飛んだ、理性の先。


「――大丈夫じゃねえだろ」


 気付いたら、声に出していた。叩かれたように、砂音が顔を上げる。何とか弁解しようとする、その唇を――塞いだ。

 ヘーゼルの瞳が驚きに見開かれる。紡ごうとした言の葉の出口を遮られ、声にならない声が漏れる。その振動が。生暖かい砂音の唇から、俺の唇へと伝わってきた。


 ――柔らけぇ。


 おもむろに奪った親友の唇は、何だか別の生き物みたいで。戸惑うように小さく震えては、逃れようとする。しかし、理性のたがが外れた俺は、それを許さない。

 逃がさないように、砂音の後頭部を掴んで。一層唇を押し付ける。そのまま、開いた口唇の隙間から、舌を挿し入れた。


 砂音の喉奥から、困惑の音が鳴る。抗議するように、俺の胸元を手で押してくるが、力なら俺の方が上だ。

 舌先で相手の口内を優しく撫で、抵抗の力を削ぐ。奥で縮こまった砂音の舌を見付けると、そっと絡み取った。びくりと小さく跳ねては、背を弓なりに反らす反応が、愛おしい。


 そこに手を添えるようにして、抱き寄せた。こちらを押しのけようとする手は、与えられる快楽に震えるだけで、もう用を為さない。

 密着する身体から、温度と鼓動が伝わってくる。俺のキスで、こんなに熱く早くなってるのかと思ったら、得も言われぬ悦びが駆け上がった。


 けれど、それ以上に――はらわたが煮えくり返る想いが勝っていた。

 それを払拭させるように。貪欲に相手の唇を貪り、口内を蹂躙した。脳が痺れる感覚に、自分と相手の境界線が分からなくなる。

 このまま、溶けて一つになれたら、どれだけいいだろう。


 やがて、ずるりと。立つ力を失った砂音が、腕の中で崩れ落ちた。反動で口が離れていく。唾液が名残を惜しむように。二人の間で糸を引いては、中空でぷつりと切れて、口元を汚した。

 暫し酸素を求めて苦しげに喘いでから、砂音は改めて俺を見上げた。熱に潤んだ、ヘーゼルの瞳。そこには、激しい動揺が浮かんでいた。


「ッ……なんで、こんなっ……」


 訴えるような、問い掛け。

 ――なんで。なんでだろうな?


「……菅沼に、何処までされた?」


 答えの代わりに、質問を返した。砂音が再び瞠目する。


「今みたいに、キスはされたのか? ……その先は? 肌は見せたのか?」

「千……真?」


 惑う砂音を、壁際に追い詰める。そうして、そのシャツに手を掛けた。


「お前は普通に女が好きだから……。それでいいと思ってた。なのに、何で……他の男に」


 思わず、零れた本音。砂音が、息を呑んだ気配がした。その唇が、何かを紡ぐ前に。――力任せに、掴んだシャツの前を開いた。ちぎれたぼたんが飛び、陶器のような白い肌があらわになる。


「千真⁉ 何を……っ!」

「ここには、触られたのか?」


 抗議の言葉を無視して、形の良い鎖骨を指先でなぞる。砂音の肩が跳ねた。


「……ここは?」


 一方的に問いをぶつけながら、指先を徐々に下へと滑らせていく。その度に。呼気を乱れさせながら、砂音が制止の声を上げた。反応の良さに、要らない想像が掻き立てられ、余計に苛立つ。


「こっちは?」

「――千真ッ‼」


 ズボンのベルトに手をかけた時。これまでで一番大きな声で呼ばれた。脳を揺さぶるような、悲痛なその響きに。見ると砂音は――泣いていた。

 手が止まる。砂音は小さくしゃくり上げながら、か細く震える声で――。


「こんなの……やだよ」


 そこで、目が覚めた。


「……は?」


 気が付いたら、俺は自分の部屋のベッドの上に居た。あまりにも突然。今しがたまで見ていた筈の情景が途切れたもんだから。自分の置かれた状況が把握出来ない。


 ――待て。今の……もしかして、夢か?


 そうして、気が付いた。……そうだ。夢だ。思い出した。だって、俺は。昨日、あの後。

 結局、砂音に何も言葉を掛けられずに、終わっていたのだから。


 砂音が菅沼に、何かされたと悟って。心に黒い靄が掛かった。何処かで、何かが切れた音がした。――けれど、それが何か。分からなかった。分からないままに、普通に日常の残りを過して。いつも通りに床に入った。


 それで見たのが、今の夢だ。


「……嘘だろ」


 知らず、声が漏れた。自分で、自分が見た夢の内容に、唖然とした。

 何だよ、今の夢。なんだよ……まるで、あれこそが、俺の願望みたいな。


 いや――嫉妬だ。


 唐突に、理解した。俺は、菅沼に嫉妬したんだ。


「は? じゃあ、なんだ?」


 ――俺は、砂音の事が……?


 愕然とした。――気付かなかった。気付きたくなかった。

 だって、相手は永年の親友だぞ? 純粋に友情を向けてくる相手を、俺は……そんな目で見てたのか?

 脳裏で、夢の中の砂音の表情と言葉が、再生される。――『こんなの……やだよ』


「――最低じゃねえか」


 頭を抱えた。自分に反吐が出る。

 それでも。一度気が付いてしまった想いは、確かにそこに存在していて……消えてはくれそうになかった。


 いつからだ? いつから、そんな事になった?

 アイツは親友で。普通に女が好きなんだぞ。しかも、もう彼女まで居るんだ。

 今更自覚したって、どうしようもない。俺は、いつの間にか――手遅れの恋に、落ちていたと知った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る