憲と、権と、拳

「ああ! もう軍事車が来ているじゃない!」


 噛んだ唇を開いて、メアリは驚愕の声を発した。治まったはずの汗が再び浮き上がってくる。緩やかな坂を登った先、衝撃の光景が飛び込んできた。


 綾小路社で憲兵からの電話を受けたのは八時五十分。中へ入ると通達があったものの、九時からと言われて苛立った。もうそんなに時間がない。娘がいるから許可を取るべきと喚いたが、家督はないからと一刀両断にされてしまったのだ。

 下劣な男どもだ。玄関の開け方も粗暴で、斧でかち割って入り込もうとしている。厚い木の板が、不協和音を叫ぶ音がこちらまで響いてきた。


「ちょっと! 誰の許可を得て西園寺家に侵入しようとしているのよ!」停まるか停まらないかの瀬戸際で、急いで車を降りてメアリが怒号を上げる。「この家の持ち主は、西園寺 眞子都よ!?」

「はて、名義は西園寺 正輝殿ですぞ?」


 黒い憲兵服に身を包んだ大きな体。それから言い洩らされた嫌味は、奥歯を噛む少女の耳を穿った。ひとり遠くで、奇襲にも参加せず待機している人物がいる。左腕に腕章をしているので憲兵の一角であるには間違いないが、その様子を見るに、おおかた指揮官であろう。


「正輝殿の死亡が確認されたので、屋敷は国の所有物として扱われることが決定致しました。娘が住むには豪勢すぎるでしょう」


 権力者の息がかかった憲兵はニタニタしながらか弱い少女を嘲り笑う。カイゼル髭を蓄えて、赤ら顔で威張っていた。後から駆けてきた眞子都を見ても、さも興味なさそうに、自身の仕事をただ進めるだけである。


「あのっ! わたしの屋敷で、何をしているのですか!?」

「屋敷は無人だ。お嬢さんのものという証拠はないでしょう?」

「そんな……っ!」


 確かにひとりで住むには手に余る。しかしそこにはたくさんの思い出があるのだ。両親と召使とツバサでできた追憶が壊されていく。父が亡くなったいま、眞子都の心に瓦礫が重く圧し掛かる。


「マコは正輝おじ様が亡くなったばかりなのよ!? 不躾とは思わなくって!?」

「あいにくと、儂らは教養とは無縁ですのでな」


 髭を弄びながら、そう男は嘯いた。どう足掻いてきても勝つつもりだ。腕力では絶望的だが、権力では。しかし綾小路が後ろに付いているとはいえ、女の立場は弱かった。


「ツバサ……!」


 息を呑んで、愛しい者の安否を探る。募る胸騒ぎは不安感を煽り、ただ荒らされる現状を見ることしかできない。良くないことは重なるもので、それは昔から定説化されているように感じた。


「司令、機動召使を発見いたしました!」


 地獄を告げる号令は思ったより早かった。若い男が敬礼をして、ふんぞり返る男に報告する。連れて行ってはいけない。眞子都は本当に独りになってしまう。


「やめて……やめて! ツバサを連れて行かないで!!」

「お嬢ちゃん、知らないのかい? 機動召使はすべて戦争の道具にされるんだよ。お友達だって、機動召使を戦地へ送っているじゃないか」


 兇暴な彼らでも、さすがに綾小路の素性を知らないわけはなかった。彼女の工場で作る機械は、これより戦地へ赴く。いっそう油と煙を吐き出し、国の発展を後押しすることになる。


 そう言えば、禰宜はどこへ行った。どこへ行くにもついてきた、あの唐変木は。気が動転していてそこまで頭が回らなかった。


「マコの機動召使は戦闘用じゃないわ。あれは使役用よ!」

「使えるものは何でも使えと言う、国からのお達しだよ」

『眞子都!!』


 聞き慣れた声が響く。悲痛を叫んで、助けを求めている。非軍事用の機動召使なので簡単に捕まってしまったツバサは、それでも力強く踏ん張っていた。数人の男が縄で抑えつけている。


「ツバサ!」


 駆け寄ろうにも、男の腕力に勝てる自信がなかった。助けてくれる誰かがいないと、自分はこんなにもちっぽけだ。怖い。足が竦んで動けない。それでも消えてほしくない。


 不意にいつか見た悪夢を思い出した。父も母も使用人も、友人や許嫁でさえも奪われる夢。思い出したのだ。笑顔で盗んでいったのはツバサの容姿をしていた。でも違う。気付いたときに悪夢は悪夢ではなくなった。

 変化が怖かったのだ。孤独が怖くて、それでも機械に頼るのも悍ましい。勝手に自分で、ひとりで生きているつもりになっていた。

だがいつの間にか自分の心は、彼に奪われていた。それがやっと分かったのに、拠り所になったツバサすらも、別れを余儀なくされている。


「車に乗せろ。どうせ初期化するからショックを与えても構わない」

「初、期化……?」


 眞子都は初め、何を言っているか分からなかった。自分たちの関係を知らぬ誰かが何を言う。初めからの、出会う前の状態に戻せと言っているのだ。


「やめて! お願い……、お願いします! ツバサを持って行かないで!」

「うるさいな! 儂らに楯突くと、ろくなことにならんぞ?」


 脅迫はそれでも、命が惜しいと思えるほどではなかった。やっと震える足を叱咤して走り出そうとしたが、メアリが腕を掴んで制止する。


「ダメよ、マコ! あなたが反逆したら、捕まってしまう!」

「でも……でも!」


 罪に問われようとも、彼と一緒なら耐えられる。しかしその幻想は友人の言葉に打ち砕かれた。先のことを見越して、行ってもどうにもならないことを知っていた。眞子都が逮捕されてしまえば、どこかに隔離されたあとでゆっくりツバサを連れて行かれてしまう。


「聞きなさい! どうせⅡB‐SAは連れて行かれてしまうわ! 誰があの子の帰りを待つのよ!?」


 彼女もまた、目頭を熱くしている。メアリも禰宜を嫌っているわけではない。感情を押し殺して、素っ気ないふりをしていたのだ。友人に感化されて、その心を思い出してしまった。帰りを待たねばならない。彼らのために、笑顔で。


 ただきっと、眞子都のそれとは違う。禰宜が助けてくれないと悟ったときに、メアリは失恋したのだ。しかし自分より強い彼女は心が折れたりはしなかった。それが道を違えた理由なのだろう。だけれども、これ以上どうか、大切な友人が悲しむ姿は見たくなかった。


「機動召使でも丁寧に扱いなさい!! あなたたちには分からないくらい、貴重な部品がたくさん使われているのよ!?」


 なおもメアリが怒号を上げてくれている。それでも、その懇願が届くはずもなく、機動召使用の電気銃を構えられていた。軍に通じているものは人の急所も機械の急所も知っているようで、的確に黙らせる部位に銃口が向けられる。


『眞子都!!』

「いや! いやぁぁぁぁ!!」


 悲鳴は引き裂いていく。空間を、空気を、見えない何かを。ずっと見ていたいのに、視界が歪んでぐずぐずに壊れていく。願わくはあなたは壊れないで。その指も、羽根も、唇も。互いに手を伸ばしたが、決して届くことはなかった。


 崩壊の音がする。視界がぼやけたいま、どうにも耳しか頼るものしかいない。屋敷の悲鳴だろうか。誰も、何も救えなかった。

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