第3話 Septender,2001 ②(ペニスと戦争)

 ぼくの金玉でつくられる精子が卵子とくっつくと子供ができる。

 

 卵子は、女の人の身体でしかつくられない。女の人は精子をつくることができず、男の人は卵子をつくれない。そのくっつかせる作業をセックスと呼ぶらしい。ここまではわかった。でも、なんでぼくは卵子をつくれず、アイギスは精子をつくれないのだろうか? ぼくとアイギスは一番の仲良しだった。保育園の年少の頃からずっと仲良しで、何をするにもふたり一緒だった。でも、ぼくと彼女がつくることのできる赤ちゃんの種は、かたちが違っていた。家に帰ってからもぼくは、ずっとその考えに憑りつかれていた。なんで、ぼくらは一緒じゃないんだろう?


 夕方になるとお母さんが帰ってきて、ぼくらは夕食にハンバーグを食べた。その後、ぼくの担当なので浴槽を洗って湯を張り、ぼくは入浴した。熱い湯に包まれながら、あの本に書いてあった手順に従うように、ぼくは自分のペニスを掴んで上下に動かした。やがて大きくなった。それでも、ぼくは手を動かし続ける。頭の中は好奇心でいっぱいだった。やがて、腰の辺りがぞくぞくとし始める、昨晩起きたばかりのときにあった感覚だった。息遣いが荒くなったぼくは、より激しく手を動かす。何かがそこまで来ていた。せり上がる感覚を覚えて、熱い塊が尿道の手前でくろぐろとした欲望を膨らませていた。ぼくは短く息を漏らした。ペニスから端を発するしびれるような快感が足先まで広がり、頭の中を真っ白にさせた。お湯の中には溶かした小麦粉のような塊が泳いでいた。ぼくはそれを両手ですくう。これが精子。赤ちゃんの種。猛烈な哀しみがぼくを襲った。ぼくは嗚咽を漏らして泣き始めた。これが、アイギスの作れない精子。ぼくは精子を排水溝に流した。



 お風呂から出ると、お母さんはリビングのソファにいた。缶ビールを片手にニュースを見ていて、ぼくを認めると麦茶を持ってきてくれた。ぼくは恥ずかしくてたまらなくて、今すぐに自分の部屋に行きたい気持ちを堪えながらソファに座った。

「このニュースについて先生は何か言っていた?」

 ぼくは濡れた髪のままお母さんの隣に座って、麦茶を一気に口に含む。火照った身体に冷たさが浸透してゆく感覚が心地良いが、恥じの感覚は中々消えてくれない。

「米国が戦争を始めるかもしれない、って言ってた」

 お母さんのようにぼくもニュースを眺める。画面の中では米国大統領がテロとの戦いを宣言し、犯行グループと思われる団体へ宣戦布告を行っていた。実際、戦争が起きたのだった。

「日本は巻き込まれるの?」ぼくは素朴な質問をしてみた。


「日本と米国はね、大変な時には助け合いましょうっていう約束をしているの。日本は昔に大きな戦争をしているんだけど、その経験から戦争はしません、っていう約束をしているのね。だから日本が戦争に巻き込まれることはないけど、米国を助けに行くことはあるのかもしれないね」

「戦争には巻き込まれずに助けに行くの? どうやって?」

 お母さんはぼくをちらりと見た後にビールを一口飲んだ。返答に迷っているようだった。

「たとえば米軍が戦いに行く。すると色々なものが必要になってくるよね。武器や食べ物とか。そういったものを届けに行くとか。そんな感じかな」

「武器を持って戦いに行くってことは、人が沢山殺されるの?」

 夏にみた戦争特番を想い出した。亡くなった祖父母の墓参りに行く時期になると、テレビでは決まって戦争特番が多く組まれる。ぼくは一度も会ったことがない祖父母を想うとき、知らない人たちが沢山死んだときの映像がテレビでは流れるのだった。そういった映像をきちんと見たことはなかったが、アニメ映画だけは見たことがあった。ぼくと同じくらいの兄妹が雑巾のように扱われる話。空から降る無数の爆弾が家々を焼き、焼死体を踏み越えて逃げゆく坊主頭の兄とおかっぱの妹。あの映画を観たとき、ぼくは恐怖に怯えて自室で眠れず、母のベッドでもぐりこんで眠った。

「うん、たぶんそうなる」

 お母さんは、いつも率直に話してくれていた。思えば幾何かの逡巡はあっただろうに、母は正直に世界の現実を話してくれた。おやすみ、と言ってぼくは自室に戻った。



 部屋に戻ったぼくはベッドに入って目をつむる。身体の輪郭が失われて、心が周囲の闇と同化してゆく。この闇に、ぼくの恥と恐怖が混ざってゆく。ぼくを焼く初めてのマスターベーション後の恥の感覚が、闇の中で戦争への恐怖へと繋がってゆき、その恐怖はアイギスとぼくが違う種類の人間だという恐怖とも結びついてしまう。その中、ぼくのペニスは勃起していた。この現象が恐ろしくてたまらない。なぜこうも猛烈に恥ずかしく、そして恐ろしくてたまらない闇の中、ぼくのペニスは勃起しているのだろう? ペニスが勃起するのは射精するためだと、今日の昼休みにぼくは知った。ぼくはいま射精をしたいのだろうか? 米国では大量の人間が死に、イラクではこれから死ぬ。その中、ぼくのペニスは射精を求めている。今夜ぼくのペニスは遠い国の戦争と深く結びついてしまっている。

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