第4話

 家令はさすがの冷静さで、壁に取り付けられている呼び鈴を打ち鳴らすとともに、誰かあるかと大音声で廊下に呼ばわった。すぐさま他の召使いや警護の私兵が駆けつけ、当然、屋敷は騒然となる。


 王宮に早馬を飛ばせだの、領地にいる奥方と子息に使いを出すだのの算段が整えられるなか、ヤーヤムは書斎の壁際、書物の詰まった棚に背を預け、寄る辺ない子供のように膝を抱えていた。

 屋敷の誰もが、悲惨な現場のありさまに打ちのめされ、主人の非業の死に取り乱しながらも、やるべき仕事のために動いている。この場でたった一人、ヤーヤムだけが、膝に額を埋めて、ただ震える己の体を抱きしめて座り込んでいるのだ。

「どうしたんだ?」

 この半日ほどで、それほどたくさんの会話を交わしたわけではなくとも、さすがに聞き覚えた声に、ヤーヤムは顔を上げる。

 血の気が引いて青ざめた肌は、苦悩と疲労でもとよりやつれ気味だった彼女をまるで死人のように見せていた。

「……ひどい顔だ」

 掠れるような低い声で男が言うのにも、反応が鈍い。

「あなた……どうやってここへ?」

 やっと囁かれた言葉に、男は肩をすくめて律儀に答える。

「用が済んだからな。表の門まで戻ったら、上を下への大騒ぎになっている。俺があんたの連れなのは門兵もわかっているから、すぐに通してくれたよ。あとは人の流れを見れば、どこへ向かうべきかはわかるだろう」

「そう……」

「パラスターとは親しかったのか?たしかにあの死に様はひどい有様だが……」

 二人のいるのは書斎の隅であったが、窓を開け放っても室内にはまだ人の焼ける匂いが充満し、かすかな煙すら漂っているほどだ。

 しかし無残な遺体に衝撃を受けたのだとしても、立ち上がることすらできないなどという者は、屋敷の使用人にもいない。

「チュアレン様、大変申し訳ございません。ああ、顔色が酷うございますな。部屋を用意させますので、せめてそちらでお休みになられては」

 傍に立つ男の存在もあってか、様子を察して声をかけたのはここまで案内してくれた家令である。

「そうさせてもらえ。どのみち、王宮から誰か派遣されてきたら、あんたも話をしなければならんのだろう」

「恐れながら、そういうことになるかと……私めとチュアレン様が、主人の……その、遺体を最初に見つけたという状況でございますので」

 少なくとも、二人ともパラスター殺害の犯人でないことは明らかだが、それを証明する者は互いしかいないのだ。

「ああ……そうね、あなたのためにも私の証言が必要なのね」

 差し出された男の手を取り、家令に反対の肩を支えられ、ヤーヤムがやっと立ち上がる。


 一つ階を上り、客用寝室に案内されたヤーヤムは、男二人に支えられながら、寝台に身を投げ出した。

 家令は小間使いを部屋の用意と付き添いに残し、自身は現場の指揮をとるためにまた戻っていった。

「部屋の方はこのままで構わんだろう。それより何か……気つけになるようなものを貰えるか?」

 男がそう命じると、小間使いは厨房から何か貰ってくると言って、素早く退出した。

「ほら、お嬢さん。靴は自分で脱げるか」

 男はヤーヤムを手際良く寝台の奥や手前に転がして、体の下から引っ張り出した上等の上掛けに包み込んだ上で尋ねた。

「……おい?」

 顔を覗き込むと、相変わらずひどく憔悴してはいるが、唇からは微かな吐息が規則的に聞こえてくる。

 つまり彼女は眠ってしまったのだった。

「やれやれ……」

 ため息をつき、男は長身を屈めると上掛けの足側をめくって、革の長靴のかかとを引っ張った。わずかの抵抗ののち、白く小さな足が現れ、反対も同じように脱がせる。

 両の長靴を寝台の横に揃えて置き、眠るヤーヤムの、今は上掛けに隠れている頭の方を少しだけ見つめて、やがて男は客用寝室を後にした。


 ヤーヤムが目を覚ました時には、時刻は深夜になっていた。寝室内は暗く、窓際にぼんやりと蝋燭の明かりが見える。

「起きたのか」

 身じろいでいると、静かに声がした。

「ええ……」

 燭台を持って人影が立ち上がり、寝台までやってくる。

「私、眠ってしまったの?」

「ああ。疲れていたんだろう、そこへあの騒ぎだ。無理もない」

 寝台横の小卓に蝋燭を置き、答えたのは黒衣の男だ。

「情けない……今、状況はどうなっていて?」

 深い眠りの効果か、体を起こす動作には力が戻っている。

「日没後になってようやく、王宮から王の騎士が派遣されて来た。発見時に屋敷にいた全員から話を聞くとかで、ずっとやっているな。家令が気を利かせて、あんたについては目が覚めてからでいいそうだ」

「なんてこと。すぐに行くわ」

 上掛けを跳ね上げ、ヤーヤムは床に下ろそうとした足が裸足だと気づいて、慌ててそれを引っ込めた。

「靴は……」

 慌ただしく視線をさまよわせるのを押しとどめて、男は端に置いてあった長靴を引き寄せ見えるところに置いてやる。

「ここにある、まあ少し落ち着け。気つけに一口やるといい」

 男は言うと、小卓に置かれていた小さな硝子の杯に葡萄酒を注ぐ。

 言われるまま口に含めば、強い酒精が喉を焼いた。

「あんたが起きたことを伝えてこよう。その間に身支度を整えるといい」

 そっけなく言い、さっさと出て行ってしまった。

「……靴、誰が脱がせたのかしら」


 しばらくして、家令がヤーヤムを呼びにやって来た。王の騎士には聞き取りのために一階の娯楽室が充てられたようで、降りていくとちょうど数人の使用人、衣服の様子から厨房の者たちが出て来たところだ。

「そういえば、私の連れはどうしたかしら」

 ふと姿がないのに気付き、家令に尋ねる。

「お連れ様は……先程チュアレン様がお目覚めになられたのを伝えに来られまして、はてその後どうなさったのでしょう」

 家令もまた首を傾げ、行き先を知らぬと言う。

「彼は既に、騎士様の調べを受けたのかしら?」

「いえ……そうですね、何故だかあの方のことは話題に登りませなんだ。確かあの時、騒ぎになったそのあとで門にやって来られたのだとか?」

 言われてみればその通りなのだった。車軸の折れた辻馬車の若い御者が動揺するのを宥め、溜まりまで連れて行くのを買って出たのだ。

「チュアレン様、どうぞお入りくださいませ」

 娯楽室の扉が開き、中にいた年配の女性召使い――こちらは着ているものや身だしなみの様子からして上級使用人、女中頭だろう――がヤーヤムを招いた。

 入ってゆくと、ここも書棚に囲まれた部屋であったが、書斎と違うのは、やや広めの空間に賭け事用の卓や長椅子、酒や煙草を嗜むための道具が揃えられているところだ。暖炉の前には安楽椅子が二つ向かい合わせに置かれていて、その一方から男が立ち上がった。


「お待たせしてごめんなさい。私はヤーヤム・チュアレンです」

 一礼したまま頭を上げぬ男に先に名乗る。

 五十がらみの大柄な男で、仕立てのいい平服に身を包み、安楽椅子には剣が立てかけられている。顔を上げれば、赤みがかった金髪に鼻の下に髭を蓄え、褐色の瞳は愛想よく微笑んだ。

「紹介もなくご挨拶させていただく無礼をお許しください、チュアレン嬢。吾輩はバンフレッフと申す者。メドリーニ王の騎士を任じられる名誉にあずかっております。此度のパラスター・ハングルーク様の死について、まずは現場を取り仕切るよう、王のご下命を受けております」

 すらすらと口上を述べるバンフレッフに、ヤーヤムは着席の許しを告げ、自分も向かいに腰を下ろした。

「遠慮せずに、あなたのやり方で進めるとよろしいわ。私のことをご存知でいらっしゃるの?」

 騎士の背後で女中頭が葡萄酒の用意をしているのを眺めながら、ヤーヤムは尋ねる。

「王の信頼厚き重臣であられるチュアレン様のご息女を存じないわけがありましょうか?もっとも、お目にかかるのは今日がはじめてでございますが」

「そう……はじめてくださって結構よ」

 バンフレッフは恭しく会釈をして、手元の帳面を広げた。

 

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