7 大和咆哮

 戦場上空の雲が晴れ初め、月明かりがソロモンの海に差し込み始めた時、山本長官を始め誰もが「天佑」という言葉を脳裏に浮かべたという。


「この天候のまま推移しますと、二〇キロメートル前後の視界は確保出来ます」


 宇垣が山本に報告する。

 未だ十分に安全の確保出来る距離とは言い難いが、あまり艦隊の保全ばかりを考えていても仕方がない。それに、一番の保全方法は敵戦艦を速やかに撃破することなのだ。


「長官、弾着観測機を発進させてよろしいでしょうか?」


 大和艦長・高柳儀八少将が問う。


「うむ、そろそろよかろう。長門と陸奥にも、弾着観測機の発進を命じたまえ」


「はっ! 弾着観測機、発進始め!」


 大和の艦尾に備えられた二基のカタパルトから、零式水上観測機三機が発進する。後方に続く長門、陸奥でも同様の光景が見られているはずだ。

 零式観測機は、今年の夏以降から戦艦部隊に配備されるようになった日本海軍の最新の観測機であった。これまではもっぱら基地航空隊と水上機母艦への配備が優先されたため、戦艦への配備が一九四二年後半にずれ込んでいたのだ。

 日本海軍は砲戦に際して三機の弾着観測機を使用するのを基本としている。三点から観測を行うことで、より正確な方位測定が出来るからである。


「綾波より、敵前衛駆逐隊を撃破したとの報告が上がっております」


 その報告に、小さなどよめきが夜戦艦橋に響いた。駆逐艦一隻で、敵前衛を撃破したことに対する驚きであった。これで、こちらの水雷戦隊を妨害する敵部隊の一つが消えたことになる。


「三水戦司令部に、機を見て敵戦艦への雷撃を敢行するように伝達したまえ」


 山本がそう命じた。恐らく第三水雷戦隊司令官の橋本信太郎少将の方でも機を窺っていると思われるが、命令として明確に出しておいた方がよいと考えたのだ。


「R方面航空部隊の水偵より報告。敵戦艦部隊、針路を北へ変更」


「敵は、そのまま突入して我が方に丁字を描かれることを回避したいようですな」


 敵艦隊の意図を理解して、宇垣が呟く。とはいえ、意外という感想はない。恐らく、常識的な戦術行動だろう。


「まあ、妥当な判断だろう。こちらも、丁字が必ず描けるとは思っていないのだからな」


 山本も、やはり宇垣と同じ考えであった。

 射撃隊はシーラーク水道での南北への往復運動を繰り返して水道を封鎖している。ここに正面から突入すれば、アメリカ艦隊は完全な丁字を描かれてしまうのだ。だからこそ、針路を北へと変えたのだろう。

 北側はそのままインディスペンサブル海峡に繋がっており、艦隊行動を取る余裕が生まれる。逆に南方に変針すれば、ガダルカナル島と射撃隊に挟まれる危険性があり、艦隊行動の自由が利かなくなる恐れがあった。

 そのため、アメリカ戦艦部隊の戦術行動は、日本側にとってそれほど奇異なものではなかった。


「見張り員より報告! 右舷一二〇度に敵影発見! 大型艦三、その後方に巡洋艦らしき艦影二を確認! 距離一万八〇〇〇!」


 ガダルカナル東方の海面は、月光と炎上する米駆逐艦と綾波の存在により、ある程度の視界か確保出来ていた。


「弾着観測機より、敵艦上空へ達したとの報告あり!」


 現在、射撃隊と米戦艦部隊は同航状態になりつつある。


「第一戦隊、右砲戦用意! 第九戦隊、魚雷発射始め!」


 山本は、力強く命じた。

 第一戦隊の後方に続く第九戦隊の重雷装艦の大井、北上がこの命令に従って一艦あたり二十本、二艦合計四十本の九三式酸素魚雷を発射した。

 彼女たちは水雷戦隊と違い、敵艦隊に肉薄して雷撃することを想定していない。決戦に先立って遠距離から多数の魚雷を発射することを任務としているのだ。

 雷速は三十八ノット。一万八〇〇〇メートルの距離を、十五分で走破する。


「第九戦隊より信号! 『我、魚雷発射完了』!」


 小さな興奮の呻きが、艦橋に響いた。艦隊決戦のために帝国海軍が整備した兵器が今、解き放たれたのである。

 だが、彼らはこの直後、より大きな興奮に包まれることになる。

 山本は、矢継ぎ早に命令を発した。


「目標、右同航の敵戦艦! 大和目標は敵一番艦、長門目標二番艦、陸奥目標三番艦! 水偵に吊光弾の投下を下命! 吊光弾を投下次第、砲戦始め!」


「宜候! 砲術長、目標、敵一番艦!」


 艦橋最上部の射撃指揮所に、高柳艦長の命令が伝達される。心なしか、実戦で始めて主砲を射撃する興奮に声が震えているようだった。

 大和が誇る十五メートル測距儀が回転を始め、目標へと指向する。それに併せて三基の四十六センチ主砲塔と、艦中心線上に装備された十五・五センチ副砲塔が獲物を求めて旋回していく。

 やがて、彼方に吊光弾の光が輝き、その下にある敵戦艦の姿をくっきりと浮かび上がらせた。

 各主砲塔から、それぞれ一門ずつの砲身が仰角を取り始める。


「射撃用意よし!」


 砲術長・松田源吾中佐の報告に、艦橋の者たちは頷き合った。

ついに、この大和の主砲が敵の戦艦に火を噴くときが来たのである。大和の建造当初から、帝国海軍が待ち望んでいた瞬間だった。


「撃ち方始め!」


「てぇー!」


 三門の四十六センチ砲が、一斉に火を噴く。一発一・五トンにも及ぶ一式徹甲弾が、彼方の敵艦を目指して発射された瞬間であった。

 腹に堪える轟音と衝撃に、高柳艦長らはかすかな笑みを浮かべた。これが大和の主砲の威力なのだと肌で感じ、敵戦艦の装甲を貫く瞬間を想像したのだろう。

 航空機こそ現代の戦争の主役と考えている山本五十六ですら、主砲発射の衝撃に「ほう」と感嘆の声を漏らしていた。


「長門、撃ち方始めました!」


「陸奥、撃ち方始めました!」


 大和の射撃開始と時を同じくして、後方に続く長門と陸奥も射撃を開始したのである。報告する見張り員の声も、やはり興奮で上ずっていた。

 とはいえ、初弾で命中弾が出せるほど、一万八〇〇〇メートルという距離は甘くない。夜間となればなおさらである。

 ストップウォッチを持っている観測員の「だんちゃーく!」の声と共に、彼方に白い水柱が上がる。

 松田砲術長以下、射撃指揮所に詰める要員はただちに苗頭の修正を行った。砲戦距離二万メートルにおいては、約一〇〇〇メートル前後の誤差が出ると言われている。それを、根気強く修正していかなければならないのだ。

 やがて、大和は二度目の射撃を行った。

 巨大な砲声が、ルンガ沖の海面に木霊する。






 一方、リー少将麾下の戦艦部隊は、状況が想定と違っていることを思い知らされていた。


「レーダー室より報告! PPIスコープの輝点の大きさから見て、敵は戦艦三隻を擁する模様!」


「三隻……」


 リー少将は思わず呻いた。ここが戦艦ワシントンの航海司令塔でなければ、哲学的思考に没頭する学者のようにも見えただろう。だが、彼の頭脳が考えているのは哲学的問題ではなく、この状況をどう打開するかであった。

 戦艦三隻の正体が判明していない以上、強敵と考えて行動すべきだろう。レーダー員の誤認や、敵が残り二隻のコンゴウ・クラスであると楽観すべきではない。


「敵戦艦、発砲!」


 分厚い装甲に覆われた司令塔に、見張所からの報告が入る。


「距離二万ヤードでの発砲とは、ジャップはよほど射撃に自信があるのでしょうか?」


「いや、奴らはレーダーを持ってない」


 デイビス艦長の言葉を、リーは否定する。上空にはジャップの弾着観測機がいるが、それもレーダーの精度には敵わないだろうと思っている。

 なお、リーは頭上の敵弾着観測機を撃墜する命令を発していない。対空砲にも使う五インチ両用砲は、敵水雷戦隊の出現に備えさせねばならないからだ。また、不用意に対空砲火を打ち上げて発射炎が標的にされてもかなわない。


「それよりも艦長、本艦の射撃準備は?」


「レーダーを索敵モードから射撃モードに切り替えました。命令あり次第、射撃を開始出来ます」


 ワシントンに搭載されているSGレーダーは索敵時は回転しているが、射撃時には敵艦に向けて固定する。


「よろしい。ワシントンの指揮は任せる。全艦、撃ち方始めオープン・ファイアリング!」


「オープン・ファイアリング!」


 直後、デイビス艦長の命令を受けた三基の十六インチ砲が轟音と共に砲弾を発射した。


「サウスダコタ、撃ち方始めました!」


「ノースカロライナ、撃ち方始めました!」


「サウスダコタの射撃に問題はないか?」


 サウスダコタが射撃を開始したという報告を聞き、リーは懸念していることをトンプソン副官に尋ねた。

 サウスダコタは十月の南太平洋海戦で、二番主砲塔三門の内、二門の俯仰機構が損傷し、完全な修理が行えていない。さらに、先ほどのジャップの駆逐艦の砲撃によってレーダーが破壊されているのだ。

 艦内の電力は回復したとはいえ、万全の状態とは言い難かった。


「現状、両用砲によって照明弾を打ち上げつつ、砲撃を行っているとのことです。ただ、第二砲塔の二門は依然として使用出来ません」


 照明弾射撃によってレーダーが使えない分の視界を補っているということだろう。二番砲塔の件は、ドック入りしなければ直しようがないので諦めるしかない。


「ふむ。今はサウスダコタの健闘を祈るしかないか」


 すでに戦闘が開始された以上、退くことは出来ない。


「見張所より報告。遭遇せる敵戦艦は艦型不明一、ナガト・クラス二の模様」


「ナガト・クラスですか。また、大物を持ち出してきましたな」


 ほう、と感嘆の息をついてデイビス艦長が言う。

 長門型戦艦は、合衆国のコロラド級、イギリスのネルソン級と共に「世界のビック・セブン」と呼ばれた十六インチ砲搭載戦艦である。旧式とはいえ、侮れる敵ではない。


「我らも本気、奴らも本気、そういうことだろう」


 リーは冷静に応じた。内心にも、さほどの驚きはない。敵の正体が戦艦三隻であると判明した時から、強敵であることは覚悟していた。

 こちらが最新鋭戦艦を繰り出しているのだ。それに対抗する戦力を日本側が持ち出してくるのは当然であろう。

 艦型不明の戦艦が一隻いるが、日本海軍も合衆国と同じように、ワシントン海軍軍縮条約失効後に新型戦艦を建造したのだろう。

 問題は、その性能だった。

 主砲口径は、恐らく十六インチ。これは、一九三六年に第二次ロンドン海軍軍縮条約が締結された後、日本が英米仏の建艦通報要求に応じなかったことからも明らかだ。建艦通報要求とは、日本が第二次ロンドン海軍軍縮条約に抵触する十四インチを超える主砲を持つ戦艦を建造していないかという問い合わせのことをいうが、日本側は頑なに新型戦艦の要目公表に応じなかったのだ(日本は第二次ロンドン海軍軍縮条約に調印していない)。

 そして、この時の影響で、本来は第二次ロンドン海軍軍縮条約に適う十四インチ砲搭載戦艦として計画されたノースカロライナ級は、条約のエスカレーター条項(条約締結国以外が十四インチを超える主砲を持つ戦艦を建造した場合、条約にある備砲の口径制限を解除する条項)を適用し、十六インチ砲搭載戦艦に計画が変更されたのである。


「敵弾、本艦の左舷側に落下。被害なし」


 ダメージコントロール班から報告が上がる。やはり、レーダーを持たない日本側が夜間に距離二万ヤードで正確な射撃をするのは無理があるのだ。






 大和の主砲射撃は、第三射まで空振りに終わった。

 一方で、敵新鋭戦艦からの砲撃も、命中弾を出すには至っていない。


「砲術、何をやっとるか!」


 苛立ちを含んだ声で、高柳艦長は松田砲術長を叱責する。距離二万メートルの砲戦では第三射までに試射を終え、第四射から本射(効力射)に移ることが日本海軍の想定であった。

 だが、現在までの散布界では、到底第四射から本射に移行することは出来ない。

 加えて、連合艦隊司令長官の前で命中弾を中々出せないという醜態が、高柳を苛立たせていたのだ。


「落ち着け、艦長」


 だが、そんな高柳を宥めたのは宇垣参謀長だった。


「夜間で主力艦同士の決戦は、本来であれば推奨されていない」


 日本海軍の砲術教範では、主力艦の夜戦は特殊な状況にならない限り行わないものと定められている。戦前の想定では、夜間に敵主力艦部隊と遭遇した場合、決戦を翌朝以降にするために自軍の主力艦部隊は敵と距離を取ることになっていた。


「それに、我々の目は気にせんで構わん。砲術長には、焦らず腰を据えて冷静に射撃するように伝えてくれ」


 それは、砲術の先輩としての宇垣の助言であったのかもしれない。

 宇垣の言葉を受けた高柳は、ちらりと山本の姿を見る。山本は命中弾が出せないことに苛立っている様子はなく、たた泰然とした態度で敵戦艦を見つめていた。

 恐らく日本海海戦の時の東郷平八郎司令長官もこうだったのではないかと思わせる堂々たる態度であった。


「はっ」


 高柳は、少し前までの己を恥じるように一礼した。

 しばらくして、大和は四度目の主砲発射を行う。それと入れ替わるように、敵の四〇センチ砲弾が落下する。それらは大和の周囲に高々と水柱を吹き上げ、硝煙混じりの海水を周囲にぶちまけていく。


「ただ今の敵弾による被害なし」


 やはり敵も夜間と距離という障害に阻まれているのか、命中弾はなかった。


「しかし、近いですな」


 黒島亀人先任参謀が呟く。実際、敵の弾着は徐々に大和に近付いてきている。

 連合艦隊司令部の誰もが、電探の存在を考えた。「闇夜に提灯」などと言って電波を出す危険性に過敏に反応するよりも、夜戦に際して電探のもたらす恩恵の方を重視すべきではないか。

 実際の戦場に立ったからこそ判る実感が、彼らの胸の内に湧き上がっていた。

 しかし、戦訓分析はすべてが終わってからである。

 敵艦の艦上に、主砲発射を意味する閃光が輝く。負けじと大和も第五射を放つ。

 目では捉えられないものの、艦橋の誰もが三発の砲弾の行方を追っていた。


「だんちゃーく!」


 観測員の特徴的な調子の声と、彼方に爆炎が上がるのは同時だった。

 明らかに主砲発射の閃光とは違う光。それは、敵一番艦後部に発生し、消えずに夜の海上で揺らめいている。


「敵一番艦に命中一! 火災発生の模様!」


 見張り員の興奮した声は、艦橋にいるすべての者たちの内心を代表したものだった。


「次より斉射に移行!」


 松田砲術長の弾んだ声が艦橋にもたらされる。


「砲術長、ただ今の射撃見事であった」


 山本が感嘆の声と共に松田砲術長を賞賛した。山本も、彼なりに興奮しているようであった。


「次発装填、急げ!」


 敵艦隊を射撃するために仰角を上げていた砲身が、装填のために仰角五度にまで下げられた。大和型は次発装填に約三十三秒かかるとされている。

 斉射に移れば、より多くの命中弾が期待出来るだろう。誰もが、大和の四十六センチ砲九門が一斉に火を噴く瞬間を待ち望んでいた。

 三十三秒という、普段ならば何でもない時間が異様に長く感じられる。十秒を過ぎたあたりで焦れ始める者もいる有様だった。

 だが、その長い三十三秒が経過し、九門の砲身が統制された動作で仰角を取り始める。

 誰もが、固唾を呑んで「その瞬間」を待った。


「第六射、てぇー!」


 松田砲術長の叫びをかき消すように、大和の四十六センチ砲九門が咆哮した。

 大和の右舷が、火炎によって真っ赤に染め上げられる。砲口から膨大な砲煙が吐き出され、大和の姿を一瞬、敵艦から隠してしまう。

 四十六センチ砲九門の斉射の衝撃は大和の船体を激しく揺さぶると共に、右舷海面にかすかな霧すら発生させた。

 すさまじいまでの威力に、艦橋の誰もがこの大和という戦艦を頼もしく思ったことだろう。

 この戦艦の圧倒的な破壊力を思い知らされる、それだけの発砲の衝撃だったのである。

 だが、その直後、大和を別の衝撃が襲った。

 爆炎と炸裂音、そして金属の軋むような耳障りな音。

 ついに敵弾も、大和を捉えたのである。


「被害知らせ!」


 高柳艦長が伝声管に飛びつき、怒鳴った。


「右舷中央部に被弾の模様!」副長率いる内務科(実質的な応急修理班)からの被害報告が上がる。「右舷副砲、損傷。されど、装甲を貫通された形跡なし!」


 おお、というざわめきが夜戦艦橋に広がる。流石は大和、そんな呟きも聞こえた。


「だんちゃーく!」


 そして、観測員が大和の第六射の着弾を告げた。






 大和が第五射で放った一式徹甲弾が命中した直後、ワシントンは激震に襲われた。


「ダメージ・リポート!」


 デイビス艦長が怒鳴る。


「後部非装甲防御区画に命中! 機関部、操舵装置は無事なれど、後部甲板にて火災発生!」


「ダメージコントロ-ル、消火、急げ!」


 ただでさえ、こちらは敵弾着観測機の吊光弾に照らされているのである。この上、火災まで発生しては敵の恰好の的である。


「機関室、未だ全力発揮可能!」


「こちら射撃指揮所、主砲塔に損害なし!」


 ワシントンが未だ戦闘能力を失っていないことに、デイビスは安堵の息をついた。

 そして、朗報がもたらされる。


「敵艦中央部に命中弾を確認!」


「よろしい! 砲術長、次より斉射だ!」


「アイ・サー!」


 砲術長の気迫に満ちた声が、航海司令塔に響く。


「いささか、精度が悪いな」


 一方のリーは、眉をひそめていた。

 ワシントンが命中弾を達成したのは、奇しくも大和と同じく第五射目である。レーダーを使用していながら、それを持っていないはずの日本側と同じ結果になってしまったのだ。

 日本海軍の技量が高いと見ることも出来るが、砲術の専門家であるリーには自軍に根本的問題があるように感じていた。

 ノースカロライナ級以降の合衆国戦艦が装備しているのは、十六インチ四五口径Mk6型と呼ばれる主砲である。この砲は、従来の十六インチ砲弾よりも二割ほど重いSHS(スーパーヘビーシェル:大重量砲弾)という一二二五キログラムの砲弾を使用している。

 砲弾が重いということは、放物線を描いて落下していく遠距離砲戦で威力を発揮するということである。ただし、砲弾が重いために初速が秒速七〇一メートルと遅く、近距離での威力は通常の十六インチ砲弾に劣る上、初速が遅いことによって遠距離での命中率も悪いのだ(なお、大和型戦艦の初速は秒速七八〇メートル)。

 ワシントンの命中率が芳しくなかったのはこのためで、リーはそのことに懸念を抱いていたのだ。

 こうした事情に加え、リーたちの与り知らぬことではあるのだが、砲戦距離二万メートル前後においてSHSは、二三〇ミリの厚さを誇る大和の水平装甲を貫通させられるだけの能力を持っていなかった(直角に命中することはまずないため、実質的に装甲厚は二三〇ミリ以上になる)。

 彼女の船体にさらなる砲弾が降り注いだのは、斉射となった第六射の直後であった。


「敵砲弾、急速接近中!」


 レーダー員の切迫した声が響く。合衆国海軍のSGレーダーは、飛翔中の敵砲弾を捉えられるほど精度が高いのだ。とはいえ、音速を超える砲弾を迎撃する術(すべ)などない。


「総員、衝撃に備えよ!」


 二度目の衝撃は、一度目を上回るものだった。

 この時、命中した大和の砲弾は三発であった。一発は艦首の兵員室を爆砕したものの、ワシントンの戦闘能力に何ら打撃を与えていない。二発目は艦中央部に命中し、一四〇ミリの水平装甲を貫通、前部煙突へと至る煙路で爆風をまき散らした。この爆風がボイラーに逆流し、機関の一部が一時的に使用不能となった。そして、三発目は艦尾に命中、カタパルトやクレーンを根こそぎ吹き飛ばして艦後部の火災をさらに拡大させた。

 被害報告を聞いたリーやデイビスが、不穏な呻き声を上げる。


「艦長、距離を詰めよう。このまま中途半端な距離で戦っていては、こちらの被害だけが大きくなる」


 ワシントンの最大速力は、爆風がボイラーに逆流したことによって二十二ノットに低下している。


「了解です。こちらとしても、望むところです。ここで、ジャップの新鋭戦艦と雌雄を決してやりましょう!」


 獰猛に歯を見せて、デイビスは笑った。ジャップの新鋭戦艦との砲撃戦を指揮出来るという興奮が、彼の闘魂を限界まで高ぶらせている。

 デイビスは吠えるように命じた。


「取り舵一杯! 敵戦艦との距離を詰める!」


 操舵員によって舵輪が回され、ワシントンは大和への接近を始めた。






 大和とワシントン、両軍の一番艦同士の決闘が行われている後方では、長門とサウスダコタ、陸奥とノースカロライナの戦闘が繰り広げられていた。

 長門も陸奥も、共に艦齢二十年を越える老嬢であった。しかし、それ故に艦内には船の扱いに熟知した古参の特務士官、下士官たちが大勢いる。こと砲戦における技量という点では、竣工から一年未満の大和とは雲泥の差があった。

 彼女たちの乗員は、日本海軍が漸減邀撃作戦を成功させるべく重ねてきた猛訓練をくぐり抜けてきた者たちであり、彼らに言わせれば大和など新しいだけの未熟者に過ぎなかった。

 また、長門と陸奥は日米開戦時まで交互に連合艦隊旗艦を務めており、その地位を大和に奪われてしまったという対抗意識が乗員たちの中にはあった。

 故に、砲戦に臨む乗員たちの士気は大和以上のものがあったのである。

 その意気込みのためか、長門、陸奥共に、日本海軍が砲戦距離二万メートルで想定していた第三射までに命中弾を叩き出していた。


「次より斉射に移行!」


 陸奥艦長・山澄貞次郎大佐は、ようやく訪れた敵戦艦との砲戦に喜々として艦を操っていた。

 八月の第二次ソロモン海戦におけるガダルカナル飛行場砲撃で始めて実戦において主砲を発射した陸奥であるが、あの時のような一種の味気なさは感じない。ようやく来たるべきものが来たという興奮に全身が包まれている。

 敵艦の上空では、陸奥から発進した零式観測機が吊光弾を投下して照準を助けていた。

 斉射となった陸奥の第四射は、二発がノースカロライナに命中。一発は第三主砲塔に命中して四〇六ミリの装甲に弾かれてしまったが、もう一発は左舷中央部の両用砲群に命中。両用砲を粉砕して装甲を貫通。爆発と共に両用砲の弾薬を誘爆させ、ノースカロライナの船体中央部に火災を発生させた。

 長門型の主砲は一九三四年の大改装によって強化されており、距離二万メートル前後であれば二七〇ミリ前後の装甲貫通能力を持っている。ノースカロライナ級が第二次ロンドン海軍軍縮条約に翻弄された結果、十六インチ砲搭載戦艦でありながら、十四インチ砲に対応した防御力しか持っていなかったことも、陸奥の主砲弾が敵艦に打撃を与えた要因であった。

 陸奥の第五射、第六射ともにノースカロライナに打撃を与えていく。一発は後部檣楼を直撃し、後部主砲射撃指揮所、マストに装備されたSCレーダーを破壊した。さらに一発は艦底の機関部まで貫通、ノースカロライナの速力を一気に十八ノットにまで低下させる。

 だが同時に、一万八〇〇〇という距離は、長門型にとっても十六インチ砲弾によって装甲を貫通されてしまう距離であった。

 陸奥を衝撃が襲ったのは、ノースカロライナの放った第六射であった。彼女が放った三発のSHSの内、二発が陸奥を直撃した。その衝撃は、全艦を揺さぶるほど激しいものであった。


「被害知らせ!」


「飛行機作業甲板に被弾! カタパルト全壊!」


「右舷中央に敵弾命中! 副砲三基破損!」


 この時、右舷中央に命中したノースカロライナのSHSは陸奥の垂直装甲、その二〇三ミリの部分を貫通、艦内にて信管を作動させて装甲の内側にあった兵員室を破壊していた。ただし、それ以上の被害はさらに内側に張られた七六ミリの装甲によって防がれていた。この装甲板は大改装の際に防御力強化を目的に追加されたものであり、それが機関部など致命的な箇所への敵弾の貫通を防いだのである。

 ただ、いつまで陸奥が被害に耐えられるかは判らない。一万八〇〇〇メートルという距離は、戦艦にとって防御力が意味をなすかなさないかといったギリギリの線なのだ。

 陸奥が吠えるように第七射を放つ。その音が聞こえている内は、陸奥が健在なのだと山澄たちは安堵することが出来た。


「だんちゃーく!」


「第七射の戦果知らせ!」


 この時、陸奥の第七射は三発がノースカロライナの船体を捉えていた。命中箇所は、前部第一主砲塔直下、前部檣楼後部、艦尾であった。

 このうち、前部檣楼後部に命中した砲弾は司令塔を守る四〇六ミリの装甲に阻まれ、艦橋に相応の激震を起こすに留まった。艦尾に命中した砲弾も、多数の兵員室を粉砕して若干の浸水を発生させる以上の損害を与えられてしない。

 だが、前部第一主砲塔直下に命中した一式徹甲弾は、ノースカロライナに先ほどの機関部を直撃した砲弾と同じように彼女に深刻な打撃を与えていた。

 この場所は九月、日本海軍の伊一九号潜水艦の雷撃によって抉られた箇所に近く、彼女はその修理が完璧に完了していたわけではなかったのである。

 爆発の衝撃で第一主砲塔配電盤が損傷、第一主砲塔の射撃を不可能とした。さらに爆風によって隔壁や装甲を固定している鋲が吹き飛ばされ、防水区画への浸水が始まった。これによって、ノースカロライナは急速な浸水に見舞われることとなったのである。即座に沈没が危ぶまれるほどの浸水ではなかったが、浸水によって艦が前のめりになると共に、左舷側に三度の傾斜を生じさせた。傾斜は主砲射撃の照準を狂わせ、命中率の低下をもたらす。

 だが、同時に陸奥もまたノースカロライナからの痛烈な報復を受けていた。

 ノースカロライナの第七射は、陸奥の第七射が彼女の船体を捉えるのとほぼ同時に陸奥へと到達。三発が艦齢二十年を越える老嬢への直撃弾となった。


「被害知らせ!」


 被弾の衝撃に揺れる夜戦艦橋で、山澄は叫んだ。


「前部錨鎖庫に直撃弾! 艦首に若干の浸水発生!」


「後部射撃指揮所、応答なし!」


「第三砲塔損傷! 射撃不能!」


「後部甲板にて火災発生!」


「消火、急げ!」


 この時、陸奥への最大の打撃となったのは、第三砲塔への直撃弾であった。ノースカロライナのSHSは砲塔前盾の四五七ミリの装甲を貫通出来なかったが、衝撃によって鋲が弾け飛び、砲身の仰俯機構を破損させ、内部の砲員たちを殺傷したのだ。


「残った主砲にて砲撃を継続せよ!」


 六門に減らされた四十一センチ砲であるが、前部檣楼の主砲射撃指揮所は健在である。機関も全力発揮可能。

 山澄たちは、陸奥は未だ戦闘続行可能であると信じている。

 再び轟く彼女の咆哮は、手負いとなってもなお揺るがぬビック・セブンの威容を示しているようだった。

 陸奥とノースカロライナ、互いに放った第八射が、実質的に両者の戦闘に決着を告げた。

 ノースカロライナはトリムの狂いから直撃弾を得ることが出来ず、反対に陸奥は三発の直撃弾を相手に叩き込んだのだ。

 命中率五割。自らを傷つけられた陸奥の怒りが乗り移ったかのように直撃した四十一センチ砲弾は、結果としてノースカロライナに引導を渡すこととなった。

 一発は彼女の第三砲塔付近に命中。舷側装甲を貫いた後、信管を作動させた。爆風は砲塔そのものを浮き上がらせ、バーベットに深刻な歪みを発生させた。これによって、ノースカロライナは第一主砲塔に続き二つ目の主砲塔を失ったのである。

 二発目は再び中央部に命中し、装甲を貫通して機関部まで達した後、爆発した。汽缶と主機を交互に配置するシフト配置によって抗堪性を高めていたノースカロライナ級の機関部であったが、二度にわたる四十一センチ砲弾の直撃を受ければ、それも意味をなさなかった。この打撃によって、先ほどの直撃弾と合わせてノースカロライナは機関の半数を破壊されたのである。

 そして、致命的であったのは三発目の命中弾であった。この砲弾もまた装甲を貫通し、艦底部にまで達して起爆した。それよって、ノースカロライナのスクリューシャフトを爆砕。折れ曲がったシャフトが高速回転したまま艦内隔壁を次々に破って浸水を発生させる事態となった。

 ノースカロライナ艦長は即座に生き残っていた機関を停止させ、それ以上の隔壁の破壊を防いだが、それは彼女をわずかに延命させる措置に過ぎなかった。


「敵艦、行き足止まりました!」


 歓喜を抑えきれぬ見張り員の声が、艦橋に響く。


「弾着観測機からも、同様の通信が入っております」


 山澄艦長は、興奮と緊張を鎮めるように長く息をついた。


「……我々は、勝ったようだな」


 ヴァイタルパートを覆う装甲を貫通されながらも、陸奥は致命的な損傷を避けることが出来た。

 ノースカロライナの側が万全の状態ではなかったことを彼らは知らない。それ故にもたらされた勝利ではあったが、勝利には違いなかった。


「本艦はこれより、長門の援護に回る。通信、長門にその旨を伝達せよ」


 敵艦を撃破した以上、僚艦の援護に回るべきだろう。第三砲塔を失ったとはいえ、陸奥は健在である。

 前方を走る長門の援護に回るのは、当然の流れといえた。

 この時、長門はサウスダコタのレーダー破損に助けられる形で、有利に砲戦を進めていた。長門が受けた直撃弾はこの時点で三発のみであり、いずれも致命傷にはなっていない。

 ただ一方で、陸奥と違いサウスダコタ級の強靱な装甲に阻まれ、依然として彼女はサウスダコタに有効な打撃を与えるに至っていなかった。

 長門と陸奥がサウスダコタへ損傷を与え始めたのは、両艦隊の距離が一万五〇〇〇メートルを切り始めた辺りであった。

 大和以下射撃隊とワシントン以下戦艦部隊は、リー少将の接近命令によって縮まりつつあったのである。

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