第5話
5話
個室から出る。笹塚がすぐに俺に目を向けてきた。
少し疲労が現れている目は「野良猫さんをなんとかしてください」と語っている。
元の席に着き、箱からタバコを取り出そうとして、辞めた。
先程の一本で尽きていた事を思い出したので、笹塚に向けて、空き箱を軽く掲げる。
笹塚はカウンターの影から、未開封のタバコを取り出して、俺の前に静かに置く。
「どこまで?」
タバコの礼ではないが、ここからは俺が引き受けよう。
そもそも自分が原因であることは、棚に上げさせてもらう。
「貴方が眠れない。という所までです」
もっと進めておいてくれても良いのに。
笹塚は慎重過ぎる。こういう時はもっと、残酷なまでに切り捨てないと駄目なんだ。
真新しいタバコの封を解き、取り出した一本に火をつける。
「俺は死ねない。そして、眠れない」
あらすじをなぞる。俺。
「あなたが、不老不死だから」
あらすじをたどる。女。
「生まれた時からですか?」
「この身体になってからだ」
少しずつ、着実に核心に近づく。
「不老不死に、なってから」
「そうだ」
切り捨てる準備をしなくては。
「不老不死は、貴方だけですか?」
「大勢いる訳ではないだろうが、俺以外にも数人は確認している」
着実に、核心に近づく。
「みんな、眠れないんですか?」
「色々だ。眠れない、見えない、歩けない、食べられない」
つまり。
さぁ、これが核心だ。
「人は、幸せを一つ、永遠に失う代わりに不死になる」
マスターにお礼とお詫びを言い、私は外に飛び出しました。
ヤグラさんを追う為に。
彼は、昼間と打って変わり、人の気配が微塵もしない公園でしばらく歩くと、ベンチに腰を下ろしました。
おそらく、核心を述べた直後に、私が彼に喰らいつくのが分かっていたのでしょう。
彼は、核心を宙に放ると、それを掴むかのように片手を上げ「またくる」とマスターに言いました。
マスターは、その唐突さに慣れているようでした。名残惜しさを噛み殺したような明るい声で
「お待ちしております」と言い、哀しげに笑いました。
貴方は僕と初めて会ったあの日から、どれほどの時間が経ったか、数えていますか?
貴方は、あの頃と全く変わらない風体に、あの頃とは全く変わってしまった落ち着きを携えて、数年に一度訪れてくれますね。
また、少しだけ中身の残ったウイスキーの瓶を、丁寧に棚の奥にしまう。
もう、会えないかも知れませんよ。
僕も、もうそれほど長くはないでしょう。
自分の店にシャッターを下ろす。
今日はもう終わりにしよう。
今年は丁度、貴方と初めて会ってから70年ですよ。矢倉先輩。
俺がベンチに座ると、女が目の前に立った。
切り捨てなければならない。
さすがに、女を泣かせることに慣れてはいないが。
女は俺に掴みかかった。
「お願いです!なんでもします!私を、貴方のようにしてください!」
必然。
人は不死を目の前にすると、こうなる。
「駄目だ」
切り捨てる。幸せを失うのは、死よりも辛い。
その事に、こいつはまだ気づいてない。
気づけるわけがない。
それは、何十年も不死を背負って生きていく過程で、心を削っていきながら、蝕まれるようにして至る気づきなのだから。
「お願いします!」大粒の涙。
懇願。地に額を叩きつけるようにして。
「私は、難病なんです!」
「結婚したい人がいるんです!」
半年。それが彼女に残された時間だと言う。
「その半年を、大切な人と過ごすんだ」
切り捨てた。切り捨てた。
切り捨てたはずなのに、俺はなんでこんなに揺れているんだろうか。
彼女は止めどなく溢れる涙を拭いもせずに、俺の事を突き刺すように見据え、なおも大声で懇願し続けている。
両手を合わせ、まるで俺が最後に現れた神様であるかのように拝み倒す。
「わからないんだぞ」
俺は何を言っている。
「どんな幸せを失うか」
辞めておけ。その選択は、確実に目の前の女をどん底に突き落とす。
「わかっています!」
わかっていない。何もわかっていない。
「どんな幸せを失っても、私は生きていたいんです!」
やはり、俺は、愚かだ。
ただ一瞬、目の前の人を救いたいが為、救いの後に訪れる、本当の絶望に気づかない相手に
「バカが」
永遠の苦悩を与えてしまうことを知りつつ、俺は女の額に手をかざした。
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