互いの勤め

 木枯らしが吹く。そうして再び忌む冬になり、眞子都は朝早くに目を覚ますようになった。悪夢を見るのだと言う。


『大丈夫、眞子都?』


 ツバサは部屋に常駐するようになり、いつでも主人といることを許されている。うなされながら起きた眞子都に、一番に顔を見せられることが幸せだった。


「え、ええ。大丈夫よ」


 つんとした空気が肌を刺す。じっとりと嫌な汗が寝間着を貼り付け、寒くなる季節だというのに熱を持ち、気分が悪かった。冬至が近い早朝の空はまだ暗い。薄暗さはあのときのことを思い出して、少し気持ちが落ち込む。


「もうひと眠りしようかしら。今日は、メアリが来てくれる日だから」


 手紙のやり取りをしていたら、雪が降る前に点検すると、メアリは再び来てくれる手筈になっていた。楽しい時間まで、あと数時間。そのときになれば不安は拭い去られるに違いない。

 しかし再度目を閉じたが、一向に眠れそうもなかった。


「……ねぇ、ツバサ」

『どうしたの、眞子都?』

「今日は、誰の願いを叶えに行くの?」


 いままでツバサは、木や花、物の声を聞いて眞子都を導いてきた。ひいては眞子都を喜ばせ、神の意向にも沿うことができるから。しかし最近は、願いを叶えられているのは天使である自分のほうなのではないかと、錯覚するようになっていた。


『眞子都だよ』

「うふっ、そう。でもね、ツバサもやりたいことがあるなら、やってもいいのよ」

『やりたいこと……?』


 自分でも見つけていない難題を、寝ぼけているのか機動召使にも言ってしまった。考えられるかは知らない。機械に自身の感情を認識できるのか分からないが、彼は心を読み愛情を叶える力がある。きっとやりたいことだって見つかるはずだ。


『眞子都?』


 気付けば主人は寝息を立てていた。願望に想いを馳せると、呪いのように四肢に絡みつき身動きが取れなくなる。機動召使のツバサなら、希望に添えないと考えるふりをするだけでも良かったはずなのだ。


『おやすみ』


 東の空は徐々に白んでいく。ツバサの中の、眞子都を愛する回路を探って考え込んでいる内に、太陽は登り始めてしまった。眠らない機械が、人のように願いを叶えることができるのだろうか。夢や未来を思い描ける日は来るのだろうか。

 眞子都は幸せをくれる。愛情をくれる。生物や静物に宿った神の声を伝えれば、しかるべく受け止めてくれる。そうして情を覚えたツバサは、確かめるように大切に心なるものを組み上げていった。間違ってはいけない。機械だと思われたくないから。


 陽が登っても雲が厚くて明るくならない。そろそろ眞子都を起こさなければいけない時間だ。まだはっきりとは答えは出ていない。ただ、愛している。眞子都を心の底から、もっと愛したいと想っている。それではいけないだろうか。


「しばらく行けなくなりそうだから、来ちゃった。あたしもちょっとの休みは必要なのよ?」


 可愛らしく舌の先を出し、子どもらしく笑う。朝食を終えたあと、多忙の中メンテナンスと称してメアリはお茶を飲みに来てくれたのだ。それでも久しぶりに会った彼女はどこか大人びて見えた。

 眞子都は珍しくメアリに付き合って、初めて紅茶を飲んでいる。


「来てくれてありがとう。嬉しいわ」

「何言ってるの、友人の頼みよ。それにマコが機動召使を置いてくれて嬉しいのはあたしのほう。こうして仕事にかこつけて、会いに来れるものね」


 簡素なシャツにスラックス、膝までの長靴は男性のよう。そのような恰好をしなければ舐められる時代なのだろう。女性が上に立つには、いま少し早かった。


「少し痩せた?」


 冬空の曇った天気のせいかもしれないが、やつれたような顔色を窺ってメアリは心配してくれる。あまり遠出していないのもあり、体が弱っているようにも見えたのだろう。少しばかり敷地から出ていたことを思い出し、申し訳なさで胸が痛い。


「そう見えるかな? でも、それはメアリもでしょ?」

「逆よ、逆! もう筋肉がついちゃって、大変なの!」


 そう豪語しているけれども、引き締まって見えて健康的だった。室内での業務が多いので肌は白いままだし、きちんと曲線があって羨ましい。化粧もいくらか上手になっているし、眞子都とは大違いだ。


「ね、お仕事って、大変かしら?」

「えぇ? どうかしらね、でも楽しいわよ? 眠いときもあるけど」

「えっ、そうなの?」


 仕事をしたことがない眞子都には未知の世界だ。西園寺家は地主であったので、父すらほとんど働いていない。綾小路家はメアリの両親が外交に詳しい人物だったのもあり、いち早く機械産業に力を入れたので労働と近しい場所にいるのだった。

 とはいえ眞子都の近くにも使用人はたくさんいたし、その姿を見ていないわけではない。いつも畏まって人形のように完璧だったから、眠いと思われていたなんてちっとも思っていなかったのだ。


「それより今日はマコも紅茶なのね。美味しいでしょ?」

「え? っと、う、うん。美味しいわ」

「ふふっ、ムリしなくていいのよ。日本茶とはまた違った渋さがあるものね」


 竹を割ったような性格のメアリと、日本人らしく曖昧を美徳とする眞子都が仲良くなったのはほぼ奇跡と言っていい。それでも眞子都には強い芯があり、メアリには繊細さが心奥に潜んでいた。

 彼女たちは互いに惹かれ合い、結び付くことができたのだ。まるで以前からそうなることが決まっていたように。


「ご、ごめん」


 それでも、相手が好きなものを貶すことは違う。チャレンジしてみたが眞子都の口には合わず、微妙な表情をしてしまっていたようだ。見兼ねてメアリが訊いてみたが予想的中だった。


「どうしたの、急に? ムリにあたしに合わせることはないのよ?」

「ん……、違うのよ。もっと、広い世界を見たくなっちゃって。例えばこれは、どんな味がするのかしら、と」


 眞子都は滑らかなカップの淵を撫でる。色の鮮やかな飲み物だったので、さぞ甘いのかと思ったら渋かった。眞子都の舌はまだその味に慣れず、若干痺れたような感覚がある。


「そう、マコは健気で可愛いわね。そのまま飲めなければ、ミルクや砂糖を入れてもいいのよ? でも、それでも合わなかったら、それはそれでいいのよ。マコはマコだし、あたしはあたしだから」

「そう、なのかしら?」

「そうよ。だからムリに変わらないで? 急にどうしちゃったの?」


 メアリの問いに、眞子都は顔を赤らめる。それは初恋の恥じらいに似て、清楚で甘酸っぱい雰囲気がした。微少な唇の震えから、口に出していいものか戸惑っている。それでも目の前の少女は認めてくれるだろう。やっと自分が伝えられる想いに、心が弾む。


「ツバサが来てから、いろいろなものに触れたの。わたしの身近なものから、遠いものまで。彼はたくさん教えてくれたから、もっと、ツバサの世界を知りたくなって――」

「マコ」


 その呼ぶ名は、厳しく重苦しいものだった。メアリのものとは思えない。急いで顔を合わせると、いままで見たことない表情で、眞子都を睨んでいた。


「まさかとは思うけど、あなた――」

『メアリ嬢、眞子都が困っている。お茶のお代わりは?』

「……いただくわ」


 眉をひそめてあからさまな嫌悪を示す。メアリの先の言葉を予想して、ツバサは遮った。登録されているはずの人物に対して会話を遮るなんて機動召使としてありえない。どこで喋っても聞かれてしまう恐怖は、メアリにしか分からなかった。

 眞子都は咎められたことに気付いていないようだ。微少に緊張した面持ちで、気弱な雰囲気を醸している。


『どうぞ』

「どうも」


 やや突っぱねた言い方で、機動召使を制す。こぽこぽとお茶を注ぐ姿は優雅だが、どこか機械的で好きにはなれなかった。大層な皮肉だ。


 聡い彼女が紅茶を啜りながら様子を見ているが、そもそも眞子都がツバサを離そうとしない。ずっと後ろに控えさせ、どこへ行くにもついてくる。来客の準備もすでに出来ているので、何かを取りに部屋を出て行くことはなかった。


「ねぇ、ⅡB‐SA。マコはいつも通り、日本茶のほうがいいのではないかしら?」


 だから用意のない煎茶をリクエストすることで、少しばかり距離を取ろうと思っていた。人間と機動召使は、相容れる存在ではない。


『そうなの、眞子都?』

「大丈夫よ。メアリ、心配してくれてありがとう」

「…………そう」


 信頼があるのはいいことだけれど、冬は事件があった季節だ。人恋しくなり、機械にすべてを求めてはいけない。命令は確実に、かつ冷静にしなければ、感情が乗りすぎると機動召使にも心があると勘違いしてしまう。


「他に困っていることはない? 何でも言いなさいね」


 平静を保ちつつ事情を探る。眞子都に限ってそれはないだろうと思っているが、万が一があるからだ。残念だが彼女の希望が叶うことはない。機動召使は心の対話ができるように作られていないのだ。

 例えば本の中の登場人物に憧れるように、眞子都の想いは届くことはない。


「メアリは鋭いね。実は……もうそろそろ生活が苦しくなってきちゃって」


 自分が心配しているのはそういうことではないが、それはそれで気がかりになる。細々と支援はもらっていたが、それもだんだんと回数が減ってきたのだ。いつまでも親の手を煩わせてはいけないと眞子都は働くことを決めた。


「どこか、働き手を探しているところはないかと思ってね」

「そうねぇ」


 ブロンドの少女は張りのある唇を尖らせて思案した。しかしそれはいいことだ。短時間とはいえ自身の機動召使と離れられる。外の世界や社会を見ることで、眞子都の淡い考えを打ち消してくれるだろうと感じた。


 そういえばひとりいい男がいる。二十三にして出世頭だが、いまだに所帯どころか結婚を約束した女性もいない。メアリ自体はその男のことをそこまで良くは思っていないが、眞子都は柔和なので大丈夫だろう。

 少し刺激を与えるのも友人の役目と、メアリは意気揚々と捲し立てた。


「いいところがあるわ! 我が社の電話交換手なんてどうかしら? 初めは不安かとは思うけれど、みんなそうだから安心して。局長は男性だけど、ほとんどが女性よ。仕事の内容は至極簡単。何だったら、いまから行きましょ!」

「えっ、い、いまから……?」

「善は急げよ。それにあたしの時間があるのはいまくらいしかないの」


 立ち上がり眞子都の手を引く。案の定焦ったような顔をするので、メアリは追い打ちをかけ始めた。どのような願いでも聞くことはできない。


「待って、ツバサは――!」

「ⅡB‐SAは置いて行っても大丈夫よ。こちらには禰宜がいるから安全だし。少しの時間だから食器を片付ける間に戻って来れるわ!」

『メアリ嬢、眞子都が――』

『お嬢様に気安く触らないでいただきたい』


 制止したのは禰宜だ。浅黒いラテックスの掌が、ツバサの腕を掴んでびくともしない。

 彼は良く管理された従者だった。作法は当たり前ながら、体術、剣術すべてに至るまで人を上回る。軍用に作られたわけではないツバサの腕力では、どうあっても抜け出せなかった。


『しかし眞子都が――!』

『それ以上腕を捻ると手首が千切れる。ⅡB‐SA殿、主人を悲しませてはいけない』


 禰宜が冷たく言い放った忠告は、ツバサではなく眞子都に届いた。メアリに手を引かれながらも急いで後ろを振り返る。


「えっ!? 待って、ツバサ! 壊れちゃダメ!」


 言霊は冷たい体を縛る。必死で眞子都の元へ向かおうとしたが、力を入れていた体がピタリと止まった。禰宜の主人のメアリにしても、機動召使が壊れるのを見るのは辛いだろう。禰宜はそれを覚えている。悲しい顔はさせてはいけない。


「禰宜、そのくらいにしてあげなさい。ⅡB‐SAも、主人がどこかに連れ去られるのでは、と心配になったのよね? マコ、命令しなさい。彼には屋敷にいてもらって?」

「で、でも……」

「命じなさい。機動召使はきちんと言わないと伝わらないのよ」


 一瞬の間にあった出来事を、眞子都は理解できないようだ。ツバサが壊されるほどではない。それほどの言動はしていないはずだ。彼らは表情から感情を読み取れないので、こうなった状況の理由が思い当たらなかった。

 少しの躊躇は見られるが、ツバサの手首がギリギリと悲鳴をあげている。メアリは本気だった。きっとこちらの金銭面の心配と機動召使に気軽に触られることを善しとしないのだろうと思い、眞子都は俯きながら指示をする。


「ツバサ、わたしは大丈夫だから……。お茶の片付けを、お願いできるかしら?」

『眞子都』

「だってメアリはわたしの友人よ? 安心して、待っていてね」

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