8 鉄底海峡の砲撃戦

 一方、大和とワシントンとの戦いも、佳境を迎えていた。

 ワシントンが大和に接近するように転舵したため、両艦は主砲の照準を一から合わせ直すことになった。両艦の間に降り立った、一瞬の静寂。

 ルンガ沖は未だ砲声と爆音に包まれていたが、今この瞬間だけは、大和とワシントンはそこから切り離されたようだった。


「砲術長、距離一万を切る前に仕留めるぞ」


 艦橋最上、海面から三十七メートルの高さにある射撃指揮所の松田砲術長に対して、高柳艦長は言った。


「最初から斉射でいく。一気に仕留めろ」


「了解!」


 砲戦距離が一万を切れば、どのような装甲も無意味となってしまう。大和の四一〇ミリを誇る舷側装甲も貫かれてしまうだろう。そうなる前に、敵艦を仕留める必要があった。

 ワシントンは転舵して接近を続けているのに対し、大和は直進したままである。そのため、照準は敵の未来位置を予測するだけで済む大和の方が早かった。


「射撃用意よし!」


「てぇー!」


 再び、大和は砲声に包まれた。砲口から紅蓮の炎が立ち上り、ソロモンの海に彼女が帝国海軍最強の戦艦として君臨していることを示す。

 両艦の距離はすでに一万五〇〇〇メートルを切っていた。初速七八〇メートル毎秒を誇る大和の主砲弾は、二十秒弱で目標へと到達する。


「ただいまの射弾、的艦を夾叉せり!」


「諸元修正の必要なし! 次発装填急げ!」


 見張り員の声と、松田砲術長の声が交差する。

 目標を包み込むように着弾する夾叉を成し遂げているのであれば、照準を修正する必要はない。

 三十三秒の沈黙の後、大和の四十六センチ砲が再び吠えた。


「だんちゃーく!」


 一万メートル超の彼方で、爆炎が上がる。


「敵戦艦に命中三を確認! 砲塔の爆発らしきものを確認!」


「やったか!?」


 一瞬、誰もが四十六センチ砲弾が敵の弾薬庫を直撃したことを期待した。弾薬庫が誘爆すれば、戦艦といえども瞬時に轟沈するだろう。

 だが、それはあまりにも希望的観測に過ぎた。


「敵艦発砲!」


 見張り員の報告は、未だ敵艦が健在であることを示している。


「総員、衝撃に備えよ!」


 高柳艦長の警告の直後、大和を激しい衝撃が襲った。敵は、初弾で命中弾を得たのだ。

 これが、電探の威力という奴か。

 艦橋の誰もがよろめき、艦内各所に被害報告を求める高柳艦長の怒声が響く。


「煙路内にて敵弾が爆発した模様! ボイラー三基停止!」


「前部副砲に被弾! 射撃不能!」


「主砲は全門健在です!」


「砲術長、構わず撃ち続けろ!」


 直後、大和は負けじと三度目の斉射を放つ。

 戦いは、どちらが先に倒れるかという時間の問題へと変化していた。






 この時、大和とワシントンは互いに大きな打撃を相手に与えていた。

 大和の放った四十六センチ砲弾は三発がワシントンを捉えていた。一発は、後部射撃指揮所のある後部檣楼根元に命中。これを完全に倒壊させてしまった。

 二発目は舷側の三二四ミリの装甲をぶち抜き、そのまま機関室へと飛び込んだ。ダメージコントロール班の必死の努力によって復旧作業の続けられてきたボイラーも含めて、大和の徹甲弾はワシントンの機関部の三分の一を破壊してしまった。これにより、彼女の速力はさらに十六ノットにまで低下することになる。

 そして、三発目は第二主砲塔前面に命中。ノースカロライナ級の船体で最も厚い四〇六ミリの装甲も、距離二万メートルで五六四ミリの貫通力を誇る四十六センチ砲弾には耐えられなかった。

 装甲を貫通した砲弾は、そのまま砲塔内部まで達し、そこで信管を作動させた。砲塔内には装填待ちの砲弾と火薬が存在しており、大和の徹甲弾の爆発によって一気に誘爆。砲塔そのものを浮き上がらせて爆炎を吹き上げた。しかし、防焔・防爆対策の考慮された砲塔は、辛うじて弾薬庫への火災の侵入を防ぐことに成功していた。

 とはいえ、この打撃によってワシントンの第二主砲塔は完全に破壊され、使用不能となってしまった。

 一方、ワシントンの砲弾は初弾にして二発が大和への直撃を成し遂げている。

 一発は大和の煙突基部に命中。煙路内へと飛び込んだ砲弾は、煙突内部に設けられた蜂の巣甲板によって防がれ、機関部への直撃は免れたものの、爆風によってボイラーの一部が一時的に停止してしまった。これにより、大和の速力は二十ノットへと低下することになる。

 もう一発は第二主砲塔に対して背負い式に配置されていた十五・五センチ三連装副砲に命中。防御装甲の薄い砲塔を完全に爆砕してしまった。ただし、防焔・防爆は施されており、爆発の威力が副砲塔弾薬庫へと回ることはなかった。






「敵艦、なおも発砲!」


 見張り員の緊迫した報告が届く。


「……」


「……」


「……」


 見張り員でないはずの高柳艦長、山本長官、宇垣参謀長らも迫り来る敵艦の姿を凝視していた。誰もが息を詰めて、終局へと向かいつつある砲戦の行方を追っている。


「敵戦艦に命中二を確認!」


 見張り員の報告と、敵弾の着弾の瞬間は同時であった。大和が苦悶するように、激しく揺さぶられる。


「被害知らせ!」


「艦首喫水線付近に命中弾あり! 浸水発生!」


「第二主砲塔天蓋に命中弾あるも、損害なし!」


「艦尾飛行甲板にて火災発生!」


「消火、急げ!」


 心なしか、大和の船体が前に傾いているようだった。

 大和の艦首部分は非装甲区画になっている。魚雷の命中によって浸水が発生した場合には細分化され防水区画によって海水の流入を最小限に抑えるはずであったが、砲弾ともなればそうはいかない。

 ワシントンのSHSは勢いのままに多数の防水隔壁を破壊、兵員室にまで達して爆発していた。

 そこから怒濤の如く海水の流入が始まっていたのである。

 結果として、大和は艦首に三〇〇〇トンもの浸水を許すこととなったのだ。


「速力十五ノットとなせ!」


 艦首にかかる水の抵抗が大きければ、それだけ隔壁が海水によって破られやすくなる。それを防ぐための措置だった。


「後部注水区画に二〇〇〇トン注水せよ!」


 さらに、艦の前方への傾斜を立て直すため、高柳艦長は注水命令を下した。傾斜が増し、艦のトリムが狂えばそれだけ照準も難しくなるからだ。

 だが、ここで大和が幸運であったのは、ほとんど直接照準によってワシントンに狙いを定めることが出来たということである。距離が詰まったために、砲がほぼ水平に近い角度で射撃出来たからであった。

 そのため、松田砲術長による諸元修正は最小限の時間で済んだ。

 傾斜が完全に復旧する前に、大和は四度目の斉射を放った。






「まだ奴を仕留められんのか!?」


 リーは真っ赤になった顔で叫んだ。学者的風貌が崩れ、砲術屋としての闘魂をむき出しにした表情だった。

 ワシントンはその砲力の三分の一を失った。機関も損傷し、損害は加速度的に増え続けている。

 敵艦は艦橋前部と甲板後部で火災を揺らめかせているが、主砲射撃が衰えている様子はない。


「第三射、撃てぇファイア!」


 砲術長の絶叫に似た声が響く。誰も彼もが目を血走らせ、興奮と緊張を孕んだ闘魂をワシントンに漲らせていた。

 彼女の艦名は、建国の父たる合衆国初代大統領ジョージ・ワシントンの名が冠された州の名から取られている。

 その名を汚してはならないと、乗員たちの誰もが必死であった。

 彼らはまだ、勝利を諦めていない。

 自らの船が、ジャップの新鋭戦艦に確実な打撃を与えていると信じているのだ。そして、それは事実であった。

 距離一万五〇〇〇メートルを切る砲戦ならば、どのような強敵の装甲ですら貫ける。それは、大和とて例外ではなかったのだ。


「レーダー室より報告! 敵弾、急速接近中!」


「砲術長、被弾に構うな! 主砲が一門でも健在な限り、撃ち続けろ!」


 デイビスもまた、凄まじい闘志を以って命令を下す。


「総員、衝撃に備えよ!」


 大和が第四射として放った砲弾がワシントンへと到達するのと、ワシントンが放った第三射が大和を捉えたのはほぼ同時であった。






 大和の夜戦艦橋が、これまでにない激震に襲われた。

 立っていた者たちは残らず倒れ、海図台や伝声管などに頭部をぶつけた者たちの悲鳴と呻きが交錯する。


「長官、ご無事ですか!?」


 高柳艦長は真っ先に山本長官の安否を確認する。


「私は無事だ」


 椅子から投げ出されたらしい山本が、黒島先任参謀の助けを借りる形で立ち上がった。額から血を流しているようであったが、声ははっきりしている。


「君の役目は大和の指揮だ。私の事に構わず、砲戦の指揮をとり給え」


「はっ!」即座に、高柳艦長は伝声管に飛びついた。「被害知らせ!」


 そして、この直撃弾によってもたらされた被害が深刻なものであったことを、彼らは知ることになる。


「こちら射撃指揮所! ただいまの衝撃により、射撃方位盤故障!」


「こちら副長、右舷舷側装甲を貫通された模様! ヴァイタルパート内部にて浸水発生中!」


 この被弾は、艦首への命中弾に引き続き、大和型の意外な弱点を露呈させる結果となった。

 ワシントンの十六インチ砲弾は、一発が艦橋基部の司令塔付近に命中していた。五〇〇ミリに及ぶ装甲を貫通することはかなわなかったが、爆発の衝撃は前部檣楼全体を激しく揺さぶった。この振動によって、艦橋最上部の射撃方位盤が故障してしまったのである。これによって、前部檣楼の射撃指揮所からの主砲の統制された射撃が不可能となってしまった。

 さらにもう二発が、舷側装甲に命中。こちらはヴァイタルパートを守る四一〇ミリの装甲を完全に貫通した。そして、この被弾の衝撃によって傾斜装甲となっていた上部装甲と、水中弾防御用の下部装甲の接合部に深刻な亀裂が発生。内側に押し込まれた甲板が自らの隔壁を破壊して浸水を増大させるという結果をもたらしたのである。

 艦首の沈下は後部への注水で一定程度に抑えられていたが、次は右舷への傾斜が始まったのである。


「左舷注水区画への注水急げ!」


 高柳は、艦の傾斜を復旧すべく命じた。傾斜が五度を超えた時点で揚弾機が使用不能となり、主砲の射撃が不可能となってしまう。

 さらに、高柳は後部檣楼に艦内電話を繋いだ。


「こちら夜戦艦橋。先ほどの被弾により、前部檣楼の射撃指揮所は使用不能となった。以後、後部射撃指揮所が主砲射撃の指揮をとれ!」


「了解!」


 予備の射撃指揮所である後部射撃指揮所に備えられているのは、十メートル測距儀である。前部射撃指揮所の十五メートル測距儀に比べれば、精度は落ちる。

だが、すでに大和とワシントンは多少の射撃精度の低下など問題にしないような距離にまで接近していたのである。






 ワシントンへの大和の直撃弾は、三発を数えた。

 一発は艦尾喫水線近くに着弾。非装甲区画であったその場所を散々に粉砕して信管を作動させた。この結果、ワシントンは二枚ある舵の内、一枚の操舵装置を破壊され、艦尾からの浸水が始まった。

 もう一発は第一主砲塔の少し艦首よりに命中。装甲を貫通してヴァイタルパート内部で炸裂した。第一主砲塔の弾薬を誘爆させるには至らなかったものの、この衝撃によって第一主砲塔のバーベットに歪みが発生、以後の砲塔旋回を不可能とした。移動目標に対する砲撃を行っている以上、砲塔の旋回能力の喪失は射撃能力の喪失に等しかった。

 そして三発目の命中弾もまた、ヴァイタルパートの装甲を貫通して艦内最重要区画の一つであった射撃発令所を直撃。この区画を完全に破壊してしまった。

 これにより、ワシントンは射撃指揮所にとって必要な射撃盤の計算装置を失ったことになる。実質的に、照準を定めて射撃をすることが不可能となったのであった。


「敵戦艦、発砲を停止しています」


 見張り員の報告が航海司令塔に届くに至り、リーやデイビスは長く息をついた。張り詰めていた緊張の糸が、急速にほぐれていく。


「相打ち、といったところか……」


 無念さを噛みしめるように、リーは呟いた。

 敵艦が発砲を停止したということは、射撃装置か主砲塔に何らかの損害を負ったということである。だが一方で、それはワシントンも同じことだった。

 自慢の十六インチ砲も、三門を残すばかりである。


「サウスダコタ、ノースカロライナの状況はどうだ?」


 一縷の望みをかけて、リーは幕僚に尋ねた。


「ノースカロライナは砲撃、航行ともに不能。サウスダコタもまた、敵のナガト・クラス二隻からの集中砲火を浴びて艦内各所で火災が発生しているとのことです。機関部に深刻な損害はありませんが、戦闘能力を喪失するのは時間の問題でしょう」


「……ここまでだな」


 諦観を含んだ声で、リーは言った。

 決して、彼はジャップを侮っていたわけではなかった。レーダーを以って夜戦にて日本海軍を圧倒するという必勝の信念の下に戦っていただけであった。

 だが、夜戦における技量は未だレーダーを持たないジャップの方が勝っていた。

あるいは、そもそもの原因は、潜水艦やコーストウォッチャーからの誤った情報を元にして敵戦力を計算してしまったことか。

 当初の想定では、敵戦艦は艦型不明一、コンゴウ・クラス二であったのだ。それが、蓋を開けてみれば敵は艦型不明一、ナガト・クラス二、コンゴウ・クラス二という戦力で待ち構えていた。

 情報の錯誤、戦場の理不尽さを嫌でも思い知らされる結果であった。


「サウスダコタには殿を務めてもらわねばなるまい。ノースカロライナは総員退艦命令を発し、乗員はサン・ファンかサンディエゴに収容させよ」


「アイ・サー」


「全艦、針路を南へ。この海域を離脱し、エスピリットゥサントの航空圏内へと向かう」


「アイ・サー」


 敗北が決定した状況であっても、リーの幕僚たちは規律を保って行動していた。それは、デイビス艦長以下ワシントン乗員も同じであった。

 それを、リーは誇らしく思った。誰もが、敗北という状況下であっても、合衆国軍人としての本分を全うしようとしているのだ。


「艦長、この海域からの脱出を図る。ワシントンを頼むぞ」


「お任せ下さい」


 デイビス艦長は言った。ワシントンは主砲射撃能力を喪失し、機関も損傷したとはいえ、航行不能ではない。二枚の舵の内、一枚が破壊されたが、操艦は可能であり、速力も十六ノットを発揮出来た。


「航海長、取り舵一杯」


「アイ・サー」


 だが、その命令が舵へと伝わる前に、信じられない報告が見張所よりもたらされた。


「敵艦、発砲を再開!」


「何ぃ!」


 リーとデイビスは驚愕に目を見開いた。


「こちらレーダー室! 敵弾、来ます! ガッデム、なんて奴だ!」


「奴は、まだ砲撃が可能だというのか!」


 一度は沈黙させた敵戦艦。恐らく、ダメージコントロールによって砲撃能力を取り戻したのだろう。

 ワシントンは、その抗堪性において敵の新鋭戦艦に敗北したのである。


「総員、衝撃に備えよ!」


 衝撃は、次の瞬間にやってきた。






 大和の徹甲弾は、四発がワシントンへの直撃弾となった。

 一発はワシントン左舷両用砲群へと命中。弾薬ごと両用砲を吹き飛ばし、小規模な爆発を連続させた。

 もう一発は、バーベットが歪んで砲撃不能となっていた第一砲塔を直撃。主砲塔前楯の四〇六ミリの装甲を貫通し、砲塔内部で爆発。今度こそ、砲塔内部の弾薬を一気に誘爆させてワシントン前部から火焔を吹き上げさせた。

 そして、残る二発は喫水線付近の舷側装甲へと命中。これを貫通し、ワシントンのヴァイタルパート内部で炸裂。破孔から一気に海水が流れ込むと同時に、ヴァイタルパート内部に飛び込んだ砲弾の一つは機関部を破壊していた。

 ワシントンは急速に速力を衰えさせると共に、左舷への傾斜を深めていったのである。

 デイビス艦長が総員退艦命令を発したのは、その直後であった。






「敵戦艦に、命中四を確認!」


「行き足、止まりました!」


 見張り員からの報告が大和の夜戦艦橋にもたらされる。


「……仕留めたか」


 高柳艦長は、半信半疑となりながら敵艦に双眼鏡を向けた。敵の新鋭戦艦は炎上と爆発を繰り返しながら、航行を停止している。

 大和が注水によって傾斜を復元し、後部射撃指揮所が照準を合わせている間も敵戦艦からの発砲はなかった。そして、今の砲撃によって敵戦艦は航行を停止した。

 完全に仕留めたと見て問題ないだろう。

 だが、大和の被った損害を思えば、簡単に勝利を信じる気にはなれなかった。帝国海軍最強の攻撃力と防御力を備えているはずの彼女は今、傷だらけの身を海上に浮かべているのだ。

 敵新鋭戦艦の手強さを思えば、用心にこしたことはないだろう。

 だが、敵艦から新たな砲弾が飛んでくる様子はない。それを自ら確認して、ようやく高柳は緊張を解いた。


「艦長、よくやってくれたね」


 山本が労いの声をかけた。同時にその口調は、深い満足感に満たされていた。

 彼の部下たちは今、作戦目標であった敵新鋭戦艦の撃滅を果たしたのである。


「いえ、松田砲術長以下、乗員たちの努力の結果です」高柳は恐縮したように一礼する。「彼らは帝国海軍最強の大和に相応しい働きをしてくれました」


「ああ、そうだね。彼らもまた、よくやってくれた」


 大和は炎上を続ける敵一番艦を後方に残しつつ、なおも進んでいる。

 それは彼女が、傷だらけとなりながらも帝国海軍最強としての意地を撃破した敵新鋭戦艦に見せつけているかのようであった。






 ワシントンが戦闘、航行共に不能となった時点で、サウスダコタ艦長トーマス・L・ガッチ大佐は単独での戦場離脱を決意していた。

 すでにリー少将からは全艦隊に撤退命令が下されている。しかし、命令が下った直後、ワシントンは航行不能となり、リー少将からの通信も途絶した。

 救助の余裕は、すでにアメリカ艦隊にはなかった。ガッチはサウスダコタが殿として、自力航行可能な艦だけでも帰還させることを決意したのだ。


「……結局、今回の海戦でも我がサウスダコタは疫病神の汚名を晴らすことは出来なかったか」


 自嘲するように、ガッチ艦長は呟いた。

 合衆国海軍最強を誇る戦艦、サウスダコタ級一番艦サウスダコタであったが、これまでの実績はその期待を裏切るものばかりであった。南太平洋海戦では一発の爆弾によって主砲二門を失った上に操舵装置が故障し、空母エンタープライズに衝突する寸前までいった。さらに後日、本当に衝突事故を起こし、自軍の駆逐艦を沈めてしまったのだ。

 ここから、艦隊将兵はサウスダコタを疫病神と呼び始めたのだ。

 今回の海戦でも、レーダーの破損に停電、その所為で主砲は撃てどもほとんど命中せずという散々な結果であった。

 だが、それでもガッチ艦長には合衆国海軍軍人としての意地があった。何としても、残った艦艇をヌーメアまで連れて帰る。その役割は、サウスダコタにしか果たせない。

 幸い、ナガト・クラスの砲撃で多数の命中弾を喰らったが、奇跡的に致命傷となるものはなかった。巨大な艦橋にも一発が命中したが、幸いにして司令塔や射撃指揮所を逸れ、その間に設置されていた対空方位盤が破壊される程度であった。とはいえ、後部艦橋は破壊されて後部射撃指揮所が使用不能となり、第二主砲塔も完全に破壊されるなど、相応の被害を受けている。

 それでも、喫水線下にも機関部にも重大な損害はなく、速力は二十四ノットが発揮可能であった。

 ナガト・クラスの最大速力が二十五ノットであることを考えれば、主砲で牽制しつつ離脱に徹すれば艦隊をシーラーク水道から撤退させられるとガッチ艦長は判断していた。


「航海長、取り舵一杯! 本海域から離脱する!」


 二隻の戦艦を見捨てる形となってしまい、ガッチ艦長としては断腸の思いであった。

 急速に転舵していくサウスダコタに、長門と陸奥の照準は対応出来なかった。

 この瞬間、サウスダコタを打ちのめしていた四十一センチ砲弾は、虚しく赤と黄色の水柱を立てるのみであった(日本海軍では複数艦で同一目標を狙った際、弾着判定をしやすくするために砲弾内に塗料を仕込んでいた。この時、長門は赤、陸奥は黄色の塗料を仕込んだ砲弾を用いていた。なお、大和は無色)。

 この時点で、第一戦隊には彼女を追撃可能な戦艦が残されていなかった。

 大和は速力を十五ノットに低下させ、長門や陸奥も被弾や至近弾による浸水によって速力を低下させていたからである。

 また、第九戦隊が放った四十本に上る魚雷は、遠距離からの雷撃であったことと、途中でリーが戦艦部隊に転舵を命じたことによって、すべて外れていた。

 そのため、ガッチ艦長の決断によるサウスダコタの離脱は成功しつつあった。

 いや、成功するはずであった。






 後世、人々はある種の運命的な要素をこの海戦に見出す。

 日米最初の戦艦対決となった第三次ソロモン海戦。

 そこに参加した者の多くが、大和という要素によって導かれ、再び決戦の場で相見えることになるのである。

 第三水雷戦隊旗艦、軽巡川内艦長である森下信衛大佐も、そうした運命に導かれていく一人であった。


「綾波と暁の敵を討つぞ! 航海長、取り舵一杯! 水雷長、目標敵二番艦! 左水雷戦用意!」


 後に大和艦長として米戦艦との戦闘を指揮することになる彼は、退避を始めたサウスダコタに狙いを定めるべくそう命じた。

 川内は最大戦速である三十五ノットで進んでいく。その後方に、第二十駆逐隊の天霧、朝霧、夕霧、白雲が続いていた。

 彼女たちは戦艦部隊を守ろうとする二隻の軽巡洋艦の妨害を突破して、サウスダコタに肉薄しつつあった。

 すでに、サン・ファン、サンディエゴは川内の後方で炎上していた。彼女たちアトランタ級軽巡洋艦はたった二隻でありながら日本側の水雷戦隊を阻止すべく動いていたのだが、多勢に無勢であった。

 川内と第二十駆逐隊、第六駆逐隊と第十九駆逐隊に挟撃され、暁を撃沈するも多数の十四センチ砲、十二・七センチ砲によって滅多打ちにされていたのである。


「敵戦艦、主砲をこちらに旋回させつつあり!」


「遅いぜ、アメ公」


 見張り員の報告に、森下艦長は不敵な笑みを浮かべた。

 今まで長門、陸奥を砲撃にするために左舷側に向けていた主砲塔を、慌ててこちらに向けようとしているのだ。


「敵艦右舷副砲に発砲炎!」


「構うな、突っ込め!」


 森下艦長は敵新鋭戦艦を見据えて怒鳴った。

 サウスダコタは長門、陸奥と砲撃の応酬を繰り広げていた左舷側の両用砲群は壊滅していたが、右舷側の両用砲は健在であった。煙突付近に設けられた対空方位盤も無傷であり、必死の砲撃で第三水雷戦隊の接近を阻止しようとしていた。

 次々と弾着の水柱が立ち上る中を、川内は怯まずに突進していく。

 敵新鋭戦艦は長門、陸奥の砲撃による火災が鎮火しておらず、ルンガ沖にその艦影をくっきりと晒していた。

 川内の十四センチ砲と、サウスダコタの五インチ両用砲の砲弾が空中で交錯する。


「距離、五○!」


「全艦、魚雷発射始め!」


 第三水雷戦隊司令官、橋本信太郎少将が命じる。


「宜候! 水雷長、魚雷発射始め!」


 この時を待ち望んでいたと言わんばかりの溌剌とした調子で、森下艦長は命じた。

 視線はなおも、サウスダコタを見据えていた。

 第三水雷戦隊は八月から九月まで、インド洋での通商破壊作戦に従事していた。その中で、酸素魚雷の持つ欠点に関しても気付いていた。だから、各艦の水雷長たちは魚雷の信管を適切に調整している。

 間違いなく、川内の魚雷は敵新鋭戦艦の横腹を抉るだろう。

 森下の視線は、サウスダコタが片舷に八本もの魚雷を受けて急速にルンガ沖に姿を消すその瞬間まで、彼女に向けられていた。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


「戦艦が一隻残らず沈められた、だと?」


 あまりの報告に、ヌーメアの南太平洋方面軍司令部でウィリアム・ハルゼー中将は唖然とした声を出した。思わず、葉巻を取り落としている。

 机の上に広げられた地図から、焦げ臭い匂いが立ち上った。


「……ジャップどもの謀略の可能性は?」


 ミッドウェー海戦の後、空母三隻を失った日本が虚偽の戦果報道をして自軍が勝利したように見せかけたことを、アメリカ側は掴んでいる。


「いえ、報告は重巡ソルトレイクシティからのものです」報告するブローニング参謀長の声は震えていた。「残存艦艇は、ソルトレイクシティ、リッチモンド、モーレー、カンニンガム。現在はソルトレイクシティ艦長の指揮の下、エスピリットゥサントに向けて退避中とのことです」


「八割もの損害だと!? そんな馬鹿な話があってたまるか!」


 ハルゼーは怒りのあまり、机を思い切り蹴飛ばした。司令官用に作られた重厚な木製の机に、亀裂が入る。

 十三日夜の海戦から数えれば、アメリカ海軍はわずか二日間で、戦艦四隻、空母一隻、重巡六隻、軽巡五隻、駆逐艦十隻を喪失したのである。人的損害も、完全な集計が取れていないものの、一万五〇〇〇名を軽く越えるだろう。帰還出来た将兵たちにしても、現役復帰不可能な重傷者がいるはずである。そうなれば、人的損害はさらに膨れ上がる。

 真珠湾攻撃による被害が霞んでしまうような、歴史的な大敗北であった。


「ギッフェン少将は戦死の報告が入っており、リー少将も行方不明とのことです」


「……」


 ハルゼーは目を見開き、口を唖然と開きながら、全身をわなわなと震わせている。やがて、彼はその怒りを爆発させた。


「……畜生! ジャップめ! あの薄汚い黄色い猿どもめ! 人間もどきの動物風情が人間様に楯突くだと!? そんなことが許されると思っているのか!?」


 彼はしばらくの間、日本人に対する差別用語やスラングを使って罵り声を発していた。付き合いの長いブローニング参謀長は、黙って上官が怒りを発散し終わるまで耐えている。


「……まだだ、まだ俺たちは終わっていないぞ。ブローニング」


 ハルゼーの瞳は、様々な激しい感情に燃えていた。


「フィジーにいるコロラドを呼び寄せろ。それと、真珠湾のニューメキシコとミシシッピーを急いでヌーメアに回航させるよう、太平洋艦隊司令部に要請するんだ」


 現在、太平洋上で稼働可能なアメリカ戦艦は、旧式のコロラド、ニューメキシコ、ミシシッピーの三隻である。ハルゼーはこの兵力を以って再度のガダルカナル突入を図ろうとしていたのだ。

 この他に、メリーランド、テネシー、アイダホ、ペンシルバニアが西海岸の各工廠で改装中であり、早い艦は十二月中に改装工事が終了する。

 合衆国海軍は、まだ十分な余力を残している。

 ハルゼーはそう考えていた。いざとなれば、大西洋からマサチューセッツ、アラバマという二隻のサウスダコタ級を呼び寄せるという手もあるのだ。

 ジャップの海軍に、合衆国海軍ほどの余力があるとは考えられない。次の海戦こそ、合衆国海軍が勝利する時である。


「お待ち下さい」だが、ブローニングは上官の発言に危惧を覚えていた。「コロラド及びニューメキシコ級は最大速力二十一ノットであり、ジャップの空母部隊が健在な現状では、ガダルカナル到着前に空襲を受ける可能性があります。また、例えヘンダーソン飛行場を破壊出来たとしても、離脱前にラバウルからの空襲を受ける危険性が大きく、作戦への投入は不適切です」


「ガダルカナルの海兵隊三万を見捨てろというのか!?」


 ハルゼーは吠えた。

 ガダルカナルにはアメリカ海兵隊の将兵三万人が展開しており、九月に飛行場を奪取されて以来、ジャングルの奥地へと撤退。補給の途絶によって武器弾薬の不足、そして食糧不足に苦しめられている。さらには医療物資の不足によって、将兵の間にはマラリアなどの熱帯病が蔓延しているという。これを見捨てることなど出来ないというのが、ハルゼーの主張であった。

 一方のブローニング参謀長は、旧式戦艦のガダルカナル投入はあまりに危険な賭であると思っている。それに、彼女たちを護衛すべき駆逐艦の絶対数が不足していた。今回の海戦だけでも十隻が沈み、それ以前にも駆逐艦はガダルカナルへの物資輸送に使われて消耗しているのだ。

 不十分な護衛で狭いガダルカナルの水道に突入させれば、敵水雷戦隊の餌食になりかねない。

 戦訓分析はまだであったが、ブローニングは今回の海戦で合衆国海軍の損害が大きくなった原因はそれではないかと思っているのだ。


「事は合衆国の今後の戦争計画に関わってきます」彼は上官を宥めるように言った。「ここは、ニミッツ長官のご判断を仰ぐべきでしょう。あるいは、キング作戦部長の」


「……」


 ハルゼーは獣のような低い唸り声を上げ、自らの参謀長を睨み付けた。ブローニングはただ、時が過ぎるのを待っている。

 実際問題、今回の敗戦は戦術的影響以上に、戦略的影響が大きい。

 まず、オーストラリアの出方次第では、本当に連合国陣営に亀裂が入りかねない。万が一、オーストラリアのジョン・カーティン首相が日本との単独講和を決意してしまえば、南太平洋からニューギニアを通って日本へと侵攻するルートが閉ざされてしまう。そうなれば、合衆国の対日侵攻ルートは中部太平洋一本となり、それだけ日本側も戦力を集中させられる。

 さらに、敗北が国内世論に与える影響も深刻だろう。幸いにして十一月の中間選挙は三日に終わっておりルーズベルト政権にとって即座に打撃となることはない。しかし、長期にわたるガダルカナル攻防戦が合衆国市民に不安を抱かせているとの本国の新聞報道もある。今回の敗北によって国内世論に厭戦気分が広がれば、合衆国の戦争指導体制に問題が生じかねない(日本がミッドウェー海戦で行ったように、敗北を隠すという方法で乗り切る方法もあるが)。

 二ヶ月の延期が決まったトーチ作戦も、空母レンジャーなどの喪失によってさらなる延期が決定されるだろう。そうなれば、日本海軍によるインド洋での通商破壊作戦の影響もあり、北アフリカ戦線では当面の間、枢軸軍が優勢のまま推移することになる。

 ブローニングは以後の連合軍に訪れるだろう苦境を思い、暗澹たる気分になった。


「……カタリナを用意しろ」


 やがて、怒りを押し殺した低い声で、ハルゼーは命じた。


「真珠湾に飛ぶ。今後の方針についてニミッツの親父と話を付けなければならん。……それと、今回の敗戦の責任についてもな」


 自分は再びヌーメアに帰ってくることはないかもしれない。ハルゼーは自身の戦争がここで終わってしまうかもしれないという可能性に、内心で憤懣やるかたない思いを抱いていた。

 やがて、ニューカレドニアの地に朝日が差し込み始めた頃、一機のカタリナ飛行艇がハワイへ向けて飛び立った。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 第三次ソロモン海戦第二夜戦が終結したのは、旗艦大和が麾下艦艇に集結を命じた十一月十四日二三四〇時であった。この時までに、比叡以下掃討隊は、戦場からの離脱を図ろうとしていた米艦隊を追撃し、戦果を上げていた。

 米艦隊の約八割を撃沈し、南太平洋に存在するアメリカ艦隊に壊滅的被害を与えたこの海戦は、後世、一部の歴史家から「ソロモン海のカンナエ」と呼ばれることになった。

 紀元前、六万のローマ軍を包囲殲滅したカルタゴの名将ハンニバルの指揮したカンナエの会戦になぞらえた呼称である。第三次ソロモン海戦第二夜戦は、アメリカ新鋭戦艦の撃沈を企図した山本五十六にとっても、慮外の大勝となっていた。

 これには、いくつかの原因が考えられる。

 一つは、アメリカ海軍側が日本側の戦力を正確に把握しておらず、戦艦の隻数において劣勢な状況に自ら飛び込んでしまったこと。

 二つ目は、アメリカ艦隊の指揮系統が十分に統一されておらず、一部の艦隊行動に深刻な混乱を来してしまったこと。

 三つ目は、特に水雷戦隊乗員の技量において日本側のそれがレーダーを装備するアメリカ側に勝っていたこと。

 そして、最大の敗因は海戦が行われた地形にあると、両軍や後世の人間たちは分析する。

 海戦が行われたルンガ沖は、ガダルカナル島、フロリダ島、マライタ島に挟まれた海域であり、特に日本海軍の掃討隊がアメリカ巡洋艦部隊と南に向かう形で砲戦を繰り広げていたため、アメリカ艦隊をシーラーク水道、インディスペンサブル海峡内に押し込む形となってしまったのである。

 このため、アメリカ艦隊は海域の西側を大和以下射撃隊に、東側を比叡以下掃討隊によって封鎖されてしまったのである。

 ある意味で、掃討隊を率いていた阿部弘毅少将の意図した通りの結果となってしまったといえよう。






 ルンガ沖を悠然と航行するジャップの新鋭戦艦の姿を、リーとデイビスは脱出したカッターの上からじっと見つめていた。

 彼らはワシントン乗員が退艦するのを見届けた後、最後まで航海司令塔に残っていた艦首脳部や任務部隊幕僚と共に脱出を果たしていた。僚艦による救助の見込みが立たないため、多くのカッターに重傷者が優先して乗せられている。その周囲には、数え切れないほどのワシントンの乗員が浮かんでいた。


「あれが、ジャップの新鋭戦艦か」


 呟くように、リーが言った。


「の、ようです。司令」


 デイビスが応じた。お互いの声には、死闘を終えた敗者の疲労感と虚脱感が滲んでいた。


「大きな船ですね。主砲は何インチでしょう?」


「恐らく、長砲身の十六インチか、十八インチか、そのどちらかだろう」


 十八インチ。それは、一度はイギリスのフューリアスが実現しながら、後に撤去されてしまった幻の口径である。その巨砲を、ジャップは再びこの世にもたらしたというのだろうか?


「……我々は、負けるべくして負けたのでしょうか?」


「いや」リーはかぶりを振った。「我々は、合衆国軍人として最善を尽くした。私は今も、ワシントンがジャップの新鋭戦艦に劣っていたとは思わんし、その乗員たちもまた然りだ。我々は敗北したのではない。私も君も、いずれこの戦場に戻ってくる。それまで、決着が引き延ばされただけの話に過ぎない」


 リーとデイビスは、いずれ再び相対することになるだろう日本の新鋭戦艦の姿を目に焼き付けるように、じっと彼女を見つめていた。

 やがて、誰かが言った。


「……ワシントンが、沈みます」


 見れば、炎上し傾斜を深めていたワシントンが艦首を前にして沈み始めていた。もう、第一砲塔もほとんど海水に浸かっている。


「……」


「……」


「……」


 リーもデイビスも、誰もが無言で沈みゆくワシントンに敬礼を送っていた。それが、彼女に対する葬送の儀式であるかのように。






 最終的に日本艦隊がルンガ沖からの撤退を果たしたのは、十五日○二三○時であった。

 それまで、日本艦隊は綾波など撃沈された自軍将兵の溺者に加え、山本長官の意向でアメリカ側の溺者の救助も行っていた。

 夜が明ければ、エスピリットゥサントの重爆隊による空襲があるかもしれない。実際、第四水雷戦隊は両軍の溺者救助中に空襲を受けたのだ。そうした懸念のため、艦隊は夜明け前にはガダルカナル周辺海域からの離脱を決意したのである。

 艦隊速力は、大和に合わせた十五ノット。

 対潜警戒を厳にしつつ、一路、ラバウルへと北上を始めていた。


「教訓の多い戦いになった。そうは思わんかね、参謀長?」


 珍しく、山本は自ら宇垣参謀長に声をかけていた。


「はい」


 宇垣が頷く。

 今回の海戦で、二人は価値観の共有を果たせたのかもしれなかった。


「大和型は帝国海軍最強の戦艦ではありますが、決して無敵ではない。それを、思い知らされました」


 射撃方位盤の振動による故障、そして装甲の継ぎ目の亀裂。

 大和の被った損害は、そうした弱点を露わにしていた。本土の呉に帰還次第、損傷の修理と問題箇所の改修が行われることだろう。それの完了には、かなりの時間がかかるはずだ。

 大和が再び戦場に出ることが出来るのは、いつになるか判らない。

 宇垣のそうした懸念は正しく、大和は十一月末に呉に帰港した後に調査が行われ、一年以上のドック入りを余儀なくされることになったのである。大和が再び連合艦隊に加わるのは、一九四四年一月。

 アメリカ海軍による対日侵攻作戦が本格化する、二ヶ月前のことであった。


「それに、戦艦の運用、電探技術についても教訓が得られました」


「そうだね」山本は、戦艦の運用という言葉にも素直に頷いた。「両軍共に航空兵力を消耗してなお戦いを続ける意思があるのならば、戦艦によって決着を付けざるを得ない。このガダルカナル攻防戦でそれがはっきりしたように思える」


「はい。また、射撃用も含めた電探技術の開発促進も必要かと存じます」


「となると、ドイツからのさらなる技術供与が必要になりそうだね」


 日独伊三国同盟に反対した経緯もあり、山本は少し言い辛そうな口調であった。

 すでに、遣独潜水艦作戦によって欧州に派遣された伊三〇潜が今年の十月にシンガポールへ帰港、多くの重要な技術資料を持ち帰っていた。しかし、シンガポール出港直後に自軍の機雷に触れて沈没。せっかく持ち帰ったウルツブルク射撃管制レーダーの現物など貴重な資料を失っている。


「来年のインド洋作戦、本腰を入れてかからねばなるまい。それまでに、早期講和に持ち込めればよいのだが」


 山本は曖昧な口調で言った。彼自身、自身の目指す早期講和という戦略構想が画餅に等しいことを感じつつあった。今回の勝利でどれほどアメリカの世論に影響を与えられるか、山本にも判らなくなっていたのだ。

 大本営が構想している長期自給体制の確立に、連合艦隊司令部としても本気で取り組む必要があるとも感じている。


「ああ、それと宇垣君」山本は続ける。「戦訓の調査に、次期作戦の準備、徴用船の解傭問題。やるべきことは山ほどある。しかし、大和も長門も陸奥も、当分、連合艦隊旗艦の用をなさないだろう。これを機に、司令部をおかに移そうと思うが、どうだろうね?」


 宇垣は、その発言に少し迷ったような素振りを見せた。

 指揮官先頭の日本海海戦以来の伝統を考えれば、山本の考えは否定されるべきだろう。だが来年度、インド洋作戦の発令に伴い、戦場範囲は日露戦争の頃と比べものにならないほどに拡大する。戦艦の必要性も、ガダルカナル攻防戦ではっきりした。連合艦隊旗艦のために、一隻(あるいは一個戦隊)を遊ばせておく余裕はない。


「……よろしいかと思います」


 宇垣はしばしの逡巡の末、そう答えた。


「そうか。君と意見が合致するのも、中々新鮮な感じではあるね」


 満足げな言葉の中で、山本は少し、苦笑したようだった。






 二夜にわたる第三次ソロモン海戦で、日本側は重巡古鷹、軽巡由良、長良、駆逐艦高波、夏雲、綾波、暁を喪失した。決して小さな損害ではなかったが、この犠牲によって日本のガダルカナル支配は完全に確立されることになったのである。

 そして、ガダルカナル島の完全確保以上に日本にとって重要であったのは、これによって大東亜戦争第二段作戦が実質的に終了したと判断され、多くの陸軍徴用船、海軍徴用船が一九四二年の年末を以って解傭されたことである。

 これによって、企画院の主張していた民需船舶三〇〇万トンが何とか確保されたこととなり、数字の上での長期自給体制が確立されたこととなった。


   ◇◇◇


 朝焼けの光を翼に受けながら、零式水偵が頭上を通過していった。

 一瞬、轟音の響と共に甲板の上に影が出来る。

 視線を前方に向ければ、ラバウル港の入り口を示す花吹山が見えた。


「よしよし、今回も無事に帰ってこれたな」


 艦長席に腰掛ける夕立駆逐艦長・吉川潔中佐が朗らかな口調で言った。戦闘の疲れなど感じさせない、快活な態度である。あるいは、勝利の余韻に浸っているのかもしれない。


「ああ、対潜警戒だけは気を配れよ。八月の加古みたいな目に遭っちゃあ堪らんからな」


 どこかおどけた口調に、艦橋の雰囲気が和らぐ。とはいえ、それを冗談と捉える人間はいない。

 第一次ソロモン海戦の帰途、カビエン入港直前にして第六戦隊の重巡加古は敵潜水艦の雷撃によって撃沈されたのだ。対潜警戒を解いた直後の出来事であった。

 同じ轍を踏まないために、第二艦隊司令部は愛宕、高雄の水偵に上空警戒をさせ、ラバウルからも対潜哨戒機を出して貰っている。


「まさか、あれだけのことがあって帰れるとは思っていませんでした」


 そう言ったのは、水雷長の中村悌次中尉であった。まだ二十三歳の若者である。彼は今、自分たちの夕立が無事にラバウルに入港しつつあることが、信じられない様子であった。


「まあ、今回はちょいと色々なことが重なりすぎたな」


 一方の吉川少佐は、少し楽しげだった。

 確かに中村の言う通り、今回、夕立はかなり危ない橋を何本も渡ることになった。単艦での敵艦隊中央突破、敵戦艦部隊に紛れての雷撃敢行、そして翌日の溺者救助作業中に襲いかかってきた敵機。

 しかし、夕立は生還し、今こうして再びラバウルの山々を目にすることが出来ている。


「ああ、一応確認だが、“お客さん”どもに不埒な真似をした奴はおらんだろうな?」


 分隊長として下士官以下兵卒をまとめる役割も担っている中村に、吉川は尋ねた。朗らかさの中に鋭さを混ぜ込んだ、偽りの報告を許さない口調だった。


「私や兵曹長が目を光らせておりますので、問題はないかと」


 彼らが言っているのは、ルンガ沖で第四水雷戦隊が救助したアメリカ海軍の将兵たちである。第一夜戦で撃沈された米艦が多数に上ったため、ルンガ沖には古鷹の乗員などと共に多数の米兵が浮かんでいたのである。

 その救助の最中に、アメリカ軍艦載機による空襲が発生。由良、夏雲が撃沈された。

 夕立は幸いにして空襲を回避したが、友軍艦艇が撃沈されたことで激昂した機銃員が、海面に漂う米兵を銃撃しようとした一幕があったのだ。そんな彼らを吉川は一喝し、救助した米兵に暴行を働く者が出ないよう、乗員たちに言いつけていたのである。


「万が一、艦長の命令に背くような不心得者がいれば、私が魚雷発射管に詰め込んで海に放り出してやります」


 若者らしい生真面目さが混ざった冗談を、中村は言う。


「おう、もしそんな奴がいればそうしてやれ」吉川は応ずるように唇の片端を持ち上げた。「ここまで来てそんなことをされては、折角の夕立の武名を汚すことになりかねんからな」


「私としても、そんなことはしたくありません」


「ああ、折角の勝ち戦、気持ちよく終わりたいもんだよ」


 部下が自身と同じ考えであることが知れて、吉川も満足しているようであった。


「また艦長にはGFから感状が渡されますかね?」


 中村の声には、幾分、期待するような響があった。

 吉川は以前、大潮駆逐艦長時代にバリ島沖海戦での功績で連合艦隊司令部から感状を貰った経験があるのだ。再びこの艦長に感状が渡されることになれば、部下である中村としても夕立の奮戦が報われたようで誇らしく思えるだろう。

 中村は、今回の夕立はそれだけの活躍をしたと思っている。何より、敵新鋭戦艦に魚雷を命中させて航空部隊による撃沈の端緒を作ったのは自分たちなのだ。


「さあ、どうだろうな」


 だが、吉川の返答は素っ気なかった。感状の有無など、まるで気にしていない口調であった。


「俺はそんなもののために戦っているんじゃないからな。俺は前線で船を操っているのが何より楽しいんだ。それに比べたら感状なんて大したものじゃないさ」


 決して己の功を誇ろうとしない艦長の姿に、中村は深い感銘を覚えた。彼は、吉川の言葉に一礼を以って返答とした。

 後に、連合艦隊司令長官にまで上り詰めることになる、中村悌次。

 彼は晩年、吉川潔という上官の下で戦えたことを、生涯を通じて最高の幸せであったと語っている。


「夕立の損傷修理が終わったら、またこの海に戻ってくる。それまで、水雷の腕を今以上に磨いておけよ。今度は俺たちだけの力で、アメ公の戦艦を撃沈してやろうじゃないか、ええ?」


 不敵に笑う吉川に釣られて、中村も唇を吊り上げた。


「ええ、お任せ下さい。今度は空母の連中に良いところを持っていかせはしませんよ」


 彼らもまたこの海戦に参加した多くの男たちと同じように、大和と共に、そして夕立と共に、決戦の場へと再び導かれていくことになる。

 航行を続ける夕立は、やがてラバウルのシンプソン湾へと無事、入港を果たした。

 そんな彼女の上に、そしてラバウルの地に照りつける南洋の太陽。

 今日もまた、ソロモンの熱い一日が始まろうとしていた。

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