18 宿命の鉄底海峡

 アメリカは、日本の海軍暗号を相当部分、解読することに成功している。

 アメリカ軍は情報戦という分野において、確実に日本を圧倒しているといっていい。だが今回ばかりは、ハワイのONI(海軍情報部)のもたらした情報が南太平洋方面軍司令部に悪い影響を与えていた。

 少なくとも、軽巡クリーブランド艦橋で第六十八任務部隊の指揮を執るアーロン・S・メリル少将はそう思っている。

 現在、艦隊は一九四三年二月十三日深夜のガ島突入を期して北上を続けていた。エスピリットゥサントの航空隊の航続圏内を、ハワイ方面に向けて航行している。

 ジャップにハワイへ向かっていると誤認させる偽装航路である。

 とはいえ、彼らがどこまでこの偽装航路を真に受けてくれるかは判らない。それでも、第六十八任務部隊はガ島への突入を決行せざるを得なかったのだ。

 理由は、ONIがもたらした情報による。

 ソロモン・ニューギニア方面に展開するジャップの艦隊が、陸軍の増援部隊を載せた輸送船団と共にガ島への出撃を計画しているというのである。

 これまでガ島を封鎖して米軍を消耗させていた日本軍であったが、恐らく、合衆国がガ島からの撤退を決断したことで方針を変えたのだろう。増援部隊と海上からの艦砲射撃によって、ガダルカナルの海兵隊を殲滅しようとしているに違いない。

 その作戦が成功すれば、海兵隊第一師団と陸軍アメリカル師団は、文字通り地球上から消滅してしまう。

 故に、南太平洋方面軍司令部は第三次ガ島撤収作戦の実施に一刻の猶予もないと判断、メリル少将に二月十三日を以ってガ島に突入し、残存部隊を収容するよう命じたのである。

 第六十八任務部隊の編成は、次の通りであった。


  主隊

【軽巡】〈クリーブランド〉〈コロンビア〉〈モントピリア〉〈ヘレナ〉

【駆逐艦】〈ド・ヘイヴン〉〈ニコラス〉〈ラ・ヴァレット〉〈ウォーラー〉〈コンウェイ〉〈コニー〉〈ラルフ・タルボット〉〈ブキャナン〉


  輸送隊

【駆逐艦】〈フレッチャー〉〈テイラー〉〈ラムソン〉〈モーリー〉

【高速輸送艦】〈タルボット〉〈ウォーターズ〉〈ブルックス〉〈ギルマー〉〈ハンフリーズ〉〈サンズ〉


 作戦当初の編成である主隊に加え、新たに輸送隊の駆逐艦四隻が加わり、高速輸送艦の護衛と折りたたみ式浮舟の輸送を担当することになった。これら駆逐艦は、これまでの二次にわたる撤収作戦で用いられた駆逐艦の内、比較的損害が少なく、機関部の状態が良いものが選ばれている。

 第一次撤収作戦では約二三〇〇名、第二次撤収作戦では約四〇〇〇名を収容していた。当初の目標の半分以下の数値であった。だからこそ、南太平洋艦隊司令部は稼働可能な残存艦艇を集結させて第六十八任務部隊の輸送能力の強化を図ったのである。

 艦艇の損害と作戦行動中にかける機関部の負荷(敵空襲圏外への離脱のために、長時間の高速航行を余儀なくされる)を考えれば、今回のガ島撤退作戦“クリーンスレート作戦”は、この第三次撤収作戦が限界だった。それほどまでに、太平洋における合衆国海軍は危機的状況に瀕していたのである。


「提督、ブーゲンビルのコーストウォッチャーからの通信が」


 未だ太陽が東の空に存在する南太平洋の午前、旗艦クリーブランドにジャップの艦隊の動向を監視している現地の諜報員から情報が入った。


「大型巡洋艦を含む十隻以上の艦隊が、ニュージョージア島方面に向けて南下中とのことです」


「……拙いな」


 その報告に、メリルは呻いた。

 恐らく、第六十八任務部隊とジャップの艦隊がガダルカナルへ到着する時刻は同じだろう。いや、空襲などを警戒して迂回航路を取る必要のない日本艦隊の方が、ガ島到着は早いかもしれない。

 日本艦隊が揚陸作業や地上攻撃に気を取られている隙に攻撃できれば、まだ活路はあるだろう。また、レーダーに関してもガダルカナル沖海戦時よりも進歩している。特に最新鋭のクリーブランド級の三隻には最新鋭のSGレーダーの改良型が搭載されている。これは、初期型よりも出力を五〇キロワットほど上昇させたものである。

 とはいえ、問題点もあった。

 コロンビアとモントピリアは南太平洋に到着して二週間あまりと日が浅く、艦隊行動を共にするには練度の点で不安があったのだ(一方のクリーブランドはトーチ作戦の延期にともなって、当初の予定よりも早く南太平洋に到着していた)。

 だが、それでも自分たちは進まねばならない。

 合衆国軍人に怯懦は許されないのだ。


  ◇◇◇


 一方、悲壮な覚悟と共にガ島突入を決意していたメリル少将とは対照的に、第八艦隊の三川軍一司令長官はどこか煮え切らない態度であった。

 連合艦隊司令部から命ぜられた、ガ島に来寇する米艦隊の迎撃命令。

 それは、艦隊保全を第一とする第八艦隊司令部の方針と相容れないものであった。

 現在、第八艦隊は次のような編成で、ニュージョージア海峡を南下していた。


司令部直率【重巡】〈鳥海〉

第五戦隊【重巡】〈妙高〉〈羽黒〉

第六戦隊【重巡】〈衣笠〉

第三水雷戦隊【軽巡】〈川内〉

 第十一駆逐隊【駆逐艦】〈吹雪〉〈白雪〉〈初雪〉〈叢雲〉

 第十九駆逐隊【駆逐艦】〈磯波〉〈浦波〉〈敷波〉

 第二十駆逐隊【駆逐艦】〈天霧〉〈朝霧〉〈夕霧〉〈白雲〉

付属【戦艦】〈霧島〉


 その後方に、カビエンから出港した日進以下水上機母艦を護衛する輸送部隊が続く。


第四水雷戦隊【軽巡】〈球磨〉

 第二駆逐隊【駆逐艦】〈村雨〉〈夕立〉〈五月雨〉〈春雨〉

 第二十七駆逐隊【駆逐艦】〈白露〉〈時雨〉〈夕暮〉〈有明〉

輸送隊【水上機母艦】〈日進〉【特設水上機母艦】〈神川丸〉〈国川丸〉


 ヌーメア港を監視する潜水艦から、新たな米艦隊が出撃したとの報告は受けている。

 だからこそ、三川は再度の第八艦隊の出撃を決意したわけであるが、見敵必殺の精神に溢れているとは言い難かった。

 第八艦隊は、米海軍の第二次撤収部隊とおぼしき艦隊の出撃が確認された際、泊地から動かなかった。ショートランドにいた二隻の特設水上機母艦をカビエンまで護衛しなければならなかったこと、そしてそのカビエンでの陸軍砲兵部隊の積み込み作業があったこと、何よりも燃料の問題から出撃すべきではないと判断したのだ。

 しかし、連合艦隊司令部はそうした第八艦隊司令部の消極性を良しとしなかったらしい。

 広大な海域を担当する現場の苦労を知らないから、安易な出撃命令が出せるのだと、三川は密かに連合艦隊司令部に反発を覚えている。


「……」


 そして、そうした司令部の様子を横目で見ている鳥海の早川艦長は、内心で嘆息していた。

 どうやら今回も、司令部は米艦隊との対決に乗り気でないらしい。本気で、旗艦を別の艦に移してくれないものかと思っている。こちらの神経がささくれ立ってしょうがないのだ。

 米艦隊を前にして臆病風に吹かれることだけは止めてくれよ、と早川は切に願っていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 日米両軍は目的は違うとはいえ、同じ島を目指している。

 なればこそ、彼らの激突する海域は決まっていた。

 「鉄底海峡」。

 過去、幾多の艦船を飲み込み、周辺を通過する艦艇の羅針盤すら狂わせるとまでいわれる呪われた海域。

 日もとうに暮れ、南十字星が輝くソロモンの空の下、一九四三年二月十三日、太平洋の覇権を争う東西両国の艨艟たちは、幾度目かの邂逅を果たす。

 二三〇七時。

 レカタ基地から発進した零式水偵が、マキラ島東方に米艦隊の姿を発見した。

 第六十八任務部隊は、日本軍による空襲を避けるため、エスピリットゥサント、サンタクルーズ諸島を大きく回るようにしてガ島への突入を敢行しようとしていたのだ。

 これがこの夜、第八艦隊にとって米艦隊発見の第一報となった。

 両軍の索敵合戦は、優秀なレーダーを持つ合衆国側ではなく、ソロモンの制空権を掌握している日本側に軍配が上がったことになる。

 ガダルカナルの飛行場では、吊光弾を搭載した二式陸偵が発進命令を待っていた。また、可能ならば夜間空襲を行うべく、相応の技量を持った搭乗員たちと少数の零戦、九九艦爆、九七艦攻を待機させていた。

 少なくとも、距離的に米軍よりも早くガダルカナル沖に兵力を展開出来る日本側は、三川の思いは別として、迎撃準備自体はかなりの精度で整えていたのである。

 昼間の航空偵察の結果、サンタクルーズ諸島沖に敵艦隊が発見された時点で、第八艦隊は揚陸作戦の一時中止を決断していた。そのため日進以下三隻の水上機母艦の護衛についていた第四水雷戦隊から、橘正雄大佐率いる第二駆逐隊を引き抜き、艦隊に加えている。

 シーラーク水道を航行する第八艦隊は、かつての第一次ソロモン海戦と同じく、単縦陣を形成していた。

 旗艦鳥海を先頭に、第五戦隊の妙高、羽黒、第六戦隊の衣笠、そして戦艦霧島の順に並び、その後方に第三水雷戦隊が続いている。唯一、第二駆逐隊のみがインディスペンサブル海峡側に配置されていた。

 これは第三次ソロモン海戦の戦訓から、米艦隊出現後はその退路を断つことを期待しての配置であった。

 水偵による最初の通報から約三十分後の二三三九時。

 霧島の二一号電探が距離十八キロで、米艦隊と思しきぼんやりとした反応を探知した。波長一・五メートルでは、いくら水上目標を探知出来るとはいえ、どうしても反応は粗くならざるを得ない。

 その情報は即座に旗艦鳥海に伝達され、三川長官は弾着観測機発進始めの号令を下す。各艦のカタパルトから照明弾を積んだ零式水偵、零式観測機がそれぞれ打ち出された。

 二三四三時。

 鳥海見張り員が距離約十四キロで敵艦隊の発見を報じた。


「取り舵に転舵。敵艦隊の頭を抑える」


「宜候。とぉーりかぁーじ!」


 夜戦艦橋に、独特の調子を付けた操舵員の声が響く。

 ここで、鳥海から霧島までの艦が取り舵に転舵した。一方で、旗艦が取り舵に転舵したのを見た三水戦は面舵に転舵している。

 これは事前の作戦計画による艦隊運動であり、砲戦部隊である重巡四隻と霧島が敵の砲火を引きつけ、その隙に第三水雷戦隊を突撃させるというものであった。

 そのため、三川は三水戦がガ島の島影に隠れるような艦隊運動を取らせたのだ。


「敵艦隊、面舵に転舵。本艦と同航する模様!」


 一方、米艦隊も第八艦隊に丁字を描かれることを恐れたのだろう、同航砲戦を挑むつもりのようだ。


「敵艦隊、発砲を開始した模様!」


 そして、海の彼方に閃光を見つけたらしい見張り員が叫ぶ。

 未だ両艦隊の距離は一万三〇〇〇メートル前後。かなり早い段階で米艦隊は射撃を開始したことになる。


「各艦、右砲雷戦用意! 併せて、観測機に吊光弾の投下を指示せよ!」


 先手を取られたものの、三川の指示は落ち着いていた。いかに米軍に電探があるとはいえ、初弾が命中するとは思っていないのだ。

 刹那、鳥海の周囲に水柱が立ち上る。敵艦隊からの弾着だった。


「ただいまの敵弾による被害なし」


 報告に、早川艦長はかすかに頷いた。

 やがて、東の海面に吊光弾の光がまばゆく輝く。敵艦隊の後方に投下されたパラシュート付照明弾は、くっきりとその姿を海上に映し出す。


「本艦の目標、敵一番艦、妙高以下は航行順序に沿って目標を定めよ」


「宜候。目標、敵一番艦!」


 鳥海の二〇・三センチ主砲塔が、ゆっくりと旋回を始める。砲術長が射撃諸元を定め、その計算結果が各砲塔に伝達され、砲身が仰角を取り始めた。


「射撃用意よし!」


 やがて、砲術長から待ち望んだ声が届けられる。


「目標、敵一番艦、撃ち方始め!」


「てぇー!」


 この瞬間、鳥海の五門の主砲が一斉に火を噴いた。






 一方、第六十八任務部隊は、レーダーにより日本艦隊を距離二十六キロで探知していた。

 艦隊は二十六ノットで航行しているため、霧島の電探よりもおおよそ三分ほど早く日本艦隊を捕捉していたことになる。とはいえ、上空にジャップの索敵機が張り付いているため、実際に先に探知されたのは自分たちの方だろうと、メリル少将は判断していた。

 となれば、ジャップの揚陸作業中に横合いから急襲出来るという可能性は低いだろう。

 こちらも輸送隊を後方に残しているように、ジャップも輸送隊を後方に配置して、第六十八任務部隊の鉄底海峡突入を阻止しようとしているに違いない。

 現在、任務部隊は単縦陣にて航行していた。

 艦の配置は、これまでの巡洋艦部隊と同じく、前衛の駆逐隊、主力の巡洋艦戦隊、後衛の駆逐隊というものである。


「敵艦隊、取り舵に転舵。こちらの頭を抑えつつあります」


 レーダー室からは、刻々と日本艦隊の状況がもたらされている。


「艦隊、面舵に転舵。敵艦隊に対し、同航戦を挑む! 各艦、左砲雷戦用意!」


「アイ・サー」


 メリルの指示により、クリーブランドは徐々に右に転舵していく。


「巡洋艦戦隊は、距離一万四〇〇〇ヤードにて砲戦を開始せよ! 駆逐隊は巡洋艦部隊の射撃開始と同時に敵艦隊に突撃、雷撃を敢行すべし!」


 クリーブランド級軽巡は、六インチ主砲三連装四基十二門を搭載する重武装の軽巡洋艦である。しかも、このMk.16主砲の装填速度は十秒程度と、かなりの速射が可能な砲であった。日本側の重巡が装備する三年式二〇糎主砲の装填速度が約二十秒であることを考えれば、射撃速度において日本側を圧倒することが出来るのだ。最大射程も二万六〇〇〇ヤード(約二万四〇〇〇メートル)を誇っていた。

 一方で、雷撃能力では日本の巡洋艦に劣る。

 だからこそ、メリル少将は自身の巡洋艦戦隊を不用意に敵巡洋艦戦隊に接近させることを警戒していた。それ故、敵艦隊へ接近せず、ある程度の距離を保って砲戦に持ち込む戦法をとったのだ。


「射撃用意よし!」


撃ち方始めオープンファイアリング!」


 クリーブランドの主砲が、轟然と日本艦隊に向けて射撃を開始した。


  ◇◇◇


 マライタ島を背にして進んでいる第二駆逐隊は、南方海域、つまりガダルカナル方面で発砲の閃光と照明弾の吊光が連続しているのを確認していた。


「村雨より信号。面舵に転舵、第二駆逐隊、突撃せよ」


「来たな」


 にやりと、夕立の艦橋で吉川潔中佐は不敵な笑みを浮かべる。


「航海長、面舵に転舵。旗艦に続け」


「宜候。おもぉーかぁーじ」


 村雨、夕立、五月雨、春雨の順で進む第二駆逐隊。

 四隻の駆逐艦は一糸乱れぬ統制の下、海面に一本の弧を描いていく。

 機関の轟音を響かせながら、村雨を旗艦とする第二駆逐隊は米艦隊へと突撃を開始した。夜の黒い海面に、白いしぶきが上がる。


「旗艦より信号。右砲雷戦用意!」


「宜候。右砲雷戦用意!」


 四隻の駆逐艦は、一斉にその砲と魚雷発射管を右舷へと指向する。

 夕立の右舷側海面では、第八艦隊と米艦隊の巡洋艦部隊による砲戦が行われていた。状況はいまいちよく判らないが、だからといって突撃を躊躇う理由にはならない。


「敵の後衛と思しき駆逐艦部隊、こちらに向かってきます!」


「だろうな」


 見張り員の報告に、吉川は特に驚いた様子もなく呟いた。

 相手には電探がある。もとより、背後からの奇襲が成功するとは、橘司令を始めとして誰も思っていない。あくまで、後方を遮断するような動きを見せて、敵艦隊を牽制出来ればそれでよいと考えている。


「村雨より信号! 目標、敵駆逐艦。適宜砲撃始め」


「砲術長、聞いての通りだ。撃ちやすそうな奴から狙っていけ」


「宜候! 目標、敵駆逐艦二番艦!」


 椛島千蔵砲術長から応答がある。


「敵艦発砲!」


「やはり、アメ公の方が早いか」


 夜戦は日本海軍の十八番おはこであったはずなのだが、電探技術の発達と共にその優位性が薄れているのかもしれない。

 とはいえ、慌てる必要もないと吉川は思っている。こちらはこちらの全力を発揮すれば、それでよいのだ。


「射撃用意よし!」


「撃ち方始め!」


「てぇー!」


 米駆逐艦に少し遅れて、第二駆逐隊も発砲を開始する。

 十二・七センチの砲とはいえ、陸軍の重砲並みの口径である。それなりに腹に響く。

 その轟音と振動を心地よく感じながら、吉川は敵の様子を見る。どうも、こちらの針路を塞ぐような形で、四隻の米駆逐艦は行動しているようだった。


「村雨、取り舵に転舵!」


「航海長、村雨に続け!」


「宜候。とぉーりかぁーじ!」


 これで、米駆逐隊とは同航戦の形となる。最善は米巡洋艦部隊に接近するために面舵を取り、米駆逐隊とは反航戦に持ち込んですり抜けることなのだが、すでに砲を右舷側に向けてしまっている。面舵に転舵すれば米駆逐隊を左舷側に望むことになるため、照準の大幅な修正が必要となるのだ。

 恐らく、橘司令は同航戦で素早く米駆逐隊を仕留め、再度、米巡洋艦部隊に接近を試みるつもりなのだろう。

 米駆逐隊との真っ向勝負に、吉川も全身の血が沸き立つような興奮を覚える。

 村雨からは、特に追加の指示はない。魚雷は敵巡洋艦のために温存しておく肚なのだろう。

 二基の十二・七センチ連装砲が、交互射撃を繰り返す。

 艦首付近に、弾着があった。水柱が立ち上り、夕立の姿を敵駆逐隊から隠す。だが、三十五ノットで疾走する夕立は、水柱が崩れるより早くその脇を駆け抜けた。


「米駆逐隊、なおも接近中!」


「ほう、中々闘魂逞しいじゃないか」


 見張り員の報告に、吉川は感嘆の声を上げる。

 第三次ソロモン海戦の際の米駆逐隊の狼狽ぶりを実際に目撃している彼にしてみれば、今、目の前の敵の積極性は十分に賞賛に値するものだった。


「敵二番艦に命中一を確認!」


「よし、その調子で撃ちまくれ!」


 命中の爆炎は、吉川も確認出来た。

 米駆逐隊はこちらに接近するために舵を切りながら射撃をしているらしく、彼らからの弾着は未だ夕立を捉えられていない。

 弾着による水柱の中を夕立は突っ切り、二基の主砲が一斉射を開始する。


「命中、さらに二を確認! 敵駆逐艦で火災発生の模様!」


「……おいおい、いくら何でも近づきすぎじゃないか」


 吉川は意外に近い場所で火災が発生していることに、怪訝な声を上げた。

 米駆逐隊は、なおも接近を試みている。いや、接近しようとしているのではなく、こちらの針路を何としても塞ごうとしているのかもしれない。

 そこで、はっと吉川は気付いた。


「……拙い! 村雨に信号を出せ! 直ちに取り舵に転舵され度!」


 吉川はかつて、第三次ソロモン海戦で同じような光景を目にしている。他ならぬ、自らの操る夕立が同じような行動を取っていたのだ。

 だからこそ、米駆逐隊の意図に気付けたといえる。

 一方の村雨も、このままでは衝突すると気付いたのだろう、夕立からの信号が伝わる前に、その船体が左に旋回を始めた。


「馬鹿野郎! 舵を切りすぎだ!」


 村雨の様子を見て、思わず吉川は罵声を発した。取り舵一杯(左舷三十五度)を通り過ぎて「赤々(緊急左舷回頭四十五度)」に切ったらしい、そのままでは一周回って夕立の左舷側に衝突してしまうだろう。


「取り舵三十度! 急げ!」


「とぉーりかぁーじ!」


 復唱する操舵員の声は、緊張に震えていた。

 今、夕立は左舷を村雨、右舷を米駆逐隊に挟まれている。下手に大きく舵を切れば、どちらかに衝突してしまうだろう。

 その間にも米駆逐隊からの砲弾が降り注ぎ、夕立も負けじと撃ち返す。だが、どちらも変針しながらの射撃のため、まともに命中弾が出ない。

 そして、米駆逐隊も流石に接近し過ぎたことに気付いたのか、一斉に面舵を切って反転していく。

 炎上する米駆逐艦が一隻だけ、戦場に取り残された。


「撃ち方止め、撃ち方止め!」


 どこか投げやりな調子で、吉川は主砲射撃を止めさせる。まったくもってひやりとする場面であった。


「ったく、俺があの時やったことを、アメ公にやり返されるとは思ってなかったぞ」


 取りあえず、衝突の危機を回避した。一瞬だけ安堵の息をついた吉川は、即座に周囲を確認する。


「村雨は? 五月雨と春雨はどうした!?」


「判りません! 三隻の艦影、確認出来ません!」


 最大戦速で突っ切ったことが徒になったらしい。後方に、三隻を置き去りにしてしまったのだ(この場合は、夕立が置き去りにされたのかもしれないが)。


「おいおい、またか……」


 第三次ソロモン海戦の時も、夕立は春雨など友軍艦隊とはぐれ、単独行動を行っている。またも同じ状況に陥ってしまったことに、吉川としては呆れた声を出す以外にない。


「ったく、しょうがない」


 こうなった以上は、吉川自身の判断で戦闘を継続するしかないだろう。


「面舵一杯、目標、敵巡洋艦戦隊!」


 狙う獲物は大きい方がいい。

 吉川の不敵な笑みと共に、夕立はインディスペンサブル海峡から宿命の鉄底海峡へと舵を切っていった。






 第六十八任務部隊の後衛駆逐隊が、第二駆逐隊に対して衝突が危ぶまれるほど接近したのは、彼らなりの危機感があったからであった。

 日本側は第二駆逐隊による退路の封鎖を意図していたのだが、合衆国艦隊は戦闘を行っている主隊の後方に輸送隊が存在していた。駆逐艦フレッチャーを旗艦とした輸送隊は主隊が第八艦隊と交戦している隙を突いてのガ島突入を企図しており、万が一、攻撃を受けた場合、自力で日本艦隊を撃退することが困難であった。輸送隊は駆逐艦にまで折りたたみ式浮舟を積載しており、甲板上に可燃物が溢れていたからである。

 この輸送隊の存在に関してもレカタ基地の零式水偵は報告していたのだが、第八艦隊はその位置を十分に把握していなかった。第六十八任務部隊の後衛駆逐隊と輸送隊を混同していたのである。夜間故の錯誤、あるいは情報処理の拙さが原因といえよう。

 だが、日本側のそうした事情を知らない第六十八任務部隊は、第二駆逐隊の行動を輸送隊攻撃のためのものであると判断し、それを後衛駆逐隊の司令が断固阻止すべく行動した結果、第二駆逐隊の針路を妨害するような艦隊運動を行ったのであった。

 この結果、大きく転舵して左舷側から接近する村雨を避けるため、夕立に後続していた五月雨、春雨は面舵に転舵することとなった。第二駆逐隊の隊列は、これによって完全に崩壊してしまった。

 その意味では、後衛駆逐隊司令の目論見は十分に達成されたと考えるべきであろう。

 海戦終結まで、第二駆逐隊はまとまった艦隊行動が取れなくなってしまったのだから。

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