6 前衛隊の死闘

 ガダルカナル沖に展開する日本艦隊の内、最初にアメリカ艦隊を視認したのは阿部弘毅中将率いる掃討隊であった。時刻は二一五三時。

 比叡以下掃討隊は主隊である射撃隊よりも十キロほど東方に配置されており、そのために敵艦隊の発見も早かったのだ。

 敵艦隊発見の報をもたらしたのは、第十戦隊旗艦の長良であった。

 この時、掃討隊は長良と第十六駆逐隊の四隻を前衛として、その後方に第十一戦隊、第八戦隊、駆逐艦照月という順で単純陣を組んでいた。

 長良からもたらされた報告により、各艦は直ちに弾着観測用の水偵を発進させた。空は雲に覆われていて視界が悪いが、スコールは降っていなかったので航空機の使用は可能であった。

 比叡、霧島、長良からは九五式水偵が、利根、筑摩からは零式水偵がそれぞれカタパルトから発艦した。


「艦長、現在の本艦の残弾は?」


 第十一戦隊司令・阿部弘毅中将が問う。


「本艦及び霧島の残弾は、一式徹甲弾四八発、零式弾十二発、三式弾十八発です」


 比叡艦長・西田正雄大佐が答えた。第十一戦隊は、ガダルカナル島のアメリカ軍陣地への艦砲射撃に昨夜の海戦などで弾薬を消耗していた。特に昨夜は、第二水雷戦隊の雷撃によって航行不能となった敵巡洋艦群を屠るために、それまで比較的残弾に余裕のあった徹甲弾まで消費してしまっていた。

 西田の報告した残弾数は、この艦がわずか十一回の斉射しか出来ないことを示している。


「まあ、出来るだけのことをやるしかあるまい」


 覚悟とも諦観とも取れぬ声で、阿部が言った。

 その直後、掃討隊の頭上で眩い光が炸裂する。


「敵の星弾と思われます!」


 比叡の夜戦艦橋に、見張り員の報告が響く。


「敵もこちらを捕捉したか」


 阿部が呟いた。


「敵艦隊上空の水偵より報告。敵針路二九〇度。ルンガ沖へ向け、北西方向に針路を取っています!」


 現在、掃討隊はインディスペンサブル海峡を南東方向に進んでいる。このまま進めば、敵艦隊の針路を塞ぐ形で丁字を描くことが出来るだろう。

 だが、敵もそうした可能性を懸念したのだろう。やがて、水偵から別の報告が入る。


「敵、針路三四〇度に変針」


 つまり、艦首を北側に向けつつあるということだ。このまま両艦隊が進めば、反航戦になる。つまり、敵とすれ違う形での戦闘になるのだ。


「艦隊針路を変更されますか?」


 西田艦長が問う。すれ違うということは、敵に突破されてしまうということでもあるのだ。だからこそ、彼は敵艦隊の針路を塞ぐべく、こちらも変針すべきではないかと考えたのである。


「いや、我々をすり抜けたいのであれば、そうさせてやろう」だが、阿部は否定した。「上手くいけば、射撃隊と我々で敵をルンガ沖で包囲することが出来るかもしれない」


「はっ。司令がそうお考えであれば」


「とはいえ、素通りさせるわけにもいかんだろう。当初の予定通り、長良と第十六駆逐隊は敵艦隊への雷撃を敢行、我が戦隊と原くんの第八戦隊は砲撃による敵艦隊への牽制、照月はそのまま後方警戒だ」


「はっ」


 阿倍の命令に従い、比叡の連装三十六センチ砲四基が敵艦隊に向けて旋回を始めた。

 揚弾機に装填されていたのは、零式通常弾であった。初弾で命中する確率は低いため、対艦攻撃能力の高い徹甲弾は、有効打が出るまで温存するつもりである。

 西田は残弾を気にしつつ砲戦を指揮することの難しさを実感しつつ、司令が射撃開始命令を下すのを待った。






 この時、長良に発見されたアメリカ艦隊はギッフェン少将率いるウィチタ以下巡洋艦部隊であった。

 この部隊は主隊であるリー少将の戦艦部隊の右翼側前方十キロほどを先行しており、敵の早期発見と日本側水雷戦隊の排除を命令されていた。

 レーダーを装備するギッフェンの巡洋艦部隊も、日本艦隊を捕捉していた。ただし、それが敵の戦艦部隊であるのか、単なる護衛部隊であるのかの判断はつきかねた。とはいえ、無視することも出来ない。

 ギッフェンは敵艦隊への星弾発射を命じて敵の艦種の確認と、麾下の艦艇への射撃用意を命令した。

 重巡三、軽巡二という兵力は、かなりのものである。水雷戦隊であれば容易に撃退が可能であろうし、万が一敵戦艦と遭遇しても即座に壊滅することはない。


「レーダー室より報告。敵部隊が突撃を開始しました! なお、その後方になお複数の艦艇が確認出来ます!」


「敵水雷戦隊を近付けさせるな! 全艦、砲撃開始!」


 レーダー室からの報告が上がるや、ギッフェン少将は即座に命令を下した。彼は大西洋戦線において、ドイツのUボートや航空部隊との死闘を何度も繰り広げた指揮官である。ドイツ軍による熾烈な攻撃で壊滅的被害を被ったPQ17船団の護衛にもウィチタと共に加わっていた。

 そうした実戦経験故に、判断は速かった。

 三隻の重巡、二隻の軽巡が一斉に砲門を開く。

 それとほぼ同時に、ギッフェン部隊の上空に白い光球が出現した。


「敵偵察機の投下した照明弾です!」


「やはり、敵もこちらを捕捉していたか」


 照明弾に照らされた艦橋で、ギッフェンは冷静に呟いた。

 やがて、見張り員が星弾のもたらす光に目が慣れてきたのだろう、一つの報告が彼の下に届いた。


「遭遇せる敵艦隊は、コンゴウ・クラス二隻を含む模様!」


「当たりを引いたと言うべきか、外れを引いたと言うべきか……」


 ギッフェンは皮肉に唇を歪めた。

 彼は事前情報によってジャップの艦隊に金剛型戦艦二隻が含まれていることを知っている。そのため、遭遇の可能性を考えていなかったわけではない。しかし、出来ればリー少将の戦艦部隊の方に行って欲しかったというのが本音である。

 だが、遭遇してしまった以上は、これを作戦達成のための好機にしなければならない。


「ワシントンに通信。我、コンゴウ・クラスと遭遇せり。貴部隊は我を顧みず突入を継続され度」


 ギッフェンは、ルンガ沖突入に際して障害となるであろう金剛型戦艦を、自身の部隊で引きつけるつもりなのだ。そうすれば、飛行場砲撃を目指すリー少将の部隊の負担は軽くなる。


「艦長、すまんが付き合ってもらうぞ」


「アイ・サー」


 大西洋以来の付き合いである艦長が、臆することなく快活に応じた。

 直後、彼らの目をくらませる光が艦橋に突入してきた。照明弾の光とは比較にならぬ、暴力的な光量の光線。


「本艦、コンゴウ・クラスからの探照灯の照射を受けております!」


「司令、射撃目標を変更しますか?」


 艦長が問う。いかに金剛型が旧式とはいえ、十四インチ砲は重巡にとって脅威となる。だからこそ、早めに撃破すべきだと主張しているのだ。


「うむ、本艦とタスカルーザは目標を探照灯を照射するコンゴウ・クラスに変更。ソルトレイクシティ以下は敵水雷戦隊の撃退に努めよ」






 この時、探照灯を照射したのは比叡であった。

 阿部は突撃を開始した長良以下の艦艇に敵の砲火が集中するのを見て、その突撃を援護するために比叡に敵の攻撃を集中させようと考えたのだ。


「どうせ本艦は残弾の少ない置物だ。ならば、少しでも友軍のためになることをしようではないか」


 そう言った阿倍の顔に、悲壮感はなかった。むしろ、木村進少将率いる長良以下の雷撃の成果を期待するような明るい口調であった。

 そして、司令の言葉に西田艦長も同意した。


「砲撃も開始して宜しくありますか?」


「構わん。ただし、残弾には気を付けろ」


「はっ! 砲術長、目標、敵巡洋艦一番艦。主砲交互撃ち方始め!」


 右舷に指向した八門の三十六センチ砲、その内の四門が一斉に火を噴く。

 衝撃が完全体を揺さぶり、黒い砲煙が一時、艦の姿を敵から隠す。

 彼我の距離は一万二〇〇〇メートル前後であり、反航戦のため相対距離は急速に縮まりつつあった。






「最大戦速! 長良に続け!」


 長良らと共にギッフェン少将の巡洋艦部隊に突撃する駆逐艦天津風艦長・原為一少佐は快活に怒鳴った。


「長良より信号。距離五〇にて雷撃開始!」


「距離五〇か」


 敵艦隊に対し、五〇〇〇メートルの距離で雷撃を開始するということである。肉薄雷撃であるが、スラバヤ沖海戦のように超遠距離雷撃では命中は期待出来ない。


「敵の砲火、長良に集中しています!」


 見張り員の悲鳴のような報告が原の耳に届く。だが、どうにも出来ない。自分たちの投雷が先か、長良の被弾が先か、突撃を開始した以上、もはや運を天に任せるしかないのである。


「比叡、探照灯を照射した模様!」


「ありがたい」


 原は、阿部第十一戦隊司令の意図を正確に読み取っていた。これで、少しは長良に向かう敵弾が減るだろう。


「距離、八〇!」


「まだだ、まだ当たるなよ」


 祈るように、原は呟いた。

 インディスペンサブル海峡は、日本側水偵の投下する照明弾、アメリカ艦艇の打ち上げる星弾、そして比叡の探照灯という、様々な光が交差する海域となっていた。昼間のように明るい空間もあれば、墨汁を流したような闇に包まれた空間もある。

 その中を、長良、初風、雪風、天津風、時津風は単縦陣で進んでいく。

 比叡の探照灯照射のお陰か、長良の周囲に林立する水柱の数が少なくなっているようだった。


「距離、七〇!」


「あと少し、あと少しだ」


 現在、天津風は三十三ノットの高速を出している。二〇〇〇メートルを走破するのに、二分とかからない。だが、その二分は原や他の乗員たちにとって永遠にも等しい二分であった。

 やがて一分が経過しようとした、その時だった。

 天津風の前方に、巨大な火球が立ち上った。

 時間差で、耳を聾するようなおどろおどろしい爆発音が届く。


「長良、轟沈!」


 見張り員の泣き声混じりの絶叫を聞くまでもない。長良は敵弾から逃れることが出来なかったのだ。そして最悪なことに、命中した敵弾は装填中の魚雷を誘爆させたのだろう。

 一九二二年に竣工した五五〇〇トン軽巡は、爆炎と黒煙を残してその姿を消していた。木村進第十戦隊司令以下、生存者はほとんどいないに違いない。


「初風、取り舵に転舵! 雪風も続きます!」


 沈没した長良の残骸を避けるためか、あるいは一時退避するためか、長良に続いていた初風が転舵、それに雪風が従ったのだ。


「本艦も取り舵だ。陣形を乱すな!」


 旗艦が瞬時に沈没する光景を見せられても、第十六駆逐隊の統制は揺るがなかった。

 長良を仕留めた米艦隊は、残った四隻の駆逐艦に照準を変えたらしい。天津風の周囲にも、敵弾が落下して水柱を立てる。


「初風より信号! 『魚雷発射始め』」


「魚雷発射始め!」


 原の号令一下、天津風に備えられた二基八門の魚雷発射管から、圧搾空気の音と共に魚雷が躍り出る。


「初風回頭! 退避を開始した模様!」


「本艦も続け!」


 魚雷を発射した以上、長居は無用である。さっさと敵との距離を取るべきだろう。

 そして、日本海軍には魚雷の次発装填装置がある。一端、安全圏に退避して再度雷撃を敢行することも出来る。

 天津風が雪風に続いて回頭を始めた直後、船体に鈍い衝撃が走った。

 至近弾の衝撃かと思ったが、艦が不自然に取り舵をとり続けている。

 原為一少佐は、咄嗟に何が起こったのかを理解した。


「舵故障! 舵故障!」


 操舵員が悲鳴のような報告を繰り返す。


「機関停止! 煙幕展開!」


 原はわずかの逡巡もなくそう命じた。敵前でぐるぐる回るだけの艦など、恰好の標的である。だが、敵前で停止するのもまた、危険の伴う行為であった。

 しかし、二つの選択肢を天秤にかけ、彼はより生還の望みが高そうな方に賭けたのである。

 天津風は煙幕を展開しつつマライタ島沖合で機関を停止、応急人力操舵に切り替える作業を開始した。

 そして幸運なことに、彼女はこの海戦を生還することになる。被弾によって戦死者四十三名という損害を出したものの、原は賭けに勝ったのである。






 長良の爆沈は、ギッフェン少将の旗艦ウィチタでも確認していた。


「ソルトレイクシティたちがやってくれたようだな」


「敵水雷戦隊、撤退していく模様!」


 レーダー室でPPIスコープを覗いていたレーダー員からの報告が入る。

 その間にも、ウィチタとタスカルーザによる比叡への砲撃は続けられていた。


「艦長、次の斉射後に面舵に回頭だ」


「アイ・サー」


「後続艦にも、旗艦の回頭に従って一斉回頭するように伝達せよ」


 ギッフェンの命令に、艦長は疑問を挟まなかった。ギッフェンは大西洋でUボートと戦った指揮官である。魚雷の脅威は十分に熟知している。撤退を開始した敵水雷戦隊が、置き土産に魚雷を発射していないとも限らないのだ。

 ウィチタの八インチ砲に砲弾が装填され、何度目かの斉射が行われる。


「よし、全艦、一斉回頭!」


「面舵一杯!」


 操舵員が舵輪を回す。

 その間にも、ウィチタの周囲には金剛型が放ったと思われる十四インチ砲弾が降り注ぐ。だが、どうしたわけか敵戦艦の砲撃は散漫であり、未だウィチタにもタスカルーザにも命中弾はない。

 ギッフェンは、昨夜の海戦で敵は砲弾を消費してしまったのだろうと推測している。

 水柱に包まれるウィチタの艦首が、やがて右に降られていく。回頭の最中は照準を合わせることが出来ず、射撃も一時中止しなければならない。

 ギッフェンは手元の時計を見ていた。

 敵の水雷戦隊が撤退を開始してから、そろそろ三分が経過しようとしている。

 ウィチタ乗員の誰もが、息を潜めてその時間が過ぎるのを待っているようだった。彼らは皆、ギッフェンと同じくUボートと戦った戦士たちだ。太平洋で戦っている将兵たちが航空攻撃に敏感ならば、大西洋で戦っている将兵たちは魚雷攻撃に敏感なのだ。

 やがて、ウィチタ以下、各艦の回頭が終わり、反航戦から同航戦に移ろうとしたその時だった。

 鈍い爆発音と共に、ウィチタの舷側に高々と水柱が上がった。


「……?」


 だが、その衝撃の度合いにギッフェンは疑問を覚えた。


「……敵魚雷、本艦の手前で自爆した模様です」


 どこかほっとした声で、艦長が報告する。恐らく、魚雷の信管が過敏過ぎてウィチタの出す波に反応してしまったのだろう。

 実際、この時期の日本海軍の九三式酸素魚雷は、高速性能に由来する異常振動と波浪の影響で命中前に信管が作動してしまうという欠点を抱えていた。そうした日本側の失態に、ウィチタは救われたのである。


「どうやら、本艦には神の加護があったようだな」


 安堵の息を漏らして、ギッフェンは艦長に笑いかけた。直後に、艦後方で起こった爆発音が届く。


「セントルイス被雷! 落伍していきます!」


「……流石に全艦に幸運の女神は微笑まなかったか」


 だが、他に被害報告はない。三隻の重巡は未だ健在で、旧式ではあるものの軽巡リッチモンドもいる。敵の投雷を予測しての回頭が功を奏したようだ。


「回頭完了! これより同航戦に移ります!」


「本艦は目標をコンゴウ・クラス一番艦、タスカルーザは二番艦に変更。以下、彼我の艦隊の航行順序に従って各艦は目標を設定せよ」


 これの命令により、ソルトレイクシティは利根を、リッチモンドは筑摩を砲撃目標として設定することになる。


「さあ、ジャップ。第二ラウンドの開始だ」


 ギッフェンがそう宣言した直後、これまでとは比較にならない衝撃がウィチタを襲った。爆炎と爆風が艦橋を駆け抜け、あらゆるものが宙に舞う。

 ギッフェンは自身の体が宙に浮く感覚を味わいながら、その意識を急速に暗転させていった。






「敵巡洋艦一番艦に命中の模様!」


 見張り員からの喜々とした報告に、比叡艦橋ではようやく安堵の息が漏れた。

 すでに彼我の距離が一万メートルを切りつつあるので、阿部や西田からも艦橋を崩落させて炎上する敵ブルックリン級巡洋艦(これは日本側の誤認。ただし、ウィチタはブルックリン級軽巡洋艦に外見が似ている)の姿は確認出来た。


「本艦か、霧島の砲弾が当たったようだな」


「はい」


 敵艦隊の陣形は、ブルックリン級巡洋艦の被弾直後に乱れ始めていた。

 この時、炎上するウィチタを避けようと、航続のタスカルーザが左に転舵。続くソルトレイクシティはさらにその両艦を避けようと右に転舵したのである。そのため、その航続艦が思い思いの方向に転舵してアメリカ巡洋艦部隊の陣形が乱れたのであった。

 タスカルーザが左に転舵した理由は単純で、右に転舵すれば炎上するウィチタに自艦が照らし出されてしまうと艦長が判断したからであった。しかし、その判断を後続艦が十分に察せなかったのは、この部隊が大西洋、北太平洋、南太平洋の部隊を寄せ集めた指揮系統に混乱が生じやすいものだったからである。


「本艦の被害状況は?」


 ただし、一方で日本側も楽な状況ではなかった。比叡は探照灯を照射したために、敵の巡洋艦二隻からの集中砲火を浴びせられ、各所に被弾していた。現在も艦内各所で火災が発生し、消火活動が続けられている。


「艦橋からの艦内通信が不通となったため、伝令を走らせて現在も被害状況の把握に努めております」西田は自艦の被害について淡々と答えた。「現状で判明したところによりますと、射撃指揮所からの電路が切断され主砲の統制射撃が不可能となっています。また、被弾により副砲と高角砲の一部が破壊されました」


「喫水線下に被害はないかね?」


「至近弾による若干の浸水が認められるということですが、航行に支障が出る程のものではありません」


「ならば、よろしい。本艦は浮いてさえいれば、敵水雷戦隊を引きつける囮の役目は果たせる。後は、山本長官の部隊に期待しようではないか」


 阿部が視線を向けた西方の海上では、すでに吊光弾の光と発砲の閃光が上がっており、射撃隊と米戦艦部隊が戦闘を開始したことを示していた。


   ◇◇◇


 五藤存知少将、木村進少将、ノーマン・スコット少将、ダニエル・キャラハン少将、そしてロバート・ギッフェン少将。

 第三次ソロモン海戦は、わずか二夜にして五人の将官が戦死するという激戦になったことは、後世によく知られていることである。

 そして、それ以上に後世が注目するのは、この海戦が日米初の戦艦同士の決戦、日本人にとっては大和が始めて実戦においてその威力を発揮した海戦であることであった。






 掃討隊が敵巡洋艦部隊と接触したとの情報を受けた直衛隊司令・橋本信太郎第三水雷戦隊司令は、即座に麾下の全艦に見張りを厳にするよう命じた。さらに敵戦艦部隊の出現に備え、第十九駆逐隊の磯波、浦波、敷波、綾波を分派してガダルカナル島-フロリダ島間のシーラーク水道東端を警戒させた。

 掃討隊が敵巡洋艦部隊と接触してしまった以上、彼らに敵戦艦部隊に対する前衛役を果たしてもらうことが出来ない。だからこそ、橋本少将は第十九駆逐隊を分派したのである。

 だが、この措置は直衛隊の艦隊行動に若干の混乱をもたらした。

 二二〇一時、敷波が進行方向左舷側に敵影を発見したと旗艦川内へと報告した。だが、夕刻から敵艦隊への接触を続けていた水偵からの報告では、さらに南方(つまり、敷波から見て右舷側)に敵の一部隊があるという。

 事前の水偵の報告では、敵は巡洋艦部隊と戦艦部隊の二隊に分かれて航行しているという。

 掃討隊が接触した敵部隊も含めると、どういうわけか敵は三部隊存在することになってしまうのである。

 そのため橋本少将は、敷波の発見した敵影は掃討隊の発見した敵部隊と同一のものであると判断。やはり敵戦艦部隊は水偵の発見した南方の部隊であると、彼は考えたのである。

 だが、この時点で敷波の報告を受けた磯波、浦波が敷波に追随する動きを見せており、水道南方の警戒に当たっているのは綾波だけという状況になってしまった。

 橋本少将は三隻の駆逐艦に反転して直衛隊本隊に合流するよう司令を下したが、それよりも綾波が南方の敵艦隊と接触する方が早かった。


「敵らしきもの見ゆ! 距離一万、本艦からの方位三〇度! 数は六、内二隻は大型艦の模様!」


 綾波駆逐艦長・作間英邇少佐の耳に、見張り員の報告が届く。


「よし、よくやった!」


 日本海軍の夜間見張り員の能力の、面目躍如といったところである。電探を持たず、目視でこれだけの距離で敵を発見出来る兵士は、恐らく日本海軍にしかいないだろう。


「右砲雷戦用意! それと、三水戦司令部と大和に敵発見の報告だ!」


「宜候!」


 打てば響くような乗員たちの連携に満足しながら、作間は双眼鏡を覗き込んだ。

 未だ雲のかかるソロモンの海。だが……。


「天佑、まさしく我にあり、といったところかな」


 ある種の感嘆すら覚えて、作間は西の空に目を向けた。西の空に、月が現れ始めたのである。視界が、急速に開けていく。

 刹那、彼方に発砲の閃光が見えた。

 敵の方が、発見が早かったということだ。いわゆる電探というやつか、と作間は思う。


「総員、衝撃に備えよ!」


 まさか初弾から命中するとは思えないが、警戒するにこしたことはない。

 だが、彼の予測と違い、綾波の周囲に水柱は立たなかった。その代わり、敷波らが航行している辺りに、星弾の光が降り注ぐ。


「しめた! 奴らは俺たちに気付いていない! 航海長、最大戦速! このまま突っ込むぞ!」


「宜候! 機関、最大戦速!」


 綾波の機関音が、一気に倍増したように感じられた。彼女は、月明かりの助けを借りつつ突撃を開始したのだ。






 リー少将率いる戦艦部隊は、実は綾波を発見していなかった。

 これにはいくつかの要因が考えられるが、まず綾波が米艦隊に対してガダルカナル島を背にして航行していたということ。これにより、レーダーが島影と艦影を識別できず、電子的に綾波の姿を隠していたのだ。それは同時に、見張り員にとっても島影と艦影が重なって識別しづらいことを意味している。

 また、敷波を発見していたために、敵の警戒部隊がそちらの方面にいると思い込んでいたという意識的な問題もあった。

 こうした要因の結果、綾波は射撃を開始するその瞬間まで、アメリカ艦隊の意識の外にあったのだ。

 この時、戦艦部隊の前衛を務める四隻の駆逐艦を率いていたのは、駆逐艦ウォーク艦長のトーマス・E・フレイザー中佐であった。

 この駆逐隊、実は寄せ集めの部隊であり、フレイザーは単に四隻の艦長たちの先任であるという理由だけで隊の指揮を任されていたに過ぎない。


「ワシントン、サウスダコタ、ノースカロライナ、星弾による射撃を開始しました! 発見せる艦影は駆逐艦の模様!」


「敵の警戒部隊だな」


 フレイザーは、発見した敷波以下の艦影をそう判断していた。


「我々の役目はあくまで前衛だ。敵戦艦の出現に最大限の注意を払え」


 彼らはすでに、ギッフェン少将からの通信を受けていた。ギッフェン少将麾下の巡洋艦部隊は、金剛型の戦闘を開始し、敵の砲火を引きつけているという。その奮戦を無駄にしないためにも、是が非でもガダルカナル突入を成功させねばならないのだ。

 事前の情報では、敵戦艦は金剛型も含めて三隻。あと一隻は、恐らくルンガ沖で待ち構えているに違いない。

 フレイザーたちの役目は、その戦艦を見つけてリー少将に報告することだった。新鋭戦艦三隻の火力を以ってすれば、ジャップの戦艦一隻など簡単にひねり潰すことが出来るだろう。

 そうしたある種の楽観的な感情を抱いていたフレイザーだったが、直後にそれを後悔することになった。


「プレストン被弾、火災発生の模様!」


「なにぃ!?」


 突然の報告が信じられず、フレイザーは頓狂な声を上げた。

 この時、距離五〇〇〇メートルで放たれた綾波の十二・七センチ主砲は、初弾から命中弾を叩き出していた。


「新たな敵影捕捉! 駆逐艦一、右舷方向から突っ込んできます!」


「一隻!? クレイジーな!」


 こちらは戦艦三隻を含む部隊だぞ。敵の艦長は絶対に狂っている!

 フレイザーは思わず罵声を上げたが、それで事態が好転するはずもなかった。


「ええい! 右砲戦開始! 目標、ジャップの駆逐艦!」


 その命令が下された直後、さらなる悲報がもたらされた。


「さらにグウィンも被弾、炎上してします!」


「くそっ! 早く奴を仕留めろ!」






 敵駆逐艦二隻を瞬く間に撃破した綾波は、次いで魚雷発射態勢に入っていた。

 その時にはすでに彼女の周囲に水柱が立ち始め、彼女が敵に捕捉されたことを示していた。その中の数発が、綾波の船体を捉えた。


「被害報告、急げ!」


 衝撃に揺さぶられる艦橋で、作間は素早く命じた。


「艦橋後方、兵員室に被弾! 煙突にも一発被弾しました! また、内火艇の燃料タンクが損傷、火災が発生しています!」


「拙いな……」


 火災が発生したことで敵の恰好の標的となってしまうこともそうだが、火災が発生している場所も問題だった。魚雷発射管が近いのである。

 炎がそこまで広がれば、熱に炙られた魚雷が誘爆を起こしてしまう。


「水雷長、火災が広がる前に魚雷を発射してしまおう。戦艦に魚雷をぶち込めないのは残念だが、代わりに連中の駆逐艦を全部喰っちまうぞ!」


「宜候!」


「よろしい! 航海長、右魚雷戦反航! 取り舵!」


「とぉーりかぁーじ!」


 綾波は魚雷を発射するため、敵艦隊に横腹を晒す体勢になった。周囲に林立する水柱を突き破って、彼女は疾駆する。

 火災を発生させながらも、作間たち乗員に怯みはない。彼らに応ずるかのように、綾波は最大戦速で距離を詰めていく。


「舵戻せ! 針路そのまま!」


 艦首を左に振っていた綾波が、直進を開始する。


「魚雷発射始め!」


「てぇー!」


 作間の命令と、水雷長の叫びが連続する。

 特型駆逐艦に装備された、三連装三基の魚雷発射管から九本の魚雷が海中に踊り出る。


「よし、このまま敵の後方に抜けるぞ!」


 まだ綾波の機関は無傷である。このまま敵艦隊の後方に抜けて、安全圏に退避してから艦を停止させて消火活動を行うつもりであった。






 綾波とフレイザーの前衛駆逐隊との戦闘は、凄まじい速度で展開していた。

 瞬く間にフレイザー麾下の駆逐艦二隻が炎上し、プレストンは搭載魚雷が誘爆したのか、被弾からわずかな時間で爆沈。グウィンも炎上したまま洋上に停止している。

 だが、敵駆逐艦も炎上している。

 何とか前衛の役目を果たせたとフレイザーが安心したその瞬間、ウォーク艦橋の床が跳ねた。

 艦橋の者たちが衝撃で床に叩き付けられ、悲鳴と怒号が交錯する。

 この時、綾波の雷撃は後世から見ても驚異的な命中率でフレイザーの駆逐隊の横腹を抉っていた。

 フレイザーのウォークは中央部に魚雷一本が命中し、その衝撃で搭載していた爆雷が誘爆、短時間で沈没した。後方のベンハムの右舷にも魚雷が命中し、即座に沈没しなかったものの、舵が損傷して右へと迷走しつつ、戦場海面から遠ざかっていった。後に、この艦も沈没している。

 綾波は、単艦にて敵駆逐艦四隻を屠り去るという大戦果を打ち立てたのである。

 しかし、彼女と乗員たちが打ち立てた殊勲は、これだけではなかった。

 リーの戦艦部隊の後方へ抜ける際、綾波はワシントン以下の戦艦にも砲撃を繰り返し、内何発かを命中させていた。その内、サウスダコタを捉えた砲弾はレーダーを破壊し、衝撃で艦内主要部に停電を引き起こしていた。

 しかし、その際に綾波も戦艦群から両用砲の射撃を受け、ついに航行不能となった。

 作間少佐は総員退艦命令を発し、彼を含めた多くの乗員がその後、友軍によって救助されている。

 戦死者四十二名。綾波の沈没は、翌十四日〇〇〇六時だったとされる。

 綾波は、リー少将の前衛隊と刺し違える形で駆逐艦としての役目を全うしたのである。

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