機械天使

「それで貰って来たのが、『ⅡB(ツービー)‐SA(エスエー)』ね。最新モデルじゃない」


 メアリはちら、と部屋の隅に控えている青年、ツバサを見遣った。彼は、機械なのだ。本体名は『ⅡB‐SA』、通称ツバサ。もっとも、ツバサの名称は眞子都が付けた。英数字や英語は女学校で少し学んだものの、やはり日本人の口では言いにくかったのだ。


 人と機械と神が、いままだ共存している時代。世界戦争以前から開発された機動召使は初め、貴族の小間使いとして起用された。ソビエト連邦の優秀な研究者が先達(せんだっ)て開発を成功させた機械技術は、瞬く間に普及され先進国のステータスとなった。


 友人のメアリは、その機械産業を日本で初めて成功させた、由緒ある綾小路家の令嬢だ。景気が下がることを知らず、将来の安定が約束された女性だった。また、当然機動召使に関しては予備知識があり、親の家督を継ぐ心積もりもしている。“最新モデル”と彼女は言ったが、それは日本で作られたものではない。海外産の、違法輸入されたものであった。


「やっぱり、海外産は腕がいいわね。でも気を付けなさいよ? 貰いものとは言え違法物だから、遠くには出さないほうがいいわ」

「え、違法? そうなの?」


 眞子都は初めて聞いた言葉に目をぱちくりさせる。かたや西園寺家は古き善き家柄を守ってきたので、父が機動召使の使用を渋っていたのだ。機械に人の仕事は任せられないと、いつまでも多くの使用人を雇っていた。だから眞子都には機動召使の知識はない。メアリから微少に聞いているものの、使役したことは皆無だった。


 いまとなっては機械のほうが従順で主人を見限ることはないのだから、早いところ入れ替えておけばよかったのだ。これほどまでにただ広く、寂しい住まいは見たことがない。


「いま、戦争中で好景気でしょ? お偉いさんが、もっと自国を発展させるために一時的に海外ものの輸入を禁じてるのよ。父から通達があったわ」

「そうなんだ。そんなに変わるものなのかしら?」

「変わるってレベルじゃないわよ! 第一……、いえ、これはマコに話してもしょうがないわね。とにかく! 何か分からないことがあったらあたしに訊いて? 友人の頼みなら、大まかなパーツの差し替えくらいはタダでやってあげるわ」


 それ以上は友達価格で、とお茶目に言う辺り、メアリの商売魂は燃え上っているようだ。産業を支えるくらいの家系になると、それくらい女性でも考えなくてはならないのだろう。眞子都は仕事というものにほとんど触れて来なかったので、若干メアリを羨ましく思う。


「にしても、これからどうするつもり?」

「さっきも言ったけど、とりあえずはまだ生活できているし――」

「違うわよ! このままじゃ行き遅れちゃうでしょ?」


 再び眉を吊り上げて、今後の貰い手を心配する。眞子都はすでに十七歳。許嫁から婚約破棄されなければ、きっともうすぐ苗字が変わっていたはずだった。


 父の不祥事が発覚してからというもの、他の華族の者たちも西園寺家を避けるようになったのだ。当然貰い手も減り、眞子都を欲しがる者と言えば適齢期を過ぎていたり、華族とは名ばかりの、いまの西園寺家より貧しい家だった。


「何だったら、あたしがあつらえてもいいのよ? このままでは家督も継げないでしょう?」


 爵位剥奪は何とか免れたが、家督は男児しか継ぐことはできない。逃走先が確認されていないので、いまはまだ正輝に権威はあるものの、眞子都がどう頑張っても国家の役には立てなかった。


「そうね、でもわたしがお嫁に行ったら、迷惑がかかるかもしれないし。しばらくは、男の人はいいかな」

「……そっか、そうよね。男性不信になるのもムリないわ。でも何かあったら言ってね? いつでも駆けつけるから」

「ありがとう、メアリ」


 正直、男性不信と言われてもピンと来ない。父の浮気と蒸発に、総一郎の婚約破棄は確かに精神的に堪えたが、寂しいかと言われたらそうでもないように感じた。ただ漠然と、自分は良い父と母と、優しい婚約者に囲まれて一生を過ごしていくのだと思い描いていた。その愛のある未来が絶たれてしまったので、どうしていいか分からないのだ。


 それでもいまは母のおかげで暮らしていけているし、傍にはツバサもいる。機動召使なら老いもしないし裏切ることもない。色恋沙汰で蒸発したり、婚約を破棄されることもないだろう。だからこのままもう少し、生きていくのだろうとは思っていた。


「にしても欲しいわね、ⅡB‐SA。構造はどうなっているのかしら?」

「えっ! いくらメアリの頼みとはいえ、それは……!」


 機械であれ、会話をする相手は貴重だった。不穏な言葉を聞いて、眞子都は軽く焦ってしまう。その様子を見ると、メアリは笑いの息を漏らして安堵を促す。


「別にマコの機動召使を狙っているわけじゃないわよ。正式に輸入できるようになったら、もっと向こうの技術を研究しなきゃ。でも少し見せてもらうわよ?」


 言って彼女は席を立ち、ツバサのほうへ歩みを寄せてくる。機動召使は疲れなく、ずっと最初から示された位置に起立していた。艶のある鳶色の髪に、同色の瞳。虹彩にはきちんと機械特有のカメラが見て取れる。その奥には、好奇心満載のメアリの姿が映っていた。


 給仕姿の彼は、メアリにも敵対心を抱くことなくにこにことしていた。ラテックスで作られた西洋風の顔立ち。鼻筋は高く、血色の良さそうな肌の色を整えられて、街中に放り出せばすぐに女性に囲まれる将来を約束されている。


 そんなツバサをまじまじと観察しているものだから、やはり友人はこの機動召使を狙っているのではと、またしても不安になってしまった。眞子都が痺れを切らして言葉を発しようとしたとき、やっとメアリが口を開く。


「ⅡB‐SA、初めまして。あたしはメアリよ。マコとは友人なの」

『マコ、とは眞子都のことで合っている? ボクはツバサ。メアリ嬢のことは、眞子都から聞いているよ』

「あら? 敬語は使えないのかしら?」


 普通、機動召使は主に対してへりくだるものだ。言葉遣いが対等であると、帝国ではすぐにスクラップになってしまう。それは、外国語から日本語に翻訳した弊害でもあった。そもそも言語の切り替えを推奨していないので、総一郎が研究者を雇ったが、この翻訳が精いっぱいだったのだと言う。


「そう、だったらうちの技術職にでも見せましょうか?」

「いいのよ、ツバサはそれで。変に畏まられても居心地が悪いわ」

「普通ならすぐに捨てられるのにね」


 しかしそのおかげで眞子都の元に行き渡ったのも事実だ。本当は女性型が欲しかったのだと聞いたが、高千穂家まで回ってくるまでに男性型しか残らなかったらしい。そのことを話したら、メアリはまたぷんぷん怒って、うちの機動召使じゃ不満なのか、と文句を垂れていた。


「ま、マコがいいならいいけれど。あなた、感謝しなさいよね? そうそう、マコは眞子都のことよ。ご主人様のこと。覚えておいて?」

『もう覚えたよ。教えてくれてありがとう』

「学習能力も申し分なし。関節も確認していい?」


 ツバサが了承する前に、美しい令嬢は品なく青年の袖を捲る。男性の掌を取るでもなく、手首を触って中の感触を確かめていた。機動召使以外にやるようなら顔面蒼白ものだ。それでも気になることは譲れないらしかった。


 骨組みは恐らく自社と同じく鉄骨だろう。関節は歯車で回しているかと思ったが、薄いゴムの奥、丸く硬いものに触れる。


「これは……、ボール、かしら? 機動音が少ないから気になってはいたんだけど……。やっぱりバラシてみたいわね! ……けど、マコのものだから我慢するわ」


 メアリの言葉はこちらを一瞬どきりとさせたが、すぐに訂正してくれた。眞子都はほっと胸を撫で下ろし、なおもブツブツ独り言を繰り返しているメアリに改めて注意を向ける。信用できる友人とはいえ、機動召使のこととなると何をしてくるのか分からない。ツバサに対しても、されるがまま何もしないことに、少し不服に思っていた。


「それと、その背中の羽根はどうなっているのかしらね?」


 ツバサには、他の機動召使には違った特徴があった。海外産とか敬語が使えないとか、その大きな説明も霞むほど、彼の背中には薄い鳥の羽根があったのだ。肩甲骨から膝裏まで伸ばされたそれは、目も眩むほど純白で、やはりそれが人の興味を一番惹いたところである。“ツバサ”の由来もそこからだった。


「……もしかしてチタン製? それにまた薄いラテックスを巻いているのね。鳥の羽根を埋め込むなんて、凝ってるわ。……でも、何の意味があるの?」


 眞子都も初めて見たときには、まさかツバサ自身についているものだと思わなかった。高千穂家の使用人部屋の隅で眠るように起動していたときには、ただ背後に大きな鳥の剥製が隠れているのだと思ったくらいだ。


『ボクは天使だから、飛ぶためだよ。眞子都の前は、神に仕えていたんだ』

「天使……? 神って、天皇様のことかしら?」

「それ、わたしも訊いたけれど、良く分からないの」


 このころ、信仰の対象は諸国でほとんど違っていた。意味が分からず首を傾げるメアリにツバサは優しく説明をする。相手に知識がないときには、子どもに話すようにとプログラムされていた。


『神は、全てに宿る者。花にも空気にも、ぬいぐるみにも。メアリ嬢の傍にも、たくさんいるよ。ボクはそういった神の声を届けるために生まれたんだ』

「はぁ、良く分からないけど、いま海外ではそういうのがウケているのかしらね?」


 それに生まれた、んじゃなくて生み出された、だわ。これもむりやり翻訳した弊害かしらね。

 気になるところはあれど、海外の趣味嗜好と捉えたようだ。そんなことをふと考えていたら、後ろから声が掛かった。


『お嬢様、ご主人様がお迎えに来ております』

「あら、禰宜(ねぎ)。もうそんな時間?」


 声を挟んだのはメアリ専用の機動召使だ。軍服を着せられた男性型のもので、容姿はメアリのオーダーメイドだという。


 紫がかった赤毛に褐色の肌。体格も大きく表情も硬いので、粗暴な印象がある。それでもやはり主人には従順で、禰宜がメアリに乱暴を働いていることはなかった。彫りが深く象られて男性の血を濃く感じさせるが、丁寧に恭しくメアリに尽くしている。


「初期設定は終わっているみたいだし、自動学習が働いているからしばらくメンテナンスはしなくていいわ。もし何かあったら伝えて? またお茶会しましょ。主人が来ているのでこれで失礼するわね」


 機動召使は耳がいい。遠くで聞きつけたエンジン音で、メアリの旦那が迎えに来たことを悟ったのだった。彼女はすでに婚姻済みだが、嫁ぐことはせず逆に婿養子にさせている。相手も三男坊で家ぐるみでの承諾であったため、世間がそこまで騒ぐこともなかった。


 機動召使産業のご令嬢だ。多くの家が、喉から手が出るほど欲しいだろう。彼女のお眼鏡に適うということは随分優秀な人物であるということ。実際紹介されて三人で話した際には、眞子都はふたりの会話にまったくついていけなかった。やがては彼女らで切り盛りすることになるのだろうと考えると、微笑ましくも羨ましい。


「そうそう、これは日本で定められた機動召使の手引書ね。知っているとは思うけど、念のため目を通しておいて?」


 見送りのため、車の場所まで外に出ていたときのことだった。帰り際、友は一冊の書類を渡してくれる。綾小路家監修の、国家が定めた機動召使の共通マニュアルだ。彼らの働きは素晴らしいが、推奨される使い方や、逆にやってはいけないこともある。眞子都は礼を言って、その数ページの書類を受け取った。


 メアリが帰っていくと、自分には寄り付く影もないことを実感させられる。以前は、これからも幸せな世界が広がっているのだと勝手に考えていた。支えてくれる両親と優しい許嫁。そのどちらも、眞子都の傍から消えてしまった。使用人も、眞子都ひとりでは手に余るのですべて解雇し、肩の力が抜けてしまったように感じる。


 残ったのは自分だけ。それと追加で機動召使。綾小路家の車の排ガスの臭いを嗅ぐと、機械の冷たさを感じられる。後ろをついてきたツバサも、皮膚を剥けば鉄の臭気がするのだろう。いまなら機動召使を避けてきた父の気持ちも分かる気がした。


『眞子都、冷えるよ。部屋に戻ろう』


 だが、彼は優しかった。その優しさは総一郎にも似ている。思い出し、少し瞳を潤ませて、淡く笑みを作るのが精いっぱいだった。

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