産まれた鳶と鷹
暖かくされた部屋で、眞子都は何か飲み物を渡される。コーヒーや紅茶のようだが匂いは異なっていた。色は鳶色、ツバサの色だ。
「スビテンだよ」
「お酒……?」
「いや、ノンアルコールだ。日本にはなかったか?」
不思議そうに眺めていたので丞が説明してくれた。久しぶりに会うので会話はたどたどしい。丞も大人になったのか、毒舌さは少し和らいでいた。向こうも同じように同じものを煽っているので、変なものではなさそうだ。
意を決して一口飲んでみるが、思っていた味ではない。
「……甘い」
日本にはない味だ。甘いがスパイシーで、眞子都の唇を刺激する。体の芯から温まるような、ホットドリンクだった。部屋の中にはその匂いが充満していたのだが、それから出ているものだとは気付かなかった。
「スパイスやジャムを入れているんだぜ。変わってるだろ?」
「そうね、不思議な味」
他愛もない話題しか互いに振ることができない。駐屯地に女性を連れて戻るのは危険なので、戦場の近くに備え付けられた木造の小屋に一時通されていた。万が一があったときに兵士や民間人が休息するための建物だが、現在は機動召使同士の戦いとなっているので、その機会も少なくなっている。
必要最低限の食糧はあるが、長い期間匿ってはいられないだろう。それには気付いているけれども、しばらくぶりの邂逅はふたりの口を重くさせる。
もちろんここにツバサもいない。いや、もしかしたら目の前の人物が、ツバサなのではないかとふと思ってしまうことがある。それほど彼らの容姿が似ていた。違うのは髪と瞳の色だ。丞は日本人らしく黒髪だった。それと声。丞はツバサよりも年上に見えたが、軽めである。
しかし、つい仕草を目で追うと、どきりとして心臓が止まりそうだ。ツバサが命を持って生きているように思えて、仕方がなかった。
「あぁ、ⅡB‐SAをありがとう」
「えっ、あっ、いえ。でも、初めはその、引き取る気はなかったと言うか……」
どうしてかそのように言ってしまう。いまは心が引き裂かれるくらい痛むのに、作者と聞いたら気が引けてしまったのだ。破損した櫛を撫でながら、眞子都はもごもごと口籠る。
そう、初めは、こんなことになるなんて思ってもみなかった。ツバサと出会わなければいまでも世間知らずだったし、遠い異国の地を踏むこともなかったかもしれない。どちらにせよ両極端な結果で、眞子都は呆れたように薄く笑った。
「卑下しなくていい。大切にしてくれたのは、僕が分かっている」
「そ、そう、かしら?」
それがツバサの本心のように聞こえてしまって、申し訳なさと嬉しさで眞子都は泣きそうになる。しかし相手は人間だ。それが彼女を一層混乱させた。人として現れてくれてもいいと願っているのに、機械の相手を無意識に求めている。
「どうして来たの?」
「どうして、って、それは――」
「僕に会いに来てくれた?」
同じ顔でそう訊かれると、恋慕が湧いてしまう。いったいどちらが本物なのだろうか。ツバサを返してほしい。しかし目の前の彼はツバサの顔をした、れっきとした人間だ。恋がうまくいく条件が揃い過ぎていた。はっきりと言うのだ。自分が信じる運命の相手は、もう決まっている。
「ツ、ツバサを……返してもらいに来たの」
やがて邪念を振り払ってそう告げるも、言ってはいけないことを口走ったのではないかと焦りを感じてしまった。もしかして本当は、いや、そうじゃない。と、いつまでも堂々巡りを繰り返しながら、心の奥底に眠る想いを信じ抜く。
丞は目を光らせて冷静に、眞子都の動向を見ていた。動揺している、確実に。自分と件の機動召使の顔が似ているからだろう。あまり気乗りはしなかったが、いまここのために作られたと思えば清々しかった。
「ⅡB‐SAのこと?」
「そ、うよ」
「僕がそうだと言ったら?」
櫛を撫でる手を止め、眞子都は目を見開く。冗談だと分かっているのに、可能性を捨て切れない自分が憎い。初めから天使として生まれなければ、その願望も杞憂に終わったというのに。
やはりそうなのか、という考えが拭い切れない。いいや否定しなければ。ツバサはそこまで計算高く、駆け引きをするようなものではない。
「違う……、違うわ」
けれど喋り方などどうにでもなる。現にツバサだって、以前は敬語を流暢に使えていた。それに伴って、何か思考を巡らすような脳を持っていても納得はできる。拒否してしまったが、真実が見えなくて不安になってしまう。
「どうしてそう言い切れるの?」
やけに優しい声音で質問をされる。丞は飄々とスビテンを煽って、人間らしい仕草を見せつけた。柔らかく言われるとますますツバサを思い出し、心臓が縮み上がってしまう。
実のところ言い切れはしていない。まだわだかまりが残っており、眞子都を不安にさせている。目の前の人物をすんなり受け入れれば、きっと幸せなのは分かっている。しかしそれでいいのだろうか。
幸せになることに対しての恐怖ではなく、自分が間違った選択をするのではないかという憂慮が大きかった。
「……やっぱり西園寺には分かるか。嘘だよ」
フッと笑って丞は根負けした。これ以上、可愛い女の子をいじめるのはよそう。惚れていたはずなのだ。いまとなってはその気持ちが残っているのすら怪しかったので、むしろ彼女のほうから好いてくれないかと考えた。
幼い恋情を向こうも懐いていてくれないかと期待したのだ。顔は似ているし、若干ぐらついていたようだから、やってみる価値はある。下ろしていた前髪をぐっと掻き上げて、さらにⅡB‐SAに寄せてみた。作者が作品に似せるなど前代未聞だろう。
「せっかく会えたんだ。……少し、昔話をしようじゃないか」
時間はたくさんある。ここに引き留めていれば眞子都と話ができる。自分がいかに心細かったのか、向こうにも知ってほしいのだ。齢六で親元を離れるのはさすがに苦しかった。しかし丞が一番ソビエト行きを渋ったのは、眞子都の存在があったからだ。
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