聖夜前線
舶来おむすび
聖夜前線
タン、タン、タタン、タン!
鉄骨を駆け上る足音が、近くの鉄骨にぶつかって跳ね返る。数百の階段をお行儀よく昇っていくなんてマネはしない。タワーに対して垂直に、地面に対して平行に。物理法則を無視しながら上へ上へと向かい続ける2つの影は、ほぼ同時に頂点の避雷針を掴み、急停止でぐらつく身体のバランスを保った。
肺が凍るような呼吸を続ける片割れの耳に、砂嵐のような音が届いた。左右にあしらわれたミンクコートの特注ポケットを漁るまでもなく、はなからわかりきった表情で空いた片手をそこへ突っ込む。
『γ-7、配置完了しました。いつでも指示をどうぞ』
「オーライ。そのまま待機していてください」
ミンクのコートに袖を通した白い手が、黒々と厳ついトランシーバーのスイッチを切り替えた。
ランドマークの真っ赤なタワーは、今日という日に合わせて衣装を変えている。最新型のホロライト、とか言っていたか。剥き出しの鉄骨が緑一色に塗り替えられ、そこかしこにメタリックな星やボールが投影されている。浮かれた地上の空気は、孤高の建築物さえも季節の色に染め上げていた。
電波塔としての役割をも果たしているタワーの、『立入禁止』の札も遥かに遠い位置に立つ2人だけが、今この巨大なツリーの中では紛れもなく異物。
馬鹿馬鹿しい、と眼下の喧騒を鼻で笑う部下の前で、しかしふかふかの上着に身を包んだ上司だけは別の意味で鼻を鳴らしていた。通信機を握る手に息を吐き吐き、赤くなった鼻をマフラーの中にうずめる。
「行きたかったな。パーティー」
「行けたじゃないですか。お似合いですよ、ドレス」
「着替えて会場に踏み入れたの足だけなんだからね? ああ、今頃はシャンパンにチキン、キッシュにケーキのはずだったのに……」
おりしも吹いた寒風が、両者のコートの裾を巻き上げて、中身を外気にさらけ出す。
上司の方は、脚にぴったりとまとわりついたマーメイドドレスと、その下に覗くピンヒール。どちらもつやつやと光をたたえており、なるほど華やかな社交の場には似合いの格好だろう。しかし悲しいかな、それを褒めてくれるタキシードを着こなした優男はこの場に一人だっていやしないのだ。
ファッションもへったくれもない身だしなみの副官、というのも悲劇的な状況に拍車をかけている。迷彩柄のズボンに軍用ブーツ、おまけに上着は軍用の正装コート。ミリタリー全開のオタクめいた装いだが本人はいたって真面目である。彼を擁護するのであれば、ベトナムに長く居すぎた過去がTPOの選択に少なからず影響している可能性くらいか。
正直なところ、事あるごとに「失敗だったかなこの採用……」と思わないでもなかったが、仕事という一点に絞ればこれほど有能な人材もいない。というわけで、裏でこそこそやるより表で動きたい派手好きのエージェントは、深く深くため息を吐いた。
「ここ、ジャングルはジャングルでもコンクリートジャングルよ。何回も言いますが」
「
古傷だらけの掌で、部下はこれまた古傷だらけの顔を手持ちぶさたに触っている。かさぶたを弄り始めるのは今に始まったことではないが、精神衛生上好き好んで見たい光景かと問われれば、全力で否と叫ぶ自身の姿が目に浮かんだ。
「あなたねえ、本当にそういうところ……」
『隊長! 来ました、
鋭い声がトランシーバーから飛び出したのと同時、地上の空気がドロリと変わった。タワーの頂点からも感じ取れるほどのおぞましい気配に、2組の双眸が思わず歪む。宝石箱をひっくり返したような灯りの群れが、じわじわと黒い靄に飲まれていくのが嫌になるほどよく見えた。
さながら、底の知れない沼に沈むがごとく。
「始まったか」
忌々しげな部下の一言が、まったく見事に上司の内心を代弁していた。
聖夜前線 舶来おむすび @Smierch
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます