運命の再会

 ぎこちなく笑い、そのまま迎えの車両に押し込められる。車に乗り込んですぐ、不安感は募っていった。運転手はメアリの主人である綾小路 文治(ぶんじ)、助手席には禰宜が控えている。後部座席にはメアリと眞子都。何度も後ろを顧みるので、メアリが眞子都の手を握ってやった。ツバサが遠くなると、心が離れるような気がしてどうしようもない。


「大丈夫、悪いようにはしないわよ。でも、ひとつだけ言っておくわ」これだけ距離を取ればツバサはもう聞き取れないだろうと踏んで、メアリは話の続きを始める。「機動召使は優しいけれど、優しくないの。分かっておいて」


「それって、どういう、こと?」

「機動召使はただ覚えているだけよ。主人の反応を覚えていて、優しく手配するだけ。何かを考えて行動したり、新しいことはできない」


 鮮やかな青い瞳でこちらを射抜く。ひやりと背筋を舐められたように感じたが、それでも優しさを込めて見据えられていた。眞子都は息を呑んで、否定の言葉を探す。

 その意図を分かっているが、理解したくはなかった。


「で、でも、ツバサは違うわ! わたしが寂しくないように、いろんな予定を考えてくれるの!」

「それも回路にあるだけよ。事象を組み合わせているだけ。悲しいけれど」


 眞子都の感情は、メアリにも痛いほど分かる。十年前に母を亡くし、宛がわれた禰宜に散々恋慕を抱いた。しかし彼は言われたことしかできない。慰めて、と言えば慰めてくれる。抱き締めて、と言えば抱き締めてくれる。

 だけれどもそこには愛がない。ただ命令されたことをやっただけ。恋情は一方的に砕かれ、届くことはない。これ以上、自分と同じ悲しみを与えたくなかった。


「でも、でも……!」


 ならば神の声が聞こえると言っていたことは嘘なのか。恐らく彼自身は嘘ではなく心の底から信じていると思われた。それが残酷にも、“設定”なのではないかと眞子都に臆断させてしまう。

 それ以上友人は何も言ってこないので、この可哀想な自分を諭さないようにしてくれているのだと一瞬脳裏に過る。違う、否定しなければ。それでもこの否定が否定されたときに、立ち直れるか計り知れなかった。相手は機械産業の司令塔だ。だからおずおずと、彼女を窺うことしかできなかった。


「メアリ……?」

「前を向きなさい。そろそろ着くわ」


 普段より優しい声音で、友人を誘(いざな)う。こちらが悲痛な顔をしてしまったので若干訝しがられたが、それでも眞子都はついてきてくれた。メアリも悲しい顔はしていられない。仕事場ではしゃんとしなければ足を掬われてしまうから。

 見えない未来を見て、細い両足で立って、生き抜くべきだ。この時代は急速に発展していっている。遅れると取り残されてしまう。


「文治さん、ありがとう。仕事に戻って構わないわよ」

「あぁ」


 眼鏡のご主人は寡黙だが、優しい。夫婦が抱き合っているのを見ると、急激に人の温もりの存在を思い出し眞子都は足元がなくなったような感覚に襲われる。ここだけ時間が止まってしまったようで、慌てて禰宜を見る。

 どうしてメアリの機動召使を仰いだのかは分からない。どこかで自分にも優しさをかけてくれないかと錯覚したのだ。しかし彼は無表情で、誰も、何事も気に留めていないようだった。共感できないものに縋るのは、さらに心臓を細めてしまう。


「ここが綾小路産業よ。入り組んでいるからしっかりついてきて」


 言って鉄の廊下を右へ左へ渡っていく。絨毯が敷かれているのかと漠然と思っていたが、そうではなく驚いた。靴のまま上がることに抵抗を覚える。


「失礼するわ。来栖はいるかしら?」


 やがてその一角、開け放たれたドアを見つけてメアリは足を止めた。必要ないかとも思われるが、三回ドアをノックし上司の風格を表す。その名前に聞き覚えがあった気がして眞子都は首をひねって思い出そうとした。文治もいないし、禰宜にもメアリにも状況を聞き辛かった。


「おや、お嬢様。いったいどうなされたのです?」


 その低い声は、メアリの左隣からドア越しに聞こえた。長身のようだが、眞子都からははっきり顔が見えない。

 メアリがその男の肩に担がれた電話ケーブルに気付くと、何度目か分からないやり取りを行った。


「あら、また壊れたのね。機動召使に尽力を注いでいる分、そっちに機材を回せなくて申し訳なく思うわ」


 男は来栖 匡祐。綾小路産業の電話交換局局長であり、以前、眞子都と桜舞う河原で出会っている。


「そんなそんな、お気持ちだけで充分ですよ。本当はそこまで気の毒とは思ってないでしょ? まぁ、修理代は経費を使わせてもらってますし、いまのところは大丈夫ですから」

「それなら良かったわ。今日は人手を連れて来たのよ。先日ひとり退職してしまったでしょう?」


 双方早口でわずかな嫌味を飛ばしているが、眞子都はそれに気付かなかった。忙しそうではあるが、きちんと会話しているし何も問題は感じられない。真っ直ぐな彼女は真っ直ぐにしか受け取れないので、女学校時代では苦労した余談も持ち合わせている。

 ただ何も考えず、どこかで聞いた声のような気がして、殺伐とした会話にひょっこり顔を見せる。


「おや? 蝶のお嬢さんじゃないか」

「あっ、あのときの!」


 艶のある黒髪を見たとき、匡祐はあの桜の園を思い出した。眞子都もまた、相手の顔を確認してはっとする。帽子を捕ってくれた人物だった。


 垂れ気味の瞳を光らせて匡祐は品定めをする。着物は季節柄、さすがに蝶ではなかったが古風な柄を選んでいるのは変わりない。相も変わらずといったところだが、女社長のような格好のほうが、いまの時代には珍しかった。街中を闊歩するのはいつも三歩下がった和様だ。

 匡祐の視線が気になったので何か付いているのかと、眞子都は袂や裾を見遣ったが、特に何もなかった。今日の柄が蝶ではなかったので、向こうの返事をうまく返す術が見当たらない。ついでに申すがツバサからは、メアリのようなドレスや大きな柄のものを薦められたが、自分にはその度胸がなかった。いま思えばずっと屋敷に籠っているようなものなので、もう少し冒険しても良かった気がしている。


「あらぁ、知り合い? それならちょうどいいわ。この子は西園寺 眞子都。あたしの大切な友人よ? ちょっと訳あって働きに出ることになったの」

「眞子都と言うのだね。よろしく」

「よ、よろしくお願いします」


 のっぴきならない事情かと思い、メアリはにやにやと交互にふたりを見る。顔見知りなら申し分ない。顔色を見たところ悪い印象もなさそうだし、これから発展するには良さそうな時期だった。


「帽子の彼とはうまくいかなかったのかい?」

「やっ、あの、そういうわけでは……っ!」


 名前で呼ばれたことに対して脳が追い付く前に、焦りで眞子都は赤面する。匡祐と出会ったときのことを鮮明に思い出し、変な汗が噴き出してきた。それにツバサを連れ出したことがメアリに知られたら、大目玉を喰らうだろう。恥ずかしい気持ちと申し訳ない気持ちがせめぎ合っている。


 メアリは黙ってそのやり取りを見ていたが、やがて手を打って提案を切り出してきた。眞子都はパン、と鳴ったその破裂音のせいで、口から心臓が飛び出すかと思ったほどだ。


「急だけど、明日からなんてどうかしら?」

「あ、明日から!?」

「予定は特にないでしょう? 早めに慣れておきなさい」


 しかし彼女は気に留めなかったようである。胸を撫で下ろしたのも束の間、今度は突然の申し出に驚愕を隠せない。否定の理由を探したが、確かに明日の予定はなかった。


「おやおや、いつもお嬢様は急ですね」

「マコには身寄りがないのよ。来栖、毎朝迎えに行ってあげて。もちろん帰りもお願いね」

「いいですよ、喜んで」


 目まぐるしく変わっていく様子に、本当に目を回しそうだった。仕事ができるふたりは、当人そっちのけで眞子都の入社手続きを進めている。


「契約書は明日の朝までに発行しておくわ。署名をもらっておいてちょうだい」

「畏まりました。昼までには届けます」

「仕事には慣れていないの。初めのうちは休みを少し多めにあげてくれる?」


 眞子都が理解しきれず頭を抱えている間に、メアリが仕事の時間のため席を外さねばならなくなる。しれっと入社が決まったようで、眞子都にとっては不安だらけだった。

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