第7話

「どれだけ甘い物に飢えてたんだい?普段はきちんと食べさせて貰ってないのかな?」

ハッ、甘みの奔流に意識が呑まれた。官能の余韻に身を任せすぎておかしくなってた。「これ程の甘物を頻繁に口に出来るような生活じゃないので、つい」

ハハハ、「この味をシンイチくんが解ってくれて助かった、我が娘達にはなかなか理解されなくて・・ね」湯気の上がる珈琲から口を離して笑う。

 高級品には高級品の、普段菓子には普段菓子の良さが有る。毎日高級品を口にしてもこの感動は得られない。

「いいかい?娘達、料理は出来なくても味くらいは解ってあげないとモテないよ。

男を捕まえるには良い餌・よい餌付けからだ」

「そんな獣みたいな・・・そうなの?」

「解らないよそんなの」冗談好きの叔父さんの言葉を鵜呑みにしないでよ。

「でも、このケーキは凄いよ!甘み苦み酸味旨味のバランスにバターの脂味、口の中でナッツを噛み砕く刺激と、変化し続ける味わい、クルミとアーモンドとピーナッツ

カボチャの種と・・それぞれが種の油として風味付けてブランデーの香りが鼻に抜けて・・・・・味覚・舌の上と口の中の触感と、ポリポリと耳まで響き聴覚を刺激、香りが鼻を抜ける嗅覚と。食べる前から全ての感覚を刺激して・・」

「シンイチうるさい!わかった、解りましたから」

 薄く切ったケーキを更に小さく切って口に入れ眉の間を縮め、「やっぱり解らないわ」 違うんだ!このケーキの美味しい食べ方は、もっと大きく切って口に頬張る様にして食べて噛んで味わって口の中を遊ばせるんだ!そしてゆっくり紅茶で舌を休ませる。

 もっと子供の様な食べ方をするべきなんだ、解って無いよ。もっとガブッっと!さぁ!

「食べ物のお土産は他にもあるよ、例えば卵焼きの缶詰とか・・」

 ピータンや半分雛に孵った卵の缶詰、デスソース・乾燥ジェロキア・黒砂糖、

玉石混交、美味そうな物もあれば危険臭のする物もある。

「椛饅頭・ひよこ?鳩サブレ?寅羊羹?・・国内の御土産も?」

「そっちはキミのお父さんに渡す方さ、彼は国内土産しか受け取らないから」

 ははは、ほんとすいませんうちのオヤジが。

 倉庫にはアリゲーターガーの皮やハンマーシャークの歯、高そうな絨毯・金ぴかの壺、 オレにはまったく価値が解らない物もある。

 部屋の中が一種不思議世界、現実離れした異世界を作って混在している。

「・・シンイチくん、これが地球だ。色々な場所・様々な民族と宗教と文化、距離が離れていれば、国が別ならそこに住む人々は不思議な習慣が沢山だ。

 少し外を歩けば異文化と多種の民族が溢れている。ここに立てばそれがよく解るだろ」

 14Gの映像と音、息遣いから脈拍まで解る映像と、空に舞う鳥や羽虫の羽ばたきを感じる音質、それでも実物には・実際に地面に立ち息づき生活する人々の暮らしを知るには及ばない。手で触れて手作りした物を持って空気を吸い、話す事でその土地を知る。

「彼等の困り事を物を運ぶ事で解決する、それが私の仕事だ。それ程大きな事を言う訳じゃないが、必要とされる仕事だと信じている」

 ただの荷運びとは違う、誰かが求める物をより正確に迅速に運び渡す。

 求める物を知るにはその土地の人に信用される必要がある、仕事も商売も契約も信用。

「だからその為には人を見る目を養う必要がある、嘘つき・詐欺師・契約違反・ゴールを動かし・契約を反故し・『欺された方が悪い』とか言う人間は絶対信用しない事。

 その為にはやはり多くの人間と話し、その土地に渡り、風土と民度を知るべきだ」

 何事も疑ってかかる事も良くないが、信じすぎて裏切られる事も良くない。

 相手にも『こいつ等は騙せる・大声で怒鳴り散らせば黙らせられる』そう勘違いさせてしまうから。

 裏切り・契約違反・契約不履行にはきっちりと報復する。してはいけない事は

『するな』と叱ってやる、これが本当の優しさだ。相手の成長を促す為にな。

 逆恨みもされよう、大声で騒ぎ・無意味に喚き散らし、関係無い所でいちゃもんも付けてくるだろう。大勢で押しかけ偉そうに圧を掛けて来るだろう、だがそんなものに屈するな、頭の悪いガキだと思って相手してやれ。無視はいけない、全てに反論し論破し、謝罪させ、国際法の順守・商売の約束は守る事が当たり前だと教えてやるんだ。


「古い契約の中には神との約束、十戒と言う物も有る。旧約聖書にも載っているような古い話だ、それだけ古い時代から人は[約束]・[契約]を大事にしてきた。

 約束・契約すら守れない人種は、古代から続く人類とは違う世界線から現れたんだよ。似て非なる種だ、姿形は似通っていても異なる種なのだ、商売相手にはならんよ」

 多分余程酷い目にあったのだろう、できればその信用のならない地区を今御教授いただけないだろうか。

「大事な人との約束は、何があっても果す。それが大人ってやつだ・・・」

遠い目をした叔父さんは寂しそうに言うと、一つの巻物を開き懐かしそうに目を細める。

(約束か、叔父さんもオヤジも誰かとの約束を果してきたのだろうか、そしてオレは誰かの約束を守っていける男になれるだろうか)


「シンイチくんは風呂か・・所でどうなんだい?彼は変わらず合格かい?」

「見ての通りよ・・それに私達の体も調整して貰ってるわ」

 食後、アリスとイリス、父親の定満はシンイチを先に休ませ、一服を取りながらテーブルに向かっていた。

「それで、お父さんの送った服は役に立ったかな?男の子なら一殺の服を厳選したが?」

 ハロウィンの仮装、クリスマスサンタ、晴れ着や浴衣、アオザイ・ハワイアンドレス、ロシアのサラファン、トルコのテュルク衣装・オーストリアのディアンドル。

「メイド服なんて着れないわよ・・恥ずかしいじゃない」

「シンイチくんが体調を崩した時に着て上げたら、一殺だぞ?・それともうさ耳看護士さんかな?そのまま男女の関係とかになってしまったらお父さんのせいかな?」

・・・・「そんな恥ずかしい事にはならないわ!大体シンイチは熱が出たら引き籠もっちゃうのよ、私達に移さないように・・」

「なら、水着はどうだったかな?思わず押し倒してしまう程魅力的になる筈なんだが」

「あんな紐みたいな水着どこで着るのよ!プールも無いのにおかしいじゃない!」

「痴女じゃないんだから!」

 真っ赤になって吠えるイリスの横で、真っ赤になって顔を染めたアリス。

 二人の様子を微笑ましく眺める顔は少しズレているが父親の顔だ。

「そう・・か、それで・・彼はどちらを選びそうなんだい?」

「「私よ」」・・・「モテる男は辛いねぇ・・・では質問を変えるよ?どちらか引くつもりは無いのかい?」

 アリスはイリスを、イリスはアリスを見つめ、目線を外す。

「・・シンイチは大人しい子が好みよ、イリスのようなガサツな女は好みじゃないわ」

「知らないの?男の子は一緒に歩いてくれるような女の子を選ぶの、部屋に籠ってばかりの子には勿体ないわ・・・・胸だって私の方が大きいし」

「同じような物でしょ、それにシンイチが誘ってくれたら私だってがんばれるわよ。

それに・・胸のサイズは関係無い見たいよ?」

「自意識過剰なんじゃない?病弱ぶってるから優しいシンイチは心配しているだけよ」

「2人共、顔を合わせれば喧嘩ばかりだね、解らないでも無いが。声が大きいとシンイチくんが来てしまうよ、姉妹が争う姿を見せたいのかい?」

・・・

「二人とも引くつもりは無くて、二人の内どちらを選ぶかもわからない・・か。アリス・イリス、二人とも自分の体の事は理解している筈だ・・このままでは・・」

 時間が無い、二人の特殊な体と環境は永遠では無い。

 歪な体はそれを受け入れるか拒絶するかで世界は変わる、受け入れる為にも、諦める為にも切っ掛けが必要。

 そして選ばれたのがシンイチ、シンイチが選び・受け入れ・二人に諦めさせなければならない。



「・・・なに?その格好、もうハロウィンだったけ?」

 イリスのネイティブアメリカン衣装とアリスのイテリメン族衣装、ロシア地域のどこ民族衣装だと思うが。

「あの人が持って来たのよ、1度も袖を通さないのも服に悪いでしょ」

叔父さん・・中々解ってるじゃないか!寒くなるこの時季に着る服装としては正解!

特にネイティブアメリカンの服装は、ハロウィンにも有る意味相応しい。

 ヨーロッパケルトから伝わった祭りは、そもそもアメリカで更に変化し、先祖を祭るお祭りと豊穣を祈願する物になった。

 で、あるなら、祖先という意味でも古きアメリカの先住民姿で死者を持て成す事は自分の一族のみならず、地域・民族の垣根を越えて、土地の古き祖先皆を歓迎しアメリカと言う国が血だけでは無く歴史・魂・精神で繋がる事を意味するだろう。

「つまりは・合格という事かね?」

 無論である、「これから少しずつ寒くなりますし、良いと思いますよ」

「毎日着て上げるには無理があるけど、シンイチが喜ぶなら・・」

「私は・・少し無理かも、首に掛かるネックレスが少し重いのよ」

「そういえば珍しいね、そんなネックレスとか腕の装飾とか」

 体のバランスを崩しやすい機肢の人間は、物に引っかかるような宝飾を嫌う。転倒も普通の人間とは異なるからだ。

・・・「そこはねシンイチくん、「綺麗だよ」とか「似合ってるよ・可愛い」って言うだけで良いんだ、そうじゃないかな?」

「シンイチはそう思う・・の?」上目使いで見られても。

「そんなのは当たり前だから・・言わないよ、それに」そう言ったら二人が競い合って飾り付けるに決っている。

 オレとしては、転倒とか引っ掛けの危険もあるのに無理して欲しくない。

「安心したまえ、他にもセクシー魔女さんや、エッチな小悪魔さんも用意した。なに?裸包帯がイイだと?その歳ではまだ早い!」自重したまえとか、言いがかりだも。

 叔父さん、自分の娘だからって何してもいいわけじゃないんだよ?その凍り付いた目を見てもう1度同じ事が言えるのか?

 って「なんでボクの方を見るんだ、冤罪だよ冤罪!」

 この国でなら白い死に装束だろうけど、ボクは二人のそんな装束を余り見たく無い。

「去年は白ゴスと黒ゴスだったね、抱きつきたいほど可愛かっただろ?」

・・・「シンイチは手を繋ぐだけで精一杯だったわ」

 アハハハ、良く憶えていらっしゃる。でも手を差し出したのはキミの方だよアリス。黒いゴシックレースの少女、月明かりの窓際で「少し寒い、手を繋いで」と言われて繋がない人間がいるだろうか。

 その少し前には白ゴスのイリスに抱きつかれたのは、彼女も少し月明かりに酔ったのだろうと思う。

 普段と違う格好は、人に普段とは違う行動をさせるのだろう。月の魔力ってのは証明されてはいないが、やはり[有る]と思う。

『月が綺麗ですね』とは、文豪の言葉だが。花も桜も美しいのに何故月なのか、そこにはやはり月の魔力が関係しているのだろう。欧州やアメリカでも満月の夜に犯罪率が上がるとかなんとか。

 夜空に上がった満月と大潮の波音に本能が揺さぶられるのだろうか。

「今のボクは冷静だからね、そんな言葉に動揺しないんだ」

「やはり私の見立て通りだな、言ったろ?男子とは、ゆっくりとした変化で慣れてしまえば強い刺激にすら抵抗力を持ってしまうよ、と」

「だからって、あんな薄着のセクシーチャイナドレスとか着れるわけ無いじゃない!」

 何を考えてるんだまったく、娘を可愛くしたいのは解るけど余所様が見たら、攫われるような格好はお勧めしない。

 美女は昔っから国を傾ける原因になる、美女を奪い合って戦乱乱世になる事だってある。『汝姦淫する無かれ』十戒にもあるだろ?それだけ美女ってのは奪い合う原因になるんだ。欧州だって奥さんや娘を簡単には城から出さなかっただろ?奪われる事を恐れたからだ。知ってるだろ?美女が原因で人間が死ぬ事だって有るんだよ。

(たしか・・董卓と呂布が、そんな感じだったとか?)

 いつの時代もどんな国でも可愛い娘は大事にしろって事だ。

そうなって箱入り過ぎても駄目だろうが、しっかり男を見定めてだな、多少世間知らずでも男がしっかりすれば・・・って言うのは古い考えなのだというのは知っているが、大事な人を大事にしたいと思う気持ちは解るだろ?

「人攫いを呼ぶような格好は賛成出来ません!そういったのは時と場所と相手を選ぶべきです、それに・・あんまり肌を露出するような格好は、駄目だ風邪引いちゃうだろ?」

「いい男はね、女性が肌を露出していたら上着を掛けてやるもんだよ」

叔父さん的には、『風邪なんか引かせないよ』とか言ってベットに連れ込むくらいじゃないと、それこそ大丈夫かと心配になるよ。などと被告人は申しておりました。

 二人の姉妹から強い視線を感じる、「そりゃぁ当然上着くらい貸すさ、でも」それって本末転倒じゃないか?

 薄着をしてるのにオレから上着を剥ぎ取るなんて、真夏に炬燵に入るような矛盾だ。

「そんなに不思議な事はない、異性の衣服に興味を持つのは何も男だけの特権じゃない。私の奥さんだってそりゃぁもう・・」

 生々しい事を言い出す前に話を変えよう、

「今回の休みは長く取れるの?それともオヤジの研究結果待ち?」

 姉妹の調整は当たり前として、研究の支援者・出資者でもある叔父さんには研究の推移を示す必要がある。(たしか完全無人調整だったか?)

 今の所は、彼女達を寝かせ設定数値を睨み調整する必要があるが、少し前時代なら一日作業の上に、被験者には部分麻酔でゴリゴリと施術していたのだから時間短縮にはなっている。大体成長予定の計算と実際の成長度合いが違う、人間の体は微に入り細かく調整する必要が有る。

 人間の体の細かい部分の調整は、機械にはまだ難しいだろう。

「ああ、それは・・一応必要ではあるが・・もういいんだ」

「まさか支援打ち切りですか?肉親だから言う訳ではありませんがオヤジのヤツは良くやっています。それこそ一日中研究室に籠って寝る間も惜しんで」

 違う、出資者からすれば研究者の努力なんて興味が無い。結果だけ、成果報告だけが重要。ここでオレがオヤジのフォローをしても意味が無い、無いのは解っているが。

「そう言うんじゃ無いんだ、お父さんの研究の事は良く知っている。それに支援の打ち切りってたって、そもそも私はお父さんの研究には融資しておらん」

?・・「どう言う事ですか?」オヤジの研究に協力する形でここに住わせて貰っているんじゃないのか?

「・・・ここまでよく隠し通せたと関心するよ、実の息子ですら何も知らないなんて。シンイチくん、キミのお父さんの研究、完全自動調整はすでに完成しているんだよ。 娘達には特別に調整して貰ってはいるがね」

?・・ならなんでオヤジは研究室に籠ってるんだ?何をやって何を研究している?

「実の所、ハチ・ロク・そしてクマもそうだが、アンドロイドと機肢の調整は90%は同じ物、人間に対して施術する場合でも安全と衛生面をクリアしたカプセルを使いって調整をする。アリス達のように細かく設定しない分、痛みや違和感はあるだろうが、

人間は少しの違和感なら数日もすれば慣れる。今お父さんがやっているのはもっと別の」「人体の部分細胞による完全クローン、そして記憶の移植だ。」

 人体の中で健康な細胞を使った[完全な体を持つクローン]癌化や成長異常、色素やテロメアの正常化。たしかそれは・・・

「医療倫理違反だよ、それでも叔父さんはやらなきゃ駄目だったんだ。わかるだろ?」

 叔父さんは2人の娘に目をやり、寂しそうに綻んだ。

 手足だけでなく、ほぼ全身を機肢と人工臓器で生きている2人。確かに完全な子供 パーフェクトベイビーを求める親が殆どだと知っているが・・・違うだろ!

「2人に完全な体を与える為に、クローンを作ったというのですか?」

 医療倫理違反に抵触するため、機肢と言う技術が発達したんだ。人工臓器だって細胞をクローン化することで癌化や細胞寿命を縮めるから、工学技術を進歩させたんだ。

「このままでも十分魅力的な女性達でしょ?なんで・なんで三人目を求めたんですか!」

「違う・・違うんだよシンイチくん、アリスもイリスも私の大事な娘だ。そして2人は私の大事な・・大事な1人の娘でもある・・のだ・・よ。

 私の妻・・・この子達の母親もそうだ、今の医療でもどうにもならない難病を持って産まれてきたんだ」

 難細胞性炭化病、体にある十兆の細胞の中である日突然炭化を始め、神経・消化器・骨筋細胞が黒死始める難病。

 原因すら不明でいつ発病するかも不明、人類が長寿になりすぎたせいで、細胞の中に眠っていた死の因子が目を覚ましたとも言われる病。

「腕を取り替えても・足を取り替えても・内臓をとりかえても・脳の一部を切り取っても再発するという病さ、お陰で私の妻は体が弱り、彼女を産んで直ぐにね」

 治療薬は無い。細胞の大本DNA異常の可能性が高く、発病するまではどの幹細胞が異常を起こすのかすらまだ解っていない。

「だが幸いな事に・ハハハッ何が幸いな物か!私の娘は産まれて直ぐに発病したんだ! 産まれて2週間も経たないうちに!まるで私から彼女の全てを奪うように、みるみる黒く染まっていく我が子に、救いの手など有る物か!・・・だから私は彼女が・・彼女が生きている間に炭化していない細胞を切り取り、彼女を生かしたんだ!」

「・・・何度も何度も、泣いて啼いて涙を流す彼女を切り刻み、心臓が黒く染まる我が子を見捨て・・なぁ・・シンイチくん、私は正しいのか?それとも間違っているのか?・・」

「桐山さん、あなたは間違ってない。そして彼女達もそう思っている筈だ」

「オヤジ!」もう訳がわかんねぇ、アリスがそのクローンだとしても、じゃあイリスは誰のクローンなんだ?2人は別人だろ?

「最初のクローンは姿を留める前に発病した、次ぎも・その次ぎも。そしてDNA治療の繰り返しで、ようやく人らしく成長したのがアリス、彼女だ」

 手足や内臓・目・耳・舌・鼻を失い、それでも彼女を構成する細胞は難細胞性炭化病に打ち勝った。

 その真っ暗でなにも無い世界で彼女は産声を上げ、人形のように[生きて]いた。

「私はそれでも諦めなかった、アリス以降何人もの妹達を失敗させた。その時連れて来たのがお前だ」

「・・・私の機械の目に色が付いたの、シンイチ、貴方の周りだけ。声だって聞こえたわ私は貴方に触れる為に手を伸ばし、貴方の笑顔に触れたわ」憶えてるかしら?

 触り触れ、不思議そうに見つめていた少女の事は憶えている。

「お前を連れて来た日、そう!その日だ!もう無理だと諦めて始めていたその日。

内臓まで発達し病兆の無いもう一人が目をさましたんだ、その子がイリスだ」

「同じ脳、同じ細胞だからこそ、なにかを感じたのかも知れない。私はそう思ったんだ、 だからシンイチくん、キミと彼女達を一緒に生活させれば、完全な形で娘が目覚める。そう思った、信じたんだよ・・奇跡を。

 ただ起らないから奇跡、叶わないから希望・・現実がどれ程残酷か、知っていたつもりだったんだ。ただね、1度奇跡を目の前にして縋らない人間はいないんだよ」

 残酷な神は娘を切り裂いた父親に罰を与えた、完全な器の空っぽな娘を与えた。

脳細胞の成長も脳神経も正常、だが目覚め無い。

 人工呼吸器と人工心拍を与えないと魂の器が崩れ失われる、生きた細胞の塊。

 一方はシンイチを見つめ微笑む娘、一方は徐々に弱りながら眠り続ける娘。

「だから私はキミの父さんの力を借りた、肉体と脳神経を繋ぐ技術を、眠り続ける娘に使う為にね・・・」

 脳と脳の接続は禁忌とされる技術、当然倫理違反だ。

 人間の脳と脳を繋いだ時人間の意識や思考、記憶が同調し意識の混濁と混乱を起こし双方の脳神経・精神に負荷を与える事が証明されている。

 いたずらに脳と脳を繋ぐ実験はそれ以来禁止され、今では人体実験や動物実験も禁止されている。

「脳と脳を繋ぐ技術は禁止されているのは知っている、だが仮想世界に脳を繋ぐユグドラシルや剣世界のような物は存在する。つまり脳とサーバーと脳を繋ぐ技術は禁止されてはいない、ならば脳の情報をサーバーに・サーバーから脳に情報をリターンすれば?」

 仮想世界の経験を現実世界で使う技術、それは高速授業カリキュラムと同じ技術。

 仮想世界での学習を脳は記憶し、経験として蓄積・後に現実世界で実戦させる事でより短期に人間の実戦使用を可能にさせた。

「二人から受け取った記憶を器に流し込み、眠る脳には二人の経験が記憶されている筈。あとは娘が目覚めてくれたら・・そう思っていたんだよ。」

「だが、肉体には限界が来る。生きた人間は強くとも、[生かされている]人間の体は弱い。器の衰弱は・・つまり死だ、体だけじゃない、脳も消化器も循環器も骨も、  弱って行く、生物の限界死だ」

・・・・

「知ってるかね?細胞性炭化病の死は地獄だよ、内臓から炭化が始まれば痩せこけ、 肺・血管が炭化し末端への血が止る。痛みは常に全身に起り、それが死の警報として患者を苦しめる。脳が冒され記憶が蝕まれ始めたら、患者は訳が解らないままに苦しみ、吐き出し息も出来ず、苦しみ悶え死ぬ」

 顔の肉も皮膚も骨も、至る所が腐るように炭化し美しい死に顔は無い。

「最後に・・意識がある内に彼女は言ったんだ・・娘を幸せに・・と、土葬しようにも、苦しみ悶え歪み崩れた体を彼女は望まなかった。

 だが炭化した死体を焼けば骨すら残らないんだ。私は彼女の望みすら叶えられない、娘を切り刻み、箱詰めし衰弱死させるだけの脳無しだ。・・私はね、彼女の・・病床の彼女に泣いて誓った事すら守れなかった」

 約束を守れない人間を信用するな、それは叔父さんが最も多くオレに教えた言葉だ。

一つの約束を・死んでいく愛する人との約束を守れない苦しみに悩み続けていたのだ。

「・・二人が幸せじゃ駄目なんですか、アリス、イリスが幸せなら」約束を守った事にはなるんじゃないか。

「・・それは、無理ね・・」

「なんでだよ、」おれが幸せにしてやるなんて言えないけど、幸せになるまで傍にいてやるくらい出来る。

「シンイチがアリスを選んだら、私は多分駄目。自分と同じ女にシンイチを盗られたら、私は・・」

「私も同じ・・嫌だけどイリスと同じ、私と同じ存在なのにって、」

 悔しくて苦しくて妬ましくて、憎悪と喪失感で彼女達の意識が切れて消える。

そう言った。

「同族嫌悪、シンイチも知ってるだろ?彼女達は必要以上に接触を避けている事を。

 その一方に最も大事な存在を奪われて、最初に考える事は略奪・次ぎに排除・そして自己嫌悪だ。シンイチはどちらかを選んだら、その一方を大事にするだろ?」

「どっちも大事にするさ、家族だろ!」

「その家族でも・・愛情に順位ができる、下位に置かれた者は嫉妬し順位を上げようとするだろう、そうして一方を庇えば一方は妬む。その汚さ醜さに自己嫌悪するんだ」

「それにね、私は最後の賭けに出る。そのテーブルを用意したのがキミの父親だ」

「脳に全ての記憶を移す、写すでは無く[移す]だ、目覚めた時の記憶から何から全てを器に流し込み、器を彼女その者にする」

「完全な体、欠損の無い・異常の無い、人の肉体。シンイチくんが選んだ方にその体を与える。娘2人と私達が何年も話し合って決めた事だ」


「イヤおかしいって、その・完全な体・・が・二つあればいいだろ?なんで」!

 机に拳を叩き着け、怒りの顔をオレに向けた。

「私にこれ以上娘を切り刻めと言うのか!私に娘をまた殺せと言うのか!」

「最初、同時に始めたクローンは八体、脳と生命をギリギリ保て生き残ったのはアリスただ1人。その後失い死んで逝ったクローンを入れ替え続け、二年後に頭・首・内臓を持って目を空けたのがイリスだ。そのあとも何度も失敗と屍を積み上げ産まれたのが今の器だ」

「私は彼女が完全な体と解った時、何度も検査して健康だと解った時に全てのクローンを停止させた・・・・・もうこれ以上娘の死体は見たく無い、そう思うのは間違っているかい?」

 奥さんに似た顔の、託された愛情。その娘を殺し続け・死体を作り続けた父親は限界だった、

それに「もし彼女達が目を覚ました時、シンイチ、キミを選んだらどうなっていた。今いる2人はどうなっていた?完全完璧となるまでクローンを作り続け、不完全なまま産まれた娘達は?お前を殺して娘達にクローンを渡してやればいいのか?」

 2人の為に・・・殺されてやる事には・・ギリギリ・・了承はできる。多分オレは彼女達の笑顔の為なら大丈夫だ・・と思う。

「シンイチを殺したら、貴方を殺したあとで私も死ぬ。クローンなんか要らない、私は今のシンイチに愛されたいの、模造品は要らない」

「私もそう、触れて・笑って・髪を撫でた貴方が好き。それ以外の偽物は要らない」

「モテモテだな、我が息子ながら呆れるな」

 オヤジ、茶化すな。・・・駄目だろ?おれは2人を兄姉とかそんな感じで、それでどちらも幸せになって欲しくて・・選ばれ無い方が笑ってくれないとか、駄目だろ・・・

「私はね、シンイチ。キミが憎くて悔しくて仕方無かったんだ、でもな娘の為だ。

妻との約束だと思えば我慢できた、笑っていられた・・だが父として娘を・・片方の娘の命すら選択出来るお前が憎くて仕方無いんだ。だから私は・・選ばれ無かった方の娘と共に引退するつもりだ。

シンイチくんはなにも心配しなくていい、キミに選ばれ無かった方の娘は私が支える、残りの人生全てをかけて慰め忘れさせる。なに、自殺や復讐などはさせない。 2人の幸せを願うように余生を過ごすさ。

 全てをキミと娘に托し、私は死んでいった妻と殺して来た娘に謝りながら娘と共に生きるつもりだ」

 そしてもう2人には会うつもりは無い、そう口にしてオレを見つめる。その目は狂気も達観も喜びも悲しみも怒りも無い、まっ直ぐな目。

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