3 集結のガダルカナル

 ガダルカナルを巡る攻防戦の最初の分水嶺ともいえるのが、一九四二年八月二十四日に発生した第二次ソロモン海戦であった。

 第一次ソロモン海戦で米輸送船団に大打撃を与えた日本海軍ではあったが、それによってガダルカナル周辺の制海権・制空権を確保出来たわけではなかった。

 未だガダルカナル周辺の制海権・制空権は両軍共に曖昧な状態であり、それを完全に掌握することがこの南の島を巡る戦闘の勝敗を決することになると、日米双方は理解していた。

 だからこそ、この第二次ソロモン海戦によって日本海軍がアメリカ軍空母サラトガを撃沈して、一時的にせよソロモン海域の制海権・制空権を確保したことは大きかった。

 この海戦は空母翔鶴、瑞鶴、飛龍、龍驤を擁する日本海軍第三艦隊がミッドウェー海戦の雪辱を果たしたことで有名であるが、以後のガダルカナルを巡る戦況への影響の大きさという点の殊勲艦という意味では、また別であった。






 一九四二年八月二十四日。

 戦艦陸奥は、ガダルカナル島ルンガ岬沖を航行していた。すでに陽は没し、雲間からは南洋特有の眩いばかりの星空が垣間見えている。

 今が戦時中でなければ、非常に幻想的な光景であったろう。


「まったく、このままでは我々はソロモンまで物見遊山に来ただけだと、空母の連中に笑われてしまうところだったぞ」


 陸奥艦長・山澄貞次郎大佐は、計器板の蛍光塗料だけが光源となっている夜戦艦橋でそう軽口を叩いた。傍らの航海長や見張り員などが密かに苦笑する。

 実際、昼間の空母戦において、陸奥の出番は皆無だった。それどころか、最大速力二十五ノットという陸奥は米艦隊追撃に向かう第二艦隊から取り残されてしまったのだ。

 だが、逆にそれが陸奥に新たな任務を与えることになった。速やかにガダルカナル島ルンガ沖に突入し敵飛行場を砲撃すべし、というものであった。

 もともと、ガダルカナルのアメリカ軍飛行場は、昼間の内に第二航空戦隊(飛龍、龍驤)によって叩く計画であった。

 だが、貴重な空母戦力を分散することに、二航戦司令官・山口多聞少将は反対。

ミッドウェー海戦で空母三隻を失うという苦すぎる経験をした第三艦隊司令長官・南雲忠一中将はこの進言を受け入れ、結果として日本海軍は航空戦力を集中することに成功、空母サラトガを撃沈するという大戦果を挙げた。

 そのため、手付かずになっていたガダルカナルの敵飛行場を破壊するのは、陸奥の役割となったのである。

 艦隊から取り残された陸奥の護衛は、第二駆逐隊の村雨、五月雨、春雨の三隻のみ。狭い水道に戦艦を突入させることに一抹の不安はあったが、昼間の空母戦で米艦隊が撤退したことは判っている。

 警戒すべきは魚雷艇程度であろうと、山澄艦長は考えていた。

 すでに八門の四十一センチ主砲には、滑走路破壊のために一式徹甲弾が装填されている。対空用の三式弾が使えないかという砲術長からの意見具申があったが、それはある程度飛行場に損害を与えてからということになった。

 何せ、飛行場を戦艦の砲撃で破壊するという前例のない戦術である。

 陸奥に搭載された観測機も三機すべてが発進し、吊光弾投下の任務に当たっている。


「砲術より艦長。射撃用意良し」


 艦橋最上部の射撃指揮所から、報告が上がった。


「ガダルカナル上空の観測機に通信。吊光弾投下せよ」


「宜候。吊光弾投下せよ」


 即座に、陸奥から観測機への命令が飛ぶ。

 直後、薄ぼんやりと見える島の上空に眩いばかりの光が現れた。発進した観測機が、吊光弾を投下したのである。


「艦長より砲術、撃ち方始め」


「宜候、撃ち方始め」


 途端、陸奥の右舷が朱に染まる。四門の四十一センチ砲が火を噴いた瞬間であった。

 衝撃で、陸奥の船体がわずかに左舷に傾斜する。交互射撃とはいえ、その威力は相当なものであった。


「だんちゃーく!」


 二万メートルの距離を隔てた島の向こうに、夜目にも鮮やかな四本の火柱が立ち上る。


「ふむ、相手が敵戦艦でないのがちと不満だが、まあよかろう」


 双眼鏡でガ島の様子を確認しながら、山澄艦長は満更でもなさそうな調子で呟いた。

 陸奥は初めて実戦において主砲射撃を実施したのである。その興奮は、全乗員が共有していた。

 その後も陸奥は弾着観測機による修正を受けながら砲撃を繰り返し、アメリカ海兵隊によって奪取されてしまったガダルカナルの飛行場を完全に破壊してしまった。

 そしてアメリカ海軍空母部隊を撃退し、飛行場を破壊したことで、無事にガダルカナルへとたどり着いた川口清健少将率いる増援部隊はすでに到着していた一木支隊と合流、九月の初めまでに飛行場の奪還に成功したのであった。


◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆


 南太平洋ソロモン諸島にあるガダルカナル島を巡って日米の攻防が開始されたのは、一九四二年八月七日のことだった。東部ソロモン諸島の要衝であり、日本軍が飛行場を建設しているこの島に、アメリカ海軍海兵第一師団一万二千人が侵攻したのである。「ウォッチタワー(望楼)作戦」と名付けられたこの作戦は、ニューカレドニア、オーストラリア方面に対する日本軍の進出を阻止するために行われた。

 これに対し、現地の日本軍は直ちに反撃に出た。

 翌八日深夜、三川軍一中将率いる日本海軍第八艦隊が米上陸地点に突入し、米豪の艦隊及び輸送船団に大打撃を与えたのである。

 寄せ集めの艦隊であったために、当初、三川中将は敵泊地への攻撃は一航過とし、翌朝には敵空襲圏外に離脱すべく作戦を立てていたが、トラックからガダルカナルに急行していた山口多聞少将率いる空母飛龍からの電文を受け取ってその意思を変えた。翌日には上空支援を提供できるという主旨の電文によって、第八艦隊は泊地に二度目の突入を行い、一度目の突入の際に撃ち漏らしていた輸送船団を撃滅した。これが、第一次ソロモン海戦である。

 以後、ガダルカナル島を巡る戦闘は、補給の滞る上陸部隊を維持するためにガダルカナル島周辺の制海権・制空権を確保しようとするアメリカ軍と、それを阻止しようとする日本海軍との間に、数度にわたる海戦を引き起こした。

 特に趨勢に大きな影響を与えたのは、八月二十四日の第二次ソロモン海戦と十月二十六日の南太平洋海戦であった。

 日米空母決戦となった二つの海戦で、アメリカ海軍はサラトガ、エンタープライズ、ホーネットを相次いで喪失し、ついに太平洋上で稼働可能な空母は一隻も存在しないという事態に陥っていた。

 まず、第二次ソロモン海戦ではサラトガを喪失した結果、日本軍の増援部隊輸送を阻止出来ず、奪取をしたガダルカナル飛行場を奪還される事態となった。そして南太平洋海戦で二隻の空母を撃沈された結果、ガダルカナル周辺の制海権・制空権を日本側が握ることとなったのである。

 だが、アメリカ軍としてはガダルカナルの攻略を簡単に断念することは出来なかった。

 ミッドウェー海戦で日本海軍は赤城、加賀、蒼龍を失ったとはいえ、未だ空母の数では日本海軍が有利であり、日本軍のオーストラリア方面への攻勢を放置していては米豪間の関係が悪化してしまう。

 さらにアメリカ軍がガダルカナル攻略作戦を開始する直前、日本海軍はインド洋に水上艦隊を投入しての通商破壊作戦を行い始めていた。

 つまり、オーストラリアは東西両面から孤立しつつあったのである。

 また、日本海軍のインド洋での通商破壊作戦は、この海域経由で北アフリカの軍を維持しているイギリス軍、そしてペルシャ湾経由でアメリカからの援助物資を受け取っているソ連軍にも悪影響を与えていた。

 その結果、十月には北アフリカ戦線でアレキサンドリアが、東部戦線ではスターリングラードが、それぞれドイツ軍の猛攻の前に陥落している。

 連合軍に深刻な影響を与えているのはインド洋戦線であるが、この方面に十分な戦力を投入するだけの余裕は、現在の彼らにはなかった。

 地中海ではマルタ島を巡る攻防が続いており、また北アフリカ上陸作戦「トーチ作戦」の準備が進行中だったのである。


   ◇◇◇


「第六七・四任務部隊の損害は、巡洋艦サンフランシスコ、ポートランド、ノーザンプトン、ペンサコラ、アトランタが沈没、駆逐艦もカッシング、ラフェイ、バートン、モンセンが沈みました」


 ニューカレドニアのヌーメアに置かれた南太平洋方面軍司令部で、ウィリアム・F・ハルゼー中将は参謀長のマイルズ・ブローニング大佐から報告を受けていた。

 まだ夜は明けきっておらず、窓の外は暗い。


「キャラハン少将、スコット少将は共に艦上で戦死。現在はリー少将の指揮の下、敵空襲圏外へと退避中です」


「そのリーの部隊はどうした?」


 苛立った口調で、ハルゼーは続きを促す。


「戦艦は、インディアナが魚雷二本を受け中破。現在は傾斜を復旧し、十二ノットにて退避中です。その他三隻はなお健在の模様」


「ジャップめ、やってくれる」


 ハルゼーは舌打ちと共に、机の上に広げられた南太平洋の地図に拳を打ち付けた。


「キンケードに伝達しろ。夜明けと共にガダルカナルのジャップの飛行場を空襲、また周辺海域に存在する奴らの船も沈めてしまえ、とな」


 水上部隊が飛行場砲撃に失敗した以上、残っているのは空母レンジャーに搭載された航空機しかない。

 いや、正確にはエスピリットゥサントのB17もガダルカナルを爆撃圏内に収めているのだが、現在は戦力を再編している最中であり、出撃出来る状態にはなかった。

 ガダルカナルへの輸送が途絶して以来、アメリカ軍は高速の駆逐艦やB17による物資輸送を敢行していた。その結果、やむを得ないこととはいえ、駆逐艦、B17双方に損害が続出したのである。

 そして、ガダルカナル飛行場から飛び立った一式陸攻が数日おきにエスピリットゥサントに対する夜間爆撃を実施して、アメリカ側の損害を蓄積させていたことも大きかった。

 少数機によるハラスメント爆撃であるとはいえ、いや、だからこそアメリカ側にとっては厄介であった。実態としては、十分な機体が揃えられない日本軍の苦肉の策であったとしても。


「それと、ガダルカナルへ向かっている輸送船団に、サンタクルーズ諸島方面まで退避しろと伝えろ」


 現在、ガダルカナル飛行場砲撃を企図した三個任務部隊の他に、ハワイから補給物資と増援を乗せた輸送船十二隻が島に近付いていた。

 重巡ソルトレイクシティ以下の護衛は、北太平洋戦線から引き抜いてきた戦力であり、南太平洋へ戦力を集中させようとするアメリカ海軍の努力の証の一つでもあった。

 しかし現状では、上空を守るもののない裸の船団であり、不用意にガダルカナルへ近付けるわけにはいかなかった。


「ったく、これだけの戦力を出撃させて手ぶらで帰ってくるとか、俺たちゃ今頃太平洋艦隊司令部でいい笑いものにされているぞ」


「それだけ、敵の防衛が熾烈であったということでしょう」


「だが、次は食い破ってみせる」ハルゼーは凄みのある笑みを浮かべた。「今夜の戦いで、ジャップの艦隊も相当傷付いたはずだ。そして俺たちは、奴らに戦力的な余裕がないことを知っている。連続攻勢をかければ、最終的に勝利するのは我々合衆国海軍だ」


 多少無理をすることになるが他の方面から引き抜いた予備兵力がある合衆国海軍に対し、日本海軍には十分な予備戦力がない。消耗戦になれば、敗北するのは日本側なのである。


「リーの戦艦部隊の再編成を急ぐぞ。とにかく、かき集められるだけの戦力をかき集めて、奴に送ってやるんだ」


「退避中の損傷艦については如何されますか?」


「負け犬どもに用はない。さっさとヌーメアに退避させろ」


 ハルゼーは椅子から立ち上がった。窓の外の、ヌーメアの町並みの先に広がる海を見つめる。


「一度くらい勝ったからって、いい気になるなよ、ジャップ」


   ◇◇◇


 南太平洋は、十一月十三日の朝を迎えようとしていた。

 トラック諸島から南下を続けていた空母飛龍艦上では、二式艦上偵察機の暖機運転が始まっている。併走する空母瑞鶴の艦上でも、払暁の空に索敵機を発進させられるよう、作業が続いているはずだ。

 夜明けを迎えつつある南半球の空。

 水平線の先にわずかに曙光が差し込んでいる。夜と朝の狭間の、空の闇が淡く払われていく時間。

 それを見据えつつ、二航戦司令官・山口多聞少将は飛龍艦橋に立っていた。


「索敵機が発艦次第、第一次攻撃隊の準備を完了させるのだ」


「はっ」


 二航戦参謀・伊藤清六中佐が山口の命令に応じる。

 現在、飛龍と瑞鶴は敵艦隊の追撃のための索敵機、攻撃隊の発艦準備を行っていた。

 第二艦隊司令部が連合艦隊司令部に宛てた通信を傍受(その後、連合艦隊旗艦大和からも同内容の電文が届いた)した山口少将は、夜明けと共に損傷した敵艦の掃討を行うことを決意。ガダルカナルを目指していた二空母を急速に南下させていた。

 それはまるで、ミッドウェー海戦での飛龍と彼の活躍を彷彿とさせる機敏な動きであった。

 あの海戦において、三空母が被弾炎上した後、飛龍は単艦でアメリカ軍空母部隊との戦闘を繰り広げた。何度か空襲に見舞われたものの、加来止男艦長は最後まで艦の被弾を許さず、薄暮攻撃まで行って敵空母三隻を撃破する戦果を挙げていたのである(空母三隻撃破は日本側の誤認であり、正確にはヨークタウンとホーネットの二隻が損害を受けた。後にヨークタウンは伊一六八潜の雷撃によって沈没)。

 その後の第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦でも、飛龍は獅子奮迅の活躍を見せた。そして、瑞鶴と共にすべての海戦を被弾せずにくぐり抜けたことから、艦隊将兵の間からは「鶴龍コンビ」、「幸運艦コンビ」との名を奉られることとなった。

 さて、山口は護衛を担当する利根、筑摩の索敵機を合わせて、東方から南方にかけて索敵を行うこととしていた。

 敵艦隊がエスピリットゥサントなどの味方の航空部隊の援護を受けられる最短距離は南方であるが、そうであるが故に発見されやすい航路でもある。だからこそ山口は東方に迂回する航路を取っている可能性もあると考え、東から南にかけて約一二〇度ほどの索敵範囲を定めていた。なお、西方へ迂回する航路は逆にラバウルに接近する航路になるので可能性は低いと判断された。

 索敵に使用する二式艦偵は、ミッドウェー海戦時に十三試艦上爆撃機として蒼龍に搭載されていた機体と同様なものである。母艦はミッドウェー海戦で失われてしまったが、機体そのものは飛龍に収容されたために無事だった。

 そして、その高性能ぶりに着目した海軍は、七月、これを「二式艦上偵察機一一型」として制式兵器に採用した。艦爆としての開発はその後も続けられた。

 蒼龍に搭載されていた試作機が失われなかったことも、開発にとって追い風となった。昭和十七年度中、つまり昭和十八年三月までには艦爆型の量産体制に入れるという。

 山口としては、南太平洋海戦までに艦爆型の生産が間に合っていれば、と思わないこともなかったが、無い物ねだりをしても仕方がない。

 今は、飛龍と瑞鶴にそれぞれ二機ずつの二式艦偵が配備されているだけで良しとせねばならない。

 やがて、川口益飛行長が二式艦偵の暖機運転の完了と発艦準備の完了を報告してきた。


「艦長、始めてくれ」


「はっ! 各機発艦始め!」


 飛行甲板から響く液冷発動機の音が一段と大きくなった。

 それまでの日本海軍の機体とは一線を画す優美な機体が飛行甲板を蹴って飛び立っていく。

 後に艦上爆撃機「彗星」と呼ばれることになる偵察機は、やがて暁の空へと消えていった。


   ◇◇◇


「海戦における我が方の損害は、沈没は重巡古鷹、駆逐艦高波。重巡青葉が大破、中小破が重巡衣笠、神通、黒潮、親潮、陽炎、夕立、春雨となっております。なお、重傷を負っていた第六戦隊司令官・五藤少将は今朝方、亡くなられたとのことです。」


 戦艦大和艦橋で、戦務参謀・渡辺安次中佐がそう報告した。


「米艦隊は退却を開始し、飛行場の防衛には成功した模様です」


「前進部隊の戦果はどうなっているのかね?」


 長官席に腰をかけている山本五十六連合艦隊司令長官が尋ねる。


「はい。報告によりますと、巡洋艦六隻を撃沈、駆逐艦八隻撃沈とのことです」


「だいぶ混戦になったと聞いている。戦果の確認は慎重にせねばならんだろう」


「それに関しましては、第十一航空艦隊や二航戦の索敵機が夜明けと共に米艦隊の捜索に当たることになっております。その際に、戦果も確認出来ることでしょう」


 今度は、三輪義勇作戦参謀が答えた。


「しかし、敵新鋭戦艦は取り逃がしてしまったようだね?」


 それが不満そうに、山本は言った。


「駆逐艦夕立が、敵新鋭戦艦の一隻に魚雷二本の命中を確認しております」


「しかし、撃沈したわけではなかろう」


 口を挟んできたのは、先任参謀・黒島亀人大佐だった。彼は山本長官の方に向き直る。


「上空援護のない戦艦など、航空部隊によって撃沈可能であることはマレー沖海戦によって証明されております。あえてこれ以上、第一艦隊を南下させる必要は薄いのではないでしょうか?」


「不満そうだね、黒島君」


「はい。いかに時代は航空機に移ったとはいえ、この大和は帝国海軍の象徴。その大和と長官の身に万が一があっては、全軍の士気に関わります」


「それについては、出撃前に議論したはずだ」参謀長の宇垣纏少将が反論した。「母艦航空隊は南太平洋海戦での打撃から十分に立ち直っておらん。今こそ第一艦隊を出撃させる時である、と」


 砲術科出身の宇垣らしい、大和以下第一艦隊の能力を信じ切っている口調だった。


「そして、私も最終的に第一艦隊の出撃を決意した。戦艦部隊が健在な米軍が、捲土重来を期さないとも限らない。いい加減、納得してくれんかね、黒島君?」


「はっ、長官がそうおっしゃるのであれば」


 黒島は一礼して引き下がった。

 参謀たちの内心は様々であるが、皆が感じているのは山本にある種の焦りが見えていることであった。

 現在、第一戦隊を基幹とする部隊がトラックを出撃し、ガダルカナル島へ向けて南下していた。

 その編成は、次の通りになっていた。


挺身攻撃隊 司令官:山本五十六大将(連合艦隊司令長官)

第一戦隊【戦艦】〈大和〉〈長門〉〈陸奥〉

第九戦隊【重雷装艦】〈大井〉〈北上〉

第三水雷戦隊【軽巡】〈川内〉

 第六駆逐隊【駆逐艦】〈暁〉〈雷〉〈電〉

 第十九駆逐隊【駆逐艦】〈磯波〉〈浦波〉〈敷波〉〈綾波〉

 第二十駆逐隊【駆逐艦】〈天霧〉〈朝霧〉〈夕霧〉〈白雲〉


航空部隊 司令官:山口多聞少将(第二航空戦隊司令官)

第二航空戦隊【空母】〈飛龍〉〈瑞鶴〉

 第十駆逐隊【駆逐艦】〈夕雲〉〈巻雲〉〈風雲〉〈秋雲〉


母艦支援隊 司令官:原忠一中将(第八戦隊司令官)

第八戦隊【重巡】〈利根〉〈筑摩〉

第十戦隊【軽巡】〈長良〉

 第十六駆逐隊【駆逐艦】〈初風〉〈雪風〉〈天津風〉〈時津風〉

 第六十一駆逐隊【駆逐艦】〈照月〉


註:本来であれば第三水雷戦隊に配属されている第十一駆逐隊(【駆逐艦】〈吹雪〉〈白雪〉〈初雪〉〈叢雲〉)は、第七戦隊(【重巡】〈最上〉〈三隈〉〈熊野〉〈鈴谷〉)、第十六戦隊(【軽巡】〈名取〉〈鬼怒〉)などと共にインド洋での通商破壊作戦に従事中。


 戦艦部隊の大規模な出撃は、敗北に終わったミッドウェー海戦以来のことであった。

 そしてミッドウェー海戦時と違い、大和以下水上砲戦部隊は空母部隊の遙か後方に隠れることなく、一路、ガダルカナルへと向かっている。

 ミッドウェー海戦では空母飛龍による薄暮攻撃を成功させつつも、新たに四隻の敵空母の存在が確認されたことから、艦隊保全主義に走った連合艦隊司令部は、その時点で作戦中止を決意、全艦隊に反転を命じていた(増援の空母四隻は日本側の完全な誤認)。

 今回の出撃に際しても、第一艦隊の保全を唱える黒島のような者がいたが、山本は出撃を決意していた。

 彼にとって、自身の短期決戦構想が崩れつつあることは戦争の先行きに対する不安要素となっていた。

 確かに、ミッドウェーとガダルカナルを巡る海戦で、敵空母はすべて撃沈した。だが、未だアメリカの世論は早期講和を求めるまでに戦意を喪失していない。

 それが、山本にとって誤算であった。

 だからこそ、山本はここで第一艦隊を出撃させてでも、米新鋭戦艦を叩いておきたかったのだ。空母だけでなく、戦艦も全滅させれば、少しは合衆国の世論に影響を与えられるのではないかと考えていたのである。

 また、大本営から次期作戦の構想に伝えられていることも、山本の焦りに繋がっていた。

 それは、現在実施中のインド洋での通商破壊作戦をさらに大規模にして、セイロン島の攻略やインド洋の制海権を完全に確保してスエズ運河経由での日独連絡航路を開こうとする作戦構想であった。

 夢物語のような大本営の構想であるが、実際にインド洋での通商破壊作戦を開始してみると予想以上の効果を上げていたことが、山本に反論すべき材料をなくさせていた。

 そもそも、ガダルカナル攻防戦はオーストラリアの戦争からの脱落を狙った日本側の作戦が発端である。

 インド洋を制圧することでイギリス最大の植民地インドを宗主国から引き剥がし、大英帝国に大打撃を与える。米豪分断作戦ならぬ、米英分断作戦ともいえる意味をインド洋作戦が持っていることを、山本自身も否定出来なかったのだ。

 空母、戦艦を全滅させてアメリカ国民の戦意を喪失させるのと、同盟国を脱落させてアメリカ国民の戦意を喪失させることは、本質的には同じことである。だからこそ、山本も最終的にインド洋作戦を受け入れることにしていた。

 だがそのためには、太平洋側でアメリカ軍の反攻の芽を摘むことが大前提である。

 インド洋作戦は、一九四三年四月を以って発動されることが決まっていた。空母だけでも、翔鶴、瑞鶴、飛龍、龍驤、隼鷹、飛鷹、龍鳳を参加させる大規模作戦である。

 それまでに艦隊の整備をせねばならず、ガダルカナル攻防戦は年内に決着を付けることが求められていた。そして山本は、これ以上ガダルカナルで消耗を続けることは、日本の国力が持たないということを自覚していた。

 だからこそ、米軍が最新鋭戦艦を繰り出して決戦を挑んでくるならば、こちらも第一艦隊を出撃させて対抗しようとしたのである。

 最新鋭戦艦を繰り出してきた米軍は本気である。巡洋艦部隊が撃退された程度で、ガダルカナル砲撃を諦めるとは考えられない。

 だから山本は、敵艦隊の撤退を知らされていても艦隊をトラックに戻すつもりはなかった。

 そして、この機会を逃せば、もう二度とこのような好機は訪れない。すでにトラックの備蓄燃料は底を尽きかけており、この規模の艦隊をソロモン海に展開出来るのはこれが最後でもあったのだ。

 トラックには未だ戦艦金剛、榛名、商船改造空母隼鷹、軽空母龍驤といった戦力が存在しており、これらを集中すれば米艦隊の戦力を凌駕出来るのだが、日本海軍の燃料事情がそれを許さなかった。

 この出撃で、何としても米艦隊を撃滅する必要がある。

 そうした思いもまた、山本の焦燥に繋がっていた。


「失礼いたします!」


 その時、一人の通信兵が艦橋に飛び込んできた。その顔を見て、艦橋の誰もが凶報だと感じていた。

 特にミッドウェー海戦の悪夢が蘇ったのか、連合艦隊司令部の参謀たちは誰よりも顔を青くしていた。


「第十一航空艦隊より緊急入電。『ガ島飛行場、空襲サル。襲来セル敵機ハ艦載機ノ模様。〇六一五』。続いて、第四水雷戦隊からも緊急入電。『我、空襲ヲ受ク。由良、夏雲沈没。第四水雷戦隊司令部ハ朝雲ニ移乗セリ。〇六二〇』」


「馬鹿な!」声を上げたのは、黒島先任参謀だった。「米艦隊の空母は先の南太平洋海戦で全滅したはずではなかったのか!?」


「……大西洋から回航したか、英軍から貸与してもらったのかもしれません」


 航空出身の三輪参謀が推測を述べる。


「何故米空母が存在しているのか、そんなことはこの際重要ではない」


 宇垣参謀長が参謀たちをたしなめるように言った。普段、山本からは疎んじられている彼であったが、ミッドウェーで空母三隻が大損害を受けて混乱する司令部をまとめ上げたのは彼なのだ。

 今回も、傲岸不遜とも取れる無表情で、突然の艦載機襲来に冷静に対応していた。


「我々にとって重要なのは、敵空母が存在していることそのものだ。第十一航空艦隊と四水戦司令部に、敵機の来襲方向、及び去っていた方角を問い合わせろ。また、二航戦司令部も敵空母出現の公算大との通報を入れろ。……よろしいですね、長官」


「うむ」


 宇垣の矢継ぎ早の命令を、山本は鷹揚に頷くことで承認した。山本も山本で、ミッドウェー海戦の際と同様に落ち着きを保っていた。

 先ほどから大和は、重要と思われる情報はすべて飛龍に転送している。無線封止を行っているのは、実際には山口少将麾下の航空部隊とのその護衛だけである。

 これもまた、ミッドウェー海戦で大和は受信していながら、赤城が受信していなかった通信があったことに対する反省であった。


「諸君」


 山本は、参謀たちを見回して言った。


「これでいよいよ、米艦隊がガ島飛行場を破壊すべく捲土重来を図っていることが明らかとなった」


「……」


「……」


 参謀たちが、緊張の面持ちでその言葉を聞いている。


「我々、挺身攻撃隊は南下して米艦隊の撃滅を期す。この戦闘に、皇国の命運が掛かっていると肝に銘じてもらいたい」


「はっ!」

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