第11話
その日はいつも通りの晴れた朝、季節は秋も終りだと言うのに空が高い。
遠くまで青く見通せるのは、この季節特有なのだろう。
「よう馬鹿息子、迷ってるところ悪いが少し手伝え」
遠くまで枯れ往く風景を見通せても、自分の選ぶ道を見通せる訳では無い。
「あ・ああ、うん解った」迷い焦り戸惑う時は、人間からだを動かしている方が良い。
作業をしているだけで時間を忘れ、悩みも忘れる事が出来るからだ。
「で?オヤジの仕事、[調整]機械の自動化は終わってるんだろ?」
じゃあ一体、オレは何を手伝うんだ?疑問はあるが大人に聞いて、なんでも答えてくれるなら辞書もGoogleもいらない。ただ前を歩くオヤジの後を追い、地下の部屋の扉を潜る。
暗い中に緑の照明がひかり、人間大のカプセルが複数横たわる。
低いモーターの振動音酸素の泡がはじける音、その中で規則正しく響く電子音。
「わかるだろ?クローン培養のカプセルだ、人工子宮と言ってもいい」
・・・・
一つの健康な細胞を見つけ出し、それを培養し幹細胞を作り、DNA配置を記録した後分裂させる。細胞から一人の人間を生み出す・再生させる技術。
豚や牛などでもDNA配列が同じだけのクローンは生み出せてはいるが、細胞一つから豚や牛を生み出す技術は無い。
そもそもコストに見合わないからだ、それくらいなら卵子・精子を保存し人工授精させた方が安く済む。
だが人間は違う、顔形肌の色・歯並び・目の色・髪の色、全てが等しく同じでないと人間のクローンとは認められない。
優性遺伝子と劣性遺伝子の発現が生前と同じでないと、DNAが同じであっても別人と見なされる。まして生きた人間から採種した細胞なら、同じ環境で、同じ食事と運動と教育と生長をさせても別人だろう。
「・・ここでアリス達が」産まれたのだ。そして、傍にあるのは人工臓器の取り付けと機肢専用の機械。
「最初は、ある程度クローンが育ったら何故か発病したんだ。だから何度も何度も 繰り返し細胞・RNA・DNAを確認しミトコンドリアまで調べ上げてようやくだ」
そこには黒い遮光アクリルに包まれた一際大きな壁があった、多分中は・・
「悪いな、今お前と合わせる事は出来ないが、将来のお嫁さんだ」全裸だぞとか余計な情報は要らない。
「それで、手伝いって?」多分予想は付く、もうクローンが産まれないのだとすれば。
「片付けだ、結構量があるぞ。それに見付かればヤバイ物もな」
もし完全クローンの成功が世の中に知られたら、アリス達の事が公になる。
今はまだクローンの人権は認められてはいない、人間のクローン自体が禁止されているので、議論すらされてない状態だ。
「部品をネジ単位になるまで分解すればいい、数が多いから手間ではあるが」
「二人の為だろ、やるさ。それでどれから手を付ければいい」
すでに幾つかのカプセルは解体されている、あとは重要部品が残っている。
ネジを外し、金の溶接を溶かし、基板をばらしてシリコンを抜く。
大きな物は粉砕器で砕き、小さい物は圧縮して塊にしてしまう。
「・・なぁ、息子」黙々と部品をバラすオヤジが不意に口を開く。
「なに?」目を合わさずにオレは答えた。
「おれは彼女達の創りの親だから言うが、二人は同じ一人の人間だろ?だったら・・・・どっちでも同じじゃねえか。迷うなよ・・迷う必要性なんか無いだろ?」
「同じじゃねぇよ、アリスもイリスも別人だ。二人には・・二人とも良いところもあるし悪戯な所だってある」
一緒に育った奴にしかわからねぇよ、多分創った神にだって解らないだろう。
「どっちも・・は選べねぇんだ、目を瞑って最初に思い浮かぶ方でもいいじゃねえか」
・・・・最初に浮かぶのはいつも笑ってオレを見ているイリス、でも少し寂しそうなアリスの事を泣かせるなんて出来やしない。
「違うんだよ・・オヤジ、そんな簡単なもんじゃないんだ」
一緒にいたい事と、傍にいてやりたい相手と、そして3人でいたこと。どれだって切り捨てていいものじゃないんだ。
「そうか・・がんばれよ・・迷える時間は少ないぞ」
いつかは違う形になる、いつまでも同じではいられない。
それでも流れに逆らって泳ぐ魚もいる、どれだけ早い流れでも、どれだけ冷たい水の中でも、流されまいとする奴が。
解体作業が日常に入り、その事が二人にばれるまでそう時間は掛からなかった。
「それで・・シンイチはその体を見たの?」最初に聞いたのはアリスだった。
「見て無いよ」オレがどんな表情で答えたのか、彼女がどんな顔をしていたのか窓から外を見ていたオレは憶えていない。
「そう・・」彼女は答え、そのまま同じ外を眺めていたのだと思う。
この話はもうしない方がいい、心の温度が下がるような冬の風と散り始めた紅葉だけに今、寂しさを感じたんじゃ無いと思う。
「少し空気が寒くなった、もう冬だな」体まで冷え込む前に暖炉に火を入れなきゃだ、本当は細い肩を抱いて座らせてあげたかった。
「もう少しここにいるわ、ありがとう」半歩近づいたオレに顔も向けないアリスの邪魔にならないようにその場を発つ。
同じ寂しさを感じていたのなら、落ち着いて一人にさせてあげる事も優しさ・・・・違う、今単に1歩踏み込め無かったのは臆病からだ。
枝を落とした杉の木の下には、乾いた枝が落ちて要る。
それを拾って集め適当な長さで揃えて切ると薪が出来る。
流石に高い枝を登って切るわけには行かないが、伐採機をセットするだけで15mまで駆け上がり、枝を落としてくれるからオレは離れて見ているだけでいい。
故障とか油漏れになれば修理が必要だが、古い機械は丈夫さと修理のしやすさは一級品だ、事前に点検と整備さえしていれば早々壊れる事は無い。
1本ずつタグの付いた杉をセンサーが捕らえ、次々と枝切りをしてしている。
別の場所でオレは、前回落とした枝を集めて長さを揃えるように切る。
チェーンソウの刃は切り屑をぶち撒け地面に落ちる。
小さな屑や破片は機械の天敵なので、細かい作業はシンイチがした方が効率的。
功日彦の仕事はオレが切り裂いた薪を集め、縛って運ぶ。埃避けのマスクとゴーグル越しに功日彦達がせっせと運ぶ姿が見える。当然だが、
「シンイチ、悪いが逃げたら殺す事になってるからよ・・頼むぜ」
「忠告してくれるなんて随分優しいんじゃねぇか?どうしたんだ?」
本より逃げられる筈が無い、一体誰からどこに逃げるっていうんだ。
「ーーバーカ、オレはお前が嫌いだ。でもお嬢様を泣かすような事はもっと嫌いなんだ」
お前の首を持って帰ったらお嬢は泣かれるだろが、背中を向けて作業が続く。
叔父さんが鬼の様に笑う顔は頭に浮かぶんだが。
寒さがいつ終わるか解らない以上、余分に薪を用意するのは基本。石炭・炭・重油・灯油・ガソリンは有るし太陽・風力・地熱発電の設備はあるが、それでも備えて置くのが自然を相手にするって事だ。
すでに集めてある薪を含め、外の薪干し置き場に薪が積まれ防水シートで天井を覆う。「お疲れさま、さあ!毎年恒例の焚き火をするわよ!」イリスの号令を合図に功日彦は、よし来た!と駆け出す。飯ごう・錫製のやかん、ホイルに入った芋複数。
魚や猪肉を、薪にならない小枝や木の葉で焼いて喰うのが毎年最初にする焚き火だ。
大焚き火と最初に言ったのは誰だろう、多分オレのオヤジだろうが立ち上る煙と辺りを包む木の燃える匂いに誘われ大人達がやって来る。
片手にビールやワインをぶら下げ、ハチさんロクさん達が椅子とテーブルを運ぶ。
「まずは干した肉を炙って前菜としましょうか」叔父さんが皿のジャーキーをトングで挟み火で炙る、バチバチと油がはじけて芳ばしい煙が舞うとハサミで切って皿に落とす。
・・・あんな大人にはなるまい、酔っ払いどもめ。
チーズ・マシュマロ・バームクーヘン・甘いお菓子を炙って食べるアリスとイリス、
コトコトと蓋を鳴らすやかんのお湯で紅茶と珈琲が入れられる、こんな日が毎日続くなら、きっとこんな高すぎる青空も寒さを感じないのだろう。
「駄目だ!駄目だよ大福を炙っちゃ」それは危険な供物だ、ほかほかの餅と甘く熱い餡、それを熱熱の緑茶と一緒に食するなんて!大罪以外の何物でもない!
「じゃあ大丈夫よ、だってこれはフルーツ大福だもの」
苺・ブルーベリー桃・柿・巨峰・バナナ、砂糖漬けの果物や保存された果物と餡子を餅で包んだ和菓子世界の大発明品。焚き火に熱せられ甘みを増す果物はトロリと柔らかくなって、そのままの大福とはまた別の甘味になる。その事を知っての狼藉か!
「仏教では贅沢は罪と言われてるし、甘みは毒なんだよ。良薬は口に苦し、甘味は口に甘し、されど体には悪しだよ」甘言は国と政権を蝕む、何事も甘い美味いは危険なんだ。
「・・シンイチ、難しい言葉で場を掻き回そうとしてるの?甘いお菓子はきらい?」
イイエ、大好物です!口に入れられた甘いバナナ大福は、トロリと柔らかく甘かった。「おお恐い恐い。モチモチトロリで熱熱の餡子、後はお茶が恐い」
「・・・フフッ、紅茶で良いかしら」アリスがその手に持ったカップを口元に近づけた。 ここで飲まない選択指は無い!男には引けない時がある、今がその時!
フレーバーティは金木犀のような香り、メープルシロップに金木犀の花が漬けてある。 熱っ・・焼けた大福が頬にキスをした、「シンイチ、こっちも食べなさい・・」
こちらは干し柿のペーストと漉し餡のコラボ、ねっとりとした甘みとさらりと残る餡の甘みが口に広がる。そして差し出されたのは桜貝のような色の湯飲み。
(受け取らないって事は・・)多分出来ない、そんな目をしている。
「美味い!やはり餡子には緑茶だ」柿と餡の甘みを緑茶の爽やかさで口を整える。
バランス感覚の優れた飲料、それこそが緑茶。
肉・魚・野菜・全ての料理に合うのが緑茶という物・・唐揚げ・ピッツァ・洋菓子を除けば・・スープとかパスタも合わないか?
とにかく日本の料理にはお茶・抹茶が合う、そうは思いませんか姫。
人の飲んだ湯飲みをジッと見てないで、少しは誤魔化していただけませんかね?
「紅茶のポットとは別に急須を用意していたのはソウイウ事・・」ふーん、
怒った風に目をジトさせ口元にカップを移す、
「そう言いながらアリス、カップの持つ手が反対よ?さっきは右手じゃなかったかしら?」
「これは・・疲れたからよ・・そう、特に意味なんて無いわ」
「間接キスでそこまで気にするなんて、可愛いと思わないかシンイチくん」ハハハ。
「「そんなんじゃ無い!」」わよ、って怒るのか睨むのか赤くなるのか、
答えを求めるような目で見られても、・・・困るよね。ハハハ
「ちなみに私は妻に口移しでカフェラテをいただいた事があるよ、そのラテの甘さときたら・・・」
「「生々しい話をしないでよ!」」
叔父さんが煽ったせいで二人の娘さんの視線が自分のカップに集中して・・しないからね、そんな事する訳ないじゃないか!
「・・ああ、すまない。私の前でそんな行為に及んだら・・解るよね?」
煽ったくせに冷水をぶっ掛けてきた、アクセルを踏みたいのかブレーキを踏みたいのかどっちかにしろよ酔っ払い。
焚き火の熱で温まった体を冷やすための取って置き、屋敷の冷蔵庫から持って来たのは冷たく冷えたバニラアイス。
「仕返しだよ」あ~~ん、まずはアリスの口に一匙。熱い甘さにのぼせた舌に冷たい甘さをプレゼント。驚きながらも小さく口を開き、雛のような小さい舌にアイスが溶ける。
順番を待つように見つめるイリスの口にも一掬いのアイスをプレゼント。
匙の冷たさに驚いた舌が縮まり、小さい唇が閉じるまで口の中を観察、歯並び良い口と濡れた赤い舌・・・女性の口の中はまじまじと見る物では無いな、少しHだった。
少しの気まずさと顔の火照りは焚き火の遠赤外線のせい、赤くなっているだろう顔を下に黙々と舌を冷やし、肩を摘ままれアリスの口に一口、はんたいからも腕を摘ままれイリスの口に一口・・・余計熱が上がった気がする。
(ふぅ・・本当に熱い)顔の熱が頭まで茹だる前に少し散歩だ。
「・・・」左手を掴み、立ち上がりを支えて欲しそうなイリスが顔を上げていた。
「頭を冷やすのに歩くだけだよ?」「それでも・・付いてく・・」駄目?
そう言われて駄目だと言えるだろうか。
アリスの体は外出、特に自然の中を歩く時、その凹凸や木の根・草木や当然の反射に対応出来ない。風の動き・木の葉の揺れ、その全てが彼女の目には複雑に見え、全ての音が彼女の耳には多すぎる情報となる。だから屋敷の中と周囲しか行動出来ない。
「・・・私は・・」
本当は腕を掴み立ち上がらせるべきなのだろう、でも多すぎる情報や体の動きは彼女の脳を疲労させ、熱を出した事もある。今なら解る、体の80%が人工の機肢・臓器の彼女が熱を出す事がどれだけ彼女を苦しめるのかが。
「うん、解った。少ししたら戻るから」
熱のあるオレの額をアリスの額に当てる、少しくらいは彼女の熱も持って行くよ。
本気で熱があるかも知れない、いつもなら絶対しない事を。
ボ~~と火照る額を押さえ、左腕に感じる温もりに染まる顔に手をやるとかなり熱い。
「・・大丈夫?」腕をまわす腕と目の前に写る顔、そして唇。
「大丈夫だよ」本当に大丈夫だから、一部以外は。
ふぅ・・本当に、無防備過ぎる。そんなに体を引っ付けたら下がる熱も上がるんだよ?
「シンイチは・・アリスの事、好きだよね・・」左腕に感じる力が強い、
息が出来ないような沈黙と、返事が喉に詰まり口がパクパクと空気を噛んだ。
「だって、最初も・・今も・・ついさっきだって、アリスが先で私が後だから」
違う!それは何となくだ。好きだけど、どっちが、とかじゃないんだ。
そう言える口からは空気しかなぜか出ない、言葉が空振り唇が上手く声を吐き出せ無かった。
「・・だから、アリスを選んでもいいよ。アリスに体を上げて、それで・・」
言葉じゃない、今欲しいのは小難しい言葉とか言訳とかじゃない。
そう思ったら、体が動いていた。引き寄せた左腕と抱き締めた右手、目の前にあった唇を口付け開いた口に舌が入った。
・・・・気が付いた時、冷静になった時には彼女の舌がオレの舌に絡み、甘い息を吸うように何度も何度も口づけしてたんだ。
ぷはぁ・・・「バニラ味、だった」「・・・・うん」
・・・結局オレはどう答えたら良かったのか、指を絡ませるように手を繋ぎ、ゆっくりと歩き出す。始めてのキスは甘い、そして熱い。ぎゅっと繋いだ手が熱い、
この手をオレは放す事が出来るのだろうか。
頭は冷えたが胸が熱い、繋いだ手がぎゅっとするとその指に答えるように力が入る。
「その・・帰るまえに」もう1度抱き寄せてキスをした、今度はお互い撫で合うような優しいキスが唇に触れる。柔らかい下唇にもう一度キスをして頬にもキスをした。
「どっちが上とかじゃないんだ」
「うん」
おれは卑怯だ、だからこんな事で誤魔化した。
寂しい言葉を聞きたく無いから口を塞いだ、最低な事をした。
今も熱を持ったイリスの目に上手く答えが出せないから、またキスをした。
本当に最悪だ。
酔っ払い共の待つ焚き火に戻る。
空を見あげるアリスの目がオレを射通し、オレは自分の手を握るイリスのお陰でなんとか自身を保っていられた。
「お帰りなさい、二人とも」
アリスの澄んだ目から、背中に隠れるようにしたイリスの手が締まる。
「うん・・・ただいま、少し疲れたから部屋で休むよ」
「そう、じゃあ私も戻るわ。手を貸してくださらない?」
椅子に座ったアリスの伸ばした手を掴み、勢いを間違えて細い体が胸に体がぶつかる。左手が握られて無ければ、きっと両腕で包む形になっていた。
じゃあ行こうか、左手が熱い、そして今は右手も。
両手の熱と重みは自分の部屋に入るまで消える事は無く、彼女達の言葉はベットで目を瞑っても消える事は無かった。
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