第12話

 部屋が暗く、窓から入る夜光で目が開く。

 少し寝過ぎたくらいの時間、久し振りの深い眠りのお陰で頭が軽い。

 オヤジ達も少し休んだ後で再開したようだ。焚き火が組み上がる木材でキャンプファイヤーに進化していた。(なにやってんだ?)

 組み上げた廃材に立上がる炎、酔っ払い達が歌い呑み、喰って笑う。

 大昔の収穫祭か森の山賊の忘年会か。

 ふぅ、(これはもう歯を磨いて本格的に寝ちまった方がいいな、腹は減って無いし)

 洗面所で歯を洗い、顔を洗って部屋に戻る。今日は色々あった、有り過ぎた。

 部屋の明かりを消して月明かりのまま寝転がり、暗い天井を見あげて目を瞑る。

コンコン、コンコン、「まだ、起きてる・・?」

 瞼に眠りの粉が降り掛かる前にドアを叩く音、オレが返事をする前に廊下の明かりが細く入り、ゆっくりとドアが開く。

「ああ、うん。今寝る所だっ・・た?」

 体を起こし薄明かりの中、暗闇に目の慣れたオレは枕を抱いた少女の姿が見えた。

 薄いベールのような中に体の曲線が浮かび、細く白い足が月の明かりで見える。

「その格好は駄目だって言ったろ」添い寝してくれるなら、ちゃんとしたパジャマに着替えてくれないと。

「・・・」少女は返事も返さず歩み寄り、額を肩に添い掛けた。洗いたての髪の匂いと上気した肌の匂い。上を向いた唇と瞳が鼓動と衝動を掻き立てる。

「おねがい・・・・」目線が合わさり、任せるように瞼が閉じる。

 イリスの枕を持つ手が振るえ、細い肩の震えさえ愛おし過ぎて唇を重ねた。

 枕が落ちて体を任せるように重みが加わる、可愛い・愛おしい・愛してる、そんな言葉じゃ到底足りない。頬も首筋も耳も唇も、何度も何度も口付ける。耳元で小さく溢れる声も愛おしい。キスを止めて見つめ、頷いたイリスをベットに座らせた時、ノックが聞こえた。

 鍵のかけ忘れた扉は簡単に開き、パジャマのアリスが顔を出す。

「アリス!お願い、お願いだから今日は、今夜だけは来ないで!」

「駄目よ、色仕掛けなんて淑女のする事じゃないわ。少し落ち着いて、冷静になって考えるのよ。『明かり』」言葉は部屋の明かりを付ける。

 素早く布団で体を隠すイリスはしばらくアリスを見つめ、しばらくしてからオレの背中に張り付いた。

「すこしは冷静になったようね、シンイチも落ち着いた?」

 いやオレはドキドキしたままだよ、それでも肩に置かれた震える手のお陰で表面上は冷静にしていられた。

「それじゃぁ、私も隣に座るわよ」ベットのスポンジが軋み、キッュと音を立てる。

「洗面所の所でイリスがウロウロしてたから、そうじゃないかなって思ったのだけど。解るものね姉妹だからかしら」

 どうやらイリスはお風呂の後、オレが起きるのを待っていたようだ。

「違うわよ!偶然よ偶然!」ただ気持ちを整理してただけよ、30分もかかってないんだから。

「馬鹿ね、本当に・・ところでシンイチ?私にもキスしてくれないのかしら?」

 背中を掴む指に力がこもる、(どういう、なんでそのこと・・)

「解るって言ったでしょ、それにシンイチの事も大体解るんだから」言い終えたアリスは目を瞑り顔を上げる。

「駄目よ!そんなの駄目!なんで、なんでアリスはいつもそんな!

 私が幾ら頑張ってもいつも先回りして意地悪するのよ!どれだけ私が好きって言っても、いつもアリスが先にいて!どれだけ見つめたってシンイチの瞳にはアリスがいて!なんで!・・・なんでよ狡い!酷いよ・・」

「落ち着きなさいって言ってるでしょ、ほら、手に力を入れすぎ」

 イリスの指がキリキリと指が肉を押さえ、骨が軋む。感情の高まりで力の抑制が出来てないだけ、シンイチが痛みを顔に出さないのはそれが解っているから。

「だからって痛く無い訳じゃないでしょ、ほら落ち着いて、ね?それに、これでも私は、イリスを助けたつもりなのよ?貴女の考えは知ってるもの」

「・・・・」

「あなたが彼を思うのと同じくらい・・それ以上に私はシンイチの事が好き。

ねぇ憶えてる?私達が始めて合った時の事」

「オヤジに連れられて来た時か、忘れる筈ないよ」

 大きく薄暗い屋敷で驚いたようにオレを見つめた瞳、挨拶した時、逆光の中で光る髪が揺れて何かを言おうとして、走っていった人形のような綺麗な少女。

「あの時の私の世界は全てモノクロで、線と黒いだけの映像でしかなかったの。

でもシンイチ、あなたの周りには色が有った。最初はお屋敷に入り込んだ子鼠かなにかと思ったのよ?でも貴方が頭を下げてから上げた時の笑顔、ヒトの顔が、表情が解るようになった。多分閉ざされた世界で産まれた私は、外界に興味が無かったのよ。

 貴方の声はノイズだらけの世界で、始めてヒトの声が聞こえたの。

 聞きたいと・知りたいと思ったからよ。貴方の声と言葉を。

 手で触れて、柔らかいと硬いとサラサラとふにふにと。どんどん私が人間になって行くのがわかったわ。でも何故って考えて・考えて・考えたらシンイチだけが私を人間として、女の子として扱ってくれたからだと理解したの」

 脳と目の一部しか人間の細胞で無いアリス、オヤジや叔父さん達からすれば試作品だったのだろう。オレはそんな事も知らずにいたんだ。

「人間はね、相手が人間と扱うから、自分が人間なんだって自覚するみたい。

 シンイチ、私が貴方をどれだけ好きなのか、知らないでしょ?だって私の世界は、 全部貴方から貰ったのよ、貴方を失う事をどれだけ恐れているか解らないでしょ?」

 だから・・・ごめんなさい。

 気が付けば背中を掴む力が抜けて、虚ろ虚ろになったイリスの体が寄りかかる。

「この子って、お風呂上がりには必ずイオン飲料を飲むのよ、だからね」

「・・い・・いや・・」力と意識が完全に落ちる前に聞こえた小さい声、背中が濡れて感じるのは涙だろうか。

「この子、私に体も家も譲るから、貴方だけ下さいって頭を下げたの。でも、そんなの駄目よね。シンイチに相応しい女の子になれたなら、私が貴方を譲る訳無いじゃ無い。

 だから、多分イリスは貴方の子を貰おうと思ったのよね。私に勝てないからって」

 イリスの体の機肢は手足とその間接、体は完全な女性として成長している。行為に及べばその体に子供を宿す事も出来るのだろう。

「でもそんな事したら、シンイチはイリスを選ぶでしょ?自分の子供を宿す女の子を放って置ける子じゃないもの、女の体で男を誘惑するなんて駄目じゃない。

 ・・ねぇイリスは寝ちゃったわ、1度だけでいいの、貴方を世界で一番愛していて、貴方を一番知ってる私とはキスできない?」

 背中に掛かる重みと胸元に傾けられたアリスの重み、ゆっくりオレを見あげ、目を瞑った彼女の唇。信じてられ、預けられた彼女の体にオレは固まった。

 不意にアリスの唇が近づきゆっくりと触れ、舌に感じる小さな塊が喉に落ちた。

?(苦い?)「な・・何を・・」ジワジワと意識が蝕まれ、足から力が抜ける。

「・・お休みなさい、シンイチ・・貴方と出会えて私は幸せよ。それに・・・キスって苦いものだったのね、知らなかったわ」

 握る指に感覚が無い、部屋に入って来た影にイリスが抱えられオレは胸騒ぎを持ったままベットに倒れた。

(まだだ・・まだ駄目だ)言うべき言葉がある、言いたい事はまだあるんだ。

 振るえる指を喉に突っ込み、胃液と何かを吐き出し、頭を壁にぶつけそれでも感覚が鈍る(まだ足りないのか・・なら)机のにあった何かで手をブッ刺す。

 カッターで貫いた左手の痛む、ジクジクとする痛みがなんとか足を動かせる。

多分あそこだ、アリスは地下のオヤジの研究室にいる。

 イリスの体は子供が作れる、ならアリスが対等な条件になる為にはあの体を手に入れる筈、妨害の入らないようにイリスを寝かせ、最後にあの体でキスする事は今の体との決別、もしそうなら今夜中に記憶と人格の移植を行うはず。

 どうしようもないオレだけど、二人を選べなかったおれだけど、ずっと一緒に暮らした彼女が今と決別するなら、立ち会う事くらいするべきだ。


 目が回る、頭が痛みと貧血と脱力で朦朧とする。ただ一つだけわかるのは今は倒れる事は出来ない事だけはわかる。

 前へ・前へ、足は動く、意識はまだある。夜の暗闇に開いた扉は煌々と明かり、歩き入ったオレは部屋が整理され、アリスの行動が気の迷いで無かったと解る。

 どこまで計画的だったのか、振り返ったアリスの寂しそうな顔、彼女の前にはカプセルに入ったイリスに似た少女が眠っている。

・・「アリス・・なんでイリスが」

「この子は・・まだ違うのだけど、・・ねぇ、とても綺麗でしょ?」

「アリス、キミが体を手に入れるんじゃないの?」

なんでそんな顔でイリスを見てるんだ。

「あなたもそう思ってたの、私は・・少しは考えたのだけどやっぱり」

 高音の振動と規則正しい信号音。

「接続が完了しました、後はコードと起動キーの解除のみです」

「ありがとう、ロク。コードairis,起動キー[私の愛する娘よ]・・」

 接続された寝台の上に寝かされたもう一人のイリス、額と目には[授業]に使うような接続端子と胸の上を拘束する金属の端子。

「イリスと私には胸の上、肋骨の上部に特別な記録結晶が埋め込まれているのよ」

 脳に記憶させると同時に記録結晶にも記録する、彼女達は二つの記憶を重ねて生活する事で記録結晶から直接もう一つの体に人格を同期させられる。

 眠り続けるカプセルのイリスに、自分達の人格を移植させられるらしい。

「脳が思い出を忘れても、記憶・記録・その時の思いは重なるアルバムのように残る。それが私達の願い」

 胸の拘束端子が光り、顔の端子も起動を始める。

「ねぇ、シンイチ、その手をキズ着けてでも私の事を止めたかったの?」

「違う」言葉が出ない、もっとしたい話があったのに、大事な時に頭が動かない。

「私が女の子の体になったら良かった?」

 言葉が見付からない、オレには最初から女の子だったから。

でもアリスは違うんだよね。

「・・私は、私の見えている世界は二人と違うの。目を瞑れば沢山の数値や信号、

ベクトル・触れた物見た物の成分標、体と同じ殆ど機械のような物なの」

「私が甘い物を好きなのは、小さいシンイチが美味しそうにしていたから。味が解るわけじゃないの。香りだって解らない、音だってシンイチの声の他は機械音と区別が無いもの、そんな私が女の子だなんて、おかしいでしょ?」

「違う」それは違う。嬉しそうな顔、笑った顔、恥ずかしそうな顔も声も、

アリスはオレの家族で大事な女の子で、姉弟だ。今だってそれは変らない。

「・・それに、私はこの子達のお姉さんなのよ。沢山の私の妹達、私の思いを継いでくれる優しい女の子達。そんな妹の幸せを、願わないお姉さんがいると思う?

シンイチが好きでいてくれる私は、妹の幸せを無視できる女の子?」

 現実、自分の幸福の為に他人を押退ける事は仕方無い事だってある。誰かの幸福は誰かの不幸の上に存在するのが世界だ、だからって。

 ピーピー、何故か赤い光りが点滅し警報音が鳴り響く。

イリスの人格が転移し終わったのか、それとも何かの失敗か、アリスの顔が驚きと混乱を写して想定外の事が起った事のか。

「どうしたの?ロク、答えなさい!」

「同期・ダウンロードは完了しました、しかし100%の入力された体が起動しません」

「どう言う事?駄目よ!そんな」慌ててモニターを見つめ、赤い数値を監視し電圧や高周波で刺激を与え、何度も何度も繰り返す。

 失敗か・・科学にも失敗は付き物、今回はでも、失敗して良かった。

「駄目!起きなさいイリス!貴方は彼と一緒にいなきゃ駄目なのよ」

「失敗だろ、諦めてこっちのイリスを外して、もう1度やり直すしかないだろ?」

 いつの間にかオヤジが立っていた。

・・・アリスの泣きそうな顔、絶望と凍り付いた悲壮、なんで?

「だめ・・駄目なの・・ごめんなさい、1度同期が完了したら、イリスの記憶は消されてしまったの。だって同じ人格の同じわたし達がいたらきっと」

?!

「同じ場所、おなじ時間に同一人物は存在できない。人格のパラドクスだ、出会った時点で別人格に成長し、元と新たな二人に分かれてしまう。だから私はそうプログラムした・・それにしても、アリス無茶な事をしたね」

「オヤジ!」なんでオヤジが?それに後には叔父さんがいる。

「警報が鳴ったら酔ってても目が覚めるさ、一応責任者だからな」

「おじさま!イリスが、イリスが目覚め無いの!」

「すこしごめんね」とアリスを動かしモニターを見つめる、少し考えたあとオヤジは

「アリス、薬を使ったね?きちんと説明した筈だよ、覚悟と意志が必要だと」

「イリスに覚悟が無いわけないじゃない!意志だって」

「・・・眠ったままで繋がれ、自分の意志で接続してない状況では」

 内部からアクセスしないと出来ないようにしたのは、本人の意志を尊重する為。

 外部から他人の手で移植された時、失敗も自分の責任。本人以外がキズ付かなくていいようにしたシステム。

「そもそも人格の移植なんて誰も成功した事のない技術だ、シミュレーションでは成功しても現実なら90%がいいとこ。残念だが、これが現実だ」

 そんな・・それじゃ、

「私がイリスを殺したの?そんな事・・違う、私はそんな事望んで無いわ」

「なら今度はアリスがやって見るかい?ははは」

「お前!酔ってるのか!」オヤジ、今なんで笑えるんだよ!

「シンイチ、酔ってなにが悪い、ハハ、人生を賭けた発明が、何年もかけた技術が水泡に帰したんだ、笑って何が悪い」

 そんな事知るか!今イリスが死んだんだぞ、それも・・

「シンイチ、信じて。私を信じて・・」泣いている、涙で頬が濡れている。

そんなアリスをオレが疑うなんてある訳ないだろ。

 握った手をアリスが解き、血に染まった手をおれの胸に置いた。

「おじさま、お父様、お願いします・・・シンイチ、私を信じて、イリスは必ず起こして上げる。だから」忘れないで。

 次ぎの瞬間、オレはロクに押さえられ、微笑みながら端子を繋ぐアリスが見えた。

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