第一か条

手の甲のキスは敬愛の証

 機動召使について。その書面は、難しい用語なくすぐに読み終えることができた。


 機動召使は基本的に給仕や下働きをさせるために作られた。その容姿は不快にさせてはいけないように眉目秀麗にできているが、決して恋愛感情を持ってはいけない。彼らは恋情を抱くこともなく、主人と機動召使の恋愛も禁止されているからだ。


 また、故意に破壊、紛失した場合は、いかなる場合でも補償外となる。その際は、綾小路産業まで連絡を取るように。


 機動召使は主人を裏切ることも、傷付けることもない。ただし主人に危害が加えられる場合にのみ、他者に対し敵意を持ち行動する場合がある。親しい友人等、初めに登録することで警戒を解くことができる。


「機動召使って、いろいろなことができるのね」


 数回読み返して自分の中に落としたところで、眞子都はひとり呟いた。誰も応えることはなく、暖かな空気に乗って溶ける。扉の傍にはツバサが控えているが、話しかけてくることはほとんどなかった。


 こういうところは本当に召使のようだ。本来、人を自室に招き入れることはないが、機械だから気にすることはないと寂しさから部屋においてあげている。しかし主人が許すまで話すことはなく、ただ笑ってこちらを見つめているばかりだった。


「ねぇ、ツバサ」

『どうしたの、眞子都?』

「わたし、メアリのこと……登録? していたかしら?」


 ツバサはカメラの瞳を一度瞬(しばたた)かせると、正確な時刻まで教えてくれる。


『うん、例えば二月二十七日の十三時二十四分。昨日も十七時三十九分に聞いたけど、メアリ嬢のことについて何度も話していたから、ボクの記憶端末に登録しておいたよ』

「そ、そう……。そんなに話していたかしら?」


 数少ない友人に久しぶりに会えるということで、きっと心が弾んでいたのだろう。結果的に良かったのだが、若干恥ずかしさを覚えた。


「ね、それ、メアリには言わないでね!? ちょっと、恥ずかしいから」

『分かった』


 上目遣いで念を押すと、それ以上、話は続かなかった。人とは違い機械では、言われたこと、訊いたことしか返してくれない。例えば天気の話題を振ったあと、昨日は何を食べたという話には行き着かないのだ。関係のある質問はできるが、他の話題に踏む混むことはない。

 それが機動召使の悪いところでもあり、良いところでもあった。


「もうすぐ夕方ね」


 楽しい時間はすぐに過ぎていくのに、音のない時間はずっと滞っているように感じる。それでも事件があった当日に比べればまだマシだ。眞子都は今日の夕食を考えながら、席を立った。


「今日はシチューでいいかしら。……って、わたしが食べるだけですもんね。食べたいものがそれなら、それでいいわよね」


 華族とは言え、炊事はある程度教わっている。花嫁修業のため西洋料理も少しは覚えた。ツバサがやってきてからその頻度は増しているように感じられる。あの顔を見ていると、どうしてもかぶれたくなってしまうのだ。


「……ねぇ」

『どうしたの、眞子都?』


 先程と同じ受け答えをされる。少し逡巡したあと、眞子都は頭を振った。


「ううん、何でもない。さて、ご飯の準備をするわ。ツバサは、えっと……」

『シチューくらいならボクが作るよ』

「あ……。いいえ、違うの。まだ動きっぱなしでいいのかしらと思って」


 メアリからもらった書面には機動召使の図面が描かれていた。心臓の辺りにはモーターがあり、背中側にはバッテリーが入っている。機械音がほとんど聞こえないので、もしかしたら人間なのではないかと思い違いするほどだ。


 動力が切れれば人も機械も動けなくなる。そこは同じだが、機動召使は一度に長い時間動けるため、加減が分からないのだ。


「メアリに聞きそびれてしまったわ。今度会うときは、ちゃんと聞いておかないと」

『またティーパーティーをするの? じゃあ電話をかけておくね』

「あ、いいのよ。メアリも、本当は忙しいのに来てくれたんだから。しばらくは……連絡はしなくても」


 メアリはすでに機械産業の第一線で働いていた。多くの男女を動かし、動きやすいドレスコードで機動召使を作っている。これからは女性でも偏見なく世界を動かせるのだ。しかしそれがいいことなのか、眞子都にはいまいちピンと来ていなかった。


 それでも忙しいことは分かっていたので、今回は仕事として機動召使の訪問メンテナンスを頼んだのだ。結局は思い出話に花が咲いたが、それでも与えられたことはやり遂げている。


『どうして?』

「えっ?」

『でも楽しかったでしょ? メアリ嬢も楽しかった。だったら何で楽しいことをしないの?』


 純粋な問いは、関係あることなのか。言わなくても悟ってくれることを、機動召使は質問する。生まれたての子どものように、きょとんとした顔をしていた。真っ直ぐな瞳を見続けていられず、眞子都は視線をふい、と外す。


「楽しかった……けど、時間は有限なの。その人のやりたいことが他にあるなら、わたしがその枠を奪っちゃいけないでしょ?」

『じゃあ、眞子都のやりたいことは?』

「わたしの、やりたいこと? ……どうだろう、考えたこともなかったわ」


 苦笑を漏らしながら、眞子都は答える。機動召使相手に何を話そうかと考えている。それがとてつもなく滑稽に思えて、同時にとても侘しくなった。向こうは血の通っていない機械。話したところで現状が変わることもない。


「でも、考えておくわね」


 それでも傷付けないようにと、勝手に期限のない制限をかける。そのときはきちんと向き直って、曖昧な笑顔を作っていた。感情がない相手に対して無駄な行為であることは分かっている。それでも続きを考えなければ自分が潰れてしまう。


「やっぱり、今日は食欲がなくなったから、夕食はやめるわ。もう寝るから、ツバサはツバサの部屋に戻っていて」

『分かった。お休み、眞子都。何かあったらすぐ行くね』


 ツバサは眞子都の右手を取り、手の甲にそっとキスをする。これが西洋風の挨拶だとしても、いつまでもこの初心(うぶ)な主人は慣れなかった。総一郎にも口付けを迫られたことがあったが、恥ずかしくて拒否してしまったことを、この瞬間何度も思い出す。


 あれを受け入れていれば、もっと未来は変わっていたのだろうか。その先に待ち受けていた何かを求めれば、彼はいまでも自分を見てくれていたのだろうか。いまとなってはどうでもいいことを逡巡しながら、眞子都は微妙な笑みでツバサを見送った。


 明るい自室に、薄暗い長い廊下。その奥は永遠の闇にも思えて、機動召使を見送るのに少し恐怖を感じる。しかし主人と召使では住む場所が違う。それにツバサといても、やはり人の気配は感じられなかった。


「本でも読もうかしら」


 誰もいなくなってから、独り言が多くなった。そもそもツバサと話していても、それは対話と言えるのか甚だ疑問ものだ。またメアリに会いたいのは真実。楽しく会話をしたいのも真実。けれどまだ娯楽はあるし、ひとりでも時間を潰す術はかき集められた。


 こうやって少しずつ、今日という時間を消費していく。大丈夫だ、まだ笑えているから。そうしていればまたいつか、友人とも家族とも、もしかしたら新しい恋人とも、楽しい時間が戻ってくると信じて。

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