第3話 欠損バー

 彼と親しくなったのは、去年のことだった。


 彼は同じ大学の医学部生なのになぜか民俗学の講義に出席していて、なんでだか帰りに声をかけられた。そのまま互いの友人と連れ立って、私たちは学食で昼食を一緒に取った。

 彼らは妖怪研究会とかいう妙なサークルの一員だった。団体名そのままに妖怪を研究するサークルで、とは言え研究とは名ばかりで、妖怪好きな人が集まっているだけらしい。彼もまた幼いころに見たアニメがきっかけで妖怪に関心を持ったそうで、なかでも一番好きなのは〈ばく〉という人の夢を食べる妖怪だと語っていた。初対面でそんなことを話されたので変な人だなあという印象を抱いたけど、それが逆に私を安心させた。以来、交友関係は続いている。


「この腕ね、交通事故って説明したけど。あれ嘘なんだ、ごめんね」

 そう口火を切って、経緯をすべて説明する。入った店には私たちと同じような大学生が沢山いて、彼らの騒ぎ声が時々に私の声をかき消した。彼は私のか細い声を決して聴き洩らさないという面持ちで、じっと耳を傾けてくれている。彼は相槌の度にレモンサワーを一口飲んだ。誘ったのは私なのに、私はハイボールに口をつけなかったから、グラスの底はびしょ濡れになっていた。話し終えてからようやくグラスを手に取って口に運ぶと、水がスキニーに垂れた。炭酸は、すっかり気が抜けていた。

「存在しない腕を切る方法か」彼は思案げに、何度も繰り言をする。

「なんだか一休さんみたいだ。屏風の中の虎を捕らえてみせましょう」

 私は、彼の様子をじっと覗っていた。そこには嫌悪や拒否は感じられなくて、真剣に私のことを案じてくれているようだった。つき離してくれない彼が気に食わないのに、どこか安心している私もいる。ままならない感情に腹が立った。そんな私に彼が、

「ちょっと連れていきたい場所があるんだ。そこで飲みなおそう」


 連れていかれた先は、とあるバーだった。細々とした路地を抜けた先に建つマンションの一室で、重たい鉄扉を開ければ一枚板のカウンター奥に店員が二名立っている。一人は、片腕の肘から先を私同様に欠損させていた。もう一人はカウンター越しにはみえないけど、片脚を欠損させているらしい。この店は〈欠損バー〉という名前らしく、四肢いずれかを欠損している店員だけが働いてるそうだ。

「たまに、来るんだ」そう言いながら彼はモヒートを一杯飲んだ。

 店員たちは私の腕に親しみの視線を投げかけてくれる。雑談の中で、私はさっき彼に説明したことをかいつまんで話す。幼い頃からの病と、新しい病を。

「わかるよ」一人が、グラスを拭きながら何度も頷いた。

「幻肢痛はつらいよね。私の場合はなくなった腕が熱っぽくってさ、夜も眠れなかった」

 そう語る店員は、数年前に事故で利き腕を失ったそうだ。昔に比べれば事故での切断手術は少なくなっているそうだけど、この店員の場合は切断面の損傷が酷くて複合手術が難しかったらしい。店員はグラスを脇腹でそっと挟んで拭いている。

 もう一人の店員は生まれつきだった。なんで私はみんなと違うんだろうと幼い頃から考えてきたし、実際に酷い苛めも受けてきたんだよ。そうあっけらかんと笑った。

 境遇も考え方も、私たち三人はまるで違う。でも私と同じく欠損を抱える店員たちが、自ら切断を選んだ私を否定することはなかった。

「私たちには、腕があることに苦しむ辛さはわからないから」


 ジントニックを二杯ほど飲み終えた頃、店内はやや混雑し始めた。店員は別の客の方についたので、私たちは額のつくような距離で会話をしていた。彼の息が頬にあたる。

「今日はありがとう。おかげで気持ちが楽になった気がする」でもね、と私は続ける。

「なんできみは、このお店に通っているの?」

「最初は友だちに連れて来られたんだ。それで店員と仲良くなったからかな」

 彼は小皿に盛られたナッツの山を人差し指で探って、中でも一番きれいなものを選りすぐんで口に放った。硬い身の砕ける音が鳴った。それよりさ、そう言って話題を変えようとする彼は、まるで悪戯が見つかった少年のようだ。

「屏風から虎を出せないなら、虎を屏風の中で殺すよりないんじゃないか」

「どういうこと?」

「つまりね、幻想の腕を作るんだよ。海外の怪奇小説に登場するモチーフで〈猿の手〉って言うものがあるんだけど、その〈猿の手〉は持ち主の願いを三つだけ叶えてくれるんだよね。まあ持ち主は結局、災いを呼んでしまって手を葬ることになるんだけど」

「うん、それが?」私は三杯目のジントニックに口をつける。

「人間は、大よその行為を手で行うわけだよね。幸不幸は自分の行為の結果、つまりは手の行いにあるって考えれば、なぜ願望成就の象徴が〈手〉なのか納得できる。持ち主にとって〈猿の手〉は、想像力の中では願いを叶えてくれる第三の腕になっていたわけ」

「私が右腕を、自分のものじゃないと思っていた反対のことだ」

「うん、そうだね」彼はそう言うと、バツが悪そうに視線を逸らした。

「だから、君も想像上の腕を作ってみるんだよ」

「私はそれをもう一回切るってことね」

 彼の妄想まじりの助言は、それでも私の胸をちょっとくすぐらせた。面白い発想だと思った。その発想に付き合う為には、私が、もう一つの腕を想像上でこしらえる必要がある。

「そこで、一つ提案があるんだけど」

 そう言うと店員に勘定を頼んだ。続きは歩きながら話そうかと言って、彼は二人分払ってくれた。店員が、また来てねと私に言ってくれる。外に出るとすっかり夜が深まっていた。

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