第4話


乾かしていたグラスを手に取り、清潔な布で拭きあげる。

席に残された女の子は、店内に並ぶ酒瓶を目で追っていた。

何か話を振るべきであろうが、長年バーテンダーをやっていて、ここまで話題に困ることもなかった。

女の子が、ふと、自分に出されたジュースに、今気づいたかのように口をつけた。

次に、はっとした様相でこちらを見る。

「すいません」

彼女は、まだ幼さの残る顔に焦りを滲ませた。

「私、お店に来るつもりじゃなくて」

ああ、そうか。

「お気になさらず。こちらが勝手にお出しした物です」

予期しない形で来店してしまって、持ち合わせがないのを気にしたのだろう。

申し訳なさそうに微笑む彼女を見て、安堵した。

矢倉さんを尾行する者だから、警戒をしていたが、それは悪意のある行動ではないらしい。

「申し遅れました。店主の笹塚でございます。貴女の名前をお聞きしても?」

人に名前を聞くなら、自分が名乗ってから。

小柄な女の子は薄い唇を開いて

「カンザキシオリです」と言った。

この笹塚、腐るほど人を見てきたが、彼女の透き通るような瞳の、まるで濁っていない真っ直ぐさは、決してありふれた代物ではない。

少しくらいであれば、ニーズに応えても差し支えないだろう。

話題に困っていた、ということもあったが、共通かつ異質な話題を提供することにした。

「彼の事を知りたいとか」

矢倉さんはトイレに篭ったままだ。

もしかしたら、自分に付いてきてしまった野良猫さんを、この老いたバーテンダーに丸投げするつもりなのかもしれない。

野良猫さんこと、カンザキシオリ嬢は、まさか相手からその話題を投げられるとは思っていなかったようで、大きな目をぱちくりさせている。

「彼が、何故、死ななかったのか」

悟られない様、いつもより僅かに深く呼吸をし、心拍数を一定に保つ。

「この笹塚で宜しければ、お答えしましょう」

これで良いのですね。矢倉さん。


笹塚と名乗る、低姿勢なマスターは、私の目を真っ直ぐ見据えていました。

優しい眼差しは、笹塚さんの長い人生が為せるものなのでしょうか。

きっと、私が害を生む存在ではないか、観察し、疑っているのでしょう。

しかし、その観察は、その疑いは、これから私を信じる為に必要不可欠だったのでしょう。

人を、簡単に信じてはいけません。一度信じたのであれば、簡単に裏切ってはいけません。

亡き祖母から、かつて投げかけられた、優しい言葉を思い出していました。

すると笹塚さんが、ほんの少し目を細めて

「彼の事を知りたいとか」と言いました。

私は、信じてもらえたのでしょうか。

「彼が、何故、死ななかったのか」

この短い時間、僅かな会話で、私を信じるに値する根拠を見出したように

「この笹塚で宜しければ、お答えしましょう」


老いたバーテンダーは、今宵、一つの決意をした。

目の前の女性がどんな想いを持って、不死をその身に宿す男を追ったのか、知らなかった。

しかし、どんな理由を持って、男を追ったのかは想像出来た。

不死を追う者は、不死を望む者なのだから。

その望みを、根元から断つ。

それが、彼女をどれほど落胆させることになろうとも。


「彼は、死なない」

笹塚さんは短く告げました。

「死ねない、と言った方が良いのかも知れません」

私は、陳腐な表現になってしまうのを確信しながら

「不老不死という?」

やはり、笹塚さんは少しも笑わず

「そういう表現が、極めて的確なのです。陳腐ですから好きではありませんが」

私が少しムッとしたからか、今度は少し微笑んでくれました。

「しかし、不老不死も楽ではないようです」

死なないけど、楽じゃない。それは生きていれば辛いことがある。と言うのと同じです。そんな事は知っています。

「楽しさも、苦しさも、感じられる。それが生きてるということなのでは」

私の言葉を、笹塚さんは丁寧に整理している様子で

「そうですね、ただ生き続けるのであれば、あるいはそうかも知れません」

また、疑念を生むことを言う。

しかし、その「ただ生き続けるんじゃないんですか?」という安易な疑念を見透かしたのでしょう。

すぐにこう続けました。

「彼は、眠れないのです」

「眠れない?」

ゆっくり頷いて、とても深刻そうに

「彼は死にません。何をしても、何をされても。その代わり毎夜、彼は苦悩するのです。終わらない一生が、これから永遠に続くことを」

笹塚さんは、言葉の選び方を間違えないように、まるで、これから不死を望む者に、釘を刺すかのような表現を使いました。

しかし、私の望みを断つには、あまりにも稚拙な表現でした。

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