急転直下


 ――菅沼が、本性を出して来やがった‼


 反射的に扉の取っ手に手を掛けた所で、ハッとして思い止まる。……いや、まだだ。まだダメだ。砂音はまだ何も話していない。いよいよヤバくなるまでは、まだ邪魔してはいけない。

 第一、こちら側の扉も当然施錠されている筈だ。いざとなったら、人を呼びに行くべきか。それとも、まずはノックで圧力を掛けて様子を見るべきか。考えている間にも、扉の向こうでは菅沼の言葉が続いていた。


「時任、彼女が出来たそうだな。釣れないのは、その所為か?」


 砂音は何も答えない。不安になる。何か考えがあるとか言ってたが、この状況で本当に大丈夫なのか? すると菅沼は、次にこんな事を言い出した。


「……彼女に、お前の噂の事を話したら、どんな反応をするだろうな?」


 紛れもない脅迫じゃねえか! 身構えたのは俺の方で、当の砂音には動じた様子が無かった。至極冷静な口調で応じた。


「彼女は、知っています。止めてくれたのが、彼女でしたから」

「ほう? 理解のある恋人で良かったな。……だが、お前の両親や学園長になら、どうかな?」


 菅沼は全く諦めていない。砂音の表情もやや強張った。


「噂を裏付けるような証拠でもあるんですか?」

「残念ながらそちらは持ち合わせていないが。教師の俺が相談したら、真面目に取り合って貰えるだろう」

「……先生の目的は、何ですか?」

「言われなくても分かっているだろう? お前がこれまで、〝頼まれてしてきた〟ような事だ」


「男相手は初めてか?」そう言って、菅沼は下衆な笑みを浮かべた。……くそっ、ぶん殴りてえ。


「安心しろ。お前が大人しくいい子にしていれば、誰にも話さない。これから作る〝新しい秘密〟は、彼女にもバレないようにしてやろう」


 悪魔の囁きを漏らしながら、菅沼が砂音に近付いていく。砂音の背後はデスク。逃げ場が無い。どうする。そろそろ止めるか。二人の距離はどんどん縮まっていく。やがて、目前に迫った菅沼が、砂音に向かって手を伸ばしかけた時。


「――先生」


 変わらぬ落ち着いた口調で、砂音が呼び掛けた。その手には、掲げられたスマートフォン。光を帯びたそこには、おそらく何某かの画面が表示されているようだが、流石にそこまでは俺からは見えない。

 今にも扉を叩こうとしていた俺が虚を衝かれて手を止めたのと同じように、菅沼も中途半端に挙手したまま、静止していた。眼鏡の奥の視線は、どうやらスマホの画面に注がれているようだ。驚愕の表情。


「駄目ですよ? こんな所で吸っちゃ……。屋上の鍵当番を終えた後は、何処で一服をしているのかなと思っていたら……。化学薬品の置かれた準備室なんて、何処よりも火気厳禁でしょう」


 一瞬、何の事かと思ったが。淡々と告げる砂音の言から鑑みるに、あのスマホの画面には、どうやら菅沼が化学準備室で喫煙をしている何らかの証拠でも示されているらしい。菅沼が忌々し気に舌を打ち鳴らした。


「いつの間にそんなものを……」

「昨日、先生が自らこちらに招待して下さったので、その時に。……大変でしたよ? 先生、なかなか俺から目を離してくれないから……。だから、学生証を落としたんです」

「! わざとだったのか」

「ええ……先生なら、拾うんじゃないかと思ったので。その隙にカメラを仕掛けました」


「よく映っているでしょう?」――光る画面を顔の横に並べて、砂音は可憐に微笑んだ。

 その笑顔を、唖然と見詰める俺と菅沼。昨日、あの場でそんな事をしていたのか。全く気付かなかった……。

 砂音の〝考え〟とは、これだったのかと。俺が内心一人で納得していると、菅沼の手が砂音の持つスマホに伸びる。それを、さっと遠ざけるように上方に持ち上げながら、砂音は忠告した。


「これを奪っても無駄ですよ。他にもバックアップを取ってありますから。……安心して下さい。先生が、俺も何もしませんから」


 華麗な脅迫返しが決まった。悔し気に顔を歪める菅沼に、留飲が下がる。すげえよ、砂音……。俺が半ば呆けたように感心していると――しかし。


「くっ、くく」


 菅沼が突如、不穏な笑みを漏らした。直後。砂音の腕を掴んで、背後のデスクの上に押し倒す。


「――!」


 反動でスマホが砂音の手から飛び、床に落下した。菅沼はそちらは気にする事無く、不敵に言い放った。


「甘いな、時任。こちらの材料が弱いのなら、新たに弱みを作ればいい。……可愛く撮ってやるよ。俺に乱される様をな」


 血液が沸騰した。頭に血が上る。もう後先考えずに、俺が扉に体当たりをかまそうとした時。


「……仕方ないな」


 砂音が、ぽつりと呟いた。そして、次の瞬間――菅沼の胸倉を掴んで引き寄せ、唇を重ねた。

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