第6話
「まさか、こんなことになっているなんて。昨夜バンフレッフ様と話した後にすぐ訪ねていればあるいは、違った結果になっていたのかしら」
ヤーヤムは卓上で組んだ両手に額を当て、深いため息をついた。
「さあな。だが殺された男は昨日の午後から姿がなかったそうじゃないか。仮に夜に出かけて行っても、手遅れだった可能性もある」
男は周囲を取り囲む書棚を眺め、中から一冊引き抜いて、開いて少し改めては戻している。
二人は王都の誇る大図書館にいた。
老カルヘインの息子ダヤナレンについて、ヤーヤムは前夜バンフレッフから情報を得た。
パラスターの調査報告には、ダヤナレンは老カルヘインが殺された夜、犯人を見たと話している……と記されていたのだ。
「パラスター様はこの話をカルヘイン工房の徒弟から聞いて、ダヤナレンと接触するつもりだった。まさに、私が訪ねて行った昨日、その夜にね。結局それは果たされなかったのだけれど……」
ヤーヤムの憂い顔を、白々とした魔法の光が照らしている。
大図書館の書架室には、火を持ち込むことは許されない。受付でそれについて厳重な注意を受けたヤーヤムは、角灯の貸出を申し込むと、自分の魔法で灯りをつけた。
いくつもある書架室の中でも最も広く、また入室には特別な制限のないこの部屋は、四階までの吹き抜けの壁面が全て書棚になっている。
一階には閲覧のための長机が並び、同じく魔法の灯りを持った者が一人二人、互いに距離を置いて座っているのが見えた。
「今度こそ、有望な手がかりだと思ったのよ。ダヤナレンは事件直後に犯人と鉢合わせしかけた。それから赤い手の男を見たと、ひどく恐れていたらしいの。あまりに様子がおかしいのを見かねて、徒弟の中でも古株の若者が聞き出したという話」
赤い手というのが何を意味しているのかは、結局わからないまま……とヤーヤムは再びため息混じりで言う。
「返り血でも浴びたのだろう」
「違うわね。老カルヘインは『魔法使い殺し』の手口で殺されている。遺体は焼け焦げてはいても、大きな傷はなかったはずよ。手口といえば、今朝のダヤナレンこそ問題だわ」
ダヤナレンは、刃物で喉を掻き切られて殺されていた。
「彼の死が『魔法使い殺し』と繋がりのある事件なのか、それとも全く無関係に盗賊の類に襲われた結果なのか、判断がつかない」
当然だが、父の死を確認したルークヘッツからは、とても話を聞ける状態ではなかった。パラスターが話した徒弟を訪ねる必要はあるにしても、少なくとも今日はいずれも無理であると判断し、ヤーヤムは次の目的地へとやって来たのだ。
「……なんだかことごとく、妨害を受けているように感じるわ」
「妨害?」
ヤーヤムの側に戻ってきた男は、しかし椅子に腰は下ろさず、長机に尻を引っ掛けて彼女を隣から見下ろした。
「わからない?まるで私たち、誰かに先回りされているみたいじゃないの」
苛立ちが隠しきれない様子で顔を上げたヤーヤムに、男が書架室の入り口を指した。
「……少なくとも、次の面会相手は無事のようだ」
言われて見れば、角灯の灯りを掲げた女が一人、入ってきたところだ。
背の高い、ややがっしりした体格の女は、重たげなつくりの長衣に身を包み、編んだ赤毛を肩に流している。秀でた額には錦の覆いをかけていて、それが大図書館における彼女の地位を表していた。
「待たせてすまない。私がこの大図書館の館長、マルシュア・ベルヘだ」
二人の姿に気付くやいなや、足早にやって来て、せっかちそうな口調で女はそう名乗った。
「こちらこそ、突然の訪問のお詫びを申し上げますわ。私はヤーヤム・チュアレン。彼は護衛を依頼している冒険者、『剛腕』のテレンドア」
立ち上がったヤーヤムの丁寧な紹介を受け、男はどうも、とだけ言って軽く目礼した。
「早速だが話に入ろう。私に尋ねたいことがあるのだとか?」
多忙なのか生来の性格かわからないが、マルシュアはすぐさま本題に入ろうとする。
「八人会議の最も新しい構成員であられる『優美なる』マルシュア様。もちろん『魔法使い殺し』についての情報は共有なさっていますわね?」
やや鼻白んだような顔になり、マルシュアはヤーヤムに着席を促すと、自分も向かい側に腰を下ろした。
「当然だ。王の威光を支える重臣が、既に四人もだぞ。死した者を悪く言いたくはないが、パラスターの調査では生ぬるかったと言う他ない。あなたの父君は一体どうお考えだ?」
手を振りながら一気に言う様子は、静謐な大図書館を預かる身にはそぐわぬものだが、彼女自身の戦士のような質実剛健さには似合った。
「事件の……兄の事件以来、父は屋敷に戻っていません。王宮に詰めたきりです。王をお守りするという心算でいらっしゃるのだとは思うのですが」
「そもそも下手人の狙いは我ら八人会議の瓦解なのではないか?そういう意味では、王をお守りするのも、チュアレン殿自身が王宮で身を守るのもさしたる差はないのやも知れぬが」
犯人の真の目的についてですけれど、とヤーヤムが身を乗り出した。
「私が考えるに、八人会議そのものではない……でなければ、魔法使いではなかった兄の事件と手口が一致している説明がつきません」
「では、何が目的だと?」
二つ名に似合わぬ怒れる雌獅子のような険しい相貌がヤーヤムを正面から見据える。
「『赤き夜』に関わりがある。私はそう確信しているのです」
あかきよる、とマルシュアは鸚鵡返しにつぶやいた。
「私の前任者……八人会議の方のだが、『導師』ハシュエンが死亡した三年前の火事のことだろう?あの頃私は王都にいなかったから詳しくはないのだが……」
「存じておりますわ。『魔法使い殺し』の被害者は、兄の他は全員八人会議の一員……その中でも、『赤き夜』の事態収束に関わった方々なのです」
「今……八人会議で残っているのは」
「マルシュア様のほか、お二人は『赤き夜』にはおそらく関わっておられない。ですからお三方は『魔法使い殺し』の標的にならない……パラスター様なき今、次に狙われるのは」
ヤーヤムの父、クレドス・チュアレン。
八人会議筆頭として『赤き夜』の対応に当たった、王の重臣、右腕たる魔法大臣。
「そうまで言い切るのであれば、根拠があるのだな?つまり……あなたの亡き兄上も『赤き夜』に関わっていた?」
「兄だけ立場は違いますが、三年前のあの夜、あの場所にいた……すべての被害者に共通する条件が、それなのです。兄はあの日、火の出る前の昼間、ハシュエンの私塾である『泥の塔』に出向いていました」
サザーリ・チュアレンは、篤実なる魔法大臣クレドス・チュアレンの不詳の息子であるというのが、王都の民のごく一般的な認識だ。
彼は父や妹と違って魔法の才能には恵まれなかった。悲しいかな、そういう立場をこじらせてしまった者の行動はどうやら似通ったものになるらしい。
吟遊詩人の唄にも、人形芝居の類にも大昔からよくある話、つまり彼は良くない仲間とつるみ、夜毎盛り場を練り歩いて財を浪費し、賭け事や酒や女に興じた。
なにしろ領地を持つ貴族でもある大臣の息子のこと、父親の地位を継ぐことが約束されている以上、働く必要もない。とはいえ本来は領地運営に関わって様々なことを学ばねばならないはずだが、父親はまだ年若いのだからと、自由にさせていたのだ。
サザーリとヤーヤムの母親は早くに病没していた。またクレドスは王宮に詰めることも多く身を削って職務に邁進している。
湯水のごとく金だけ与えて、様子を嗜める女親もなく、十六にもなる頃には立派な放蕩者が完成した。それが約三年前のこと。
ヤーヤムは一つ年上の兄が外でどんな風に振舞っているのか、深窓の令嬢なりに耳目におさめてはいたものの、たまに帰宅する兄は子供の頃と変わらず優しく、遠巻きに心配するのがせいぜいであった。
だがはじめは悪い仲間と遊び歩いているらしい程度の話だったのが、何やら不穏な様相に変わっていく過程を、ヤーヤムは召使いたちの噂話で偶然知った。
それまで未亡人だ娼婦だと女遊びも人並み以上に嗜んでいたサザーリが、どうやらどこぞの令嬢に入れ込み、目の色を変えて追い回しているというのだ。
それが相応しい相手ならば、そのまま上手いことまとまって成婚にこぎつける方が、夜の街に入り浸る生活よりもよほど健全というもの。
しかしその令嬢というのは当時まだたった十三歳、爵位こそ持たぬものの八人会議の一席を占め、王都でも名高い魔法使いを幾人も育てた『導師』ハシュエンの一人娘だったのだ。
「兄は、そのお嬢さまからはひどく嫌われたようなのです。当然ですわね。ハシュエン様はその方を掌中の珠のごとく大切になさっていたと聞きます。なんでも、早くに亡くされた奥様の忘れ形見だったのだとか」
幼く純真であればこそ、サザーリの放蕩は目に余ったであろう。
「私には当時の詳しいことはわかりません。ただ、あの『赤き夜』、塔の炎上で、そのお嬢さまも、ハシュエン様も亡くなってしまった」
その事件では、私塾『泥の塔』に住み込みで研究をしていた学徒やらを含め、十数人が死亡している。
「兄はあの日、昼のうちにお嬢さまを訪ねて『泥の塔』に出かけ……そして数日帰りませんでした。家を空けること自体は珍しいことではありません」
ただ、帰宅した兄の様子はその日を境に一変したのです。
ヤーヤムの顔色は、魔法の灯りのせいばかりでなくいまや蒼白だった。
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