独りの男女

 独りになってしまった。孤独と、初めて向き合う日。両親がいなくなったときも、使用人がいなくなったときも、思えば涙を零したことはなかった。ツバサと共に生きて来られたからこそ、濃い思い出がたくさんある。

 されど、その家はすべて国に差し押さえられてしまった。辛うじて持ち出せたのは、四つ葉のクローバーの栞のみ。だけれども、それを見るとずっとさめざめ泣いてしまうので、懐に挿し込んでいるだけにしている。押し花になどしなければ良かった。いつまでも青々と幸せな時間で止まっているようで、枯れない草が憎らしい。


 眞子都はメアリの厚意で別荘を貸してもらっていた。が、塞ぎ込んでいて何かをしようという気が起きない。食事も喉を通らず、ツバサのことを想っていた。空を飛んで、迎えに来るかもしれない。遠くを飛ぶ鳥を見ると、経路を追って淡い期待をする。一度も叶うことはなかったが、それでも何度も夢を託してしまう。


「マコ、何か食べないと、体に毒よ」

「メアリ……ありがとう」


 また木枯らしが吹く。冬にはあまりいい思い出がない。できれば永遠に春であればいいのにと、虚無な願いを祈り続ける。

 せっかく季節に合わせて温かい料理を出されても、どうにも手を付ける気力が湧かなかった。


「メアリは、人形のようよね」


 皮肉ではなく、素直に心から思っている誉め言葉だ。キレイで、美人で、だから彼女も機動召使と並ぶのに差し支えない。自分は並ぶに値しないように思えて、ツバサが連れ去られてしまったのも仕方のないことのように思えてきてしまった。


「それは、嫌味に取られるわよ?」


 長い付き合いのある友人だから、油断したのだろう。眞子都の純粋さを、自分は知っている。変に素直なので歯に衣着せぬときもあり、言ってから後悔する姿も良く見ていた。ゆえに彼女の前ならメアリも、素直になれそうな気がする。


「ご、ごめ――」

「あたしだって、禰宜が好きだったわ」


 珍しく見せた哀愁に、眞子都は顔を上げる。メアリの顔をきちんと見たのはいつ振りだろうか。彼女の頬も髪も煤で汚れ、指の先は油で真っ黒になっていた。


「好きと言えば好きと返してくれる。愛してと言えば愛してくれる。嬉しかったの。母が病気で亡くなって、すぐのことだったから」


 機械の皇子は幼いメアリの手を取って、永遠を誓う。しかしそれは肉体的な意味で、精神的なものではなかった。痛みも感じない代わりに喜びも感じない。ただ主人の態度を覚えているだけだ。


「でもそれは、ただ主人が喜ぶからと学習していただけに過ぎない。それ以上のことはできない。そう、思っていたわ」


 機動召使はすべて出征に使われる。それは新しく作るものだけではなく、いま駆動している個体もすべからく徴集されるものだった。禰宜に対しても例外は許されない。むしろ綾小路の機動召使だからと、真っ先に令状が下った。


「去り際の彼は、あたしを愛していたと、言ってくれたの」


 気休めかもしれない。しかし訊いていないことを答えるなど、機動召使にはあってはならない。彼は昔のように淡い笑みを湛えて、優しい眼差しで、戦地へ赴く決心をした。いままでの感謝を述べて、まるで人間のように別れを惜しんでいた。


「聞かせて、ツバサのこと。あたし、あなたたちの関係を誤解していたかもしれない」


 やがてぽつりぽつりと、眞子都は口を開く。思い出すことで悲しみは増すが、喜びもまた、回顧の門を叩いてきた。ツバサが眞子都の元で過ごした約一年半。自分はひとつ歳を取ったが、ツバサは何も変わらない。バッテリーのことはすっかり忘れていたが、それが必要ないくらい流暢に動いてくれていた。

 本当に愛する人のように、互いに笑い合い、喧嘩して、存在を大切にできる相手なのだ。





 火薬が蔓延している。まだ秋のはずなのに、肌が凍るほど寒い。機動召使たちは船で輸送され、銃を持たされ知らない土地を踏んだ。記憶は必要なく、あるのは命令だけ。引き金を引ければそれでいい。敵を殲滅できるなら、破壊されても構わない。自分たちは人のためにある。


 暑さも寒さも苦にならないから、ラテックスが凍っても構いやしなかった。敬礼の仕方すら教わっていない。ここがどこだかも、知らなくていい。


「おいおい、これ海外モデルじゃねーの?」

「使えれば何でもいいんだってよ」


 麗しい声はどこにも聞こえない。しかし果たして声の主は誰だったのかさえも覚えていなかった。カメラは戦場を見極めるためだけに存在している。

 正しく並べられた機械たちはいよいよ弾丸の雨を浴びる盾となる。すでに戦禍の国では機械を使い捨て兵士として扱っていた。人の意志はどこも変わらない。必要なくなったら、どこかに打ち捨てられるだけ。


 土と油と、血の匂いがする。嗅いだこともない、味わったこともない焦慮だった。


「機械ども! 撃って撃って撃ちまくれぇぇぇ!!」


 怒号が飛び交う。そういえば、どこかで女性の悲鳴を聞いた気がしたが、どこだったのか思い出せない。


『了解』


 機動召使は耳がいい。無線など必要なくとも指示は聞こえる。向こうも状況は同じなので力関係は拮抗しているが、いま帝国が必死になって生産してくれているだろう。後から続く屍を、大量に送ってくれるはずだ。ここで手足が千切れても、代わりのパーツはたくさんある。

 自分は消耗品だ。自我すらも必要ない。


「何をやっている!? もっと敵を倒せ!」


 言われなくても聞こえている。これ以上記憶を凄惨なものに塗り替えるな。機動召使はありもしない嫌悪に眉を顰める。視界が悪いのだ、そうやって表情を動かした理由付けをした。


 彼らには昼も夜も、男も女もない。ずっと稼働して、熱源が切れればお終いだ。前、後、隣、いつの間にか倒れていく。被弾しても動く限り使われ続ける。


『――っ』


 急に懐から転げ出たものに、機械は目を奪われる。乱暴に軍服を着せられたので、どこかに残っていたのだろう。艶やかなつげ櫛だ。すき間に細かい羽毛が挟まっている。その瞬間、とてつもない愛情に駆られた。戦場から退いてはいけない、立ち止まってはいけない。命令違反だ。


 だけれども手を伸ばさずにはいられない。無情にもそれは指から遠退いていく。これでは敵機に背を向けなければ。しかし、それでも。


『!?』


 近くで銃弾が何かを貫く音がした。衝撃で地面に倒れ込む。痙攣が止まらない。

 胸だ。胸のモーターがやられた。電解液が漏れ出している。掌で空洞を押さえるも、もう止まることはなかった。人も機械も、胸をやられると命はない。動き辛くなったが唯一の救いは、辛うじて反対の手の中に櫛が収まっていたことだった。

 それが、ない胸を撫で下ろさせる。だがいつまでも這い蹲っていたら、粉々にされてしまうかもしれない。が、どうにも動かせなかった。左手を引き寄せどうにか櫛を確認する。落ちた衝撃だろうか。細かい歯はところどころ折れてしまっていた。


 どこかで見つけておくれ。櫛は見目好いものを梳くためにある。分かっているが申し訳ない。機動召使は櫛を半分、口の中に入れ、噛み折った。


 自分にはもう羽根がない。戦地に行く前に邪魔だともがれてしまった。神の声は聞こえなくなってしまったが、こんなことのためにこれが生まれたわけではないことを知っている。己だって、きっと、ここで壊れるために生まれたわけでは、ないと思っていたのに。

 口中なら安心だろうか。家紋があるから分かるだろう。いつか見つけてほしい。どうか、愛する誰かの元へ。


『ⅡB‐SA殿!』


 でかい図体を広げて、銃弾から仲間を守る。このために自分はここに来たのだろう。素直に従ったからと初期化は免れたが、いま思えば自分も記録を失くしてくれれば良かったのだ。愛した主人の記憶を持ちながら死にゆくのは、とても名残惜しい。


 彼もまた、失恋したのだ。機械と主人では婚姻できない。そのことに気付いて打ちひしがれ、彼女を拒否するようになってしまった。気取られないように必死に取り繕って、そのせいで逆に幼い少女を傷付けてしまった。

 自分は引いてしまったが、もしかしたら彼なら、結ばれてくれるかもしれない。変な期待を描いてしまう。願いはどこかで奇跡になって、舞い戻ってくることを祈っている。


 形が残っていなければ、誰も見つけてはくれないだろう。君の存在は、こちらが守る。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る