第3話
二人は第一の事件現場である『高潔』のハランヘッカの下宿を訪れた。三ヶ月前の事件以来、下宿は閉鎖されている。
学生街の近くであるゆえ、道行く者たちもそれらしく、大学の制服である学士服を纏う者や、書物や帳面代わりの石板を抱えて歩く者がそこかしこに見られる。
下宿の外観は際だった特徴があるわけでもなく、付近に立ち並ぶ集合住宅と同じく王都によくある様式だ。ただ全ての窓の鎧戸が閉じられ、扉が鎖で封印されているのだけが、この建物が今は無人であることを示している。
「ここは今、魔法学院によって管理されているわ。一応、中を見られないか正面から当たってみたけれど、断られた。当然ね」
ヤーヤムは淡々と言い、あっさりとその場を離れた。
特に何かを尋ねるでもなく後をついてくる男の存在を強く意識しながら、彼女はそのまま数区画を早足に歩く。
「次はここよ」
ついた場所は、先程の下宿とよく似た集合住宅だ。
「ハランヘッカの遺体を発見した召使いは今、ここの大家に雇われている。その人物に会っておきたい」
立ち止まって建物を見上げる。こちらはもちろん住人がいるので、窓は開け放たれ、人の気配もする。
「何も訊かないのね?」
ヤーヤムは振り返り、頭巾の下から黒衣の男を仰ぎ見た。
「俺の仕事は事件について考えることじゃない。自分のやるべきこと、知るべきことは全てわかっているからな」
冷めた調子で言うのをじっと観察しても、男は見られていることすらどうでもいいかのようだ。未だ頭巾を取らないために顔もよく見えない。
「問題でも?」
「……私の目的に口を出さないのなら構わないわ。行きましょう」
用向きを伝えて、集合住宅の中庭に呼び出した召使いは、迷惑そうな様子を隠そうともしなかった。
「本当に、ご勘弁願えませんか。私用で仕事を離れると、きついお叱りを受けるのです」
ハランヘッカがどんな主人だったかはともかく、この男の新しい雇い主が召使いとは可能な限り搾取するべきものと考えていることは間違いない。
「ごめんなさい、少しだけよ。あなたの主人には後でいくらか迷惑料をお支払いするわ」
衣服も垢じみ、疲労で落ち窪んだ目をした召使いは、おどおどしながら、それならまあ……と抜け目なく言った。
「まず尋ねたいのは、ハランヘッカが亡くなった夜のこと」
「またでございますか。それについて、あたしァもう何度、同じ話をしたか。衛兵に、魔法学院に、果ては王に仕える騎士様にも……」
「それでも自分で確かめておきたいのよ。あなたも耳にしているでしょう?事件がどんな風に言われているか」
「『魔法使い殺し』の噂ですか?もちろんですとも。そのせいで、しまいに他の召使いや近所の者どもにまで話をせがまれるんですから」
召使いは散々文句を言いながらも、ヤーヤムに語り飽きた話を始めから聞かせた。
「……大体こんなところでございます。どうです、既にご存知のことばかりでしょう?なにしろあなたはチュアレン家のお嬢さまなのですから」
最後のところは沈鬱な様子で囁くように言われ、ヤーヤムは頭巾の下で目を伏せる。
「その……兄君のことはお悔やみ申し上げます。ただ老婆心で申し上げますが、あなた様のような方が、こんな場所まで足を運ばれて衛兵の真似事をするのは、良いこととは思えません」
「ご心配ありがとう、お悔やみも。あなたのかつての主人にもお悔やみを言わせて。そして……最後にもう一つだけ、教えてくださる?」
どうぞ、と召使いは言った。
「ハランヘッカが三年前の『赤き夜』に、どこで何をしていたのか教えて」
その問いに、召使いは意外なことを言われたような顔をした。
「『赤き夜』でございますか?あれは確かに痛ましい出来事でしたが……主人、いやハランヘッカ様はあの件の収束に尽力なさったうちの一人でございました。結局、魔法の訓練か実験の事故と結論を出されたと」
「それは事件後の話でしょう。あの夜、あの時間にどこにいたのかが問題になるのよ」
ヤーヤムの剣幕に、召使いは必死の様子で記憶を辿った。
しかし結局、魔法学院に昼から出かけ、その日の夕食は夕刻からの会議に参加するから用意しなくてもよいと指示されたことを思い出しただけだった。
ではいつ戻ったのかと尋ねられれば、出向いてそのまま、『赤き夜』の対応にあたったようで、数日帰宅しなかった、と答えた。
約束どおり、召使いの新しい雇い主に幾ばくかの
「召使いではだめね……他の関係者を当たらなくては」
「あんたは、その『赤き夜』が『魔法使い殺し』に関係してると考えているのか?」
歩きながらほとんど独り言のつもりでつぶやいた言葉に反応があって、ヤーヤムは思わず立ち止まった。
「さっきまでこの件に何の関心もないような顔をしていたのに、一体急にどうしたの?」
張りつめていたものが緩み、大きく息をつく。浅かった呼吸が深くなれば、狭まっていた視野は戻り、頭の回転も滑らかになる。
「そうね……『赤き夜』についてなら、少しは聞いたことがあって?」
男はまた肩をすくめた。
「他の街の人には、興味のない話なのかしらね。いいわ、話してあげる」
「この王都リューンハウは、魔法学院の存在からもわかるように、魔法使いが大きな力を持つ街よ。王の直属の機関として、魔法使いで構成された八人会議というものがあるくらいにね」
権力者が参謀として魔法使いを置く例は珍しくはない。本職の魔法使いは、魔法の習得過程で様々な知識を持つに至るものだし、戦で軍を動かすにも魔法は重要な要素だからだ。
とはいえこの国ではとりわけ重用されていると言っていい。
十数年前に即位した時、王はまだ少年であったが、八人会議が真っ先に支持を表明し、また王自身も彼らを信頼して
本来ならあっておかしくなかった、若き王への反発や簒奪の試みを抑えもし、また時には苛烈な粛清を行い、そうして安定した治世を守り通したのだ。
「『高潔』のハランヘッカもまた、八人会議の一員だった」
八人会議の特殊である点はといえば、彼らの役職そのものに対しては報酬が発生しない、という事実だ。
全員が別に本業を持ち、その傍ら、真の名誉にあずかる立場として、無償で八人会議の座につくのだ。
「ただしこれは、必ずしも腐敗と無関係とは言えないわ。このことが今回の件とつながるのかは、まだわからないけれど」
八人の構成員の立場は様々だ。貴族も、平民も、元冒険者もいる。彼らの資産状況だってそれぞれであり、よからぬことを企む者が黄金の誘惑でもって取り入ろうと考えるのもまた、当然あり得る話なのだ。
「『赤き夜』は、この八人会議にも名を連ねる……連ねていた、かしらね、『導師』ハシュエンが棲まう『泥の塔』が炎上した事件よ」
ここまでで何か質問は?と隣の男を見上げたところで、ちょうど辻馬車の溜まりがヤーヤムの目に入った。
「乗りましょう、次の目的地は少し遠いわ」
王都自慢の辻馬車であるが、座席は御者を挟んでの相乗りなので、事件についての話は一旦中断となった。
馬車は学生街を離れて駆けて行く。向かう先は石畳も整備された美しい通りだ。立ち並ぶ建物はしだいに大きくなり、塀で敷地を囲い、この辺りではもう一区画を一つの屋敷が占有している。
中でも一際大きな屋敷の門で馬車は止まった。門柱の横には通用口があり、そこを警備する門兵の一人が中から用向きを尋ねた。
「私はヤーヤム・チュアレン。ご当主のパラスター様を訪問する旨、予め書状を出してあるわ」
ヤーヤムはひらりと馬車を降り、兵に告げた。彼は確認すると言い残し、屋敷へと走っていく。
「ここは八人会議のひとり、パラスター・ハングルーク様のお屋敷よ」
反対側から馬車を降りて隣に来た男に告げる。
「ハングルーク伯爵家は、当主のパラスター様ご自身は近衛隊の魔法使いを束ねる立場でもあるの。私の父とは親しくなさっていて、私も面識がある。だから訪問の約束を取り付けることができた」
ヤーヤムは懐から硬貨を出し、御者に代金を払った。
「この近くにも、確か辻馬車の溜まりがあったかしら?」
「へえ、お嬢様、あっちの一区画先に」
「そう。では用が済んだらそちらで帰りの馬車を拾うから、あなたは帰っていいわ」
「あっしも溜まりにおりますんで、良ければまた」
まだこの商売についていくらもたたない若者であろう御者は馬に鞭を当てた。しかし車輪の回る音の代わりに響いたのは、木のきしむ耳障りな音だ。
「あれ、こりゃあどうしたことだ?!」
まだ幼い響きを残した高い声が窮状を訴えるのにヤーヤムが目を向けると、御者は慌てた様子で座席を飛び降りたところだった。
「車軸が折れているぞ」
一瞥して言ったのは、黒衣の男だ。
「なんてえこった、こんな上等な道だってのに!」
毎朝ちゃあんと点検をしてるだの、親方に叱られっちまう、だのとうろたえる若者をヤーヤムが宥めようとしているところに、屋敷に伺いをたてに行っていた門兵が戻ってきた。
「お嬢さん、俺がこの若いのを辻馬車の溜まりまで連れて行こう。あんたは用を済ませてくるといい。このお屋敷で、あんたが危険な目にあうなんてことはないだろうからな」
意外にも親切な申し出をする、と男の頭巾の影の顔をじっと見る。
「……それしかないようね。いいわ、案内してちょうだい」
後半は門兵に言い、ヤーヤムは門の中に通された。
半泣きの若者を励まし、他の門兵に馬と馬車を見ていて欲しいと頼んでいる男の声を背に、左右対称に美しく仕上げられた前庭を歩いていく。
晴れていれば、秋の花々と凝った剪定を施された植栽に彩られた素晴らしい景色が目を楽しませてくれただろう。あるいはヤーヤムの意識は完全にこの後の会談に向いていて、いずれにしてもそれどころではなかったかもしれないが。
屋敷内に通されてからも、応接室でしばし待たされた。出された茶を飲み終わり、いい加減窓の外にも見るものがなくなった頃、ようやく召使いがやって来て、二階へと案内される。
「お待たせして申し訳ありません。主人は先程、転移の魔法で王宮から戻られたのです」
お仕着せに身を包み、顎鬚を蓄えた白髪の召使い――態度や言葉使いからして上級使用人、家令だろうか――について、壁に肖像画が並ぶ廊下を歩く。
「構わないわ、今の時勢、パラスター様がお忙しいのはわかっています。こちらこそ、無理を言って申し訳ないくらい」
「チュアレン様はご存知かと拝察いたしますが……主人は先日、王都で起きたいくつかの事件について、国王陛下から調査のご下命を」
「ええ、聞いています。兄の件も、先日あらためてその中に含まれたのですわ」
「なんと、そうでございましたか……これは失礼を。兄君さまには改めてお悔やみを申し上げます」
「ありがとう」
絨毯の敷かれた長い廊下の角を折れると、まず違和感を訴えたのは家令であった。
「これは……なんでございましょう、このにおい」
あたりにはうっすら、家令には嗅ぎ慣れぬ異臭が漂っている。
「!まさか、いけない……パラスター様のお部屋に、急いで!」
ヤーヤムの切迫した声に打たれ、老家令は足を早める。
目的の部屋はもう目の前だった。動揺しながら、それでも扉を叩き伺いの声をかけるのを怠らずに押し開けた中には。
そこは深い赤褐色の木目が美しい見事な家具で整えられた素晴らしい書斎だった。
壁は作り付けの書棚となっていて、ハングルーク家が蒐集してきた書物が収められている。部屋の中央に大きな机と背の高い椅子、低い小卓を囲む長椅子。
そして入って突き当たりの壁には窓があり、窓下には長椅子が置かれている。
この屋敷の主人、パラスター・ハングルークは窓辺の長椅子の上で、まだぶすぶすと煙をあげる黒焦げの遺体となっていた。
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