第2話


コンクリートの塊を見ていた。

女の疑問符が聞こえたので、目をやると、そこにいたのは勿論と言うべきか、女だ。

俺を見る目は「なんで、こんな時間、こんな場所に、こんな人が」と語っている。

痛々しい程、分かりやすい。

今夜は珍しく予定がある為、俺は目的地に向けて歩き出そうとした。

「待ってください!」

待て。と言われて、待つ理由はないが、同じように待たない理由もない。

思考するのも億劫だったので、女に向き直る。

「なんだ?」

待ってやるのは構わない。生憎というべきか時間は有り余っている。

しかし、話をするのは別だ。初対面の女と話す事など見当たらない。

それは女も同様だったようで、忙しく目を泳がせた後、絞り出すように

「音がしました」と不思議な話題を提供した。


引き止めはしましたが、初対面の男性と話す事には慣れていません。

彼と私に共通することなど「今、ここにいること」くらいしかありません。

なので、唯一共通する話題を提供しました。今、ここで鳴ったと思われる、おそらく2人とも聞いたであろう轟音。

「音がしました。まるで、大きなコンクリートの塊が、何かをかち割ったような」

私は夢中でした。

どうしても、彼を離してはいけない。そんな気がしたのです。

彼は、人差し指で自分の頭を示し

「かち割れてない」と言いました。

ジェスチャーとセリフの意味が、両方とも理解出来なくて、おろおろとする私に、補足するかのように続けます。

「さっき、コンクリートの塊が、俺の頭に落ちてきたが、かち割れてはいない」

今度は理解が出来ました。

ただ、納得が出来ません。

「落ちてきて、当たったんですか?」

読解力のない生徒のような私。

「落ちてきて、当たったんだ」

根気強い、国語教師のような彼。

「それは、どういう?」

「たぶん、老朽化」

違う。そうじゃない。重要なのは、何故、落ちてきたかじゃない。

「何故、生きてるんですか?」

解釈によっては、とても失礼な質問ですが、彼は別段気にした様子もなく

「何故、コンクリートが頭に降ってきて、生きていられるのか」と呟き、彼は初めて少しだけ表情を変えました。

唇の端をわずかに上げただけでしたが、私には、彼が泣いてるようにも見えました。

「生きていられる、そうじゃない」

少しの間。

「死ぬことが出来ないんだ」

「死ぬことが、出来ない?」

自分の声が震えてるのがわかります。

「そうだ」

冗談だ。

「何があっても?」

冗談だ。

「そうだ」

嘘に決まってる。

「病気になっても?」

「病気にならないから分からない」

いい加減にして。

「ナイフで刺しても?」

「ナイフは刺さらない」

そんなバカな。私はポケットを震える手で探って

「刺さらないなら、刺してもいいですか?」

取り出したナイフ。

これで彼は、その無表情を崩して慌て「冗談だ」と認め、ふざけた問答から降りてくれる、はずでした。

「ああ」

辛うじて声になった、彼の吐息の様な返答。

続いて、両手を大きく広げて

「もし俺を殺すことが出来たら」

何を言ってるの

「君にとびきりの感謝をしよう」

まだ言うの

私はナイフを逆手に掴んで、彼にじりじりと歩み寄りました。

彼がどれほどの意図を持って、あんな冗談を言ったのかは分かりません。

でも、どうしても許せなかった。

「死んじゃっても知りませんよ」

私は彼の喉元を目掛けて、ナイフを一文字に薙ぎました。

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