2 獅子奮迅

 米艦隊を混乱の坩堝に陥れた最大の原因は、第四水雷戦隊に所属する駆逐艦夕立の存在であった。

 吉川潔中佐に率いられたこの白露型駆逐艦は、第四水雷戦隊の僚艦と共に、シーラーク水道南方の警戒に当たっていた。

 そのため夕立は、ガダルカナルに接近するアメリカ艦隊を最初に目視する艦となったのである。「敵ラシキ艦影見ユ」との報告が夕立から発信されたのは、十一月十二日二三四三時。

 アメリカ艦隊よりも二十分近く遅れての、敵艦隊発見であった。そしてその敵は、大型巡洋艦多数を含む強敵であった。

 だが、吉川中佐は怯まなかった。

 二三四八時、夕立は春雨と共に敵艦隊への突撃を開始した。

 驚いたのは、突撃を受けたアメリカ側であった。


「敵駆逐艦、真っ直ぐに本艦に突っ込んできます! 距離三〇〇〇ヤード(二七〇〇メートル)!」


 艦隊の先頭を走る駆逐艦カッシングの艦橋に、見張り員の悲鳴のような報告が走る。


「ガッデム! ジャップの艦長は狂ったか!?」


 敵駆逐艦の行動に、カッシングのストークス中佐は罵り声を上げた。

 このまま互いに直進すれば、衝突してしまう。三〇〇〇ヤードなど、船同士が衝突を避けるにはかなり際どい距離だ。

 完全なるチキンレース。敵の艦長は絶対に狂っている。


取り舵一杯ハードアポート、急げ!」


 ストークス中佐はおののきながら命令した。操舵員も目前に迫った敵艦を避けるべく、焦った調子で舵輪を回していく。

 そしてこれが、第六七・四任務部隊の隊列が混乱する最初の原因となったのである。






「旗艦に通信! 『我、突撃ス』!」


 一方、夕立の艦橋には吉川中佐の闘志に満ちた快活な声が響いていた。

 総員が戦闘配置についた夕立は、衝突を恐れずにそのままキャラハンの艦隊の隊列に飛び込んだ。敵の指揮官は状況の変化について行けないのか、あるいは友軍への誤射を恐れているのか、接近する夕立に対して攻撃を行ってこない。

 ただ、慌てふためいたように敵艦が好き勝手な方角に舵を切っているだけである。

 思わず、吉川の口元に獰猛な笑みが浮かぶ。

 これは千載一遇の好機であった。


「右魚雷戦、反航! 目標、敵巡洋艦一番艦!」


「宜候! 右魚雷戦、反航! 目標、敵巡洋艦一番艦!」


 吉川の命令に、水雷長・中村悌次中尉の若々しい声が返る。

 夕立最初の目標とされたのは、アトランタであった。

 轟然と稼働する機関の音が響き、三十四ノットの最大速力を出す夕立は海と風を切って進んでいく。

 不意に、海面を眩い光線が走った。


「青葉、探照灯照射を開始しました!」


 夕立の後方から伸びる白い光が、今まさに夕立が目標としようとしていた敵巡洋艦一番艦を捉える。


「ありがたい。五藤司令官、感謝しますよ」


 自らの危険も省みず探照灯を照射した第六戦隊司令官に、吉川は口の中で小さく感謝の言葉を呟く。

 その間にも、夕立はアトランタとの距離を詰めていく。


「魚雷発射始め!」


 そして中村水雷長の号令一下、右舷に向けられた発射管から八本の魚雷が海へと躍り出る。彼我の距離はこの時、二〇〇〇メートルを切っていた。


「主砲、撃ち方始め!」


「てぇー!」


 そして、魚雷発射まで自艦の位置を暴露するのを防ぐために沈黙していた五門の十二・七センチ砲も発砲を開始する。

 一方、遅まきながら敵駆逐艦にも発砲の閃光が走る。今まで沈黙していた敵艦隊も、青葉から探照灯が照射されると堰を切ったように砲撃を始めたのだ。

 夕立の頭上を砲弾の飛翔音が通り過ぎていく。周囲に着弾した砲弾が炸裂して水柱を上げ、夕立の姿を敵艦隊から隠す。

 目標とされた敵巡洋艦一番艦の艦上に、直撃弾命中の閃光が走る。

 アトランタには青葉以下第六戦隊からの射撃も集中し、あっという間に火だるまとなった。

 一方、相対速度が速いため、夕立の砲撃目標は次々に変更になる。すれ違いざまに敵の駆逐艦に射弾を浴びせ、そしてすぐに次の目標に移る。


「砲術長、射弾修正の必要なし! どんどん撃て!」


 椛島千蔵砲術長は、砲術教範にない吉川中佐からの命令に喜々として従った。何せ、敵陣のど真ん中に突っ込んだ夕立である。目標には事欠かない。

 砲はほとんど水平にして射撃を繰り返しており、撃つたびにどこかしらの敵艦に命中弾炸裂の爆炎が上がる。

 発砲の閃光が走り、彼我の砲弾が飛び交う海面を、夕立は縦横無尽に駆け回り、砲撃を加え、キャラハンの艦隊を混沌へと落とし込んでいく。

 そうして彼女はいつしか、敵艦隊の後方に抜けてしまった。

 流石に敵陣を中央突破したこともあり、夕立も無傷とはいかなかった。小口径砲弾が何発か命中し、機銃弾が船体を穿っていた。だが、機関部は無事であり、射撃指揮所も無事である。


「しかし参ったな、こりゃ」


 吉川中佐は艦橋でぼやいた。依然、夕立乗員の士気はは旺盛。このまま反転し、敵艦隊に再突入といきたいところだが、そうもいかないようだった。


「あれ、どっちが味方でどっちが敵だ?」


 水道に響き渡る轟音、爆音、閃光。

 正直、このまま再突入しても、友軍からは南方から現れたことで敵と誤認されそうである。

 その時、見張り員から報告があった。


「右舷前方、二時方向に新たな艦影確認! 戦艦と思われます!」


「なに?」


 その報告に、吉川は思わず眉を寄せた。確かに、事前に報告のあった敵戦艦の姿は、敵艦隊を突破している最中にも見えなかった。

 つまり、敵もこちらと同じく、敵艦隊の掃討を巡洋艦部隊に任せていたということだろう。


「水雷長、魚雷の次発装填、まだか!」


 夕立は、魚雷の次発装填装置を持っている。予備の魚雷は八本。敵戦艦のどれか一隻を仕留めるのには十分な数である。

 こちらが撃沈される可能性も高いが、それを恐れては駆逐艦乗りなどやっていられない。むしろ、この好機を何としても活かしたいという闘魂の方が大きい。


「申し訳ございません。艦の動揺が激しく、装填作業が行えておりません」


 その報告に、吉川は小さく唸り声を上げた。しかし、ここで部下を叱責しても仕方がない。次発装填装置を使えば迅速に新たな魚雷を装填出来るとはいえ、高速で、しかも転舵を繰り返していた状況では魚雷の装填は行えない。

 敵の目の前で速度を落とすのは論外であるし、かといって安全な方向に退避して敵戦艦と接触を失うのもまずい。

 だが、そこでふと吉川はあることに気付いた。


「見張り員、敵戦艦の動きに変化はあるか?」


「はい。いいえ、変化はありません」


「そうか!」


 吉川は手のひらに拳を打ち付けた。

 敵がこちらを視認していないという可能性は低いだろうが、敵だと思っていないことは確かだろう。


「航海長、敵戦艦に並ぶぞ! 見張り員、敵戦艦の動きに変化があれば即座に知らせろ!」


 この豪胆な命令にも、航海長は疑問を挟まずに従った。

 先ほどまで、手を伸ばせば届きそうな距離で敵艦隊と撃ち合っていた夕立とその乗員たちである。敵戦艦に肉薄することにも、躊躇いはなかった。

 夕立は敵戦艦とそれを取り巻く護衛の駆逐艦に並ぶように速度を落とし、その一隊に紛れ込む。

 実はこの時、リー少将の砲撃部隊は夕立をレーダーにて捉えていた。しかし、TBSが飽和状態となっていたことから、接近してくる艦影の敵味方の識別が出来ずにいた。特に、TBSから同士討ちと思しき通信が聞こえたことも、アメリカ艦隊が夕立への射撃を躊躇った理由であった。

 そして、旗艦ワシントン以下の乗員としても、こんな間近に敵艦が、それも単艦で接近してくるとは思ってなかったのである。

 そのため、リー司令官やワシントンのデイビス艦長らはこれを損傷して退避してきた友軍駆逐艦であると誤認していた。


「うぅむ、どうにも上手くないな」


 自らも双眼鏡で敵戦艦とそれを取り巻く護衛艦艇を観察しながら、吉川中佐は残念そうに唸っていた。

 護衛の駆逐艦や巡洋艦が邪魔で、絶好の射点を確保出来ずにいる。かといって、ここで怪しい動きをすれば敵だとバレてしまう。

 ここは機関の出力を上手く調整しながら機会を窺うべきだろう。


「おい、誰か夜目が利いて、絵の上手い奴はおらんか?」


 仕方ないので、魚雷発射とは違う奇妙な命令が伝達された。

 この際、敵新鋭戦艦の艦型を詳細な記録に残しておこうと吉川は考えたのである。十月の南太平洋海戦では、駆逐艦秋雲の乗員が沈みゆく空母ホーネットの絵を残したというが、それと同じことをしようというのであった。

 この珍命令に応じたのは、信号員を務める乗員であった。

 日本海軍はこうして、サウスダコタ級、ノースカロライナ級の詳細な艦型を手に入れることに成功したのである。


  ◇◇◇


 アメリカ海軍第六七・四任務部隊は、二度にわたる指揮官戦死によって、軽巡ヘレナ艦長ギルバート・フーバー大佐が指揮を執っていた。いや、制度的には執っていることになっていた。

 通信回線の混乱は続いており、各艦に命令を下そうにも出来ず、また命令そのものもフーバー自身が海戦の状況を完全に把握出来ていないために出来なかった。

 そうしている間にも、状況は合衆国海軍にとって悪い方向へと進んでいた。

 探照灯を照射したジャップの巡洋艦二隻を炎上させたことだけは確かだが、それ以外の戦果はまるで判らなかった。

 そもそも、自分たちの任務部隊も敵艦隊も、どのような陣形をとっているのかがフーバー大佐には把握出来ていない。

 それはカッシングの転舵に始まる海戦の混乱が、未だ収まっていないことを示していた。

 実際、海戦の推移は後に米側の乗員が「明かりを消したバーでの乱闘を一万倍酷くしたもの」と表現するほどに混沌としていた。

 任務部隊先頭を走っていたカッシングは青葉を攻撃中に海風、江風、涼風からなる日本海軍第二十四駆逐隊の砲撃を受けて航行不能となり、その後ろを進んでいたラフェイは青葉の艦首数メートルの先をかすめてあわや衝突しそうになった。そして青葉の後方を進む艦からの砲撃を受けて炎上したラフェイを避けるためにオバノンは転舵し、バートンは艦中央部に魚雷を受けて真っ二つになっている。

 ステレットは軽巡由良からの砲撃を受けており、後衛のアーロンワード以下の三隻の駆逐艦は日本の朝雲以下四隻の第九駆逐隊と遭遇、これと交戦状態に陥っていた。

 戦隊、駆逐隊単位、ひどければ単艦で戦闘を繰り広げているというのが、海戦の状況だったのである。

 当然、フーバー大佐にはこの混乱を収めるすべなど思いつかなかった。

 ただ、ヘレナの前方を進んでいた四隻の重巡を襲った運命だけは判っている。

 弾薬庫の誘爆後、急速に沈んでいったサンフランシスコ、そしてそれに後続していた重巡部隊も被雷のために速度を大幅に落としていた。彼女たちが戦闘不能になっていることは明らかであった。

 一方の敵艦隊に、どれだけの損害を与えたのかは判らない。だが、まだ戦闘が継続していることを考えると、シーラーク水道の制海権を確保するという本来の任務が達成出来ていないことだけは確かである。

 ヘレナは六インチ砲十五門を備えた重武装の軽巡であり、最新鋭レーダーを搭載していたが、単艦で敵艦隊を相手にすることなど出来ようはずもない。

 レーダーがいかに優秀でも、PPIスコープ上に映し出される輝点が敵か味方か判らなければまったく用をなさない。

 このまま惰性で戦闘を継続していては、夜が明けてしまう。そうなれば、ジャップによる空襲が始まるだろう。

 そうなる前に飛行場を叩き潰し、帰路の安全を確保するというのが、作戦の骨子だったはずなのだ。

 ガダルカナル南方を遊弋する空母レンジャーの航空隊の援護が期待出来るとしても、空母一隻では上空直掩には限度がある。それにレンジャーはレンジャーで、己の身を守らなければならないのだ。

 この際、リー少将の戦艦部隊を水道に突入させ、一挙に敵艦隊の殲滅を図るのが得策かもしれない。フーバー艦長はそう考えた。

 狭い水道内で敵水雷戦隊の魚雷攻撃の餌食になる危険性はあるが、こちらの巡洋艦部隊が多少なりとも健在な内ならば、何とか敵水雷戦隊を阻止してみせよう。

 フーバーがワシントン座乗のリー少将に意見具申を決意した直後、異変は起こった。

 軽巡ジュノーを包み込むように、巨大な水柱が立ち上ったのである。


「レーダー室より報告! サボ島方面より、新たな敵艦隊が出現! 数は八! 内二隻は大型艦の模様!」


「何ということだ……」


 これで、自分たち第六七・四任務部隊がシーラーク水道の制海権を確保する可能性は完全に消え去った。

 今まで新たな敵艦隊の出現を察知出来なかったレーダー員を叱り付けたい気分だったが、島影によって探知できなかったのだろうと納得して自分を抑える。

 この時、近藤中将率いる砲撃隊は第二水雷戦隊からの雷撃成功の報告を受け、ついにルンガ沖への突入を開始したのであった。

 フーバーは水柱の大きさから、敵の増援艦隊が戦艦クラスであることを見抜いていた。この状況でリー少将の部隊が突入しても、戦艦同士の砲撃戦となって飛行場砲撃どころではなくなってしまう。


「リー少将に通信! 新たな敵艦隊出現。敵は戦艦を伴う。作戦続行は困難と認む!」


 その間にも、敵戦艦に狙われたジュノーの周囲に巨大な水柱が林立する。幸い、直撃弾はないようであるが、それも時間の問題だろう。






 混乱するTBSから、幸いなことに拾い上げられたフーバー大佐からの意見具申に、ワシントンの艦橋でリー少将は渋面を浮かべた。

 眼鏡をかけた学者的容貌を持つこの砲術の権威は、作戦の続行が困難となっていることを自覚していた。とはいえ、戦艦四隻を出撃させて成果なく反転することも容易に決断しがたかった。

 ヘレナからは敵戦艦の出現が報告されたが、日本軍がこの海域に投入できる戦艦はコンゴウ・クラスのみのはずだ。

 それが四隻とも出現したとしても、正面切った砲撃戦ならば敗北することはないだろう。だが問題は、戦艦を守るべき護衛艦艇の少なさであった。

 駆逐艦はガダルカナル島への輸送任務に多数が投入された結果、多くが撃沈されるか損傷するかして、今回の作戦に十分な数が用意出来なかった。飛行場砲撃を担当するリー少将の部隊に駆逐艦が少ないのは、そのためであった。

 突入か、撤退か。難しい判断をリーは迫られていた。

 その刹那、ワシントン艦橋にくぐもった爆発音が響き渡った。


「何事だ!?」


 デイビス艦長が即座に確認を求める。音だけで船体そのものに大きな衝撃はなかったことから、周囲の艦に何か異変があったのだろう。


「インディアナ、右舷に被雷の模様!」


「何だと!」


 艦橋は、にわかに騒然となった。


「全艦、面舵一杯!」


 リーが即座に命じた。魚雷が向かってきた方向に対して艦首を向け、被弾面積を最小限に抑えようとしたのである。


「敵の水雷戦隊はどこだ!? いや、潜水艦か!? 確認急げ!」


 九月に、空母ワスプと戦艦ノースカロライナが日本海軍の潜水艦に雷撃を受けたことは記憶に新しい。その雷撃によって合衆国海軍はワスプを失い、ノースカロライナは長期の修理が必要なほどの損傷を負ったのだ。

 今回、ノースカロライナは強引な修理によって今回の作戦に間に合わせたが、万全の状態とは言い難い。

 それほどまでに、日本海軍の魚雷は脅威であった。


「右舷駆逐艦、フロリダ島方面に向かいます!」


 レーダー室からの報告が上がる。

 戦艦部隊の右舷を守っていた駆逐艦が、最初に転舵した駆逐艦に続いて行く。

 敵の水雷戦隊を発見したのだろうか?

 だが問題は、最初に隊列を離脱した駆逐艦の独断専行によって、戦艦部隊の右舷ががら空きとなってしまったことである。


「いかん! ウォークとプレストンを呼び戻せ!」リーが即座に命令を下す。「それと、両用砲、砲戦用意!」


 水雷戦隊の存在が確認されたならば、即座に砲撃を開始出来るようにする。

 だが、最初に隊列を離れた駆逐艦からは、何の報告もない。いや、TBSが混乱して報告出来ないのかもしれなかった。

 あるいは、潜水艦からの雷撃だったのかもしれない。日本海軍は豆潜水艦を保有しており、五月にはシドニーがその攻撃に晒されている。

 そうした豆潜水艦がこの近辺の海域に潜んでいたのかもしれない。

 いずれにせよ、護衛艦艇の少なさが徒となった結果である。


「インディアナの状況は?」


 リーが訊いた。


「右舷に二発被雷。出しうる速力、十六ノットとのことです」


「まずいな」


 飛行場の砲撃に成功していない今、損傷したインディアナをどう逃がすかが問題となってくる。

 あるいは強行突入という手段もあるが、狭い水道で再び雷撃されれば被害は拡大する一方だろう。

 ここは功にはやることなく、一時撤退して捲土重来を期すべきである。

 その決断を声に出して命令するために、リーはしばし瞑目した。


「……全艦、反転してエスピリットゥサント方面へ退避せよ」


 それは、エスピリットゥサントの航空部隊の援護を得ることを目的とした命令であった。

 こうしてガダルカナル飛行場砲撃を期して出撃したアメリカ艦隊は、ルンガ沖からの撤退を余儀なくされたのである。

 だが、リーは退避を決意しただけであり、未だガダルカナル砲撃という目的を放棄してはいなかった。ガダルカナル島には補給を待ち、食料不足に苦しむ海兵隊がいる。何としても、彼らを救わねばならないのだ。

 そしてその思いは、南太平洋方面軍司令官ウィリアム・F・ハルゼー中将も同様であろうとリーは確信していた。






「いやはや、何とも痛快痛快」


 吉川中佐は夕立艦橋で呵々として笑っていた。

 何とか敵に警戒されることなく射点に付こうと航海長と共に四苦八苦してようやく、敵戦艦の雷撃に成功したのである。

 そして、敵は最後までこちらを味方と誤認していたようで、逃走を図る夕立を追撃するかに見えた二隻の米駆逐艦も、単にこちらに後続しようとしただけだったらしい。


「まるで、ドン亀乗りの気分でしたなぁ」


 ほっとしたのか、気の抜けた声で航海長が応じる。

 ドン亀乗り、つまり潜水艦乗りのことである。密かに接近して雷撃を放ち、離脱する。確かに、夕立の行動は潜水艦のそれに似ているといえた。


「敵戦艦部隊、反転します」


 見張り員が報告する。


「よし、そろそろ良いだろう。通信、愛宕に連絡だ。敵戦艦部隊の位置、そいつらが反転して撤退を始めたことを伝えてやれ」


「宜候」


 今まで不用意に電波を発して敵とバレることを恐れ、夕立は無線を封止していた。だが、ことここに至っては、その必要はないだろう。


「あとは、味方から誤射されないことだな。おい、味方識別の信号灯を用意しておけ」


 魚雷を撃ち尽くした夕立に、もはや十分な戦闘能力は残されていない。

 吉川は豪胆ではあるが、決して無謀ではなかった。夕立はそのまま、戦闘海域から離れたフロリダ島付近で、米艦隊が撤退していく様子を見守っていた。






 こうして後世、第三次ソロモン海戦第一夜戦と呼ばれることになる海戦は終結した。

 時に、一九四二年十一月十三日〇〇二六時。

 わずか三十分程度の戦闘ながら、その熾烈さと混乱においてこれまでのソロモンを巡る海戦を上回っていた。

 だが、両軍共にこれでガダルカナルを巡る攻防戦に決着がついたとは考えていなかったのである。

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