第三か条
Rase of Maria
「マコったら、ⅡB‐SAを連れ出しているわね」
早足で鉄の廊下を歩いている間に、メアリは独り言ちる。匡祐との会話よりも前から、薄々気付いていたが、その場では追及せず見逃してあげていた。忠告したのに、守ってくれなかったことがとても悔しい。憤怒というより悲痛だ。
もともと人通りの少ない場所に屋敷を構えているし、メアリのような工場に携わっているものでなければ、違法輸入機動召使は知らない情報だ。それに無知な者であれば、ⅡB‐SAのことは人間に見えるだろう。それほど精巧だが、背中の翼は切らない限り隠しようがない。
眞子都は機動召使と接するのが初めてだから、距離が分からないのだろう。彼らは人を愛さない。正確には、愛せないのだ。期待して、砕かれて、勝手に泣くのは人のほう。それでも機械は優しくしてくれる。悲しいくらいに、笑顔を向けてくれる。
メアリが禰宜に出会ったころもそうだった。いまよりも表情豊かに作られていた彼は、酷いくらいに優しかった。
「おーとまた?」
七歳のころのメアリは、最愛の母を亡くしたばかりで塞ぎ込んでいた。使用人が何を言ってもやっても部屋から出ようとせず、一日中布団を被って瞼を赤く腫らしていた。そのときに父が、娘のために専属の機動召使を作ろうと持ち出してきたのだ。
父はいつも忙しく、滅多にメアリの前に姿を見せない。母がいなくなったのでますます寂しいだろうと考えたのだが、その提案の言葉すらも直接は聞けなかった。
「いらない! お母さまがいいの! お母さまがいいのに!!」
口にすると思い出が蘇ってくる。ブルーの大きな瞳を潤ませて、また涙をぽろぽろと零れてしまった。機動召使が世界で初めて開発されて約一年が経った、いまから十年前のことである。一年で目まぐるしく環境は変化し、当時は人間の使用人と機動召使が半々くらいの割合で働いていた。
しかしメアリの周りにはまだ人を配置しているので、その申し出で作られるものは、初めて一番近くで触れるであろう機動召使と言えた。屋敷の中にいるにはいるが、小間使いとして誰とも言葉を交わすことのないような雑務をする役目ばかりである。
機械の理解をしていないので、当たり前に少女は拒絶する。そのような訳の分からないものは必要ない。まだずっと母親を求めていたい年頃だったのに、いきなり病魔に奪われてしまったのだ。
「お嬢様、ですが……旦那様からの申し付けですから」
どうあっても娘の傍に機動召使を置きたいらしかった。どうせなら父が来てくれてもいいのだ。機動召使を近くに寄越さなくても、父が隣にいるだけである程度は満足する。肉親なのに、心が遠く感じた。
機動召使産業も軌道に乗り始めたころだったので、どうしても席を外すことはできなかったのだろう。幼いながらも家族の多忙さは理解しているつもりだったが、心の支えを失くしては立ち直るのに時間がかかる。
「メアリお嬢様、お布団を上げてお顔を見せてくださいまし」
メイドも困り果てているのは、理解しているつもりだった。でも自分の世界を壊さないでほしい。守られた場所から一歩出ると、幸せな世界が散り散りになってしまうように思えた。
それに、こんなぐずぐずな顔は見せられない。仮にも乙女の端くれだから。
「ご本をお読みいたしましょうか?」
「いらない! 何もしないでよ! 本だってお母さまが読んだほうが、何百倍もステキなんだから!」
そうしてしばらくは喚き散らす日々だった。侍女は手が付けられないとひとり、またひとりとメアリの傍から交代していく。感情のない機動召使であれば苦しくないだろうと、代わりに機械が補填され増えていった。話しかけることのなかったはずの冷たい機械は、メアリを定期的に心配してくれる。だがそれは、そのように設定されているだけなのを知っていた。
日がな一日悲しんでいたら、遂に意識が朦朧とし始める。ようやく空腹を思い出してきたが、もう泣き疲れて一指も動かせなくなっていた。このまま死ぬのだとふと気付いたときに、厚い布の向こうから声が聞こえている。
夜な夜なひとつの物語を、聡明な妃が王様に聞かせる内容だ。いったい何日間、続きを聞いていなかったのだろう。掠れた声で愛しい者を求める。
「あれは、お母さまが……」
母とは似つかない太い声。それでも心地よく本を読んでくれていた。夜寝る前に幸せな夢を見られるようにとページを開いていた、強くしなやかな冒険譚。世界にはもっと見たことがない景色がたくさんあって、この物語に出てくる人物の肌の色も茶色いのだと言っていた。目も髪も複数の色があって面白いのだと。
改めて涙を零し、泣きながら眠りに就く。命が潰えそうではあったが、無事にまた眼を覚ますことができたようだった。メアリが布団を剥ぐと、ナイトテーブルに温かなスープが置いてある。きょろきょろと部屋を見渡すが、声の主はどこにもいない。それどころか人の気配すらしなかった。執事だったのか機動召使だったのか、それとも父だったのかさえも分からなかった。
しかしメアリの胸の奥には、あの響きがいつまでも残って揺蕩っている。簡素なスープのように、具は少ないが温かく、身に沁み入るようだった。
「禰宜、あなたの名前は禰宜よ」
オーダーメイドにしてもらったので、思ったより出来上がるのが遅くなってしまった。約半年、以前とは打って変わって待ち焦がれた機動召使は、赤紫の髪と褐色の肌をしている。護衛用なので体格の良さは譲ってくれなかったが、物語に出てくる皇子のような出で立ちで、主の前に跪いている。
『はい、メアリお嬢様。この禰宜をお傍に置いていただけるとは、感謝しかありません』
その言葉を素直に受け取って、メアリは高揚した。機動召使がありがたいと言った。彼にはその心がある。想いを互いにぶつけ合える環境にあると勘違いしてしまったのだ。
実際要望は何でも聞いてくれたし、メアリの快いように動いてくれるので禰宜は信頼における人物だと確信してしまった。いつだって彼は柔らかく微笑んで、こちらをお姫様扱いしてくれる。魔法の精のように願いを叶えてくれる。
「禰宜、あたしのこと、好き?」
いつか花咲く中庭で、そう彼に問うたことがある。まるで付き合いたての恋人のように、こそばゆい質問だった。禰宜と自分の頭に、瞳と同じ色のローズマリーで作った花冠を乗せる。
『はい、お嬢様をお慕い申しております』
つんとした、海のような香りを引き連れて、禰宜は答えてくれた。まるで小さな結婚式のようだとメアリは感じ取る。難しい言葉はまだ良く分からない。けれどだいたいの意味は分かっていた。好きだということだ。幼い少女の胸は躍った。プリンスはプリンセスのために存在するもの。その逆もまた然りだ。
微笑めば微笑みを返し、愛を訊けば愛を語ってくれる。照れくさそうにまた、主人が下僕に問いかける。
「じゃ、じゃあ、メアリのこと、お嫁さんにしてくれる?」
『お嬢様の花嫁姿は、さぞ美しいでしょう』
だけれども、傍に居続けることで気付いてしまった。あのときの応えは、答えになっていないことを。禰宜は言われたことしかしない。好意はただ一方的で向こうに届くことはない。機械とのあり方を理解したとき、メアリは少し大人になった。
それは父が縁談を複数持ちかけてきたときだ。当たり前ながら禰宜との婚姻はできず、しかも彼にはその気が初めからなかった。思わず来た結婚話に、怖くなって逃げ出したかったのだ。
「どうして!? あたしのこと好きって言ったじゃない!」
『え、ええ、好きですよ。慕っております』
人の伝えたい好きには、たくさんの意味がある。けれど彼らはその微妙な変化を読み取ることができない。両極端なのだ。それにやっと気付くことができて、メアリは頽れた。
『お嬢様? 泣かないでください。お嬢様には笑顔がお似合いです』
それでも禰宜は微笑みを湛えながら慰めようとする。自分が笑っていれば、彼女もまた笑い返してくれると、いままでの実績でそうなっている。データは高確率で答えを導き出してくれるから、そのように行動すべきだ。
『いつものように笑いかけてくださいませ。なぜ、泣いておられるのですか?』
理由を聞けば対処のしようがあるだろう。できることで悲しみを止められるのならばそれで万々歳だ。禰宜もメアリも、またいつも通りに戻るだけ。
けれど返ってきたのは、衝撃の一言だった。
「――あなたのせいよ」
本当は、誰のせいでもない。現実を受け止めきれずに八つ当たりしたのだ。メアリは奥歯を噛み締めながら、可愛い友人を想う。眞子都には同じ道を歩んでほしくなかった。悲しみの連鎖は止めなければいけない。
「禰宜、次の現場に行くわよ」
『はい、お嬢様』
「あぁ、それと、もう“お嬢様”って呼ぶの、よしてちょうだい。あたしはそろそろ会社を背負わなければいけないの」
『かしこまりました。……メアリ様』
命令ははっきりと、冷徹に伝えなければいけない。感情を乗せると、相手が人間だと錯覚してしまうから。優しくしては、いけないのだ。
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