転舵するということは、事実上、この海域から離脱することになる。


「長官、敵艦隊の撃滅は確認されておりません」


 流石に我慢のならなかった早川は、強い口調で主張した。


「敵は煙幕を展開している。遁走を図ったものと見てよかろう」


 一方、三川長官は早川と目を合わせることなく、そう返した。

 あまりに状況判断が甘すぎる。思わず、早川はそう怒鳴りかけた。だが、敵駆逐隊が接近している状況で、口論に意識を向けるわけにもいかない。

 あるいは、三川長官はこちらが反論するだけの状況的余裕がないことを見越して、事実上の離脱命令を下しているのではなかろうか。

 今まで溜まっていた不満から、思わず早川の脳裏にはそのような邪推めいた思考が浮かんでしまう。


「……航海長、取り舵だ。砲術長、目標は変わらず敵駆逐艦」


 ささくれ立った口調のまま、早川は部下に命じた。

 旗艦である鳥海が取り舵に転舵したことを受けて、後続の第五戦隊、第六戦隊もそれに続いていく。






 一方で、それを良しとしない艦長も存在していた。

 霧島艦長、岩淵三次大佐である。

 彼は鳥海を先頭とする巡洋艦部隊の最後尾にあるという位置的状況、そして水偵と電探からもたらされる断片的状況から、煙幕の中に隠れた米巡洋艦部隊の意図を察していた。

 電探の情報によると、どうも敵巡洋艦部隊は南方に進みつつあるらしい。

 つまり、敵巡洋艦部隊は煙幕を展開した直後、一斉回頭を行った可能性があるのだ。


「旗艦に信号。我、三水戦ヲ援護ス」


 敵が南方に向かう理由は、一つしかない。ガ島の島影に隠れ、機を見て突撃しようとしている三水戦を撃破するためだ。

 本来、鳥海以下、自分の霧島を含めた五隻は敵巡洋艦の砲火を引きつけて水雷戦隊の突撃を援護するためではなかったのか。

 だとすれば、第八艦隊司令部の命じた戦術行動は、いたずらに三水戦を危険に晒すだけである。

 岩淵が鳥海に従わず、独断での行動を決意したのはそうした理由からであった。水雷戦隊の援護という名目ならば、当初の作戦行動を考える限りでは、明確に命令違反と言い難い面があったことも、彼の決断を後押ししていた。


「上空の水偵に伝達しろ。煙幕の切れ目でも何でも構わん。敵艦を視認したならばその位置を逐次報告するように。それと電探室。大雑把にしか判らんだろうが、敵巡洋艦部隊との距離を測定しろ。砲術長は水偵と電探室からもたらされる数値を元に、射撃を行え」


 本来は対空用である二一号電探を対水上電探として電探射撃を試みた事例は、すでに戦艦武蔵で(訓練射撃とはいえ)存在している。武蔵の通信長が作成した電探解説書は各所に配布され、電探を装備することになった霧島艦長の岩淵も読んでおり、だからこその命令であるともいえた。

 この直後、霧島は日本海軍において初めてとなる実戦での電探射撃を行うことになる。


  ◇◇◇


 一方、第八艦隊に対してレーダーを用いて先制することに成功したメリル少将であったが、内心では欠片も余裕などなかった。

 巡洋艦部隊を護衛すべき駆逐艦の数が、極端に少ないことが原因であった。

 後衛駆逐隊は、輸送隊の襲撃を企図していたと思われるジャップの別働隊と混戦状態に陥ってしまったため、まるであてに出来なくなってしまっている。

 敵水雷戦隊を阻止すべき駆逐艦兵力が、第六十八任務部隊では決定的に不足しているのだ。

 レーダーによってガ島側に確認されたジャップの水雷戦隊と思しき反応を探知すると、メリルは敵巡洋艦部隊との砲戦を即座に切り上げる決断を下した。

 この時、時刻は二三五六時。

 砲戦の開始から、十分も経っていなかった。

 敵巡洋艦部隊には牽制のために前衛駆逐隊を突撃させることで対処し、直接率いているクリーブランド以下軽巡四隻で敵水雷戦隊の撃退にあたることとする。

 煙幕を展開し、その中で巡洋艦戦隊に一斉回頭を命じた。

 クリーブランド、コロンビア、モントピリア、ヘレナの順で進んでいた戦隊が一斉に一八〇度旋回し、艦の順序が逆になる。

 また、この一斉回頭の副産物で、巡洋艦戦隊は鳥海以下の放った魚雷から逃れることになった。


「こちらレーダー室。敵水雷戦隊と思しき反応、二手に分かれました。我が戦隊を左右から挟み撃ちにしようとしている模様!」


「判った。ヘレナ、モントピリアは右砲戦開始。コロンビア、クリーブランドは左砲戦開始」


「アイ・サー」


 合衆国巡洋艦戦隊は射撃諸元の再調整のため、しばし沈黙した。






「第八艦隊司令部は何を考えていやがる……」


 不満も露わに、川内艦橋で第三水雷戦隊司令官・橋本信太郎少将は呟く。

 川内の見張り員は、鳥海を始めとした重巡が退避行動と思しき戦術行動を取っているのを確認していた。鳥海は艦前部で火災が発生しているようなので、よりはっきりとその行動が見えた。

 この時、橋本司令官は隊列を二つに分けていた。

 一つは、旗艦川内を先頭に第十一駆逐隊の吹雪、白雪、初雪、叢雲と続く隊列。もう一つは、第二十駆逐隊旗艦朝霧を先頭に、夕霧、天霧、白雲、第十九駆逐隊の磯波、浦波、敷波が続く隊列である(第二十駆逐隊司令の山田雄二大佐の方が、第十九駆逐隊司令の大江覧治大佐よりも一期先任)。

 これによって敵の砲火を分散させると共に、敵巡洋艦部隊を挟撃することを意図していた。

 これら二本の隊列が、敵艦隊左舷後方(この時点で、三水戦司令部は敵艦隊が第八艦隊に同航戦を挑み、北上していると見ていた)から接近していたのである。

 だが、その想定は一本の通信によって覆された。


「失礼いたします! 霧島より、平文の通信です!」


「平文だと!?」


 橋本は一瞬だけ、目を見開く。暗号電を組む間もないほどの緊急ということか。


「読め」


「はっ! 煙幕中の敵巡洋艦部隊、貴方に向け反転した模様。以上です!」


「……拙いですな」


 川内艦長・森下信衛大佐が固い声で言った。


「第八艦隊が退避行動を取ったのを見て、こちらに目標を移したのでしょう」


 本来、三水戦は第一艦隊所属なので、森下は鳥海以下の重巡群を「第八艦隊」と呼んだ。どこか突き放した感じの声音であった。


「重巡部隊はあてにならん。我々のみ敵艦隊を撃滅するつもりで突っ込むぞ」


「望むところです」


 にやりと森下は豪胆さを湛えた笑みを浮かべる。


「よろしい」橋本司令官も応ずるように笑み見せた。「三水戦各艦に通達。最大戦速、目標、敵巡洋艦部隊。全艦突撃せよ!」


 川内隊は東側、朝霧隊は西側に回り込むように、突撃を開始した。艦首波が一気に大きくなり、切り裂かれた海面から白いしぶきが上がる。

 不意に、川内の周辺に弾着を示す水柱が次々と立ち上る。

 それとほぼ同時に、煙幕の中から敵巡洋艦部隊が姿を現す。いかに米軍が優れた電探を持つとはいえ、煙幕の中ではまともな弾着観測が出来ないのだろう。


「左砲雷戦用意! 目標、敵巡洋艦部隊!」


 橋本司令官が鋭く命令を飛ばす。


「先頭の敵はブルックリン級、後続の三隻は敵新鋭重巡と認む!」


 見張り員の報告に、森下は片頬を持ち上げる笑みを作った。

 相手にとって不足なし、といったところ。ルンガ沖海戦では二水戦が米重巡部隊を壊滅させたというが、同じだけの兵力を持つ自分たち三水戦が出来ないはずがない。

 それに、自分の川内は第三次ソロモン海戦で米新鋭戦艦サウスダコタ撃沈の立役者でもある。この艦の戦果に、新たに米新鋭重巡が加わるのも悪くないと思っている。


「戦隊、取り舵に転舵!」


「宜候。とぉーりかぁーじ!」


 米巡洋艦部隊の進行方向に対して、川内隊はちょうど片仮名の「イ」の字を逆にしたような形で接近していた。これでは敵艦を縦に見ることになるので、魚雷を発射しても意味がない。そのため、橋本司令官は敵艦隊と反航戦になるように転舵を命じたのである。


「敵一番艦周辺に弾着あり! 霧島からの射撃の模様!」


「……岩淵先輩」


 兵学校の二年先輩である霧島艦長に、森下は一瞬だけ黙礼した。恐らく、敵巡洋艦の砲火を引きつけようとしてくれているのだろう。

 ならば、こちらはその献身を無駄にするわけにはいかない。


「左砲雷戦、反航! 目標、敵一番艦、撃ち方始め!」


 森下の号令一下、敵艦隊と相対する針路に入った川内の十四センチ砲が射撃を開始した。

 川内は三十五ノットの高速で鉄底海峡を疾走する。その周囲に、弾着を示す水柱が林立した。


「ただ今の敵弾による被害なし!」


 そうは言っても、撃ちまくられている今の状況は拙いと森下は判断していた。敵の射撃速度は速い。水柱を見る限り、砲門数も多いだろう。これでは遠からず、直撃弾が出る。下手をすれば、第三次ソロモン海戦での長良の二の舞である。


「司令、このままでは直撃されます。回避行動を取っても?」


「構わん。川内の指揮は君に任せる」


「了解!」


 信頼を込めた橋本司令官の応諾に、森下は快活な返事をした。


「航海長、ジグザグ航行だ! 取り舵二〇度!」


「宜候。取り舵二〇度!」


 森下の命令が舵輪を通じて川内に伝えられる。彼は操艦の名手として乗員たちから信頼を集めている男であった。だからこそ、橋本司令官も川内の操艦について一切口出しせず、森下にやりたいようにさせたのである。


「第十一駆逐隊に信号! 距離五〇にて雷撃開始!」


 敵の砲火が川内に集中しているのを悟った橋本司令官が、後続の四隻の駆逐艦に命令を下す。万が一、川内が撃破されても、雷撃だけは敢行しなければならない。

 この時、メリル少将麾下の四隻の巡洋艦の艦長は、それぞれレーダーによって捕捉した最も目立つ艦、あるいは最も近い艦に射撃を集中していた。これは後々、ニミッツ長官からも批判される米艦艇がレーダー射撃において行う悪癖の一つであった。

 そのため、左砲戦を命ぜられたクリーブランドとコロンビアは川内を、右砲戦を命ぜられたモントピリアとヘレナは朝霧を、それぞれ目標に射撃を続けていたのだ。

 任務部隊司令であるメリル少将も、こうした射撃方法にさして疑問を覚えていない。

 二隻のクリーブランド級軽巡、合計二十四門の六インチ砲に狙われていながら、川内は巧みな回避運動で被弾を回避していた。まるで水柱の合間を縫うようにして、クリーブランド以下四隻に接近を続けている。


「面舵十五度! 十五秒後に取り舵三十度だ!」


 敵艦を見据える森下は、右足で調子リズムを刻んでいた。敵艦新鋭巡洋艦の発射間隔、それと弾着までの時間を直感的に計算し、川内を小刻みに、そして不規則にジグザグに転舵させている。艦齢二十年近い彼女は、機関の轟音を響かせながら森下の意思に的確に応じていた。


「敵艦との距離、六〇!」


 森下は敵艦隊に接近する取り舵の角度を面舵よりも大きくしている。だから、徐々に敵艦との距離を詰めていた(これには、あえて大きく舵を切ることで敵艦に被弾面積の大きい横腹を晒さないという意図もある)。

 敵弾が川内の手前に着弾し、左舷側に盛大な水柱を吹き上げさせる。


「敵新鋭艦の射撃速度は伊達ではないな」


 感嘆と危機感のない交ぜとなった声で、橋本司令官はそう評した。


「ええ、こいつは回避運動を止めた途端、お陀仏になりそうですな」


 そうは言いつつもどこか楽しげに航海長に命令を下す森下を、橋本は頼もしく思う。


「君はそのまま、川内の操艦に集中していてくれ」


「はっ!」


「通信! 第十一駆逐隊に信号! 貴隊ハ我ヲ省ミズ突撃シ、雷撃ヲ敢行スベシ!」


 川内が敵の砲撃を引きつけている内に、後続の駆逐隊に雷撃を敢行させようというのである。

 すぐに吹雪から信号了解の返答があった。三十五ノットであれば、一〇〇〇メートルの距離を詰めるのに一分とかからない。


「取り舵二十度! 急げ!」


 だから、川内はあと一分間、敵の砲火を引きつけていればいいのだ。

 川内の周囲に何本目となるか判らない水柱が生じるのと、森下が弾着の轟音に負けじと怒鳴るのは同時であった。


  ◇◇◇


 煙幕から巡洋艦戦隊が出るか出ないかといった刹那に、ヘレナを先頭とする隊列に唐突に巨大な水柱が立ち上った。

 明らかに、戦艦クラスの巨弾によるものである。


「何事だ!?」


 即座に、メリルは状況報告を求める。


「こちら見張所。右舷に敵コンゴウ・クラスらしき艦影を確認!」


「……」


 メリル少将の瞼が痙攣した。敵の巡洋艦戦隊の旗艦に打撃を与え、退避させたと判断していたのだが、大物が一隻、残っていたらしい。

 だが、今更どうすることも出来ない。すでに彼は四隻の軽巡に目標を伝えてしまっている。今更、敵コンゴウ・クラス……暗号解読によると、ソロモンにただ一隻存在するコンゴウ・クラスの艦名はキリシマらしい……に目標を変更しては要らぬ混乱を生む恐れがあり、また照準を再調整するための時間も浪費する。

 このまま、当初の指示通りに射撃を開始するしかなかった。


「コンゴウ・クラスに構うな。今はジャップの水雷戦隊を撃退することを優先せよ!」


 メリル少将は動揺を感じさせない声で、四隻の軽巡に告げる。

 それに、脅威度でいえばジャップの水雷戦隊の方が大きい。敵戦艦の射撃に幻惑される必要はないだろう。

 そう、メリルは判断していた。

 これは、霧島からの射撃がどの艦を狙ったのか判らないほど照準が甘かったことも、その判断を下す要因となっていた。

 日本海軍初の実戦での電探射撃は、ヘレナを目標とした岩淵の意思に反して、まるで見当違いの海面に着弾していたのである。


「ファイア!」


 メリル少将の命令を忠実に守った各艦は、それぞれの目標に向けて射撃を開始する。

 降り注ぐ巨弾を無視するようにして(射撃速度の差と彼我の砲門数を考えれば、十分に無視出来た)、四隻の軽巡は十秒に一度の射撃を放つ。

 爆炎は、隊列の右舷側に発生した。


「敵駆逐艦一隻に火災発生! 行き足、止まります!」


 クリーブランドに見張り員の報告が寄せられる。ヘレナかモントピリアの砲弾が、右舷側から迫る敵水雷戦隊の先頭艦を撃破したらしい。


「こちらはまだ直撃弾を得られんのか?」


 だが、クリーブランドとコロンビアは射撃を繰り返しながら、未だ直撃弾を得ていない。メリル少将は焦れたように尋ねた。


「申し訳ございません。敵の回避行動が巧みなようです」


 クリーブランド艦長エドムンド・W・バーロウ大佐が唇を噛みしめながら返答した。

 その直後、先頭を進むヘレナの艦上に爆炎が上がった。


「ヘレナ被弾、速力低下します!」


 見れば、ヘレナは火災を発生させつつ、よろめくように速力を低下させていく。機関部と操舵装置に損傷を負ったようだ。

 この時、霧島は距離七〇〇〇メートルにて射撃を行っていた。戦艦にとっては超至近距離ともいうべき距離であり、四発の三十六センチ砲弾の内、二発がヘレナへの直撃弾となった。九一式徹甲弾は軽巡の装甲を紙のように突き破り、艦内深部で信管を作動させていたのである。


「モントピリア、取り舵に転舵!」


「隊列を乱すな!」


 見張り員の報告に、メリル少将は間髪を容れず指令を飛ばす。各艦がヘレナを避けようと思い思いの方向に舵を切れば、混乱が生じてしまう。


「……」


 メリル少将は緊張感に顔を強ばらせた。変針により、射撃を一時中止しなければならない。自艦の位置が変わったので、射撃諸元を最初から求め直さなくてはならないのだ。

 そして、射撃を停止している隙を、ジャップの水雷戦隊が見逃してくれるとは思えない。


「まもなく、ジャップの水雷戦隊とすれ違います! 残りおよそ十秒!」


 レーダー室からの報告に、メリル少将は緊張で乾いた唇を舐めた。

 相対速度は七〇ノット近い。十秒でおよそ四〇〇ヤード(約三六〇メートル)の距離が詰まることになる。

 沈黙する三隻の軽巡。金剛型から降り注ぐ巨弾。そして断末魔のヘレナ。

 海上はジャップの水偵による吊光弾と合衆国艦艇の打ち上げた星弾とで、不気味な明るさを湛えている。


「まもなく十秒! 三、二、一……。敵水雷戦隊、後方に抜けました!」


「全艦、一斉回頭!」


「アイ・サー!」


 クリーブランドの舵輪が回され、彼女たちは二度目の一八〇度回頭を始める。

 この一斉回頭でジャップの魚雷を躱せるかどうか。

 全乗員たちにとって緊迫の時間が始まった。


  ◇◇◇


「吹雪より信号! 『我、魚雷発射完了』!」


「第十一駆逐隊に信号。十秒後に面舵に転舵。離脱の後、魚雷の再装填を行う」


 右へ左へと高速で転舵を繰り返す川内の艦橋で、橋本少将は命じた。

 十秒間、第十一駆逐隊に直進を指示したのは、米軍にどの瞬間に魚雷を発射したのかを悟らせないための偽装であった。

 現在、米巡洋艦部隊は炎上した先頭艦を避けるために転舵しており、射撃を一時停止しているため、第十一駆逐隊は落ち着いて照準を定めることが出来ただろう。


「艦長、よくやってくれた。本艦も一時離脱だ」


「はっ!」


 川内は結局、魚雷を発射することは出来なかった。あまりに急激な転舵を繰り返していたため、照準を定めることが不可能だったのである。

 だが、そのために至近弾による若干の浸水が生じた以外は、まったくの無傷であった。

 第十一駆逐隊の発射した魚雷は、雷速四十八ノットに設定してある。五〇〇〇メートルの距離を、約二分で走破する。


「全艦、面舵一杯! 敵艦隊との距離を取る!」


「宜候。おもーかぁーじ一杯!」


「こちら見張所! 敵艦隊、一斉回頭を開始した模様!」


 その報告に、橋本司令と森下艦長は互いに顔を見合わせた。


「アメ公、一斉回頭でこちらの雷撃を躱すつもりのようですな」


「うむ。敵も馬鹿ではあるまいからな」


 森下も橋本も、特に動揺を見せずに言った。すでに魚雷は発射され、戦隊は退避行動に移っている。今更何を言っても仕方がないという冷静な諦観が働いている。

 やがて、緊張の二分が経過した。


「じかーん!」


 ストップウォッチで時間を計測していた乗員の声が、艦橋に響く。


「炎上中の敵巡洋艦に命中三、敵巡洋艦一に命中二を確認! 速力を低下させつつある模様!」


 少しの間をおいて、くぐもった爆発音が川内まで届く。


「命中は二隻だけか」


 落胆というよりは、事実確認に近い淡々とした口調で橋本司令官は呟いた。


「やむを得ん。各艦は魚雷の再装填急げ。再装填の後、残った敵巡洋艦を撃滅する」


 川内以下五隻は、一時、シーラーク水道を東に抜けるような形で退避行動を開始した。

 しかしこの戦術運動は、メリル少将に深刻な危機感をもたらすことになったのである。






「ヘレナの傾斜、深まります! コロンビアには魚雷二本命中! 隊列より落後します!」


 悲痛な報告が、クリーブランド艦橋に届けられる。

 操舵装置を破壊されたヘレナは敵の雷撃を回避することが出来ず、被雷は三本を数えた。金剛型からの命中弾による被害も合わせれば、沈没は免れないだろう。

 一方のコロンビアは被雷により艦首を切断され、前のめりになりつつ海上に停止しつつあった。


「モントピリアは本艦に後続せよ!」


 これで、四隻いた重武装の軽巡は今やクリーブランドとモントピリアのみとなってしまった。


「前衛駆逐隊にヘレナとコロンビアの救援を命じろ! 本艦とモントピリアは輸送隊への襲撃を企図していると思われる敵水雷戦隊を追撃する!」


 この時、メリル少将は東方へ魚雷再装填のために川内隊が取っている退避行動を、輸送隊への襲撃運動であると誤認していた。

 しかし、それ故に彼の危機感は深刻であった。

 輸送隊を失えば、ガ島の合衆国将兵を救う手立てはなくなってしまう。だからこそ、メリル少将は川内以下五隻の艦艇への追撃を決意したのであった。

 時刻は、二月十四日〇〇一二時。

 最初の戦闘からすでに三十分近くが経過していた。

 速やかにジャップの艦隊を鉄底海峡から撃退し、夜明け前までに撤収作業を完了させなければならないことを考えると、時間的余裕はほとんどなかった。

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